第2話

「え? 参加者は私一人だったのですか?」

「えぇ、カニンガム公爵夫人だけ招待しました。私の情けない姿を見せてしまいましたので。それなのに介抱まで快くしてくださって。今日は珍しいお菓子ばかり作らせたのですよ。お好きな物があれば良いのですが」


 バクスター公爵夫人は楽しそうにエルシャに庭を案内してくれる。さっき見たところにはテーブルが一つ、イスが二つしかなかった。参加者は本当にエルシャだけなのだ。

 今は公爵邸のバラを見せてもらっているところだ。王弟は不在である。


 バクスター公爵夫人は血色が良く、建国記念パーティーの時とは別人だ。あの日は体調もあって特別老けて見えたようだ。


「来てくださって嬉しいわ。なかなかお返事がなかったから心配していたの。私の醜態に呆れ果ててしまわれたのではと」

「申し訳ありません。夫の許可が中々出ませんでした」

「あぁ、やはりそうなのね。参加のお返事も公爵様が? あなたに届いた手紙のチェックも?」

「はい」


 急にバクスター公爵夫人の声が冷えた。

 笑顔のまま話しかけてはくれているが、視線と声が冷えている。何かエルシャがマズいことでも言っただろうか。


「どうして殿方って、花の世話をしないのに美しく咲いていないと文句を言うのかしらね」

「えっと……?」


 それはバラの、公爵邸のバラのお話ですよね? まさかいきなりバクスター公爵のお話ですか? 内心で焦るエルシャだが、バクスター公爵夫人は身をかがめてバラに顔を近付けている。


「このバラは特に手がかかるの」

「とても美しいです」

「そうでしょう? 頑張ってお世話をしているの」

「公爵夫人がですか? とても素晴らしいことですがこれだけあれば毎日大変でしょう」

「そうね。でも、手をかけた分だけこうやって美しく咲いてくれるということを知っているから苦ではないの。花には愛を出せば愛が返ってくるの」


 えーと……さっきの冷ややかな雰囲気はなくなった? 大丈夫かな?


「難しいのよ。手をかけすぎてもダメで、放置していてもダメなの。自分の物のように扱ってもいけないし、支配的になりすぎてもいけない」


 えーと、バクスター公爵夫人は詩人でいらっしゃるのですか? いや、表現が詩的ではないかしら。バラの手入れというか子育て論のようなことを口にしていらっしゃる。


「歩いたら喉が渇いたでしょう? そろそろお茶にしましょう」

「見事なバラを見せてくださってありがとうございます」


 ゆっくり歩いて戻ってから、テーブルにさまざまなお菓子が並べられる。


「リンゴはお好きかしら」

「はい、とても」


 そういえば伯爵邸でシードルがどうのという伝言を聞いたが、最初に出てきたのはもちろん紅茶だった。


「あの、伯爵邸で伝言をいただいたのですが……あれは一体どういうことですか?」

「あぁ、特産のリンゴで作ったシードルは用意してあるのですよ。先にお出ししましょう」


 エルシャとしては「力になれる」の部分の意味を聞きたかったのだが、バクスター公爵夫人は笑いながら使用人を呼びつけて指示をしている。


 まもなく黄金色をした液体が綺麗なグラスに入れられて運ばれてきた。


「比較的弱いアルコールなのでどうぞ召し上がって」


 どうしよう、夫にお酒は出ないだろうと言ったのに! まさかしょっぱなから出るなんて。この前ワイン丸々一本を飲んだ時の記憶はあまりないが、夫の腰に縋りついて離れなかったと聞いている。いろいろ叫びもしたらしい。

 エルシャはもういい大人なのだ。大してお付き合いもなかった他家でそんな醜態は晒せない。


「どうされたの? お酒は苦手かしら?」

「申し訳ありません。夫にお酒を飲むなと言われていて」


 うぅ、素直に酒癖が悪いかもしれないなんて言えない。それに、夫に飲まない方がいいと言われたのは本当なのだ。あぁ、でもこれでは夫を悪く言っているように聞こえてしまうだろうか。


「まぁ……可哀想に」


 バクスター公爵夫人はグラスを持ってすぐにシードルを飲み干した。パーティーの日も飲み過ぎていたようだが、お酒が好きなんだろうか。

 すぐさま使用人が新しくシードルを注ぐ。夫人は合図をして使用人を下がらせた。


「でも、一杯だけならいいのではなくて? これは発酵期間が短いものだから甘口でアルコールもかなり弱いのよ」

「あ、はい」


 エルシャは思わずチラリと後ろの侍女を見た。今日のためにエルシャにつけられた王太子殿下の部下だという女性だ。


 そして目の前のバクスター公爵夫人に視線を戻す。夫人は何を思ったのかエルシャを見てニッコリ笑った。そしてエルシャの前のシードルのグラスに手を伸ばすようにして体を近付けてくる。まるで、エルシャの後ろの侍女に聞かれないように。


「私はあなたの力になれるとお伝えしました、カニンガム公爵夫人。あなただって夫に支配される結婚に嫌気がさしているんじゃなくて?」


 耳元で囁かれた言葉に体が竦む。

 これは……同情されているんだろうか。やっぱり冷遇妻として親近感を持たれていたのだろうか。今日のエルシャの言動は傍から聞けば夫の許可がないとお茶会にも参加できず、お酒も飲めない妻である。ごめんなさい、旦那様。悪く言う気はなかったんです。


「旦那様は私を守ろうとしてくださっています」

「可哀想に。洗脳されているのね」


 間違いなくバクスター公爵夫人に同情されている。ものすごく可哀想なものを見る目で見られている。エルシャはこの視線にどうしても慣れず、モゾモゾと動きたくなってしまった。

 以前までは仮面夫婦でしたが、今は夫のことはきちんと理解しているんですけど……。


「い、いただきます」


 夫のせいにしているのも悪いので、シードルのグラスをそっと掴む。そしてエルシャは侍女に指示した。


「下がっていてくれる?」


 バクスター公爵夫人だって自分の使用人を遠ざけたのだ。エルシャだって遠ざけなければ喋ってくれないだろう。

 ものすごく勘違いをされているようだが、情報を引き出すためにエルシャはそれに乗ることにした。

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