第4話

 役に立たない自分なんて、エルシャは大嫌いだ。

 だから、思わず夫に手紙を書いてしまった。話し合いはできないから。「離婚しましょう」と。


 だって、役に立たない自分の存在意義なんてないのだから。夫からは「離婚書類はこちらで準備する」という淡泊なお返事があった。

 こんな時まで何も言ってくれない。二回ほど夫から離婚を切り出された手前、勢いで離婚と書いてしまったがやっぱり夫に自分は不必要なのだ。書いてしまってから分かる、エルシャは演技でもいいから引き留めて欲しかったのだ、あの夫に。


 書類が整ってサインするまで、エルシャはまだカニンガム公爵夫人だ。外出禁止でも参加が必須な社交があと一つだけ残されていた。しかし、エルシャはもうやる気などなかった。どうせいい嫁だってやめていたのだ。今更何の役にも立たない自分が頑張ったところで、とやさぐれている。


「奥様、大丈夫ですか?」

「私は元気よ」

「申し訳ないのですが、ここ一週間ほどとてもそうは見えず……」

「大丈夫よ、今日のお茶会には行くわ」


 この一週間、エルシャにはやる気というものがなかった。

 だらだらと返事が必要な手紙をしたためているが、テキパキとは働かなかった。いつもチマチマハキハキと動いていたので、事情を知らない侍女たちにはそれが具合でも悪いように映ったのだろう。


 離婚の書類はまだできない。

 今日はカニンガム公爵家と付き合いのある伯爵家のお茶会だ。王弟の家は参加などしないし、あちら側の人間もいない。義母が先代伯爵夫人と仲が良く、今日は義母も参加するのでより良いのだろう。


 夫は義母にも何も話していないようだが、馬車の中で義母から何か言われることはなかった。なんだか見守られているような雰囲気がある。エルシャとしても義母を傷つけたくないので、その視線を眩しく思いながら黙っていた。


 伯爵家のお茶会では何の陰口も言われることもなく、ただ凡庸に時間が過ぎた。子供の話くらいは出たので、それとなく探られている気はしたがそれだけだ。


 これが公爵夫人としての最後の社交か。書類作成がいくら大変でももうそろそろできるだろう。あの夫なら結婚と同時に離婚の書類も準備しているのかと思っていたが、条件でも書き換えているのだろうか。


 化粧室に立ってお茶会会場に戻るときに、後ろから呼び止められた。

 後ろからハンカチを持った伯爵家の使用人がやって来る。ぼうっとしていてエルシャはハンカチを落としたようだ。見覚えのあるそれを恭しく差し出されて、受け取る。


「カニンガム公爵夫人。お茶会にぜひ来ていただきたいと夫人から伝言を預かっております」


 使用人は頭を下げたままそう言った。

お茶会? お茶会ってもう来ているんだけど。今日のではなくて?


「お返事がなく、あの方が心配されていました。きっと、カニンガム公爵夫人のお力になれます。そしてキャデラック領のシードルはお口に合うはずです」


 使用人はそれだけ言うと、深々と礼をして踵を返す。

 エルシャはハンカチを持ってしばらくポカンとしていたが、キャデラック領はバクスター公爵家の領地だったとやっと思い出した。リンゴの産地としても有名だ。


 え、もしかしてバクスター公爵夫人からの伝言?

 夫は欠席で返事を出すと言っていたのに。それに、バクスター公爵夫人がこの伯爵家の使用人でも買収して伝言頼んだの? 怖くない?


 手紙を押し付けられたわけでもないので証拠はない。思わず、ぎゅっとハンカチを握った。

 エルシャはこのことを夫に言った方がいいのか、言ってもまた「役に立たなくていい」とか「余計なことをするな」なんて言われるのではないかという怖さで板挟みだった。


 どうして夫に言われる言葉はこれほどエルシャにショックを与えるのだろう。夜会で浴びせられる陰口も確かに疲弊するが、それとはまったく違う痛みなのだ。


「自分の存在意義を求めてお世話なんてするんじゃなかった」


 夫にあんなに近づいてしまったのが良くなかったのだ。

 好物が意外と分かりやすいことも、意外に優しいところも、とんでもなく不器用なところも、石切りの上達が早いことも、エルシャに縋りついてくるあの頼りない温かさも知らずに済んだはずなのだから。


 最初からいい嫁をやめて、仮面夫婦の公爵夫人を満喫していればこんなことにはならなかった。

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