第7話

 王都の公爵邸に帰ってから、義母の視線が痛い。家令のリチャードは普段通りに見えるが、視線を向けられる頻度が多い気がする。


 夫は以前の夫に戻ってしまった。

 王都に戻ると執務室に閉じこもり、翌日からはまたどこかへ出かけて行き始めたのだ。エルシャは窓の側に立ってそれを見送ることしかしていない。そして、夫の帰宅は夜遅い。


 夫と距離が近付いたのだと誤解していた。

 事情も話してくれて、これからやや白くない結婚生活を送っていけるのかなと思っていた。でも、エルシャはでしゃばりすぎたらしい。それで父の機嫌をいつも損ねていたにも関わらず、夫が少しばかり許してくれたからとまたでしゃばってしまった。


 お世話をしすぎてちょっと距離を見誤ってしまったらしい。

 思わずため息をつきそうになる。夫の背中が目に入る度、二度懐いてくれた野生動物がエルシャのやらかしで山に帰ってしまったような感覚だ。


 怪我が治っても夫はエルシャから逃げなくなっていたのに。一度あの距離を覚えてしまうと、以前の距離に戻ってもどうしていいか分からない。これなら、懐かないでいてくれた方が良かった。


 いや、そもそもエルシャが詰め寄られて階段から落ちなければ良かったのか。それなら夫はエルシャを庇う必要などなく、怪我も記憶喪失にもならなかったはずだから。エルシャを守らなければいけないから夫は余計に大変だったのだ。


「えーとね、エルシャちゃん。あの子と喧嘩でもしたの?」


 義母は一週間経っても相変わらずの関係が不安なのか、そう聞いて来た。


「お義母さま、旦那様が怪我をして記憶喪失になるまではいつもこうでした」


 エルシャは滞っていた養子選定のリストに取り掛かっていた。

 リスト化してから本人の資質に問題がないか、家族や親せきに面倒な人がいないか調査しないといけない。


「でも、執務室で一緒に作業だってしていたのに……急に別々で仕事だなんて」

「私がお手伝いできることはもうありませんから」


 義母は上品に紅茶を飲みながら目をウルウルさせている。その様子に絆されそうになっても、真実を口にするわけにはいかない。夫は秘密を抱えながらずっと一人で義母を守ってきたのだ。ぽっと出のエルシャがごちゃごちゃ言ったところでダメなのだ。


「でも、領地では仲が良かったんでしょう?」

「まぁ……はい。でも、帰る時に喧嘩しました。私が悪いんです。調子に乗ってしまったので」


 このくらい言っておかないと、義母は諦めない気がする。


「これまでのあの子の態度もあるし、あの子だって悪いはずよ」

「頑張って仲直りするので……もう少し見守ってください」


 脅迫されて調べているのに、義母にまで首を突っ込まれたら夫は大変だろう。


「分かったわ、建国記念パーティーには間に合うといいわね」


 あぁ、そういえばもうそんな時期か。建国記念パーティーも欠席できない社交の一つだ。城で開催されるので夫と一緒に参加だ。この調子で大丈夫だろうか。


「……はい」

「エルシャちゃん、元気を出して。ドレスは私と決めましょう。あの子のは勝手に決めてお揃いにしましょうね」


 義母はドレスを考え始めると途端に楽しそうになった。

 そのパーティーまでに夫が調べ物を終えるだろうか。そうしたら、もうちょっとは仲良くパーティーに参加できるだろうか。


 義母は建国記念パーティーの準備という目標ができたからか嬉しそうに出て行った。


 エルシャはリストを脇によけると、テーブルに突っ伏した。

 エルシャの外出はほぼ禁止されているので、お茶会に行くことも領地に戻ることもない。義母も何か言われているのか外出はほぼしない。彼女はもともと高位貴族の令嬢であり、毒を盛られても耐性があるし、護身術もできるのでエルシャよりは対処はできるらしい。


「役立たずですねぇ」


 夫の役に立ちたかった。たとえ契約妻でも。

 怪我をして記憶を失ってからは夫の役に立っていると思っていた。

 父の仕事には携わらせてもらえなかったが、使用人が足りずに弟妹の世話をしていたからそれで役に立っていない自分から逃げることができていたのに。


 今のエルシャは完全に役立たずだ。夫に無理をさせて守られることしかできない。


「普通の夫婦って難しい」

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