第七話「俺の正義」

 死神事件と同日、夜も更けたとある横浜市内の住宅街。その路地裏に小さな二人の影が闇に紛れていた。


「お兄ちゃん、お腹すいたよぅ…。」


「今待ってろ、食えるもん探してやっからよォ。」


 そう言いながら、白髪の少年は飲食店の路地裏にあるゴミ箱を漁る。そして念願の…


「よっしゃあきたァ!レア中のレア、ハンバーガーの食べ残しだぜぇ!」


 目を輝かせながら誇らしく、お腹を好かせた小さな女の子に見せる。


「ほら、食え。こんな状況で好き嫌いはなしだからな?」


 食べかけで色も変色している。ゴミ箱の奥底にあったせいかドブのような匂いも漂う。だが、今のこの二人には食べられること自体が何よりもご褒美であった。


「お兄ちゃんはいいの?」


 少年の下肢ぐらいの身長にしか満たない少女が問いかける。そんな少女に対して、少年は目の前で座り込んで、少女の頭を撫でた。


「俺のことは気にすんな!俺はクソッタレな生活に慣れてっからよ!それに、俺みたいなクソッタレな生活をお前にして欲しくねぇんだ。」


「…お兄ちゃん、ありがとう!」


「…あぁ、食え!」


 そう言うと、少女は食べかけのハンバーガーを口に入れ始める。しかし、食べている最中に、少女はたまらず吐き出してしまう。


「お、おい!大丈夫か!」


「お、お兄ちゃん…ごめんなさい。私…。」


「いいんだ、俺が悪かった。そうだよな、こんなクソみたいなパン食えるかってんだよな。」


 自分はクソみたいなパンの味すら慣れているが、少女は生まれた時から孤児院に保護されて良いものを食べてきた。食生活が突然変わって数日経てば、こうなるのも目に見えていた。


「ったく、一体どうすれば…。」


 その時、少年の視界には夜の闇を照らすコンビニの姿が見えた。


「…うめぇもん、あそこに沢山あんだろうな。」


 このまま、腐りかけの物を食べさせ続けていていては、いずれこの子は病気になってしまう。それに量も十分では無い。だから、少年は決断した。


「…おい、うめぇもん食いてぇか?」


「…うん、食べたい。」


「そうか。たらふく食いてぇか?」


「…うん、食べたいよ…。」


 その心からの声を聞いた少年はゆっくりと立ち上がり、少女の先を歩いて背を向けた。


「いいこと思いついたんだ。うまいもん、たらふく食える方法。」


「ほんと…!?」


「あぁ…今からうめぇもんを沢山持ってくる。だから、そこを動くんじゃねぇぞ?必ず戻ってくっから。」


「…うん!分かった!」


 少女は大きく頷く。

 その少女の声を聞いたのを合図に、少年は明かりが差し込む方へと歩みを進める。そして、自動ドアを通ってコンビニへと入店する。


「…いらっしゃせぇー」


 少年が入るなり、気だるそうな声が店内に響く。


 少年はコンビニに入るや否や、後ろの方へと移動して店員の様子を伺う。


 店員は大学生ぐらいの若い男性だ。少なくとも、アルバイトであることは分かる。そして時間帯が深夜2時ぐらいということもあり、客は一人もおらず、店員はスマホを見て暇を潰している。


 一番店員が見にくい位置はやはり、相対する位置にある後ろの棚部分と、店の端っこだろう。そして、自分が今回狙うのは食料と水だ。


 食料は後方の棚にあるヨーグルトやパンなどは比較的簡単に盗めるだろう。問題は水…棚を開けたその音でバレる可能性がある。しかも、水のある棚はレジの真横であり、見やすい位置に置かれている。これをどう切り抜けるか…。


「…。」


 とりあえず、パンやヨーグルトを手に取って、服やポケットの中にしまい込む。店員は今のところ気づいていないようだ。問題は水なのだが…。


「いらっしゃせー」

 

 その時、もう一人の客が店の中へ入ってきた。この時間には客はこないであろうと思っていたが、まさかの刺客に少年は汗を垂らす。客の目を気にしてこの場を切り抜けなければならなくなった。


 足音が後方へと近づく。

 こっちへ来るなと願う少年。それでも近づいてくる足音。


 来るな、来るな、来るな、来るな…!


「…あ、もしもしー?やっぱコンビニ電池高いよー。え?高くてもいいって?しゃあないなぁ…。」


 後方に歩みを進める一歩手前、電池を手に取った男はそのままレジへと進んで行った。


 少年はその気を逃さなかった。

 店員が会計に集中している間に、一番端奥にあるペットボトルを一本…いや二本服の中につめ、後ろを回って急ぎ入口へと向かう。しかしその時…


「ありがとうございやしたー」


 電池がひとつだけだったからか、会計がすぐ終わってしまう。ここで呼び止められたら全てが台無しだ。緊張感が高まる中、入口のマットを踏む。


「…ん?」


 その刹那、店員が声を発する。

 異様に膨らんだお腹、鼻をつんと刺激する酸性の匂い、汚れきった半袖半ズボンの服装…。これを見て、さすがに店員も疑問に思った。だが――


「――まぁいっか…。」


 店員はそう言うと再びスマホを触り出す。その隙にコンビニから出た少年は、早足で少女のいた路地裏へと向かった。


「へへへ、上手くいったぜ。これでうまいもんを食わせられるなァ。」


 少女の喜ぶ姿を想像しながら歩みを進める。少年にとって、少女の喜びこそが何よりも生き甲斐なのである。


「よし、もうすぐだぜ。」


 少年も思わず小さな笑みがこぼれる。早く少女に会いたい。その一心で歩いたその先…しかしそこには少女の姿はなかった。


「う、嘘だろ?おいっ!どこに行った!?」


 あたりを見渡す少年。だがその時、路地裏の奥から甲高い悲鳴が聞こえ、瞬時にそれが少女のものであると認識した。その瞬間、考えるよりも先に足が動いていた。お腹に貯めていた食料は床に落とし、とにかく早く少女の元へとその一心で走り抜けていた。そして、悲鳴の先には…


「おい、何してやがる。」


「アァ?なんだおまェ?」


 少女に襲いかかろうとしていた人型の悪魔の姿がそこにはあった。


「お、お兄ちゃん…!」


 そして、悪魔の先には泣きながら怯える少女がいた。その少女の姿を見た途端、少年の目付きが変わった。


「何してんだってきぃてんだよ。そいつは俺の家族だ。早くそこをどけ。」


 静か、だが重圧のある口調で目の前の悪魔に対して言葉を放つ。少年の眼光は鋭く、まるでナイフのように目の前にいる悪魔を睨みつけていた。


「なんだァ?人間風情がァ。あんまりうるせェとお前からやっちまうぞォ?」


「…やってみろよ、クソ野郎。」


「ァァァアッ!」


 人型の悪魔は、腕を剣の形へと変化させ、少年の首筋へと切りかかろうとする。首筋に掛かるまで残りわずか。何も抵抗をしようとしない少年の姿勢を見て、悪魔は勝ちを確信した。だが、少年の見解は違っていた。動かないのではなく、動く必要すらなかったのだ。


「――なッ!?」


 少年を狙った剣先は、少年の首筋に到達する前に止まる。いや、違う。


「うらぁぁァ!!」


 もう片方の腕も振り上げ、次は頭から斬りかかろうとする。しかし、それも頭へ到達する前に止められてしまう。対して少年は、依然と何もせず突っ立っているままだ。これは…


「――まさか結界だト…だがそんなものを普通の人間が持っているわけガ…。」


 その悪魔の反応を見た少年は口元を緩ませた。


「だって俺、人間じゃねぇからァ。」


 その刹那、少年の背中から真っ黒な翼が二つ生え、悪魔の体が一瞬にして切り落とされる。


「うおッ!?」


 驚きのあまり声を上げる悪魔。一体、いつ切り落とされたのか。それすら分からないまま、悪魔の上半身は地に落ちる。


「まひる、こっちに来い。」


「う、うん…!」


 少女はその隙に、悪魔の横を通って少年の元へと隠れようとする。だが、それを悪魔が見逃すはずもなかった。


「せめてこいつだけはッ…!」


 少女が悪魔の横を通り過ぎようとした瞬間、悪魔は右腕の剣先を伸ばして少女の足元を切り落とそうとする。だが、それを少年が見逃しはしなかった。


「うがッ!」


 剣先を伸ばそうとした刹那、翼で上から強く突き刺されて動きを遮断されてしまう。その間に、少女は少年の元へと避難が完了する。


「くッ、なんて反応速度ダ…。」


「残念だったなぁ?俺はお前らと同族、お前らの考えることぐらい分かっちまうんだよなぁ。」


「そうカ、そうだよナ。」


 悪魔は常々、この少年に同族の匂いを感じていた。だが、見た目は完全に人間。故にその感覚が疑問の域を出なかったが、少年の言葉によって同族であったということが確信に変わる。


「な、なァ?その子を襲ったのは悪かっタ。二度と近づかないと誓ウ。だかラ、見逃してくれないカ?同じ悪魔だろォ?頼厶…。」


 同じ悪魔ならばもしかしたら見逃してくれるかもしれない。そう思っての提案であったが…


「確かに俺とお前は同族だ。だけどよ、同族だからってお前に義理を作る理由も、ねぇだろうがよォ!!」


「ぐァ…!?」


 少年がそう言葉を口にすると、ふたつの翼で悪魔の両腕を切り落とし、続けて上半身を突き刺して体ごと宙に浮かせる。


「俺さァ、昔から気になることがあったんだよ。悪魔って痛みとか感じねぇって言うけどよォ…恐怖って感じんのかなァ?」


 どこか楽しそうに笑うその少年は、片方の翼で上半身を下から輪切りに少しずつ切り落としていく。


「お、おィ、やめロ。許してくれェ…もう手出しはしなィ…だかラ…。」


「うっせぇ口だなぁ!?」


「おぐぅぅウ…!?」


 翼を悪魔の口の中へと突き刺し、悪魔の喋る口を封じる。そして再び、上半身をスライスし始める。


「あーあ、これが全部食いもんだったらいんだけどなぁ。動物なら肉になるけどよォ、お前らは食えねぇんだよなァ…。まぁいいや、ストレス発散のおもちゃぐらいにはなんだろ。」


「や、やめてくれェ…。」


「あ、また喋りやがった。でも…さっきと比べて弱々しい声だなぁ?そんなに俺が怖いか?近づく死が、怖いか!?」


「こ、怖ィ…?」


 悪魔自身、怖いという感情を感じたことは無かった。だが今、体の内側から伝わる黒く冷たい感覚。全身が雷に打たれたかのようにバチバチと麻痺し、胸の奥底をグサリと突き刺されたかのような痛みを伴う。そうか、まさにこの感覚こそが…


「これガ…怖ィ。」


「そうだ。それがいつも、お前らが与えている恐怖ってやつだよ。」


 そして、少年の翼は悪魔の頭を真っ二つに両断し、その瞬間に体の全てがヘドロとしてその場に生まれ落ちる。


「あーあ終わっちまった。つまんねぇの。」


 気を落としたように言い放つと、少年の翼は自切したかのようにその姿のまま地面へと落ち、しばらくしてヘドロ状へと変化をする。


 そして少年はすぐに振り返り、少女に怪我はなかったかどうか、一通り目を通して確かめる。


「まひる、どこも怪我はねぇか?」


「うん!元気だよ!」


「そうか、良かった…。」


 その元気そうな声と共に一安心。安堵し、思わず大きなため息をこぼす。そして少しの時が経ったのち、少年は何かを思い出したかのように声を上げた。


「あ、そういや忘れてたわ。うめぇもん、沢山持ってきたぞ。後で一緒に食おうな?」


「え、ほんと!ありがとうお兄ちゃん!」


「はっ!いいってことよ!あっちに置いてきちまったから、いこうぜ!」


「…うん!」


 二人は手を繋いで来た道を引き返す。

 だが、少年は密かに勘づいていた。このまま生活は、決して続けられないということに…。

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