第14話:傷心とか嘘つくな(失礼な!)

「んー…」


 フローリアの朝はとても早い。

 大きく伸びをし、メイドが来る前にカーテンを開く。

 晴れていると自然と微笑むし、雨なら雨で読書日和だと喜ぶ。

 こうしてみると、フローリアは外見も相まって言葉の通り『深窓の令嬢』なのだが、シェリアスルーツ家騎士団にそれを言うと全員青ざめる。


「さて、今日は騎士団の稽古に参加しましょう」


 フローリアを煩わせていた王太子妃教育も、もう受けなくて良いと思えば微笑みも普段より三割増しになってしまう。


「…そういえば、お父様ったら今回ばかりは副団長様にがっちり拘束されているのかしら。なかなか帰ってこないわ」


 いつもならフローリアに何かある、或いはレイラに何かある、など家族のあれこれには書類仕事を副団長に丸投げして弾丸のごとく帰宅する父が、今回は帰ってきていない。なお、妻に関しては『ルアネは自分でどうにかするから大丈夫』という信頼があるようで、一概に帰ってくるわけではない、ともいえてしまうのだが、それはさておき。


 恐らく、予想通りに書類仕事に捕まっているのだろうが、手こずっているのでは?とも予想してみる。

 騎士団長がほいほいと魔獣討伐に参加しまくるから、間違いなく後々やらなければならない事務処理に時間がかかってしまっていることに加え、予想以上に見事に狩りまくるからまとめなければならない内容が多いのだろう。


「とりあえず…」


 うふ、と笑って長い髪をきゅっと一つにまとめて結んだフローリアは、動きやすいパンツスタイルに着替えてからいそいそと訓練場に向かった。

 恐らくレイラはまだ起きていないが、稽古を始めたらその内起きるに違いないので、それまでの間に自分も体をしっかり動かしたい。


「~♪」


 慣れた足取りでうきうきとしながら訓練場に向かえば、屋敷にいた騎士団員が起き始めてきて、訓練を開始すべくぞろぞろと出てきているのが見えた。


「皆さま、おはようございます」

「げ」

「あらぁ…」


 げ、と呟いたのは屋敷に常駐し、休みの時にだけ帰宅しているシェリアスルーツ家騎士団団長のオスカー。


「げ、とは何事ですか、オスカー?」

「いやあの、ですね」

「わたくしが訓練に混ざることはそんなにも嫌かしら?」

「そういうわけではなく」


 おろおろとしているオスカーをほんの少しだけ睨み、フローリアはまた頬笑みを浮かべて団員たちの方に歩いてくる。

 歩いている姿だけはお淑やかな令嬢だが、フローリアは何せ次のシェリアスルーツ家当主。

 訓練に混ざってしまえば、フローリア自身があれこれ指示を出してくるから、普段の訓練よりも内容はハードになる。

 なお、ハードにしているのは本人曰く『わざとですわ』ということらしい。


「そうよね、わたくしが混ざれば訓練は厳しくなりますもの。でもね?」

「へ」


 何の予備動作もなく、フローリアは何でもないように手を伸ばしてオスカーの肩に手を置いた。はて、と首を傾げようとするオスカーに対して、フローリアは微笑みかける。

 あれ、何があったのかと思いつつ、何かされてはまずいかと思ったオスカーが、ぐっと足を踏ん張る時間を与えさせず、フローリアは肩に置いた手に少しだけ力を入れて、そのまま自分の方向に引き寄せる。


「お、っと」


 引き寄せられることで、バランスを崩しよろけたオスカーの足元を目掛け、綺麗な足払いをしかけてから、肩を掴んだ手はそのままの状態で力を込め、思いきり地面へと打ち付けさせた。


「かは、っ…!」


 背中を強かに打ち付け、息が詰まるような感覚に襲われ、かひゅ、と妙な呼吸の音がオスカーの口から吐き出された。

 フローリアは笑みを浮かべたまま、ゆっくりと口を開いてオスカーを見下ろしたまま言葉を紡ぐ。


「わたくしの訓練はお父様と同じくらいだと思うわ、多分。でもね、それを厳しい、と感じるなら怠けていたことに他ならないと思うの」

「すみ、ませ、…っ、ゲホッ…」


 ゆら、と効果音がつきそうなフローリアの動きと、笑みがとんでもなく恐ろしいと気付いた時にはもう遅い。


「やばい、死ぬぞ」


 そう呟いたのが誰かは分からないけれど、フローリアがゆっくりと団員たちを振り向いた時、誰からともなく声なき悲鳴が飛び出てきた、ということだけが後々まで語り継がれることとなる。



◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇



「やだもう!寝過ごしちゃった!」


 レイラが起きたのはフローリアが訓練に向かった一時間後。


「皆、生きて……」


 ありゃ、とレイラは思わず呟いた。

 死屍累々、と言わんばかりにぐったりとしている騎士団員たちと、ケロッとして一人だけ立っているフローリア。


「まぁ、レイラおはよう」

「おはよう、リア。ねえこれ…」

「お父様に代わって訓練していたんだけど、…ちょっと飛ばしすぎたかしら」


「……ついていけ、ず…すみま、せ…」


 普段からすれば比べ物にならないほど、か細い声でオスカーが謝罪してくる。


「謝ることはないのよ、オスカー。でもね、お父様がいないからといって、少し訓練を軽くしただけで皆さまこうなってしまうのだから…」


 めっ、と軽く言いながらつい、とオスカーの額へと手を伸ばす。あ、これはもしかして労わって撫でてくれるのかと一瞬甘い考えをしたオスカーだったのだが、手の形が変わり、思わず『あ』と呟いた瞬間にバチン!と物凄い音がした。


「いだーーーーー?!?!?!」

「うわぁ…」


 直後、オスカーの物凄い叫び声とレイラのドン引きしたような何ともいえない声が、ほぼ同時に聞こえた。

 オスカーにデコピンを食らわせたフローリアは、いつも通りのにこにこ笑顔というか、見ている方が落ち着けるようなおっとりした笑顔を浮かべている。


「リア…それは痛いわよ…」

「何をおっしゃるの?そうでなければ、お仕置になりませんわ」

「えぇ…」

「お父様が、ほんの少しだけ愚痴を零しておりましたの。最近、騎士団員が何となく手を抜いているようなそんな感覚がたまーに、と」


 バレとったんか!と団員たちは内心思うが、次いだフローリアの言葉に全員がハッとさせられた。


「だって、お父様が皆さまのことを思い、育て上げたのにも関わらず、自分が不在にしている間に手を抜き、ほんの少しだとしても弱くなったタイミングで運悪く魔物が襲撃してくる、あるいは何か犯罪に巻き込まれた民を助けるときに普段通りの力が発揮出来ず守れない、だなんてあってはならぬことですわ」

「…リア…」

「お嬢様…」


 騎士団員、レイラが感動してフローリアを潤んだ目で見つめた直後であった。


「というわけで、最初の基礎トレからやり直します。はい、屋敷周り二十周」


 ぱん、と手を叩いたフローリアから告げられた内容に、へばりかけていた騎士団員たちから今度こそ悲鳴が上がる。


「嘘だろぉぉぉ?!?!」

「お嬢様、そこを何とか半分に!」

「まぁ、とってもお元気。三十周に増やします?」

「……二十周で良いです……」


 よたよたと立ち上がった団員たちは、各々悲鳴を上げながらも、走りに向かう。

 ぜぇはぁと呼吸を荒くして走りながら、ぽつりと団員がこう呟いた。


「なぁ…お嬢様って…王太子殿下、から…婚約破棄…されたん、だっけ…?」

「そうそう…」

「でもさぁ、これで、当主になるの、確定、だよ、な」


 駆け足の足音は規則的で、皆のスピードは一定だ。


「婚約破棄、って、結構な、精神的ダメージ、ある、よな?」


 ざっざっざっ。

 足音だけが聞こえ、全員が思わず沈黙する。


「あると、思う、ぞ?」

「……あれで?」


 世間一般的に、婚約破棄をされればかなりの精神的ダメージがあるのでは、と考えていた団員たちだが、どう見てもケロッとしている。むしろ元気いっぱいで、頬もツヤツヤしている。


「……逆らわんとこ」


 誰かがそう呟いて、皆が賛成と言わんばかりに頷いたのであった。

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