第9話:うちの子、規格外なのよね
「わたくしめは胃が痛うございます…」
「そんなにも貧弱でどうするのですか、ダドリー」
キリキリとしている胃のあたりを押さえながら、か細い声でダドリーは言う。
フローリアの見た目が見た目なだけに、どこからどう見てもお淑やかな令嬢。成績も優秀で運動神経も良く、マナーもしっかり習得されているから、どこに出しても問題ないと、シェリアスルーツ家にやってきている家庭教師や、王太子妃教育を担当している教師たちからも絶賛されている。
「フローリアお嬢様なら、次期当主になるのも問題は一切ないかと思われますが、でもですよ?!」
「なぁに、もう」
どんだけ心配するんだ、とげんなりした様子でルアネは問いかける。
「フローリアのことを心配してくれているのは嬉しいけれど、あまり心配しすぎてしまうと逆にフローリアに失礼になるとは思わないの?」
「いえ、お嬢様が万が一大怪我などされてしまわれたら…」
「うちの騎士団との手合わせで?」
「はい」
ダドリーが更に言葉を続けようとしてルアネの方を向くと、ルアネはとてつもなく微妙な顔をしていた。
こういう顔のときの返答はろくでもないことは分かっているが、ダドリーとてフローリアのことをとても大切に思っている。
だからこそ本当に心配だから、という意味合いがたっぷり含められているが、予想通り木っ端微塵に心配が吹き飛ばされてしまった。
「当主選びのアレで、従兄弟たちに対して各々への初手の一撃で気絶させた子のことが心配?」
「あ、当たり前でございますよ!」
「学園に入学して、野外実習でたまたま遭遇してしまった危険度Aランクの魔物を見ても一切動じずに、『あらぁ』の一言でにこにこしたまま身体強化をかけつつ動いて、先生方も討伐は出来ないだろうと思われていたのにも関わらず魔物の四肢切断をして身体の中にあるコアは破壊せずに完璧な状態で提出できるように頭を吹き飛ばしたのに?」
「それはこのダドリー存じ上げておりませんが?!」
「でしょうねぇ」
なお、制服への返り血べったりで帰宅したフローリアをそうそうに見つけたのがメイド長で、悲鳴を上げつつメイド総出で風呂にぶち込み、制服も剥ぎ取って洗ったそうだ。
◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇
本来の野外実習は、制服ではなく実習用のユニフォームに着替えて行われるのだが、野外実習の候補地の見学だったから、全員制服だった。まさか危険度Aランクが出てくるとは先生たちも想定しておらず、本当にたまたま出現してきた。
生徒たちも先生たちもどうしたら良いのか、とパニックを起こしかけていたところにひょっこり前に出てきたのがフローリア。
魔物はAランクどころか、その他諸々のランクのものを見慣れているフローリアだからこその余裕ではあるのだが、それでも余裕でひょっこり出てくるのは普通ではなかろう、と。
「まぁ、こんなところにAランク対象が出てくるだなんて、珍しいこともありますわね」
その場に似つかわしくないのほほんな声と、一切驚いていない様子のフローリアに、彼女の親友や親しくしているクラスメイトたちは『逃げて!』『フローリア、早く先生の後ろに!』と悲鳴を上げていたのだが、にっこりと微笑むフローリアはこう告げた。
「この魔物、コアがとっても希少なんです。だから、ちょっとだけお待ちくださいな」
微笑んで言ったが早いか、フローリアは走り出した。
「身体強化」
呟きレベルの小さな声で言い、自身に強化魔法をかける。
脚部、腕に関しては念入りに強化を行い、一直線に魔物へと駆けた。
自分に向かってきていると分かった魔物は、咆哮で怯ませようとしたが、そんなもので怯むフローリアではない。
そのまま疾走し、フローリアへとターゲットを絞った魔物も攻撃しようとぐわりと腕を振りかぶる。
「…まぁ」
ぐ、と足に力を込めて跳躍したフローリアは、振りかぶった状態の魔物の腕に、まるで重力がないかのように、ふわりと着地して、そっと魔物の拳に触れた。
「そのまま振り下ろされては、クラスの皆に当たってしまいますから」
フローリアを振り払おうと魔物が腕を振り回そうとしたよりも、ほんの少しだけ早く、フローリアが手に魔力を集結させて、そのまま爆発させた。
「その拳は、無かったことにしてしまいましょうね」
ぼっ、と爆発した音よりも破裂したことでフローリアにべったりと魔物の血が飛び散ったが、気にしない。
魔物は己の拳を粉砕されたことで、とてつもない咆哮をあげており、生徒たちも先生もあまりのうるささに耳を塞いでいるが、やはりフローリアは気にしていない。
「賑やかですこと」
んもう、と何でもないように言って、フローリアはいつの間にか魔物から降りてとんとん、とつま先を地面に当てている。
「腕と足は…要らないですし…」
「ライラック嬢、もういいです!早くこちらへ!」
「…無くしちゃいましょうね」
その時のフローリアの微笑みは、誰にも見えていなかった。
口角がうっすら上がり、普段のおっとしりとした微笑みとは真逆の、歪な微笑み。
「ライラック嬢!」
痛みで我を忘れたように叫んでいた魔物だが、誰がこうしたのかは理解しているようで、ぎろりとフローリアに狙いを改めて定めた。
真っ向勝負を挑んでくるかのごとく、突っ込んできた魔物に対し、フローリアは常に身につけている魔装具に魔力を込め、一本の片手剣へと変化させる。
主の思いのままに魔力を込められたら変化するその道具は、シェリアスルーツ家に受け継がれているもの。
個数に限りがあるため、魔装具に選ばれた人しか装着を許されず、フローリアやアルウィン、レイラは装着者として選定されている。
なお、シェリアスルーツ家夫人であるルアネは『わたくしは自分専用のレイピアがございますので不要』と、魔装具は使用していないが、それでも強い。
それはそうとして、フローリアが構えた剣は魔物に対してあまりにも貧弱に見えたのだが、駆けてくる魔物に対して一度だけ構えた後、ひゅ、と斜めに振り下ろして風を切る音を響かせ、更に剣へと魔力を注ぎ込めば、形態を変化させるべく剣全体が淡く光る。
「いきましょうね、一緒に」
魔装具に愛しげに話しかけ、フローリアも魔物に向けて一直線に駆ける。そして、形態を変化させた剣を横に一閃。
え、と生徒たちから声が聞こえた。
「えいっ」
どこまでもフローリアの声はいつも通りで、吹き飛ばされていないもう片方の手を握り、振り下ろしてくる魔物の攻撃から逃げるために軽やかに上に跳ねた。
同時に、剣が剣鞭へと形態を変化させ、魔物の肩辺りまで伸び、がっちりと巻き付く。
そして。
「はい、まずは右腕」
フローリアはそれほど強く力を込めたような雰囲気ではなかったにも関わらず、ぎち、と一度だけきしむような音を響かせてから、胴体と腕をぶっちりと切り離してしまう。
「次、左腕」
咆哮を上げ、体をよじらせた魔物は気にもせず、フローリアの狙いは反対の腕。
切れ味も勢いも衰えず、フローリアが操る剣鞭は、彼女が腕を振るうままにぎゅる、と左に巻き付いて、同じように切断してしまった。
両腕をもいだことで血が噴き出し、どぼどぼと流れていくが、フローリアが指を鳴らせば他の生徒に血が飛び散らないようにシールドがはられ、それによって血のシャワーが降り注ぐことは免れた。
腕をもがれた魔物はがっくりと膝をついたが、フローリアの攻撃の手は緩まず、魔物がついた膝が邪魔だと言わんがばかりに、剣から斧へと魔装具を変化させる。
「転がってくださいまし」
冷たく告げ、膝をついていた右足に狙いを定め斧を一閃させた。
先程から悲鳴のような咆哮しかあげられていなかった魔物が、また更に悲壮感漂わせる咆哮をあげた。
地面についていた方の足だけでなく、もう片方の足まで。まるで木を切るかのごとく切断してしまえば、もう体を支えられず、魔物はそのままごろりと地面に転がった。
咆哮のあげすぎで喉まで潰れてしまったのかのように、途切れ途切れになる魔物の声と、どばどばと溢れてくる血によって血溜まりも出来ている。
特に気にした様子もなく、フローリアは悠然と歩いて魔物の頭の方へと移動し、首を傾げて一度だけ不思議そうに魔物を見てから、安心したように呟いた。
「良かった、コアを潰さなくて」
そのまま、笑顔でまた手元の武器を大剣に変化させる。
更に、身体強化を足だけではなく腰あたりまで範囲を広げ、ぐっと足を踏ん張って、腕の身体強化も更に強くしてから大剣を振り上げ、首へと狙いを定め、思いきり振り下ろした。
悲鳴をあげる暇もなく、ひたすら咆哮をあげていたのが静かになった。
フローリア以外は、彼女が張ったシールドによって噴き出した力は守られているが、フローリアは魔物の返り血でべったりと汚れている。
「先生、申し訳ございませんが…返り血でわたくし授業を受ける所ではございませんので、早退してもよろしいでしょうか?」
何事も無かったように、どこまでもいつも通りなフローリアの声に、先生はうんうん、と頷くことしか出来ない。
いつも通り過ぎて、ちょっとその辺の雑草を引き抜いて掃除していました、というくらいのレベルで会話をしてくるフローリアを見て、彼女をよく知っている友人たちは『まぁ、フローリアだから』と納得してしまう。
よく知らない人たちは、ドン引きレベルだったのだが、回数を重ねるうちに当たり前へと変化していくのだがまたそれは別の話でもある。
◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇
「……っていうことがあって」
「フローリア様ぁぁぁぁ!!!!」
話を聞いたダドリーも改めて崩れ落ちたが、もう部屋にはフローリアもレイラもいなかったのは、言うまでもない。
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