第11話(高瀬side)



 うちの事務所さ、弱小とか小規模とか言われてるし、実際そう思うんだけど、たまーにデカい仕事はいってくるんだよね。

 うちの社長の顔が広いのか、営業さんが敏腕なのか知らないけれど、すごいクライアント引っ張ってきたわ。

 まあわたしがミーハーな感じなんでそう思うだけなのかもしれないけれど。


 わたしの仕事が増えました。


 ええ、婚約間際に彼氏に振られて時間も経たずに新たな彼氏(?)ができたこの状況で、絶対に譲れない仕事ですよ。

 クラインアント、超有名人。

 出勤中や仕事中にガチで聞き入ってます、ボーカリスト神野奏司さんですよ!

 軽井沢に別荘立てるんだってさ!

 既婚者なのは知ってますが、いい曲作るし、いい声してるし、ファンですよ!

 よっしゃああ気合入れてデザインするわよっ! とか思ってたんですがね。

 ほんとここ最近まじで体調悪い。

 仕事のバッティング。もちろんいままでだってありました。

 けど、今回どっちもデカい仕事、多分今までで一番デカい仕事!

 そんなこんなで、梶谷とは会ってません。

 一か月ぐらいすれ違ってます。

 仕事では打ち合わせもあるけれど、デートなんて無理無理。

 土日向こうは休みでも、個人宅請け負いは土日はもちろん、就業時間に帰宅、なにそれおいしいの? 自宅に戻ると泥のように眠り、三時間ぐらいで目が覚めて、デザイン考えるそんな日々ですが?

 そんな状態を見ていた皆川さんが、ある日へんなことを言った。


 「高瀬お前、軽井沢の案件、俺に譲れ」


 わたしはダンとキーボード横のデスクに拳を叩きつけて立ち上がる。

 コードレスのマウスが吹っ飛んで、床に転がる。


「いま、何を言いました?」


 皆川さんが一歩も譲ろうとしないのは珍しい。


「最近オーバーワーク気味だ、お前この間、飯食ったあとゲロったろ」

「単純に食いすぎですよ!」

「嘘つけ! 一口目でゲロっておいてなにが食いすぎだ! お前、病院行け!」


 皆川さんの「病院行け」が「逝け」に脳内変換される。


「はあ? 戦力外通告?」

「社長命令だよ」

「……」


 納得できないっつの!

 営業も社長も、うちの高瀬のデザインいいですよって売り込んだ案件じゃないのさ。

 あ、でも、ヤバイ。

 いきなり立ち上がったせいで立ち眩みがする。

 目の前が一瞬に暗くなる。

 足の踏ん張りがきかない。

 悔しい……しっかりしろ、視界戻れ。

 ここで倒れたら、マジで戦力外通告じゃないの。外される。そんなのイヤだ。

 視覚だけじゃない。聴覚も遠くきこえる。

 そして意識まで黒く一色に染まった……。



◇◇◇



 薄暗い見慣れない部屋……だけど、ここがどこだかわかる。

 病院だわ、ここ。

 腕を動かしたらチクってした。


「まじか……」


 オーバーワークでぶっ倒れるって……20代ならどんな無茶もできたけど、30になった途端にコレですか。

 そりゃ、30代目前から、老化はなんとなくわかってたけどさ。

 あーあー。

 そうだよね、自分でもわかってるんだよね、20代の頃のパワーとは違うと。

 そんで40目前になったらまた老化をヒシヒシと実感しちゃうわけよね?

 そして30代はまだ若かったとか言っちゃうんだよね。


「お姉ちゃんのバカ」

「……は?」


 横を見ると日向が座っていた。


「皆川さんから電話受けて、速攻で救急車で運ばれたっていうから、慌ててきちゃたわよ」


 救急車って大袈裟だなーなにそんなもん呼んでんの、タクシーでいいじゃんよ。

 あれお金かかるんだよ?


「もっと自分の身体、大事にしなよ、仕事も大事だけどさ。お姉ちゃん仕事好きなのは知ってるけどさ」


 そういうけどさ、目の前にチャンスがあれば飛びつくのが人情ってものでしょうよ。


 「お姉ちゃん、自分だけの身体じゃないんだよ」

 「……」


 ご家族様に迷惑かけるなですか、すみません。


「わたしだったら、赤ちゃん死んじゃうよ、そんなことしてたら」

「……」

「……」


 わたしは日向の顔を見た。


「え? ……もしや……日向さん二人目ですか?」


 えーやばいよ!

 身重の妹に変な心配とかかけちゃったか!?


「お前のことじゃあ! このバカ姉がああ!」


 わたしの言葉に、日向はすぐさま言葉を返してきた。

 その言葉を理解するまで数秒かかった。


 子供?

 赤ちゃん?


 小さくてふわふわして、独りでは生きられなくて、目がキラキラしてて、あのわたしがほしかった……。

 多分人生で手に入らないだろうなと思っていた存在が、いきなり!?

 

「二か月だって、梶谷さん、すっ飛んでくるから、ちゃんと話し合いなさい!」

「ひ、日向ちゃん、わたしに、赤ちゃんいるの? キミじゃなくて?」

「だから言ってんじゃないのよーもうー」

「えー……えー……体調は悪いとは思ったけど、コレがそうなの!? 初めてだからわけわかんないよ!」


 アレだって仕事忙しいと一か月なくなるとかザラだもの。

 気が付かなかったわ。


「それがそうなんだよ、メンタルにもくるんですよ、だから仕事に走ったんだろうけど違うんだよお姉ちゃん」

「……ひ、日向さん……わ、わたし、結構な無茶を……」

「だから改めろと」

「どうしよう! 赤ちゃん!」

「女子高生じゃないんだから、動揺しないでよアラサー」

「いや、だから別に、出来たことに動揺してるわけじゃない!」 


 どうしよう、コーヒーだって飲んじゃったし、栄養ドリンクとかも飲んでたし、食事とか適当にしていたし、睡眠時間めっちゃ短くて……高いヒールで闊歩してあちこち移動してたし……。


 むしろ心配はそっちなのよ!


 産む気はありますよ、梶谷がおろせ言っても引かないもん、ずっとずっとほしかったんだもん。

 あ、でも仕事、赤ちゃん育てるのには先立つモノがめちゃ必要!

 検診とか保険効かないなんだよね? その分出産助成金とかでるんだっけ? でもそれ出産したあとだから!

 え、どうしよう、仕事! 


「梶谷さん何してんだか……すっ飛んでくると思ってたのに」

「あーいいよ、別に、気にしない、いろいろ考えてるから、わたし。産休きいたっけ? あの会社」

「……お姉ちゃん、まさか……仕事……」

「続けますよ、今のこの仕事は絶対やるから、藤城ハウジングを皆川さんにふっても神野邸はやりますよ! だってアナタ神野ですよ! 日本のトップアーティストですよ!」

「バカなの?」

「昔は出産ギリギリまで働いた人は多かったの、昔の人が出来てわたしにできないはずはないでしょ!」

「……社長と自分の身体と、梶谷さんとよく相談してからね」

「梶谷に言うべきだよね? やっぱ人として……」

「当たり前じゃん、何考えてんの?」


 そうなのよ、普通ならここで相談するべきなのに、一番に知らせるべきなのに、わたしはそれを後回しにしたい。

 だってわたし、男を見る目がないのよ、まじで。

 今までだってそうだったじゃない。いままでだって、ちょっと連絡しなかったらすぐに切られた。

 極めつけが婚約直前に切られた。

 怖い、すっごく怖いし、不安だわ。

 梶谷は別だから、ちゃんとわたしを想ってくれてるから――……、なんてそんな自信はまったくないんですよ!

 むしろ結婚前にデキちゃって、びっくりしちゃって逃げ出すとか、いやアラサー男だからそんなことはないだろうが、でも「仕方ないね責任とるよ」的な感じで結婚しても嬉しくもなんともないんだわ! 

 だったら一人で産んで育てた方が数倍マシだ。

 ……ダメだ、この思考、これがマタニティ・ブルーってやつなのか。

 めちゃくちゃネガティブだ。

 そこへ、引き戸が開いて、梶谷が汗だくで入ってきた。


「か……梶谷……」

「美咲さん……」


 梶谷はつかつかとベッドの傍に寄ると、カバンから徐にクリアファイルを取り出して、私の前に広げる。


「結婚して、いますぐに!」

「は?」

「お願いだから結婚してください、俺と今すぐに結婚して」


 梶谷が広げたのは、婚姻届けだった。


「か、梶谷、落ち着こうか」


 なんでアンタがわたしよりもテンパってんのよ!?


「お願い、俺のお嫁さんになって、大事にするから! 美咲さん、俺の家族になって、俺を赤ちゃんのパパにならせて、大事にするから! 俺が、俺が死ぬまで一生、大事にするから!」


「梶谷さん、役所でもらってきたんだ、婚姻届。ダウンロードできるよ?」


 日向がそんなことを言う。

 えーそーなんだ、今時はダウンロードできんだ、婚姻届。

 梶谷はテンパったまま反論する。


「誠意がないよ! そんなの!」

「あ、はい」

「ちゃんとプロポーズして結納して結婚式あげてって、そういったプロセス、全部全部吹っ飛ばした俺がダメなのはわかってる、でも、お願いだから、結婚して」


 あーうん……そうだよね、アラサーの出来婚とかって、結構恥ずかしいもんだよね。

 これが友人の話だったら、悔しさ半分で、こらえ性がないって言っちゃうレベルだもんね?

 うちはそうでもないけれど、梶谷の家はわからない。

 ガチガチの封建主義で、結婚前に妊娠したなんて、ウチの敷居をまたぐなんてもってのほかよ! うちの息子の種と決まってないかもしれないんだからおろせ! とか言われかねないもんな。


「結婚……しない」

「はい!?」

「しない。梶谷、ごめんね」


 一人で産む。


「なんで? ずるいよ! 俺、子供欲しいよ! なんで美咲さん独り占めすんの!? いまおなかの中で一緒だからって、ひどいよ!」

「結婚は、互いだけではないからです、家の問題もあるからです」

「俺が家捨てて、いいから! 婿養子でもなんでもなるから! 結婚して!」

「……なんでそう簡単に言っちゃえるのか……」

「男に責任とらせろ! 子供だぞ!?」


 それは当事者同士だからよくわかってるけれど、家の人たちはわからないことだから信用されないと思うんだけどな。


「梶谷、悪いんだけど……」

「何?」

「気持ち悪い」


 日向がさっと婚姻届を横にして、洗面器を差し出してくる。

 さすが経験者は違う。なんという準備のよさ。

 胃からせりあがって咽喉を通る苦み、固形物なんかないから胃液しか出ない……。

 これがつわりというものですか……すごいむかむかする。

 赤ちゃんが怒ってるのかな……。

 すごいな、子供って。

 思いっきり吐いたらどっと疲れた。


「お姉ちゃんさ、妊娠する人っていろいろ個人差があるんだよ、すごくつわりの軽い人もいれば、水分とるのもやっとの人もいるし、早産の人もいるし逆子とか帝王切開とか、現代医学は進んでるけど、やっぱりノーリスクってわけじゃないの、お姉ちゃんだけの身体じゃないからね」


 日向に説教される日がこようとは……。


「メンタルもガツンと落ちるから支えてくれる人がいれば甘えていいんだよ。梶谷さんは支えてくれるでしょ?」

「もちろん」


 うわー梶谷……ブレないんだ……。


「終わったはずの、恋だったんだ……神様の最後のワンチャンス、モノにしないでどうすんだよ」


「何それ、梶谷さん」


 日向が小首を傾げて尋ねた。


「学生の頃からずっと好きだったんだ、でも好きって言えなかったんだよ、勝手に思って時々幸せな気持ちになってた。今ここで結婚できなかったら、そんな幸せな気持ちすらなくなっちゃうだろ。美咲さんが結婚してくれたら、俺の人生、幸せになる。俺が幸せを感じたその分、美咲さんを幸せにするから」


 あーダメだ。

 涙腺決壊です。 

 梶谷すごいな、こんなわたしをめちゃくちゃドラマのヒロイン気分にしてくれてる。

 感情のコントロールなんて効かないや。

 わたしは梶谷に抱きしめられて、子供みたいにわあわあ泣いて、疲れ果てて眠ってしまったのだった。








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