第5話(高瀬side)




「嬉しいわ、引き渡しの後も半年後にこうして訪ねてもらって」


 クライアント、引き渡し後のアフターフォロー。


「あとは何か、問題がありますか?」

「いいえ、高瀬さんがいうように、この壁のクロス、すごく助かってます、やっぱり子供が悪戯してしまって、悪戯書きも消せるタイプにしてもらって」

「お子さんが成長したら、この下のクロスは取り替えられます。ご用命でしたら、弊社にご連絡ください。見本資料をお持ちしますので」

「ありがとう」

「では、これで失礼します」

「お姉ちゃん、ばいばい~~」


 クライアントのお子さんに手を振られて、わたしも手を振り返し、営業スマイルでお暇した。

 ……可愛かった……あのお子さん。

 うぐ。わたしも欲しい……。

 二世帯住宅で、もめにもめたみたいだが、物件引き渡し後は、なんだかお姑さんともいい距離感で接してるようで……いいなあ……羨ましい……。

 車に乗り込んで、キーを回した。次は、藤城ハウジングの現調(現場調査)か……。



◇◇◇



 藤城ハウジング……梶谷……。

 先日、食事でもって誘われたんだけど……。

 ロケーションのいいレストランで、打ち合わせの続きとか、請け負ってる仕事の話とか最初のトークはビジネスがらみでそういう雰囲気全然匂わせなかった癖に、こっちの緊張がほどけたころに、わたしの仕事をさりげなく褒めるし。

 こっちは本当に才能のある人に褒められると、お世辞でも嬉しくなっちゃうんですよ! 

 おまけに、あいつわたしの趣味と結構合致してるのを再認識したよ。

 そこにですよ? ヤツはわたしを覚えてて、今現在独身だとカミングアウトすると、付き合ってときたもんだ。

 30の独身女に「付き合って」とか、そのセリフ。


 結婚視野にいれてんですか!? とか叫びたくなったよ。


 こっちは、婚約直前までいった彼氏と別れた直後で、アラサー女の現実を突き付けられたばかりだから、リップサービスか、何かとか、単純にそっち目的のみとか判断しちゃうけど。

 そういう立ち位置にいないニュートラルな場合は、うっかり信じてハマっちゃうでしょうよ。そんで、絶対、女に誤解されてストーキングされて、いつか刺されそうよ?


◇◇◇


 「勘違いしちゃいますから」


 ってこっちが言ったのにもかかわらず、ぐいぐい来るあの圧力。

 女と軽くヤりたいだけで、あそこまで雰囲気作ってもってくの?

 男ってそういうもんなの?

 いやいや、あれは梶谷だからできる芸当であって、一般男性には無理か。

 天は二物を与えずとかいうけど、幾つも与えられた人間はいるもんだよね。

 あれだけいろいろそろってる男から言われて、よろめかない女がいたら、どんな鉄の女だと言いたい。

 そう、先日のアレは、10年前の時と同じ流れ!!

 なによ、あれ、うっかり流されてしまったじゃないの。

 それに、梶谷……あいつはまじで、化け物だわ。 

 手に負える相手じゃないのはわかってたんだけど……わかってるから、ダメだと思ったのに。


 自分がこんなにチョロイ女だとは思わなかったわよ。


◇◇◇


「高瀬さんのことはずっと特別だった……ずっと、忘れられなかった」


 おいおい、アナタ、当時付き合ってる彼女がいたはずでは!?


「確かに、付き合った女性はそれなりにいるけど、高瀬さんのことは、ずっと……どこかに引っかかってて……忘れられなかったんだ……」



 その声で、言うなああああああ。

 あいつどーして声までいいんだよおおお。

 ええ、もちろんわかってる、承知してます。

 こいつは本気で言ってないってこと! 

 とりあえず、昔一遍ヤッたことのある女だから、押しとけば、落ちるだろうって腹積もりだってことも! 

 だけど、本気に聞こえてきちゃうからやっかいだわ。

 うっかり信じそうになっちゃうのよ。

 クライアントとの交渉とか、現場の監督とかの交渉とか、そういうのだったらなんとかなってるけど。

 こっちの方は、からっきしなんですって。

 さすが、学生の頃から、女が絶えなかっただけはある。

 通常の三倍の経験値に違いない。


「高瀬さん……だめ? オレのこと嫌い?」


 あああああ、まるで奏多が「みちゃきちゃん、ぼくのこときらい?」とかうるうるした目で見上げてきて、だっこ強請るのと似た感じで、あの瞳が、うるうるしてたら、ほだされちゃうだろおおお!

 人のことを抱きすくめてくるくせに、声とか瞳とか、人の母性本能きゅんきゅんさせてどうしてくれんじゃ、母性本能だけじゃないきゅんきゅんも入り混じってしまったじゃないの!

 そこに畳みかけるようにキスとか、もーどんだけだよ。

 またそれも、上手いんだよ。

 どんだけ遊び倒したの、この人。

 こっちは彼氏はいたものの、もう半年……いやもっと前から身も心もカラッカラに乾燥してるっていうのに。

 普通の思考がマヒしましたよ。


 そんでもって、自分の中の欲望が頭の中で叫んでた。


 ――――いいじゃん、今現在フリーなんだし、一度はヤッたこともあるんだし、一体ナニを躊躇うことが? 顔も声も嫌いじゃないし、婚約直前に、振られた30女が、こんなハイスペックな男に誘われるなんて、この先の人生にはないと思うの! だいたいもう結婚とかしないとか思ってるんでしょ? 避妊失敗してデキたとしても相手がこの人なら遺伝子的にも問題ないよね? だって、つい最近妹に愚痴ってたじゃないの、体外受精が云々って、万が一デキちゃっても、一人で産んで育てちゃうでしょ? 性格的に男に責任とれとかいうタイプとは違うし、問題ないじゃなーい! 


 そう、そこまで思考がぶっとんでしまった……。

 食事後一時間で、踏み込んで人をその気にさせてキス一つでベッドまで追い込めるのって、ほんと凄いよ。

 凄いのそれだけじゃない。

 身体もよかった。

 人間30にもなれば、どこかしら、たるんでくるもんでしょ?

 女性だけじゃなくて男性もそういうもんだと思ってたのに。

 なんなの、服を脱いでも凄いんですって。

 背は高いのはそりゃまあ、一目瞭然です。

 でも中身、細く見えたのに、シックスパックってどーなのさ。

 そこでまた自分の身体の情けなさに泣いたわ。

 だけどがっくり落ち込みつつも、多分この先こういう身体を目の前で拝む経験はもうこないだろうと思って、ありがたくさわさわしちゃったけどね!

 そしたら、くすぐったいって笑ってて、それがまた、可愛いの。

 甥っ子の奏多がくすぐったがってるのとダブって見えるぐらいに可愛いの。 

 大人の男が可愛いなんて、今まで思ったことないのに。

 あの可愛さは、最強で最凶だわ。

 そんなのから攻め込まれて、のらりくらり躱す術を持ってる女性がいたら、是非ご教授頂きたかった……。

 ヤってしまった現在では遅すぎるかもですが!



◇◇◇



「え……梶谷さん?」


 現調に行った先にいましたよ、そりゃそうだよねー設計部門だもんねー。

 めっちゃ爽やかな笑顔で出迎えられてしまったよ。

 誰だよ、社内恋愛に憧れるとか言っていたのは……わたしだよ。

 だが実際仕事場でヤッた相手とかと会うのって、へんな心臓のバクバクが耳の傍で聞こえてきそうだ。

 聖書の一節とか念仏とか唱えて平常心を呼び戻そうとしてる自分が非常に情けない。


 「会社に電話したら、高瀬さん現調に直行するって聞いたから」


 「はい……」


 「施工担当者に紹介します」


 「わざわざ、ありがとうございます」


 「オレも現場にはよく出るので」


 大人だなーきちんとビジネスモードだよ。

 こういう状態だと、この間の一件は、いろいろ疲れ果てていた自分が描いた妄想だったんじゃないかって思えてくるわ。


 「寺岡さん、インテリア担当の高瀬さんです、高瀬さん、施工部の課長で寺岡さんです」


 「初めまして、ループデザインの高瀬です」


 「これはどうも、施工部の寺岡です」


 そう、これが個人宅とは違うんです。

 このぐらい大きいところになると施工担当部門ありますもんね、細かいところは外注するかもですが。

 紹介を受けた寺岡さんは、なんというか、ちょいワル親父的な雰囲気の40代の男性だった。

 個人宅の場合だと、だいたい現場責任者はもっとガテン風味が強いが、大手施工管理者だと、どこか会社員的な雰囲気がある。

 施工のスケジュールと什器やインテリアの納期スケジュールを相談し、打ち合わせ終了。モデルハウスオープンまで何度か足を運ぶことになる。


「ところで、高瀬さんって独身?」


「はい?」


 寺岡氏の唐突な質問に、小首をかしげてみせる。


「独身ならさーこの梶谷どうよ」


 寺岡さんは梶谷の背をぱんと叩く。


「は?」


「お買い得だよー、顔も頭も稼ぎもいいし」


 うん知ってる。


「うちの独身の女子社員は結構コイツを狙ってるんだけど、こいつ、マジ仕事しかしねーし、お姉ちゃんのいる店につれっててもすーぐ帰っちゃうし、彼女いるのかと思ってたけどフリーだっていうし、でもホモ疑惑だって否定してるし」


 え、それは知らない。

 ホモ疑惑があるほど女性の影がないってことですか?

 そんな情報与えないでください。

 先日のこの人の言葉を本気で信じそうになるじゃないですか。


「寺岡さん」


「お前もそろそろ落ち着けやー」


「はいはい、高瀬さん帰ります?」


 梶谷は寺岡さんを軽くいなして、わたしに質問する。


「え、はい。梶谷さんは?」


「オレも社に戻ります。寺岡さん、オレ明日午後一でこっちきますんで」


「おう」


「梶谷さんよかったら社まで送りますよ?」


 わたしがそう言ったら、梶谷は、ぱあっと顔を輝かせて嬉しそうに笑う。

 ちょっとその笑顔は反則ですよ梶谷さん。

 振られたばっかりのアラサー女にヘンな期待させないで。






 

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