魔羊ネエネエと獣人さんの国

豆ははこ

第1章 モフモフ、獣人王国へ。

第1話 魔羊ネエネエと紙の蝶。

『素敵な紙の蝶さん、こんにちはですねえ』


 ぽかぽかとした穏やかな日ざしに励まされ、魔羊毛を揺らして薬草畑の薬草摘みに励んでいた黒いモフモフ。

 そのモフモフこそ、魔羊まようネエネエ。森の魔女様にお仕えする優秀な従魔じゅうまである。


 薬草畑から見える、青い空。

 そこに、魔力を込めた紙、魔紙ましが蝶の姿に変化して、ひらひらと飛んでくるのが見えた。


 高い、高いところを優雅に舞う、魔紙の蝶。

 その姿は、鱗粉りんぷんを散らしそうなほどにいきいきとしていていた。


 目には見えない様々なところに魔法陣が施され、魔女様の魔法も張り巡らされているこの地に届いた手紙。


『魔女様が守護される森へ、いらっしゃいませですねえ』

 ネエネエは、したーん、と跳んで、高い位置にいた紙の蝶を優しく捕まえた。


『紙の蝶さんは、きっと、大事なお手紙さんですねえ。これは、早急に魔女様にお渡ししないとですねえ。蝶さん、こちらに入ってくださいですねえ』

 薬草がたくさん入っていた籠の中に紙の蝶を入れ、籠ごと頭にのせて、トコトコモフモフと歩き出すネエネエ。

 ちなみに、ネエネエが繰り返す、めえめえ、ではなく、ねえねえというこの鳴き声。

 それは、優秀な魔羊のあかし

 しかも、ネエネエはあらゆる存在と思念による会話、念話で意思疎通ができる。

 モフモフフカフカフワフワで、魔力に満ち、家事が万能。ほかにも色々。それが、従魔ネエネエ。


『魔女様、お手紙でございますですねえ』

「ありがとう、ネエネエ。確かに、よく練られた魔力を与えられた紙の蝶だね」


 帰宅をしたネエネエは、偉大な魔女様に、紙の蝶を丁重にお渡しした。


 すると、魔女様の手の中で羽を休めた魔紙の蝶は、自ら進んで一枚の魔紙ましに戻っていった。


 魔女様と従魔ネエネエは、危険な魔獣などが生きる場所にも通じる広大な森のすぐそばに住んでいる。

 二人が住む家は、樹齢千年を超えた霊樹から直々に頂いた貴重な霊木で造られた堅牢なものである。 

 見た目は風情のある森の小屋だが、広い地下室や魔女様の研究のためのお部屋、ネエネエが腕代わりの足と羊蹄を振るう台所など、様々な設備を内包している。

 ネエネエにより薬草や魔蜜蜂、魔牛なども飼育されており、自給自足も可能だが、たまには街や王都にも出る。主に、ネエネエが。


 魔女様が森に最も近い王国の王宮と関わるのは、百年に一度。森に住まう魔女様へ、森に住んで頂くお礼として貢ぎ物を渡されるときのみ。


 この森より先には、魔獣や危険な存在たちは向かわない。つまり、王国へは足を踏み入れない。

 森の魔女様のお力を恐れてのことと、王国の国王も、民も、深く信じている。実際にそれは真実であった。


 だからこそ、貢ぎものの受け取りのそのときでさえ、森の魔女は約束の場所には向かわない。

 向かうのは、このネエネエだ。

 選ばれし品々を、魔女様にお渡しするにふさわしいものかと判断する存在。

 ネエネエがその品々を適切ではないと判断したならば、魔女様はすぐにでもこの森の家を離れてしまわれるだろう。

 家と、魔蜜蜂たちと、大事な大事なネエネエとともに。


 そう、魔女様とネエネエ。

 主従関係ではあるが、深い尊敬と信頼とで結ばれている、深い間柄。


 そんな魔女様は、手紙を読み、それからネエネエを見つめる。


「……この手紙は獣人王国からだ。私への依頼ではあるが、受諾をした場合、出向くのはネエネエとなる。だからこそ、紙の蝶はネエネエのもとに飛来したのだな」


『蝶さんは、魔女様とネエネエへのお手紙さんでしたかねえ』

「うむ」


『獣人王国は、平和な国ですねえ。ご依頼の内容は、なんですかねえ』

 獣人に差別的な思想の国々以外とは国交もきちんと樹立されている、基本的には平和な国だ。 

 逆に、人族に対する差別意識を持つものもいるという噂もあるが、国に属するものすべてが同じ思想でいられるはずもない。

 王族とその直属の騎士団は武力も知力も高く、それでいて温厚な人格者たちであり、森の魔女様を敬う人族の王国とも、関係が良好な国。 

 少なくとも、ここ数十年ほどは問題を聞かない国である。魔女様やネエネエの感覚では、ついこの間、ではあるが。


 さらに言うならば、なかなかに遠い。

 馬車よりも遥かに速い魔馬車と駆け足勝負で遜色のないネエネエでも、五日ほどはかかるだろうか。

 普通の馬車ならば、二十日ほどの距離か。


「仕方ないとはいえ、あまり向かわせたくはないものだ」

 黒く長く、艶やかな髪、闇に溶けそうに、深く美しい黒の瞳。

 魔女様がその美しいお顔を少しだけ曇らせていることに気づいたネエネエ。


 『魔女様、なにをお考えですかねえ』


「これは、獣人王国国王陛下からの直接の依頼で、私と、ほかの二人の魔女のところにも蝶が飛んでいるそうだよ。それにしても、ネエネエの不在……。モフモフに包まれて午睡を取れなくなる……。できたてなリンゴの焼き菓子や、あつあつのきのこのシチューも……」


 魔女様がネエネエのことを思ってくださるのはとても嬉しい。

 だからこそ、ネエネエがお伝えしなければいけないですねえ。

 ネエネエはそう考えた。


『ネエネエの不在を惜しんで下さるのは嬉しいですねえ。ですが、リンゴの苗木やきのこの原木や薬草畑の種子や苗、それに、魔女様がお好きなお菓子の材料をたくさんくれる魔牛さんも、獣人王国の皆さんが届けてくれましたですねえ』

「うむ……」


 ネエネエの言うことは、もっともだ。

 

 魔女様のお力の前では全く影響のないことではあるが、地図の上での距離は遠い獣人王国。そこからはこの森の家で育てる苗木や色々なものを調達してもらっている。質の高い魔牛乳をたくさん搾乳させてくれる魔乳牛もだ。


 ネエネエが森に最も近い王国で購入するものは、日用品が多い。

 魔獣などの害からこの森を、ひいては王国を守護される森の魔女様。王国側からすれば、国王でさえ在位中にお目通りがかなうかどうかという存在である。  

 そのお方が日用品をお求めなどということが知られたなら、貢ぎものの年でもないのに大げさなやり取りが生じてしまうだろう。

 だから、遠方の国々との交流のほうが魔女様とネエネエにはありがたいのだ。


 そして、魔女様が仰ったほかの二人の魔女。それは、魔女様のご友人にして同等の実力とお立場であられる二人の魔女様、雪原の魔女様と山の魔女様のことである。

 三人の傑人は、互いに競い合い、認め合う仲である。

 そして、お二方ともに、優秀な従魔をそばに置かれている。森の魔女様がネエネエを慮るのと同様に、魔女様方から愛されているモフモフな二人。

 その優れた従魔二人は、ネエネエともたいへんに仲が良い。


『ですから、魔女様。どうか、ご説明をお願いしますねえ』

 ネエネエの言葉に、魔女様は肯かれた。


「……分かったよ、ネエネエ。獣人王国の要と言える魔石の鉱山が枯渇しており、その理由は不明。そこで、国内の使用分については人の国からの一時的な買い取りを検討しているそうなのだ。今回は備蓄で賄えたとしても、今後の可能性も考えているのだろうな。それなのに」

『それなのに、ですかねえ』

「姫君に、人族への忌避反応が出てしまったらしい。突然に、だ」


 商売においては、国外へのものを良質に、ということなのだろうか。枯渇の理由が獣人国に落ち度がないものだとしても、それを考慮してくれる相手国ばかりではないのかも知れない。

 逆に、国内使用分の購入を検討する国とは良好な関係であろう。そうなると、姫君がその国と何らかの形でやり取りをされる可能性はある。


 そこまで考えてから、ネエネエは魔女様におききする。

『忌避反応。呪いですかねえ。たいへんですねえ』


「そう。人族差別などではなく、恐ろしい呪いのせい。さすがはネエネエ。よく学んでいるね」

魔女様はネエネエの知識の深さに感心されている。


『存じておりますですねえ。怖くて嫌な呪いですねえ』

 ネエネエは書物で知った「獣人族の哀しい呪い」を思い出していた。


 昔むかし。

 人族と、獣人族の王族が恋におちた。両国の反応もあたたかいものだった。

 それを否とする、獣人差別主義者であることを巧妙に隠して王宮に仕えていた人族の魔法薬師。

 薬師は、自らの命と引き換える覚悟で、恐ろしい呪いの薬を創造した。

 歓待の場で、それを飲まされてしまった獣人族の王族。恐ろしいことに、人族には有効な成分のみなので、人族の毒味役には検知ができなかったのだ。


 獣人族の王族が、愛してやまない人族の王族に触れようとすると、咳、鼻水、全身に痒みといった症状が出てしまい、まともに会話をすることさえできなくなったという。後々には、あらゆる人族に対して症状が出るようにもなってしまった。


 魔法薬師は人知れず息絶えていたために、解毒薬も作ることはできなかった。

 調薬者が命と引き換える覚悟で作成した魔法薬は解毒薬も調薬者のみが作ることができる場合がある。その代償は、命。魔法薬師の創造した薬はそれであったのだろう。


『結局、お互いを思いながらも、別のお相手と結ばれたのですねえ。かなしいですねえ。しかも、そのあとも、ごくまれにおそろしいことが……ですねえ』

「そう。獣人王国の王族に、この症状を発症するものが出てしまうのだ。百年現れなかったと思えば、十年後とか。今回は数百年ぶりで、獣人王国も驚いているらしい。ただ、さすがに数度目であるから、中和の薬の調合方法は存在する。先人の努力だな。もちろん、かなりの高度な術式と高い魔力も必要で、薬の使用者の眼前で調合せねばならない薬だ。獣人の国とやり取りをしている国に近い高魔力保持者で、かつ、魔法薬の調合ができるものは、私と、他の二人の偉大なる魔女たちだけ。そして、私たちは魔力により長命ではあるが、人間。人族だ」

 魔女様は、言葉を切られた。


 そもそも、獣人王国は人族を受け入れている国。多くはないが人族の民や、獣人族と人族とで結ばれるものもいる。

 今回の姫君の発症を機に、獣人王国はこの呪いへの対策を徹底したいと考えているのかも知れないと魔女様は考えていた。だからこそ、三人の魔女への依頼をしたのかも知れないな、と。


 魔女様方は、国には属さない。

 たまたま、それぞれの国の王族が魔女様を敬い、決められた時に適切な貢ぎ物を丁重に差し出すことから、皆様は今の国のお近くにいて下さるという、それだけのことである。


 それゆえに、獣人王国からの依頼も三人の魔女様の元に。正しくは、それぞれの有能でモフモフな従魔へ。

 あのような魔紙の蝶を作るのは、一つでも、かなりの魔力と技と諸々が必要だ。それほどに、獣人王国はこの依頼を重んじていることの証左しょうさ


「……解決の道はある。この薬、魔女と強い絆で結ばれた従魔であれば、魔女の魔力を供給できれば調合が可能なのだ。そして、たくさん調薬できれば、予防薬としても使える。だからこそ、従魔本人も優秀でなければならない。つまり、ネエネエと、ネエネエの大切な友人たちならば」


『はい。不詳ネエネエ、魔女様の名代みょうだいとして、行って参りますですねえ! ガウガウとピイピイも一緒、心強いですねえ!』


 これは、なんというほまれか。

 さらに嬉しい、三人組での任務。

 ネエネエ自慢の魔羊毛も、もふっと膨れそうである。


 ガウガウとピイピイ。偉大なる魔女様方の従魔の名前だ。ネエネエとは厚い友情で結ばれているモフモフたちである。


「ネエネエが世話をしてくれている魔蜜蜂の養蜂や魔乳牛たちについては、獣人王国から専門家を送りたいそうだ。水晶は我々との連絡用、魔力の伝達用と、たくさん渡すし、魔石やほかの品々も溢れるほどに持たせるからね。路銀ろぎんもだよ。できることなら呪いを根絶したいと考えているかも知れないけれど、無理はいけないよ。今回の薬だけでも十分だ」

『はいですねえ! 無理はいたしませんですねえ』

 やはり、偉大なる森の魔女様は広いお心でネエネエを派遣されるおつもりでいらしたのだ。


「うむ。励んでおくれ」

 ただ、ほんの少しだけ、ネエネエの不在は……と思ってしまわれたのだろう。


『励みますですねえ! では、出発までに、魔女様がネエネエの不在の間に召し上がるパンや焼き菓子や色々を、たくさん焼いておかないとですねえ。シチューも、それ以外のお料理も、たくさん作りますですねえ。保存魔法の魔道具に、いっぱいいっぱい、入れておきますねえ!』


ネエネエの気合に、魔女様は少し心配になった。

「ネエネエ。焼き菓子などは嬉しいよ。だが、そこまでしてくれなくても、私もそれなりには……」

『いけませんですねえ。ネエネエがおりませんと魔女様は、作り置きのお菓子とシチュー以外は、保存魔法で保存した食料しか召し上がられませんからですねえ。パンとチーズだけ、とかですねえ』


 モフモフずんずん。


 ネエネエは、かまどの精霊さんたちが待ってくれているであろう台所へと向かった。


 そして、少なくとも魔女様の半年分の食事の備蓄を作るべく、腕まくりの代わりに気合を入れて自慢の魔羊毛をひと撫でしたのだった。


※ろぎん……旅行の費用。(獣人王国からも先払い分がたくさん払われますが、魔女様からの分です)

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