第四章 一

 樋口ひぐち探偵事務所の中、樋口と日奈ひなは二人きりで部屋にいた。窓から見える天気は曇り、日の光は弱くなっていた。

 そろそろ雨が降るのかもしれない。そう、樋口は思った。湿った、肌寒いような空気が何となく、外から漂っているようにも思える。

 部屋中央で日奈が、おごそかな声を上げた。

「臨兵闘者、皆陳裂在前」

 日奈が掌印しょういんを結び、しばし目を伏せる。

 樋口はその様子を見ながら、黙ったまま、近くに立っていた。

 ややあって、日奈が掌印を解き、腕を横にする。

 樋口の方をふり返ると、相手を気遣うような表情を見せた。

「その様子だと、除霊は終わったと見て良いのかな」

 相変わらず、樋口は日頃の飄々ひょうひょうとした、気さくな態度を崩してはいなかった。直前の物々しい雰囲気も何とも思っていない。まるで、大したことないと言う様子だった。

「樋口さん、相手は中々の手練てだれです」

「そう思うかい」

 真剣さが混じる口調で言う日奈に、樋口はいつもの調子で返していた。

「これは個人で行っているわけではなく、組織で動いている気がします。おそらく、樋口さんが事件を調査していることを快く思わない人達がいるのでしょう」

「まあ、こういう商売をしていると、そりゃあ恨みも買うけどね」

 樋口は両手を横に広げた。

「まさか、呪いのかかった不気味な人形を送りつけられるとは、夢にも思わなかった」

 日奈の目の前には、古い木を使ったような人形が箱の中に横たわっている。一人の人間を模してつくられ、麻の生地でつくったような服を着せられていた。全体的に人の手が細かく入っていることが感じられ、それが一層不気味だった。

 表情も描かれてはいないが、誰を意図して送り主がこれを届けたかは明白だった。

 箱は、事務所の入り口前に置いてあり、一番に発見したのは樋口だった。開いたまま置かれ、一目で中身が見えるようになっていた。

 樋口はすぐさま、検査機器を持ち出して木の内部にあるものを調べたが、別段変わったものが含まれている様子はない。そこで、箱を部屋中央に移動させ、日奈を呼んだと言うのが、現在までの経緯だった。

「事件の進捗状況はどうなんですか」

 日奈が言うと、樋口がすぐに答えた。

「もう終盤だよ。あと一歩と言うところだ」

「では——」

「そこまでの心配は要らない。本当に、君の渡してくれた御札で助かった」

 ニッとした笑みを見せて樋口は言った。それでも、日奈の心配そうな表情は中々変わらない。

「何かあったら、俺に言ってくださいね。こういうときでしか、俺は樋口さんを助けられませんから」

「わかっている。当分の間は事務所に寄らず、姿を隠すよ。部下にも伝えておく」

 樋口は日奈を見ると、穏やかな表情を浮かべた。

 その表情は、窮地の中にあっても常日頃と変わらない、優しさに満ちたものだった。



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