13話 異質な妹と目覚め(中編)




 少女と渓谷に閉じ込められたまま一週間が経つ。

 携帯食料も底を尽きかけていた。

 ソンツォとの連絡が途絶している。

 体内のマシーナが不安定で、生体型デバイスの自動アナウンスも意識しないと稼働しない。諦めて自力で生き延びる道を探すしかなかった。

 情報収集を兼ねて、〝フラちゃん〟と名乗る少女から話を聞くと、だいたいの状況が読めた。

 姓名をフランジェリエッタ・アレキュリア。

 彼女は近くにある王都に住む、花屋の娘だ。

 いわく、「父の仕事について行った際、父は機人に殺され、唯一残った祖母と、この渓谷に滑落した」らしい。

 母は物心ついた時には亡くなり、以降母の好きだった花を摘みに、父は訪れていた。

 当初機人の出現情報など無かった月の谷。この少女はただ父の役に立ちたかったのだろう。無理を言ってついて行こうとしたが、祖母が仕事の邪魔にならないように同行してあげたのだと言う。

 花を摘むにしてもあまり険しくないルートを選んでいたようだが、運悪く機人に遭遇したらしい。

 祖母はまだ渓谷に居るが、はぐれたようだった。

 ――自分と同じ境遇であるならば、その祖母も生きてはいないだろう。


 本当かは定かでは無いが、一ヶ月も飲まず食わずで一人だったらしい。

 よく考えれば少女はリーレニカの食料を進んで食べる素振りはなかった。何か特殊体質で食事を必要としないのか、しかし食べることに拒否反応も示さなかった。


「レニカって変わってるよね。パサパサのパンがお弁当なんて。でも甘くておいし」


 最初にちゃんと聞き取れていなかったようで、略した呼ばれ方をしていた。

 どうでも良いとリーレニカは目を伏せる。

 ここを出られればこの子とも他人に戻るのだから。


「なんでレニカは傭兵になったの? こんなに可愛いのに」


 初めは無視しようとしていたが、あまりにもしつこい。

 話し相手が居ないため、時折少女はリーレニカに話しかけては思考を邪魔する。

 適当に「私は傭兵で谷の調査に来た」と嘘をついたせいで、変に興味を持たれたのだ。


「人を捜してるんです。そのために資金も必要で」


 谷底からの脱出を考えるあまり、組織に入った理由が口をついて出る。

 しまった、と舌打ち。


「人って? 彼氏?」


 フランジェリエッタは思春期の子供のように身を乗り出して続きを催促した。

 傭兵も諜報員も似たようなものだろうとため息をつく。


「命の恩人です」


 期待が外れたのか、答えに対してあからさまに空を仰ぐ。空洞へ差し込む夕陽に目を細めていた。

 色恋を期待したのか、さらに踏み込んで問う。


「ふうん。本当にそれだけのために?」

「まあ……そうですね。金さえあれば良いですから」


 あまりあれこれ聞かれると余計な事を口走りそうで、濁した。


「それだけのために傭兵になれるって、よっぽど大切な人なんだね」

「そうかもしれません」


 薄れた記憶を楽しむように、リーレニカはフランジェリエッタと同じく空を見上げて少し笑った。

 ほんの少しだが、笑ったのは久しぶりだった。


「ね、どんな人なの? フラちゃん知ってるかも」


 リーレニカにしてみれば期待値なぞ欠片もない提案に、ダメ元で答えてやる。


「銀髪。黒衣。顔を面頬めんぼおで隠した、背高の男性」

「なぞなぞみたい」


 フランジェリエッタは目を回して手を上げた。


「私も直接見ないと判別できませんから」


 ――〈あの人〉は自分が組織に入るよりずっと前から消息を絶っている。

 生きているかすら怪しい。

 諜報員を束ねる組織が、最も情報収集において有用だったから入っただけだ。

 フランジェリエッタは諦めてリーレニカを励ますように身を寄せる。


「逢えるといいね」

「ええ」


 吐く息が更に白くなってきた。

 そろそろ陽が落ちる。


  ◇


「レニカが居てくれてよかった」


 フランジェリエッタはやけにリーレニカへ懐いていた。


「レニカが居なかったら寂しくて死んじゃってたよ」

「人は寂しさでは死にません」

「命じゃないよ。目が死んじゃうの」

「目が?」


 この少女は寂しかったのだろう。

 生体型デバイスで感情を消費――いわゆる鎮静作用に近い――しているリーレニカは、共感こそできないが思う事はできる。

 生体型デバイスに乗っ取られないための処置。感情の殆どを、思考の妨げにならないレベルまで抑制している。

 ほぼ人形同然の自分でも、形式上気遣うくらいはできた。

 大気中のマシーナが不安定な谷底。こんな子供がずっと一人なら精神が不安定になって当然だ。


「レニカの目は宝石みたいだね。琥珀みたい」


 物珍しそうに覗き込んでくる。

 居心地が悪くなり、目を逸らした。


「あなた程では」

「あなたじゃなくてフラちゃんって呼んで」


 愛称呼びは苦手だ。

 リーレニカはまた黙ってしまう。

 すると、鼻頭を撫でる冷たい感覚。見上げると、洞窟の割れ目から雪が舞っていた。

 息が白くなり、二人は体温を少しでも下げないよう身を寄せ合う。


「私にお姉ちゃんがいれば……こんなふうに抱いてくれたのかな」

「さあ。私も家族は居ないのでなんとも」


 リーレニカは思考が鈍るのを自覚する。

 そろそろ体力が限界か。

 気力も削がれれば、マシーナがたちまちこの体を食い荒らすだろう。

 この少女と話している間は、多少なりとも不安は紛れていた。

 なるほど寂しくて死ぬことは無さそうだ。マシーナに飲まれない程度の気構えは持てると自分を奮い立たせる。


「ねえ、レニカ」

「なに?」

「ううん」

「呼んだだけですか」

「ちがうの」


 少女は特に答えを求めていたわけではないのだろう。


「ずっと一緒に居てね」


 叶うはずのないお願いをしてきた。


「私は――」


 答えようとして、言葉に詰まる。

 どうせ、ただ寂しくてそう言っただけなのだろう。

 答える前に少女は眠ってしまう。

 リーレニカは少女を抱く腕を持て余し、ぼんやりと月明かりを眺めるしかなかった。



  ◇


 

 大きな揺れが渓谷を襲ったのは、この山を登り二度目のことだった。

 周囲を警戒するリーレニカに対し、フランジェリエッタは日常の一幕かのように慌てる様子すらない。

 空洞の奥に空間があったようだ。

 死屍累々の空洞とは正反対の空間。隔てていた堆積岩が崩れ、奥から神秘的な光を放つ〝花畑〟が現れる。

 月光を余すことなく浴び、青白く幻想的な輝きを放つユリ科の植物。

 ――〈月ノ花〉だ。

 その先に、を見つける。

 全長五メートルは肥大化した骨格。生き物を殺すために成長した爪。鼠色の長い体毛で覆われた四足歩行。

 本能的に理解する。

 だと。

 戦慄せんりつする。

 レイヤーの機人だ。


 ――やるのか? 一人で?

 自問する。スペツナズナイフを抜き、呼吸が乱れる。

 この少女を連れて逃げるには庇い抜く自信がない。

 一人では逃げ切れるが――だめだ。置いていけない。

 身体も十全ではない。ましてAmaryllisアマリリスを使えば、今度こそ体内のマシーナが変異する。機人になってしまうかもしれない。

 迷っていると。



 桃髪が確かに。怪物に向けてそう呼びかけた。

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