第三章

1話 剣鬼




 憲兵に匿名でソフィアの保護を依頼したリーレニカは、一度フランジェリエッタの生花店へ戻る。「悪漢に部屋を荒らされ、女性が逃げていった」と虚偽の目撃情報を伝えたわけだが、要はソフィアを保護できれば問題ないという考えだ。

 ――生花店への道中違和感を覚えていた。体が怠いというか、異質な浮遊感というのか。

 それを確信したのは店内に入ってからだった。


 肉眼では視認できないが、おびただしい量の粉が部屋を満たしている。マシーナウイルスでできた粉塵だ。


『マシーナ粒子の塊……まるでモンスターハウスのようじゃな』

「もしかしてこのマシーナウイルス……花粉を媒体に」


 部屋の奥からダウナの声がする。


「遅かったじゃない。もうお願いして良いかしら。何だかしんどいわ。この子のおり」


 フランジェリエッタはうなされたように険しい顔のまま眠っている。見た目では容体に変化はない――良くも悪くもなっていないが、リーレニカにだけはその変化が見てとれた。


 このマシーナは、部屋を満たしている膨大なマシーナウイルスと同じ成分だ。

 ――フランジェリエッタがこのマシーナを生成している? いや、大量に分泌されたマシーナが盛れ出しているんだ。


「マシーナ濃度が高すぎる――こんなの、いつ機人きじんになってもおかしくない」

「そうなの? 私なんか酔いそうで酔いそうで……吐きそう」


 ――マシーナ酔いか。

 ダウナに小樽と水を差し出し、生態型デバイスと思念対話を試みる。


Amaryllisアマリリス、どこまで食べられる?』

『これはご馳走だが……精々レイヤーまでだろうな』

『やって』


 フランジェリエッタの額に手を乗せる。瞬間、視界が歪む感覚に襲われた。

 自身の触れた手を通してAmaryllisアマリリスへマシーナウイルスを吸収させていた。

 人間の強い感情に結びつくマシーナの性質が、リーレニカを襲う。

 自分の知らない――彼女の記憶が雪崩れ込む。

 この不快感は、フランジェリエッタの膨大なマシーナ量だけ続いた。


     ****


 どれだけの時間が流れたのか。そう思うほどに、低解像度で凝縮された記憶の奔流に晒されたリーレニカは、大量の汗を顎から垂らしながらも施術をやり通した。

 今では彼女も穏やかな顔で眠っている。


「目、凄いけど大丈夫なの?」

「え?」


 ダウナに手鏡を向けられた。目が異常に充血している。

 マシーナウイルスの過剰摂取で内臓に負担がかかったのだろう。だが、体は動く。


 現状を再確認する。

 時計に視線を向ける。ぼやけているが、三分と経っていない。

 次はスタクだ。ソフィアよりも早く見つける必要がある。


 次の行動を決めると同時に、危険を報せる警報デバイスが街中をけたたましく駆け巡った。


『マシーナ警報。マシーナ警報。エリア西区にて機人きじん出現。推定〈レイヤー〉。近隣の住民は直ちに最寄りの避難所へ退避してください。繰り返します――』

「レイヤー!? クリーチャー化したの?」


 警報からスタクの顔が浮かぶ。


「レイヤー伍って最大値じゃない。しかも西区だなんて、どうやって入ってきたのかしら」


 ダウナの言う通り、機人きじん化したレイヤーよんが暴れ、即討伐出来なければ避難勧告が出るのが通常の避難体制だ。それが唐突にレイヤー伍の成体で警告となれば、空から急に現れたか突然変異でなければ説明がつかない。

 基本、レイヤー伍となれば五メートル以上まで骨格、質量が大きく変化する。警報が出る前に騒ぎになっていないとおかしいくらいに、とにかく目立つものだ。

 ――それが突発の事柄なら、アルニスタが絡んでいると見て間違いないだろう。


「ダウナ嬢。倉庫の裏に枯れた月ノ花があるはずなので、彼女の周りに並べて置いてくれませんか」

「んもう。人使い荒くなってなあい?」

「今、どこも普通では無いんです。申し訳ありませんが、あと少しだけ頼みます」

「ちょっと」


 こう騒ぎになってしまえばお互い店どころでは無いだろう。

 ダウナに一方的なお願いをし、店を飛び出した。

 ダウナのため息が小さく漏れる。




     ****




 パレードが始まっていた街中では、ピエロに扮したスタッフが子供達の手を取り西区から離れるように誘導している。子供達はなんの事か分からないように、ただピエロの手を取ってついて行っていた。


 その間を、リーレニカは流れに逆らうように駆ける。

 極力目立つルートは避けたい。

 壁を蹴り上がりながら飛び越え、路地裏に入った。

 目的地は無論、西区――スタクだ。


「ポイントA、開放」

『承認』


 レンガ壁に承認――「Acceptアクセプト」の文字が浮かぶ。レンガの塊が一段手前にずれ、横に引いた。

 人一人が通れる穴が出来ると、リーレニカは一瞬で通過し、通過を感知したレンガも元の形状へ戻っていく。

 レンガに含まれているマシーナウイルスへ仕込んだ、リーレニカ独自の使い捨てプログラムだ。先進国でも秘匿される技術に近いため、人目につかない場所にしか仕込んでいない。

 使い捨てのため一度起動させると、再度仕込むまではただのハリボテ同然になる。


「ポイントB、開放」


 淡々とレンガ壁を開放し、最短経路を進む。良い所で視界へ立体的な多次元地図データを展開した。地図で蠢く生体反応を、自分だけに限定して整理する。

 自分の現在位置が地図上を滑らかに進んでいく。目的の西区までは予定時間までに到着できそうだ。

 組織から通信をキャッチ。応答する。


『こちらソンツォ。リーレニカ。ここから先、マシーナ反応が乱れてマッピングが雑になってる。パレードのせいで生体反応が大量だが――高濃度マシーナ反応があるぞ! 気をつけろ』

「了解――ッ」


 警告と〝奴ら〟が一致したのは路地を抜けた時だった。

 機人きじん――レイヤーよんの〈マネキン〉が数体、街を徘徊している。だが野放しではない。

 次にリーレニカが視認したのは王立騎士団の人間だった。避難勧告を出したのだから、機人きじん掃討部隊が展開されるのは必定だった。

 武装している今、職務質問を受けるわけには行かない。まして、避難指示を受ければ大幅なタイムロスになる。

 ――こんな所で出くわすなんて。


Amaryllisアマリリス――〈とばり〉」


 リーレニカが選択したのは迂回ではなく、最低限の戦闘で切り抜ける〝中央突破〟だった。


『ほいよ、十秒じゃ』


 充分。

 大気中のマシーナがチカチカと反応を示し、夜空色の闇を展開。リーレニカの姿が厚さ五センチの闇で塗りつぶされる。その闇は陽光でさえ通過を阻む秘匿のベールとなった。

 小さな星のように細く輝くマシーナウイルスだが、その程度の光で正体を目視できる人間は居なかった。


 機人きじんを警戒していた王立騎士団のうち一人が、一直線に接近するリーレニカ――漆黒の人型を視認する。

 よく見ると顔見知りだった。

 昼間に職務質問を受けた、名前は――シンと新兵のスクァードだったか。

 シンは若手にしてもそれなりに剣術の心得はあるだろう。スクァードは焼却系の中型デバイスを提げているが、後始末用だ。警戒は一人に集中する。


「シン先輩……敵っす!」

「なんだアイツ、新種か!? 任せ――」


 正体不明の黒い人影を敵と見据えたシンが、こちらを仕留めようと剣を構える。

 機人きじんではないと弁明をする時間さえ惜しい。

 リーレニカは更にデバイスを起動した。


「〈深海しんかい〉」

『三秒な』


 重力と気圧変化の命令式をAmaryllisアマリリスへ指示する。

 途端、音の圧迫感とずっしりとした空気の塊が、自分を含め肉薄した三人を包み込んだ。

 感覚の狂いは〈帳〉を纏うリーレニカには届かない。


「ナン、ダ、コ……レ」


 三半規管を狂わせ、呼吸を制限する事に特化したマシーナ反応の応用技術。練度の高い学士なら人を圧死させられる者も居るらしいが、無用な殺生はしなくていい。


 今は正体がバレなければ問題無い。


 踏み込みすぎた横凪の剣を軽々と潜り抜た所で、〈深海〉が解除される。

 スクァードの背中上を、体を捻るようにして飛び越えた。スクァードの頭を支えにしたため、「ぐえ」と苦しそうな声を漏らす。

 着地。地を小さく穿ち、突き放すために更に加速する。


「はやっ――」


 土埃を巻き上げながらリーレニカの居た地点で突風が引き込まれる。速度で引き離せればこちらのものだ。


『気、緩めるなよ』

「え?」


 Amaryllisアマリリスの意識の先――警戒を促された理由を知る。


「そっちに行きました。!」


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