第四話 出演交渉 Ⅲ
休憩を挟みながら、一通りの合奏練習が終わった。昨日決めた「もう一曲」に関してもある程度合奏ができたのは、さすがと言ったところだ。
「出演が決まったのはいいとして、本番まであと五日しかない。申し訳無いが毎日練習するつもりだ。それと、今後のことを考えて課題曲も練習していこうと思う」
休みが無いと言っているにも関わらず、俺が提案すると部員達の目が光った。飢えた狼みたいだ。
「もしコンクールに出るとしたら、マーチが無難だと思ってる」
今年度の課題曲は、四曲のうち二曲が
「そうね。マーチでいいと思う」
生徒指揮者らしく、まずは淑乃が肯定した。
「それと、『コンクールに出るとしたら』じゃなくて、絶対出るんだからね」
ジトッと睨まれる。言論統制がやたら厳しい。
時計の針は午後五時を指した。三十歳手前にもなると時間の流れが昔よりだいぶ早く感じる。十年も無為な毎日を過ごしていたのでなおさらだ。
「七時までは残ってもいいが、必ず時間は守るように」
最後にそれだけ告げて、俺は合奏練習を終えた。
音楽準備室に戻ると、椅子に座った日向がぼうっとしていた。
「あ、お疲れ様」
「どうも」
「帰るの?」
「どうせみんな時間ギリギリまでいるだろうから、帰れないよ」
「そ」
楽譜を鞄に閉まった俺は、そのまま廊下側の出口へ向かう。
「どこ行くの?」
日向は俺を追いかけながら尋ねてきた。ついてくるつもりだろう。
「この学校ってさ。講堂ってあったよな? ちょっと見てみようと思って」
「講堂……?」
日向は不思議そうに首を傾げた。
「知らないのか? 俺らがいた頃は、ミニコンサートをよくやっていたんだがな。普段は卓球部とかが練習してたけど」
「卓球部なんて、今無いよ」
「えっ」
衝撃の事実をさらっと告げられた。たしか卓球部はインターハイに出場した先輩もいたはずなのだが、寂しいにもほどがある。
日が長くなってきたとはいえ、もともと曇り空であったことも相まって外は薄暗い。翡翠館高校は校庭やプールを持たない代わりにハンドボールコートや柔道場などがあるヘンテコな学校なのだが、敷地の隅には講堂があったと記憶している。
「うわ、ここのことを言ってたの?」
「うわってなんだよ」
目的の場所に到着した瞬間、日向が聞き捨てならない反応をした。
「だってここ、肝試し会場だもん」
「……なんだって?」
「夏に合宿をする部活がレクレーションで肝試しやるんだけど、ここが目的地なんだよ。なんか気味悪いじゃん、ここ」
本物の幽霊が言っているのでブラックジョークにしか聞こえないのだが、たしかに道中も校舎の北側を辿って来るので日の光は差さないし、言われてみれば不気味かもしれない。
「今は全く使っていないのか?」
「うん。たぶんね」
円柱の形状をした講堂は普通教室三部屋ほどの広さがあり、室内競技の運動部にはちょうど良い練習場所だ。音楽室よりもゆとりがあるので、吹奏楽部も合奏練習やコンサートを行う場として利用していたのだ。
しかし、入口の扉を引いてもびくともしない。
「あんたバカなの?」
当然、鍵が掛かっている。
「お前、なんとかできないか?」
日向は不機嫌そうに舌打ちをした。
「仕方無いな……」
そう言って、日向はするっと扉を通過する。数秒後、中から鍵を開ける音がした。
「どうも」
「いいように使いやがって……」
悪態を吐く日向を無視し、俺は建物の中へ入る。
「ごほっ、ごほっ!」
物凄い埃の量に、俺は思わず咽せ返った。
「何年使ってないんだ……」
呼吸を落ち着かせてから周囲を見渡す。意外なことに、室内はがらんと広がるばかりだった。壁際には文化祭で使うような看板などが置いてあったが、おそらく昔の物がそのまま放置されているだけだろう。
「で、こんなところになんの用なの?」
入口に佇む日向が聞いてくる。
「いや、第二音楽室って狭いだろ? 代わりに使えないかと思ってさ」
日向の言い方だと、てっきり倉庫にでもなっていて足の踏み場も無いかと思ったが、ただ遊休化していただけのようだ。
「ここ、地味に音響がいいんだよな。小さいけれど演奏会向きの建物だよ。入学式の後に勧誘コンサートを開くならちょうどいいと思う」
「ふうん?」
日向の中ではただの肝試し会場でしかないのか、あまり納得していないようだ。
「まあ、勝手には使えないし、入学式までは第二音楽室で練習するけどな。……お?」
模擬店に使ったであろう看板の横に、大量の布が置いてあった。
「これは使えるな」
「勝手に使えないって言ったばっかじゃん」
「……放置されてるんだからいいだろ」
三年生達のことを揶揄できないくらい山賊みたいな論理で、俺はいそいそと布の塊を入口の方へ移動させる。
「そんなもの何に使うの?」
「まあ、ちょっとな」
含みを持たせて答えてから、俺は外に出て扉を閉めた。
「まあ、鍵はいいか。こんなとこ誰も来ないだろ」
「いい訳無いでしょうが」
日向はもう一度扉の向こう側へすり抜けて、鍵を閉めてくれた。
「すまん、助かった」
彼女が物理的に現実世界へ干渉できることは、今までスリッパを投げつけたり爆音でコンポを鳴らしたりといった奇行のおかげで知っていたが、こんな芸当まで出来るとは便利なものだ。
「あれ? でもお前、初めて会った時は俺の家の扉をぶっ壊したよな?」
ふいに思い出したので尋ねてみると、日向はそっぽを向いて口笛を吹いた。
「おい、音が鳴ってねえぞ」
「うるさいな。助けてあげたんだから細かいこと言わないでよ」
「細かくないだろ。今も南京錠なんだぞ。俺の家は蔵じゃねえんだよ」
「あー知らない知らない」
そのまま日向は駆けて行った。こういうところは年相応、いやもっと幼いかもしれない。
あっという間に夜の闇が辺りを染める。一人になると途端に心細くなった俺も、日向を追って小走りにその場を去った。
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