七.ウサギの星

 ……そのころ、地球の上・日本では夜が明けて、晴天の一日を迎えようとしていた。が、川上家に残された母と兄・桃太郎は、ピーチ少年の不在に気がついて動揺していた。


「いったい、どこへ行ってしまったのかしら」


 とお母が言えば、桃太郎が、


「今や、あいつは川上家にとって不可欠な存在だ。それは本人もわかっているはず」


「朝ご飯も食べずに出かけるなんて、こんなことは初めてよ」


 心配そうなお母を見て桃太郎は、


「よし。あいつが行きそうな所を、手あたり次第、捜してくるよ。こんな時こそ『分け身の術』を活かさなくっちゃ」


 言って五人に分身すると、五人それぞれ思い思いの方角へと、走って行ったのである。


 そんな五人の桃太郎たちがバラバラと帰ってきたのは、三時間ほども経ったころであった。どの桃太郎も、みんな思わしくなさそうな表情を浮かべている。「合わせ身の術」で一人に戻ると、桃太郎は首を横に振った。


「どこにもいないんだよ」


 それでもお母は、


「今日はいいお天気だし、朝早くに出かけたのなら、日暮れまでには帰ってくるかもしれないわね。そうよ、きっと帰ってくるわよ」


 希望にも似た言葉だったが、結局、そう考えるほかどうしようもなく、桃太郎と親子二人で、ピーチ少年の帰りを待つことにした。桃太郎は一人、修行に打ち込むのだった。


 そんな折だった。何かが風を切る音が、桃太郎の耳に入った。


 それは修行に集中し、精神を研ぎ澄ましていた桃太郎ならではの、五感を超えた感覚が捉えた音だった。


「ヒュッ!」


 という音がし、桃太郎が危険を感じて身を反らした瞬間、


「カッ!」


 何者かが放った矢文が、家の外壁に突き刺さった。


「誰だ!?」


 気配はまだ近くにある。


「そこか!」


 桃太郎が草を一束むしり取り、気合いを込めて投げる。……秘技の一つ「草葉の矢」だ。


「仕留めた!」


 言って桃太郎が木陰から取り出してきたものは、……どう見てもウサギにしか見えない。何だこりゃ?


 たしかにウサギだが、手に弓を持っている。そんな手をしたウサギは未だかつて見たことがないが、言葉は話せないようで、冷や汗を流しながら、ブルブルと小刻みに震えているだけである。


「これを……」


 と言って、お母が人参をやると、ポリポリッと食べて、ウサギは両手をお母に差し出し、しっかと握手して去って行った。お母が、


「文を読めば、何かわかるでしょう」


 と言い、文を開くと、


〈大海成すは本日より十日の後。御告おつげ海岸にて待つべし〉


 と、毛筆で記されている。

 桃太郎は言う。


「つ……ついに、ウサギたちとの約束の日が来てしまったんだ」


 御告海岸……! それはどこあろう、あのピーチ少年が時折、遠出しては、磯遊びに夢中になっていた、まさにその海岸の名前なのだ。しかし今、ピーチ少年は、遠い宇宙の彼方を餅を求めて飛んでいる。誰にも知られずに!


     *


 ……どれくらいの時間、ピーチ少年は飛び続けたことだろう。ようやく、目的の星が近づいてきたらしい。ピーチ少年は月面に降りたときと同じく、多少なりとも慎重に、その天体に舞い降りた。


 そこは地球と同じく、植物類が生い茂る美しい星であったが、星としてはかなり小さな天体らしく、目線を先へ向けると、地平線が弓なりになって見える。その地平線の向こうから、餅つきの音は聞こえる。


 しかし、長時間に及んだ「天空飛翔」の技は、空腹のピーチ少年の体に、致命傷にも等しい体力の消耗を与えた。川上ピーチはその場に倒れた!


     *


 宇宙には元来、空気がない。

 これは常識であった。


 ところが、そんな常識を覆しながら、星々きらめく宇宙空間を突き進んできたピーチ少年の肺は、「真空中で呼吸を続ける」という無茶を繰り返したがために、ようやくたどり着いたこの天体の空気を、それこそ、「干上がった大地に一気に大雨が降った」がごとく、滝のような勢いで吸い込み始めた。それは同時に、ものすごい音のいびきとなって、この天体の隅々にまで響き渡ったのである。


 餅を求めてやってきた見知らぬ天体の上でピーチ少年は倒れたわけだが、その星の非常な小ささと、住民たちの気質とによって、ピーチ少年は救われることとなる。


 その星では餅つきが終わると、住民たちは天体の各地へ散って行き、それぞれの〝家〟まで食料である餅を持って帰る。小さな星なのでだいたい、星のどこにも均一に家がある。そうした家の一つが、ピーチ少年の倒れている場所の近くにもあったのだ。


 餅を持って帰る途中、その家の住民は、大きないびきに引き寄せられて、ピーチ少年が倒れているのに気が付いた。そっと耳をピーチ少年の体に当てる。その住民の職業は、どうやら医者のようなものであるらしい。しかし、その姿はまるでウサギそのものである。ピーチ少年を長い耳で巻くと、家まで運んでいくのであった。


 家へ着くと、その医者らしき住民は、ピーチ少年をベッドに寝かせた。そこはどうも、診察室であるらしい。その住民は、ふたたび耳をピーチ少年の体に当てた。


 鼓動を聴くかぎり命に別状はなく、ただやたらと腹を空かしていることだけはよくわかったので、餅を小さく丸めては、ピーチ少年の口の中へ放り入れた。そして見守るのだった。


 そんな調子で、ひたすら餅を食わされるのだった。が、それでもピーチ少年は目覚めることなく、時はどんどん流れていくのであった。


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