第94話 燃え上がる宿の中で
「じゃあ私達は帰るわね」
「ああ。毎度あり」
仕事の終わりに振る舞われた高い酒を飲み終わったヲリエッタ達、雪月花のメンバーは席を経つ。
「せっかくだし、泊まってくか?」
「冗談。こんな汚い宿、いやよ」
「だったらそっちの宿に行こうか」
「あら、調教はいいの?」
「お前らが薬を使ったから今日は媚薬が使えねぇからな。今頃サブが品定めしてるだろうよ」
「悪かったわね、お酒に強い子達だったから仕方ないのよ」
「別に気にしてねぇよ。それで、どうする?」
「うーん……辞めとくわ。あの二人がギルドから居なくなってこの宿に移ったってタイミングでアンタと歩いてるのが誰かに見られたら、副業してるのがバレるかも知れないし」
「副業ねぇ……とんだ副業だな」
「こっちだって必死なのよ。それに、冒険者は何があっても自己責任だしね」
ヲリエッタは妖しく笑う。彼女達が
久しぶりに新人を売春宿に売ることが出来てヲリエッタ達の懐は暖かかった。まあ、これで次の春までまた楽しく生きていくことが出来るだろう。
魔獣の討伐をしないヲリエッタ達は、採集の出来ない冬に冒険者としての稼ぎは大きく落ちる。これまでもそれを補うために後輩を売り飛ばして来ていた。もちろんクランをクビにならないように上に媚を売ったり人畜無害な振りは忘れない。それがまた新人の警戒を掻い潜るいい隠れ蓑にもなってくれていた。
ちなみにこの宿は正規の娼館では無い。あちらではこんな人身売買のような真似をしても女の子を買い取ってくれないからだ。だから売るのは非合法の売春宿の方だ。娼館よりもサービスの質は悪いし衛生面も良く無い。だが、女達は媚薬漬けにされているせいで娼館とは違った雌の様相を見せるし、何よりあちらより値段が安かった。
正規の娼館組合とは商売敵ではあるが、細々とやっていることや、こっちがある事で娼館側も高級感を売りに出来て質の悪い客を排除できる事などから営業を黙認されている。
ヲリエッタ達がラウンジ兼酒場になっている部屋を出ようと扉に向かったところで向こうから開き、慌てた様子の男が転がり込んできた。
「おい! 客がいるんだぞ!」
「か、火事だ! 宿が燃えあがってる!」
「火事ぃ? あそこにはいまサブが居るだろうが」
部屋の汚さや、嬢達の全身にある痣を見えにくくするため、売春宿では照明用の魔道具を使わずに蝋燭を灯りを使う。そのため小火程度はたまに起こるが、そうなった時のために部屋には水が多めに入った桶を常備させているし何かあった時はサブの野郎が宿全体を仕切って消化にあたるようにしている。
サブはあのなりで仕事に対しては真面目だ。品定めの最中であろうと火事が起きればそちらを優先するはずだが。
「それが、火元がサブのいた部屋だったんだ! 小火なんてもんじゃねぇ、一気に火が回ってもう宿の半分が燃え上がってるし、ここまで火が延びるのも時間の問題だ!」
「なんだとっ!?」
慌ててラウンジを飛び出して外から宿を確認する。確かに奥の部屋から火が上がって、宿全体に広がろうとしている。それぞれの部屋から客と所属の売春婦達があられもない姿で逃げ出して来ている。皆、全身煤だらけだし身体中に大小の火傷も負っている。
「くそっ! なんだってこんな事に!?」
「ここまで広がったら隣の建物に燃え移る前に宿を壊すしかない!」
「水魔法使いはいるか!? 少しでも勢いを抑えないとっ!」
「ヲリエッタ、水魔法は!?」
「こんなに火の勢いが強いと、気休めにしかならないわ!」
「気休めでもいいからやってくれ!」
言われてヲリエッタと、パーティメンバーのネルヴァは水魔法を火に放つ。だが、彼女達の魔法は火を消すどころか、勢いを弱めることすら出来なかった。
「おい! やる気あるのか!?」
「違う……これ、ただの火じゃないわ。まさか、魔法の火!?」
「はぁ!?」
ただの火なら水魔法で全く勢いが弱まらないなんて事は流石にない。だとすれば魔力によって産み出された炎だと考えるのが自然である。しかし、火属性魔法なんて使い手自体が都市伝説と言われるレベルの稀なものだ。一体誰が……?
そこまで考えたヲリエッタの頭に先ほど売り飛ばした二人がよぎる。「双焔」……御伽話の炎龍王が吐いた炎とされる二色の炎、大層な名前を付けているなと思ったが、まさかあの二人が? いや、ありえない。あの二人は薬で眠らせている。少なくとも半日以上は目覚める事は無いし、その後動けるようになるまではさらに半日はかかるはずだ。魔力だって同様に、薬が抜け切るまではまともに操作することは出来ないだろう。
だけどもしも、もしもこの火事があの二人の起こしたものだとしたら? あの二人をここに連れて来た自分達に責任が及ぶのでは?
薄寒い想像がヲリエッタを震わせる。
そんな筈はない。頼むから自分の想像を否定させてくれと願うヲリエッタ。そんな彼女の目に映ったのは、炎の中を悠々と歩いてくるヒイロの姿であった。
◇ ◇ ◇
「アカっ!」
宿が炎に包まれる少し前。目の前の
「とにかく身体を隠して、あとは毒を吐かせないとかな」
ベッドのシーツを剥ぎ取り、比較的綺麗な部分を千切ってアカの身体に巻き付ける。最低限、大切な部分を隠した姿は温泉のリポーターみたいだなと思った。そして残ったシーツを頭の横に添えると、アカの口を開いてそこに思い切り指を突っ込んだ。喉の奥をグッと押すとアカは無意識に反応してヒイロの指ごと、胃の中のものを吐き出した。
そのまま数回、シーツに吐かせているとついにアカが意識を取り戻す。
「ゲボォッ……、ゴホッ……、ヒ、ヒイロ?」
「アカ! 良かった!」
薄く目を開けたアカは、混乱した表情で辺りを確認しようと目線を動かす。首は少しだけ、それより下はまるで自由が効かない事に気付き、助けを求めるようにヒイロに目線を戻した。
「こ、ここ、は?」
「大丈夫だから。私がいるからね」
安心させるようにアカをギュッと抱きしめる。お互いゲロまみれで酷い匂いだが、それでもアカはヒイロの体温を感じると安心したように微笑んでみせた。
その時、部屋の扉が開き男が飛び込んで来た。
「サブさん、火事です! ……ってうわああぁっ!」
部屋の中を一瞥して、すぐに回れ右して駆け出していく。なんだアイツと思ったヒイロだったがすぐに状況を理解した。
黒コゲになった
ヒイロとアカは炎で燃える事は無いとはいえ服が燃えると困るので、無意識に自分の周りに炎が来ないようなコントロールしていた。だがアカの介抱に夢中だったため、それ以外の制御を全くしていなかったのである。
「ヤベ……、とはいえここから出るには好都合か」
自分達を犯そうとした男は殺したが、すでにこの売春宿の所有物とされているヒイロ達がそのまま外に出ようとしたらそれを阻止する者が現れる可能性がある。このまま火事の混乱に乗じて脱出するのが良さそうだと判断した。
「アカ、行くよ」
「う、うん……。あのね、身体が動かなくって」
「あ、そうか。ちょっと待ってね」
ヨイショっとアカをお姫様抱っこする。
「ヒイロは、動けるの……?」
「あれ、そういえば動けるな」
さっきはどれだけ力を込めても指一本動かなかったが、気が付けば普通に身体が動くようになっていた。無我夢中で炎を噴いた事で薬が抜けたのかな? 理屈は分からないけれど、改めて魔力って凄いって事でいいか。
「このまま外に出るけど、アカは安心してていいからね」
「わかった……ヒイロ、ありがとう」
割れ物を扱うように丁寧にアカを抱き抱えると、ヒイロは扉から廊下に出た。
廊下にも既にかなりの火が回っていて、この売春宿の娘や客、それに管理の男達が慌てて一つの方向に走っている。あっちの方に行けば良さそうだな。だけど狭い出口に我先にとすし詰めになっているせいで渋滞を起こしており、そこに火が迫り更にパニックを引き起こすという悪循環である。
彼ら彼女らに思うところは無いのでヒイロは魔力を操作して炎が広がっている範囲を少し狭めた上でそれ以上燃え広がらないようにした。魔力由来の炎なのでヒイロの意思一つで完全に消火させる事も出来るがそれをすると混乱が完全に収まってしまう気もしたので、人が燃えない程度にいい感じに建物に火を延ばしておく。
そのまま暫く様子を見ていると、無事に宿の人々は外に逃げ出したので、その流れが落ち着くのを待ってアカを抱き上げたまま外に歩いていく。
先客たちが通った出口から外に出ると、燃え上がる宿を呆然と見守る人々がこちらを見ていた。
そんな集団の中に、ヒイロ達をこの場に連れて来た張本人――ヲリエッタの姿があった。
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