第91話 忍び寄る悪意

「となると、素直に春を待つしかないかぁ」

「せっかく準備したけど仕方ないね」


 危険が大きい山越えをするくらいなら、素直に暖かくなってから移動すべきだろう。ここでさらに半年足止めを食らうのは正直痛いが、迂回ルートを取ればさらに時間が掛かる。であればもう半年この街を拠点に貯金を増やすのも悪くないように思う。幸い、この町では一日で銀貨1〜2枚を稼ぐ事ができるので半年間しっかりと働けば銀貨200枚ぐらい貯める事もできるだろう。


 ギルドの職員に礼を言って受付を離れたアカとヒイロは建物内にある資料室……と呼ぶには少し頼りない、冒険者向けの資料をまとめた一画に向かった。


「冬に向けてどんな依頼が増えるのか知っておいた方がいいだろうしね」

「そうだね。前に見た時はこの街に長居するつもりは無かったから軽く見ただけだったし、たまにはしっかり勉強しますか」


 適当な資料を見繕って目を通していく。日本の辞書や資料集のようにしっかりとした索引があるわけでは無いので目的の情報を得るには不向きだが、ひとつひとつの資料は10〜20枚の紙が紐で綴られているだけなのでそれなりのペースで読んでいける。だがこの資料が抱えた問題はそこでは無かった。


「字が……汚いっ……!」

「だよね? 私の語学力が低いってわけじゃないよね!?」


 アカが吐き捨てるように漏らすと、ヒイロがホッとしたように同意する。この世界の言葉は文字の数は60文字ほどで発音ごとに文字が割り当てられているので基本的には音で読んでそれが意味のある単語となるのだが、この60文字の中にはアルファベットと酷似……どころか例えば【L】や【S】、【V】のように形は丸っ切り同じものもあったりして、なまじ英語に馴染みがあるせいで未だにこの辺りを読み間違える事がある二人ではあるのだが……そういった事情を差し置いても、この資料は読みにくかった。


「日本にも字が下手な人種って居たけど、この世界は紙がそれなりに高価な事もあってこれまで見てきた資料は基本的に字が綺麗だったものね……」

「ああ、この街は造紙もしてるから気軽に文字が書けちゃうんだね」


 街に比較的安価に紙が流通しているので、書くという行為に対するハードルが低いのだろう。他の街では粘土板などでしっかりと字の練習をしてから初めて紙に文字を書くようになるというプロセスを踏むところ、この街ではその修行期間が短いのだと想像される。


「そうは言っても私たちも上手に書けるかどうかは怪しいけどね」

「そういえばこの世界に来てから文字なんて一個も書いてないもんなぁ。もう色々と忘れちゃってるよ。アカ、「薔薇」とか「憂鬱」ってまだ書ける?」

「日本にいた時から書けない」

「「魑魅魍魎」とか「ビャンビャン麺」は?」

「書けるかっ! ……あ、でもビャンビャン麺は前半カタカナでいいならいけるかも」

「そ、それはずるいよ!」

「じゃあヒイロは「欅」や「檸檬」って書ける?」

「ぐぬぬ……アカも難しい字を知ってるな……」


 その後、難しくて読めるけど書けない漢字について話をを弾ませている内に気が付けば当初の目的はどこへやら、いつの間にか遊んでしまった二人であった。


◇ ◇ ◇


 気が付けば窓からは赤い夕陽が差し込んで来ていた。ぼちぼち今日の仕事を終えた冒険者達が報告にやって来てギルドが混み出す時間帯である。


 すっかり遊んでしまった事を反省しつつ、今日は帰って明日からまたお仕事を頑張ろうかと話しながら出口に向かうと、丁度依頼を終えて戻って来た冒険者と鉢合わせた。


「あ、双焔ちゃん。久しぶりだねぇ〜」

「どうも」


 冒険者は才色兼備クランに所属しているパーティのひとつ、「雪月花」のリーダーであるヲリエッタであった。相変わらずほんわた雰囲気でやや間延びした喋りをするヲリエッタに軽く頭を下げる。


「今日は朝いなかったけど、どうしてギルドに?」

「えっと、ちょっと調べ物って感じですね」

「へぇー、マジメなんだねぇ」


 いや、遊んでしまったんですが。とは言わずに曖昧に笑って誤魔化した。


「それで、調べ物は終わったのかな?」

「まあ、知りたいことは知れたって感じですかね」

「そっか。じゃあこのあと時間ある? また一緒にご飯食べに行こうよ」

「あー……はい、いいですよ」


 一瞬悩んだのは、今日からは山越えするつもりで買い込んだ保存食を食べようと思っていたからである。保存食といっても半年保つようなものでは無いので、この街にもうしばらく滞在する事にしたのであれば悪くなる前に自分達で消費しなければならない。


 とはいえクランの先輩冒険者の誘いを断ればこの先やり辛くなるかもということを考えれば、一日ぐらいは別に良いかと考え直し、お誘いを受ける事にするアカであった。

 

「やったぁ。じゃあ18時五の鐘にいつものお店に集合で!」

「あれ、一緒に行かないんですか?」

「今日はお仕事でちょっと服が汚れちゃったから、一度着替えてから行きたいんだぁ」

「あ、そういう事ですか。じゃあ先にお店に行ってますね」


 いつものお店というのは、先日ヲリエッタに誘われて行った居酒屋のことだろう。一度宿に戻って荷物を置いたアカとヒイロが18時の鐘を聞いてから店に向かうと、ヲリエッタ達はもう到着していた。


「かんぱ〜い」

「乾杯」


 麦酒エールの入ったコップを掲げて乾杯をしたあとは、適当に頼まれた料理を各々勝手に取って食べていく。こういった飲み会のようなスタイルはアカとヒイロにとって新鮮で、ちょっと楽しい。


 運ばれてくる料理が肉料理ばかりなのはある程度仕方ないだろう。


「あ、このお肉おいしい」

「これって牛鬼のお肉だよね。二人が獲ってきたんでしょ?」

「あー、こんな風になるのかぁ」


 昨日納入した二足牛鬼の素材。骨や角は武器などに加工するし、皮は滑して使う。そして肉はこうして料理店で使われるという事で、そう考えると自分達の仕事がこの街の経済を回しているのだなと実感する。


「大漁だったらしいねぇ」

「そういう話も広まっているんですか?」

「ギルドで働いてる友達が教えてくれるんだよ〜」


 この街のギルドの情報管理に一瞬不安を覚えたが、しかし冒険者側にしてみればそういった情報が次の仕事の有無に繋がる側面もあるかと思い直した。例えば今は牛の肉などの素材が潤沢にあるので次は鳥の素材の募集依頼が張り出されるだろうから予め罠や矢を補充しておこう、などと考え備える者もいるのかも知れない。


「双焔ちゃんはギルドで何を調べてたの?」

「ああ、これから冬になるのでこの街ではどんな依頼があるのかなって」


 本命は山越えの相談だったけれどそっちは延期する事にしたのでこの場でいう必要も無いだろう。アカは軽く調べた冬場の依頼について話題にあげた。


「ああ、確かにそろそろ寒くなって来たもんねぇ」

「魔獣も種類によっては冬眠したりするし、そもそも狩れる数が絶対的に減るみたいですね」

「そうなんだよぉ。採集依頼もね、依頼自体はあまり減らないんだけどそもそも冬は植物が採れなくなるから大変なんだぁ」


 アカが知る限りヲリエッタはいつも採集系の依頼ばかり受けている。冬場はかなりきついのではないだろうか。


「冬の間も雪月花ヲリエッタさん達は魔獣の討伐や素材集めの依頼は受けないんですか」

「私達は危ないのは苦手なんだよねぇ」

「さいですか。でも採集依頼オンリーだとそれはそれで危なく無いですか? 主にお財布の中身が」

「あははっ、上手いこと言うねぇ。だけどそこは心配ご無用、私達は副業で稼いでるからね」

「副業?」

「そう、冒険者業だけだとさすがにねぇ〜」


 ヲリエッタは笑ってアカにお代わりのコップを手渡した。あ、いつの間にか空だったのかと受けとり喉を潤す。


「でもそもそも冒険者自体が何でも屋さんじゃないですか。副業ってことはギルドを通さずに仕事してるって事ですかね」

「うん、そんなところ。ギルドでは扱ってないモノを売ったりするんだよぉ」

「そうなんですか」


 この街のシステムでは基本的に経済に必要なものはほとんど全てギルドを通していると思っていたが、敢えてそこを通さないものがあるのか。


「何を売ってるか、知りたい?」


 ヲリエッタはニヤリと笑ってアカに訊ねる。別に……と答えようとした瞬間、アカの目に映る景色がグラリと揺れた。


「……え?」


 そのまま全身から力が抜け、机に倒れ込んでしまう。


「すぐに分かるわ。その身を以って、ね」


 ヲリエッタの声が聞こえる気がするが、何を言っているか聞き取れない。強制的に途切れる意識の中でアカの目に入ったのは、隣で同じように突っ伏しているヒイロの姿であった。



第91話 了

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作者より

ビャンビャン麺は変換出来なかった……笑


※注意喚起※

ここから先は今回のしめから予想される通りの少々胸糞の悪い話が展開されます。予想される展開が苦手な方は、


第93話 窮地の二人

第94話 燃え上がる宿の中で

第95話 燃え上がる宿の前で

第96話 振り返りと反省


上記の4話は飛ばして頂いても、一応その間に何があったのかなと十分察せられるとは思いますので、明日の更新の第92話を読んだ後は、4話飛ばして第97話からまた読んでいただければと思います。

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