第75話 無力

「見えたぞー!」


 マストの上の船員が叫ぶと、程なくして甲板からも陸地……そして目的地である港町が見える。


 海を挟んだイグニス王国の隣国、チロスミス共和国。陸繋ぎの周辺国と領土を巡って小競り合いが絶えないイグニス王国であったが海を挟んだチロスミス共和国とは比較的友好的であった。陸続きでないため奪うべき領土が互いに存在しないためである。


 そもそも海の南側のこちらの大陸では国同士の争いは殆ど起こっていない。魔物の動きが北側の大陸より活発で、ヒト同士で争っている場合ではないという事情もある。


 そんな南の大陸の玄関口である港町リンドル、船は港に到着した。


「リコルちゃん、もうちょっとだからね」

「船を降りたらお医者さんに見て貰おう」

「……うん」


 既に応える事すら辛そうなリコルの手を握って声を掛けるアカとヒイロ。


 アカとヒイロはお客様なので船が着いたら一番に降りて良い事になっているため、船が完全に停まるとリコルを背負って甲板に出た。


「アンタらも奇特なタイプだな」

「船長さん、お世話になりました」

「おう、いいからさっさとその子を医者に見せてやれ。医者の場所は冒険者ギルドに行って聞くといい。ギルドは通りをまっすぐ行った突き当たりのデカい建物だ」

「分かりました、ありがとうございます!」

「達者でな。……それでは、またのご利用をお待ちしております」


 最後にわざとらしい礼をして見送ってくれた船長に手を振り、アカ達は船を降りた。アドバイスに従って冒険者ギルドを目指す。


◇ ◇ ◇


「まあ娼婦が良くかかる感染症だな。過労もあって抵抗力が落ちとったんじゃろ。ほれここ、見てみなさい」


 診療所でリコルを診た初老の医者はそう結論づけると、横で立ち会っていたアカとヒイロを手招きして、リコルの性器を見るように促した。


「……っ!」

「これは……」

「かなり酷使しておるな。余程乱暴な客の相手を繰り返したんじゃろう」


 あまりの痛々しさに思わず目を背けてしまうアカとヒイロだったが、医師は回復魔法を施す。しばらくすると、ドス黒く変色していたリコルの下半身に血の気が戻ってくる。心なしかリコルの表情も和らいで来たようだ。


「これで治りますか?」

「いや、これの魔法は炎症を抑えつつ、体力をちいとばかし回復させる程度の効果しかない。そもそも回復魔法じゃ病気は治らん……病気になっちまったら体力を回復させて寝ているしか無いからな」


 一般的な回復魔法では怪我を治せても病気は治せないらしい。病気を治すには本人の体力で病気に打ち勝つしか無いらしく、その辺りは日本と一緒だとアカ達は理解した。


「じゃあ栄養のあるものを食べて、ゆっくり寝てるしかないって事ですかね?」

「そうなるな。とはいえ現実問題それが難しいのも確かじゃな。だからこそ、そもそも病気に罹らんように予防するのが大事なんじゃ……娼婦のように多くの男と寝るなら尚更な。アンタの娼館ではそんな事も教えてくれんかったのか?」

「あ……えっと……」

「先生、この子は娼館に勤めてるんじゃなくて、船に乗って出稼ぎして来たんです」

「ああ、アレか。若いのに無茶をする」


 初老の医師は苦虫を噛み潰した。


「……さて、治療はこれで終わりじゃ。だがこの子は、ううむ……」


 リコルに服を着せつつ、医師は頭を捻る。


「あんた、リコルと言ったか。船に乗って出稼ぎして来たと聞いたが、その間避妊はしておったかね?」

「……いえ、避妊薬は高くて……」

「ええっ!?」


 まさかの発言にアカが驚きの声を上げる。


「そりゃあ良くなかったな」

「でも、色んな人とすると子供はできないってお母さんも言ってたし……」

「そんなのは巷でよく聞く俗説じゃよ。まだハッキリとは分からんが、もしかすると腹に子供ができちまってるかもしれん」

「そんな……」

「腹に子供がいたら無理は厳禁じゃぞ? 赤ん坊はもちろん、アンタ自身も危険な目に遭う可能性があるからな」


 リコルに無理しないよう警告を受けて、三人は診察室を出た。


「……どうしよう。お金、稼げなくなっちゃう」


 不安な顔でリコルは呟く。


「それどころじゃないと思うけど、今はまず自分の身体を大事にしよう?」

「……うん、ありがとう。あのさ、家まで着いて来て貰っていいかな? 今回の稼ぎ、お母さんに渡さないと……」

「もちろん。じゃあ行こうか」


 連れ立ってリコルの家に向かう。街の外れのボロい長屋が並んでいる中に彼女の家はあった。


「お母さん、ただいま……」

「リコルかい!?」


 家の中から中年の女性が現れる。女性はリコルの元に駆け寄ると、手を差し出す。


「ほれ、いくら稼いだんだい!?」

「あ、えっと……これだけ」


 リコルはお金が入った布袋を渡す。先ほど医者に診て貰ったことでその稼ぎはさらに目減りしてしまっていた――アカとヒイロが診察料ぐらいは出そうかと聞いたが、リコルは固辞したのである。


 リコルの母親は布袋を逆さまにしてその中身を手に乗せると明らかに落胆した様子で悪態を尽く。


「なんだい、これっぽっちかい!?」

「えっと、殆どチップが貰えなくて」

「なんだって!? アンタ、仕事せずにサボってばかり居たんだろう!」


 手を挙げてリコルを叩こうとする母親を、アカが止める。


「辞めてください!」

「リコルちゃんは、毎日頑張ってました!」

「なんだい、アンタらは」

「彼女の友達です。リコルちゃんはお金を稼ぐために無理して仕事を続けて居ました」

「だったら何でこんなに稼ぎが少ないんだい」

「それは……」


 答えに詰まるアカとヒイロを避けて、リコルが前に出る。


「私、全然上手に稼げなくて、熱も出ちゃって……それと、お腹に赤ちゃんも出来ちゃってるみたいで……」

「はぁぁぁああああっ!?」


 母親は絶叫した。


 ……。


 …………。


 ………………。


 やれ使えないだの何やってるんだだのマシンガンのように文句を言い続ける母親に、アンから聞いた船上娼婦のイロハなどを伝えてそもそも娼婦としての経験がない者が稼げるという噂だけで船に乗る事自体が無理のある事だとなんとか理解させる頃には、外はもう暗くなっていた。


「なんだい、娼館で働くと店が中抜きするからって船に乗せたのに、結局あそこも娼館で働くようなベテランが旨い汁を啜ってるのかい。やってらんないね」


 毒付く母親に、リコルを心配する様子がない。


「とにかく、リコルちゃんは暫く休んで病気を治さないといけないんです。お腹の子供のこともあるし……」

「ああ、そうだね。リコル、明日にでも娼館に行って堕胎薬を買っておいで……はぁ、薬まで買ったらいよいよ手元に殆ど金が残らないじゃないか。骨折り損もいいところだよ」

「堕胎薬!?」

「知らないのかい? 腹の子供を殺す薬だよ。デカくなっちまうと効かないけど、腹が膨らむ前なら大体上手くいくんだよ」

「そんな……殺しちゃうなんて……」


 リコルが辛そうにお腹をさする。


「じゃあ産むのかい? 父親が誰かも分からないのに? 大体うちにはこれ以上食い扶持を増やす余裕なんてないんだよ。さっさと堕ろしてアンタには今度こそ稼いで貰わないと困るんだ」

「また、船に乗せるんですか!?」

「五月蝿いな、部外者が口を出すんじゃないよ。まあこの子を船に乗せても稼げないとわかったからね、素直に娼館に入れた方がマシならそうするさ」


◇ ◇ ◇

 

 月が照らす街を、トボトボと歩くアカとヒイロ。結局二人はリコルに何も出来なかった。別れ際「何から何までありがとう」と言われてしまったが、気を遣わせてしまったという想いしかない。


 この先リコルがどうなるのか。子供を堕ろして病気を治したら、娼館に行って一流の娼婦を目指すということだろうか。母親がそうしろと言ったからそうするのが正しいと思っているリコルに、嫌なら身体を売らなくて良いとは言えなかった。代わりの道を示せない以上は奇しくも母親が言った「部外者が口を出すな」という台詞が的を射ていた。


「アカ……私、やっぱりこの世界は辛いや」

「うん、そうだね。私も辛い」

「魔法が使えて騎士と戦って勝てても、孤児院の子供達も、身体を売ってボロボロになった友達も、誰も救えないんだ」

「うん……改めて思った。私達は自分達の事だけで精一杯で、誰かを助けようなんて烏滸がましいのかもね」


 孤児院の仕事を受けたのは、ヒイロの少しでも徳を積もうという提案からであった。この世界で多くの命を奪ってきた事から、少しでも人のためになる事が出来ればと思って受けた依頼であったけれど、結果的に孤児院の子供達を……ハンナとコレットを救えたのかどうかは分からない。中途半端にアクアとソフィに押し付けただけだと言われればその通りである。


 だからこそというか、目の前でリコルが不幸になるのを防ぎたかったアカであるが、それも叶わず……そもそも自分達のことだけでいっぱいいっぱいなのに、誰かを救おうという考え自体が誤っているのではないだろうか。そんな無力感に苛まれる。


「それでも私、アカの事は守るから」


 落ち込むアカの手をヒイロが掴む。


「……ヒイロ」

「他の誰を救えなくても、アカだけは守ってみせる」

「……ありがとう。私も、ヒイロだけは守るわ」

「じゃあ私はアカを守るから、アカは私を守る。絶対に二人で日本に帰ろうね」

「うん。約束」


 そう言って小指を出すと、ヒイロも小指を絡める。


「指切りげんまん、嘘ついたら……」

「嘘ついたら?」

「……ううん、絶対に嘘じゃ無いから。だからアカ、絶対、絶対、ずっと一緒だからね」


 ヒイロは小指を離すと、改めて手をぎゅっと繋ぎアカを見つめた。


「……そうね。ずっと一緒よ」


 アカは強く手を握り返し、真剣な表情をするヒイロにそっと唇を重ねた。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る