第21話 魔法のある世界で

 翌朝は日の出前に起きて、村から1kmほど離れた川に水浴びに向かう。この村の者達はおよそ五日に一度ほど身体を洗うために水浴びをするが、昼〜夕方に行う者がほとんどでこんな朝っぱらから川で水浴びをする者など彼女達以外には居ない。アカとヒイロは村の者からよく思われていなかったりするので、極力顔を合わせないようにするための配慮だった。


 冬も近づくこの時期、冷たい川の中に入る事は流石に出来ない。二人は交代で裸になり――もう片方は念のため周囲を見張っている――絞った布で身体を拭いて汚れを落とすとさっさと服を着る。カラスも真っ青の行水だ。


「私、こっちに来てから生理が来ないんだけど」

「藪から棒にどうしたの?」

「ふと、思ったんだよね。今って冷たいからささっと洗っておしまい! で済んでるけど、これ生理が来たらそうもいかないなって」

「そういうことか。確かに……というか予兆も無いからまだ平気かなとか思ってたけど、私もここに来てからは生理来てないのよね。もともと不安定な方だったし環境が変わったせいかなとも思ってたんだけど、そう言えばもう数ヶ月になるのよね」

「ナプキンが無いから来たらかなり困るんだけどさ、全然来ないのも不安になるわけよ」

「ヒイロは重いタイプ?」

「そこまででは無いけど、生理前はやたら眠くなる。アカは?」

「私は結構痛みが来る」

「やだよねぇ……」

「ホント、来たら来たであーってなるのに来ないと不安になるとか、こんな悩みこそ日本に置いてきたかったのに」

「分かる」


 手早く身体を清めた二人はさっさと村に戻る。家に入るとギタンとエル、ルゥは既に起床して朝食の準備をしていた。


「おかえり」

「ただいま。ごめんなさい、準備手伝いますね」

「もう出来るから座ってて」


 エルが優しく告げる。この人はやることがあれば遠慮せずに仕事を割り振ってくれるので、今は本当に手伝い不要なんだろう。邪魔になっても申し訳ないので部屋の隅で大人しくすることにした。


 出来上がった朝食を頂いたらギタンと共に村長の家に向かう。


「村長さんは私達に何の用があるんですか?」

「ああ、言ってなかったか。行けば分かるが別に取って食おうとかそういう話じゃ無いさ」


 小さな村なので村長の家はすぐそこだ。アカ達としては数ヶ月前にここで狼の血を飲んだ思い出があるのでいい思い出は無い。


 ちなみに言葉が通じるようになってからあの血の杯の意味を訊いたところ、あれはこの村の人々にとって最大限の歓迎の意を示す行動だったとのこと。

 狩猟で得た新鮮な獲物の血を一番に頂くという行為は本来その狩りの最功労者に与えられるもので、その名誉を譲る事で「先に名誉を譲るから次は期待しているからな」=「背中を預けられる」=「こちらはお前を信用しよう」という意思表示であり、仮にこれを断った場合は都会や敵対部族のスパイの疑いがかけられその場で殺される可能性もあったし、そうならなくても歓迎を受け入れるつもりが無いという者を村に置く事はできないと、早々に追い出されただろうとギタンは言った。

 これを聞いたアカとヒイロは咄嗟に飲み干す判断をした自分たちの危機察知能力を褒め称えたのであった。


 そんな事を思い出しつつ村長の家に入る。こうして改めてみると内装はギタンの家とほとんど変わらない。


 この村の家は、どれも丸太の柱で枠組みを作り木の板と草の束で壁と屋根を作った簡素なものだ。村長の家の場合はすこし規模が大きいだけである。


 そんな家の中心に座る村長であろう初老の男と、村に来た日以来の再会を果たした。


◇ ◇ ◇


「言葉は問題無いようだな」

「ルゥのお陰です」

「うむ。流石はギタンとエルの娘だな」


 以前はお互いに何を言っているか分からなかったが、今は意思疎通ができる。逆に言葉が分からないで済まされないとも言えるので、アカとヒイロは緊張している。


「そんな固くならなくてよい。話を聞きたいだけだ」

「あ、はい……」

「まず聞きたいのは、お主らは「落ち人」……つまり、ここでは無い世界より迷い込んだ者という事で間違いないかな?」


 アカはとりあえず頷いてみせた。


「状況的には、そういうことなんだと思います。ここは私達が居たところと何もかもが違うから」

「ふむ。お主らが居た世界について聞かせて貰えるか?」

「と言われても、何から話せば良いやら」

「そうだな、この世界との違いについてから話して貰おうか」


 アカとヒイロは顔を見合わせる。まだこの村の様子しか知らないし、それすら基本的にはギタンの家から外を観察する程度の情報しか持っていない。


 村全体で狩猟により生計を立てているのが日本との大きな違いとも言えるが、地球でも国や地域によってはそういう場所はある、と思う。


 そうなると必然的に二人の意見はひとつに一致した。


「やっぱり魔法ですかね?」

「うん。私たちの国では魔法って存在しないし」

「なんと!」


 目を丸くする村長であったが、アカとヒイロも最初に魔法の存在を知った時は同じような反応をした。ルゥから言葉を教わりながら、一番苦戦した事が魔法についての概念だった。


 この世界の生き物は例外なく「魔力」を持っている。そんなこの世界の基本的な知識がアカとヒイロには無かったが、教える側もまさかそうとは思っていないためかなり長い期間、お互い食い違いに気付けなかったのだ。

 

 さらに頻出する癖に概念がわからないこの単語をアカが「万能な力」と仮置きした事で二人の意識が万有引力・重力に引っ張られたことも混乱に拍車をかけた。


 数日後に「あまり万能な力ってわけでも無いのかな、とりあえず未知の力って事にしようか」というアカの言葉から「未知の力……マジックパワー魔力!?」とファンタジーに詳しいヒイロ先生が気付いた事でやっと先に進めたのだった。常識が違うと言葉を伝えるのに苦労するという最たる例である。


「……というわけで、私達の世界には魔力の概念が無いのでその存在自体に気付けなくて苦労しましたね」

「なるほどな。しかし魔力がなければ魔法はおろか、戦技も使えないだろう?」


 戦技とは、魔力を使って身体能力を強化する技術のことだとアカ達は理解している。


「そうですね。なので私達の世界では全ての人が素の身体能力だけで生きています」

「魔法も戦技無しというわけか。しかしそれでは狩りひとつまともに出来ないのでは?」

「狩猟を生業にする者自体がごく少数なんです。農業や畜産によって、野菜も肉も自分たちで育てる事で賄っているんです」

「ほう……しかし魔力がなければ魔道具も動かす事が出来ない。全てを手作業で行っているとは考えづらいし、どうしているのだ?」

「道具は魔力の代わりに、電気の力で動かすといった感じでしょうか」

「電気の力?」

「はい。雷に近い性質を持つ力ですね」

「なんと、あの雷の力を使いこなせると申すか!?」

「雷を直接使うわけでは無いのですが、なんというべきか……」


 アカもヒイロも発電の仕組みに詳しいわけでは無い。小学生の理科の知識を上手く噛み砕いて電気の仕組みを伝えたが、村長もギタンもイマイチ理解できてはいないようだった。


「つまり魔力の代わりになる電力というものがあってそれによって大小様々な道具を動かすというわけか。まるで想像ができぬな」


 その後も日本の事について色々と質問を受け、気がつくと数時間が経過していた。


「実に興味深い時間だった。付き合ってくれて礼を言う」

「いえ、私たちもうまく説明できない事が多くて申し訳ないです」

「十分だったぞ。なるほどこういった知識をこの世界に持ち込むからこそ、落ち人は世界に変化をもたらすと伝承されるのだな」


 ウンウンと頷く村長。ギタンはその隣で難しい顔をしていた。


「さて、二人が落ち人だと言う事は疑うつもりも無い。ただお互いに生きてきた環境も常識も大きく乖離しているという事は理解できた。ギタン、例の話はしたのか?」

「いや。その場で長を含めて聞くべきだと思っている」

「そうか。では改めてアカにヒイロよ。お主達、これからどうするつもりだ?」

「どうする、ですか」


 ギタンが一歩前に出て二人に言い聞かせる。


「二人はあくまでウチの客人だ。エルを救うきっかけをくれた恩人としてな」

「それ、前にも話しましたけど私達は月白狼相手に何もしていないですよ?」

「状況的に奴が君達に呼び寄せられたと俺は思っている。まあこの際真偽はどちらでも良くて、重要なのはこれからだ」

「……かなり長居させて貰いましたし、そろそろ出ていくべきですかね?」


 アカが恐る恐る訊ねると、ギタンはとんでもないと首を振った。


「恩人を叩き出すようなことはあり得ない。だが、これからもこの村で過ごすなら客人ではなく、我々の村の者となった方がお前達にとっては都合が良いと思う」

「どういう意味ですか?」

「客人に仕事をさせることは我々の村ではあり得ない。だから俺もエルも、お前達が家にいる事を良しとしてきた。……まあ言葉を覚えてもらう必要があるという事もあったが。しかしある程度話せるようになったいま、ずっと家に篭りきりというのは望ましく無いだろう?」


 確かに仕事もせずに家の中に引き篭もるのは日本でも好ましく無いとされている。では仕事をしたいと言うのなら、この村の人間になれというわけか。なるほど、まあ筋は通っている。


「二人はエルの恩人だし、ルゥも心を開いている。出来ればルゥの姉になって貰えたら嬉しいとは思っている」


 それはつまり、ギタンの娘になると言う事だ。まあ義理の娘というよりは後見人的な立ち位置なんだろうが、出自の怪しい自分たちを拾ってくれるばかりかそこまで言ってくれる事に、感謝の念が溢れる。


「どうだ? 村長としても、反対する理由はない」


 ここで頷けば、この村で穏やかな生活を送る事は出来るだろう。ギタンもエルも優しいし、ルゥは妹のようにかわいい。アカが三人を好きなのは間違いない。


 しかし。


 答えに詰まるアカの手を、ヒイロが握った。


「ヒイロ」

「アカのしたいようにすればいいよ」

「いいの?」

「うん。私も同じ気持ちだから」

「そっか……ありがとう」


 アカはギタンと村長に向き直り、返事をする。


「お二人の気持ちはとてもありがたいです。こんな私達を仲間として、家族として迎え入れてくれる。それは本当に嬉しい事です。……だけど」


 これまで言葉にするのを避けてきた。一度口にしたら、きっと想いと共に涙も溢れてしまうから。言葉詰まるアカの手を、ヒイロはもう一度強く握る。――大丈夫だよ。そんなヒイロの声が聞こえた気がして、アカは声を振り絞る。


「だけど私は……私達は、元の世界に帰りたい。帰りたいんですっ!」


 振り絞った声と共に涙が溢れ出した。

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