第20話 二人の落ち人

 村はもう冬を越す準備を始めた。雪が降り出すと木の実などはほとんど採れなくなるし、山狩りをしても獣を見つけられなくなる。そうなる前に十分な干し肉、乾燥果実を準備しなければ最悪餓死も有り得るのだからこの時期の狩りは死活問題だ。


「ルゥ!」


 川から水を汲んで家に向かっていたルゥに、村の若者が声を掛けてきた。


「こんにちは。今日は狩りに行かないの?」

「今日は見張の当番だからな。狩りはギタンさんが他の男達を引き連れて今日も山に向かっているよ。村全体であと二、三頭の獣を狩っておきたいんだ」

「ノルマは満たしているんだっけ?」

「ああ。だけどそれは最低限の数だからな。数が多いほど良いってわけでも無いが、それでも十分な貯蔵が無いとひもじい思いをする事になる」

「まあ、そうだね」

「特にお前のところは余計な食い扶持が居るからな」


 チクリと嫌味を言って来る男。ああ、そういう事か。つまりこの若者はに食糧を分けるのが面白く無いのだ。「その分、おとうが余分に鹿を取ってきているだろう」という気持ちにはなるが、働かざるもの食うべからずの基本概念があるこの村で何もせずにいるあの二人に反発する気持ちは、ルゥも分からないでは無いかので曖昧に頷く。


 そうは言ってもあの二人を狩りや採取に行かせても死ぬだけだろうしなぁ。


 独りごちつつ家に帰ると、件の二人がルゥを出迎える。


「ルゥ、おかえり」

「ちょっと遅かった?」

「……ただいま。別に遅くはない」


 水の入った桶を置くと、アカがさっと取り上げて水瓶に注ぐ。


「まだもう一回分くらい入りそう。私が追加に行ってこようか?」

「なみなみに注がなくても大丈夫だ。明日にはまた汲みに行くんだし」

「そう? じゃあいいか」


 桶を瓶の隣に置くと、アカは部屋の中心に戻ってきた。夏の終わりに二人を連れてきて、しばらく経つ。最初は何ひとつ意思疎通できなかったが、ルゥが教育係となって二人に言葉を教えた。


 二人はそれこそ必死になって言葉を覚え始めてものの数日で最低限のコミュニケーションが取れるようになり、そして季節がひとつ過ぎようとしている今になると会話にはまるで問題が無くなっていた。


 おとうが「アカとヒイロはかなり高度な教育を受けていたんだと思う」って言ってたな。


 今二人が見ていたのは、ルゥが勉強するためにずっと前に村長から借りてきていた絵巻物だ。


 文字が読めたり簡単な計算ができた方がいいとおとうが言うから借りてきたけれど、結局難しくてほったらかしにしていた。


 アカとヒイロは絵巻物を広げて、これはなんだとやいやい話しながら内容について話している。


「なんて書いてあるか、おかあに一度読んでもらったらどうだ?」

「エルさんには、一通り読めるようになったら答え合わせをして貰おうと思って。自分達で考えて読めるようになった方が記憶に定着するし」

「それがお前達の国の勉強方法か?」


 アカとヒイロは顔を上げると、お互いに見合わせて苦笑いした。


「時と場合によるかな?」


◇ ◇ ◇


 辺りが暗くなる頃にはギタンとエルが帰ってきた。


 昼間、ギタンは村の男達で集まって狩りや木の実の採取に行き、エルは女達であつまり保存食を作ったり布を縫ったりといった仕事をしているらしい。


 狩りは出来る気がしないけれど、家事の方ならやってやれないことは無いと思い言葉が通じるようになってきた頃に同行を申し出たが「アカとヒイロはあまり来ない方がいいかも……」とエルにやんわりと断られてしまった。


 どうやら「落ち人異世界人」ということで無条件でよく思わない者も居るらしく、余計なことはしない方が良いとの事だ。


 結果的にアカとヒイロはギタンの家に篭ってずっと言葉を覚える事になっているというわけだ。最近ではルゥが投げ出した絵巻物を使って文字の勉強もしている。


「今日は何をしていたの?」


 夕食を囲みながら、エルが訊ねる。


「別に、いつも通りこの二人に言葉を教えて、あとは水を汲みに行ったくらいだ」


 ルゥが素っ気なく答えた。


「そう。アカもヒイロも、もうすっかり言葉が話せるようになったものね」

「ルゥのおかげです」

「だって。ルゥ先生、さすがね」

「別に、ヒイロ達の頭が良いだけだろう」


 すんと鼻を鳴らしてそっぽを向くルゥ。これは彼女が照れ隠しするときのクセらしい。


「そうだ。アカ、ヒイロ。明日の朝、長のところに一緒に来て欲しい」


 ギタンがアカ達に声を掛ける。


「明日?」

「ギタン、狩りはいいの?」

「今日久しぶりに狼を二頭狩れたからな。冬を越すために必要な肉と毛皮は確保できた。明日からは本格的に冬を越す準備だな」

「あらあら、じゃあ忙しくなるわね」

「ああ。すまないが頼んだぞ」


 ギタンがエルに頭を下げる。その後、アカとヒイロの方へ向き直った。


「そんなわけで今季の狩りは終わりだ。長がそろそろ二人落ち人から話を聞きたいと言っているので、付き合って欲しい」

「良いですけど、期待されてるような話は出来ないと思いますよ?」

「まあ、興味本位のようなものだろう。あまり構えずに気楽に話してくれれば良い」


 そもそもアカとヒイロに拒否権は無い。二人は頷いて了承した。


◇ ◇ ◇


 夕食を食べ終えたら寝るぐらいしかすることが無い。アカとヒイロはおやすみを言って自分達の部屋……と言っても大きなひとつの部屋を衝立で仕切って間取りを作っているだけなので、実際は二人が使っていいと許可されたスペースに過ぎない……に移動した。


 動物の毛皮で作ったシーツと、粗い布の布団。二人で一組の寝具しかないが、居候なので文句は言えない。


 二人は軽くストレッチをして、布団に入る。最近夜は寒くなってきた事もあり、なんとなくアカとヒイロとの物理的な距離が近くなっている。


「明日、何を訊かれるんだろうね」


 アカが考えていた事について、ヒイロが日本語で話しかけてきた。昼間は同じ部屋にルゥも居るし、基本的に異世界語で話すようにしているが寝る前に二人きりで話す時は日本語で、と使い分けている。

 

「私達が怪しくないかとか?」


 そう答えつつも、アカはしっくりこない。ここに住んでもう二ヶ月ぐらいになるし、怪しいと思うならとっくに処分してる気がするんだよなあ。


「今日読んだ絵巻物、覚えてる?」

落ち人異世界人についての物語だったわね」

「うん。その中に、「落ち人は世界に変化をもたらす者」って書いてあったじゃん?」

「高校生に世界の変化を期待されても困るんだけどね」

「多分、現代日本の知識を持ち込むって事を言ってるんだと思んだよね。お兄ちゃんの持ってたファンタジー小説や漫画で良くあったから」

「でた。ヒイロ先生のファンタジー知識」


 アカはあまりそういうものに興味が無かったが、ヒイロは兄の影響で異世界ファンタジーを嗜んできたらしい。


 ヒイロの知識とはだいぶ勝手が違っているのでその知識が生かされたシーンは今のところあまり無いが、この世界の言葉をいい感じのファンタジー用語に置き換えて意訳してくれるのはかなり助かっている。正直ヒイロが居なかったらこちらの言葉の習得に倍以上は時間がかかったと思っている。


 ちなみにヒイロのファンタジー知識というのは、話はこちらに来てすぐの頃のある晩に遡るのだが……。




「ステータスボード、ステータスボードオープン、スキルボード、スキルボードオープン……ブツブツブツブツ」

「ヒイロ、さっきから何を呟いているの?」

「わわっ! 起きてたの!?」

「隣でなんか呟いてる人がいるから目が覚めちゃったんだけど……」

「うう、ごめんなさい、アカさん」

「アカで良いって」


 ルゥから言葉を教わるようになり、たぶん自分達の名前を聞かれたのだが、ヒイロが先にファーストネームを伝えたため、アカも名前だけ伝えた。そうなるとアカとヒイロがお互いに「朱井さん」「茜坂さん」と呼び合うとルゥに教えた名前とは別の言い方で呼び合ってる事になるよねという事で、じゃあ名前で呼び合おうかという話になった。


「アカさんでいい?」

「同級生なんだから呼び捨てでいいわよ」

「アカちゃんは?」

「ちゃん付けは絶対やめて。そう呼ばれても返事しない事にしてるから。私はヒイロって呼び捨てにするから、そっても呼び捨てにして」


 アカは子供の頃から、アカちゃんと呼ばれるのは本気で嫌いだったので、親しい相手には呼び捨てにさせてきた。ヒイロとはさほど親しいわけでは無いが、この場合はやむを得ないだろう。


 そんなやりとりを経て、お互い呼び捨てにしあう事になったけれど、ヒイロはまだ少し気恥ずかしいらしい。アカにしてみれば夜な夜な謎の単語をブツブツと呟いている方が余程恥ずかしいのだが。


「それで、なんの呪文を呟いていたの?」

「うー、聞かれてたなんて恥ずかしいよ」

「聞かれたら恥ずかしい自覚があったんかい」


 白状したヒイロによると、異世界に転移するファンタジーではレベルやスキル、ステータスなどがあるのが「お約束」らしい。なのでそう言ったものを確認するためのキーワードがないか探していたそうだ。


「「ステータス」なんて言ったら目の前にゲームみたいに攻撃力いくらって表示されるの?」

「あ、あくまでファンタジーで良くある設定でね、念のために確認してただけっていうか?」

「まあこんなところにいきなり放り込まれた時点で何が起きてもおかしくないしね。私も試してみようかな。どうやるの? ステータス、オープン?」


 慌てて弁解するヒイロがなんだか面白くて、つい揶揄ってしまう。ヒイロは真っ赤になって照れていた。




 回想、終わり。そんなファンタジー上級者? のヒイロ先生が今回は現代日本の知識を活用するとおっしゃっている。無視すると拗ねるのでアカは話半分で聞けばいいかと軽い気持ちで質問する。


「つまり、この世界にはない現代日本の知識を与える事でテクノロジーの進歩に貢献することが求められてる?」

「難しく言うとそう言うことだね」

「難しい事は言ってない筈なんだけどな。でも私達って技術者でも研究者でも無く、ただの高校生よ? 世界に変化をもたらすような知識なんてないと思うけど」

「チッチッチ。アカ、そんな専門知識なんてそれこそ異世界の人は理解できないよ。つまり、ちょっとした工夫で生活が豊かになるような豆知識でいいんだよ」

「……鼻血のときに首の後ろを叩くとか、風邪をひいたら首にネギを巻くとか?」

「鼻血は叩いちゃダメだし、ネギは食べた方がいいらしいよ」

「そうなんだ。意外とおばあちゃんの知恵袋って役に立たないわね。それでヒイロが考えるこの世界で重宝されるような現代日本の知識って例えばなに?」


 ヒイロはよくぞ聞いてくれましたとしたり顔で答える。

 

「ズバリ、リバーシとマヨネーズだね」

「はあ」


 ありがたさで言えば、おばあちゃんの知恵袋と大差ないんじゃない? 真面目に聞くのがアホらしくなったアカは、さっさと眠る事にした。

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