19.予言

 姫崎の予言は的中した。


 自分の予言めいた言動がうかつだったのではないか、と、姫崎が後悔を覚えたかどうかは不分明だが、緋色との会話から正確に一時間が経過した、まさにその時、特機本部内にサイレンが鳴り響き、幻蝕出現のアナウンスが流れたのである。


「救援要請を確認。対象はシステムスカラーテクノロジーズ社が運営する仮想空間、『カラードモール』第三区画クラシックショッピングエリア中心部」

「提供されたデータをライブラリと照合。幻蝕ランクBと推測」


 オペレーターの声が飛び交う中、第一戦略室に姿を現したのは葛城美雨である。黒地に白のラインが入った仮想空間接続専用イマーシブスーツに身を包んだ彼女は、やる気もなさそうにブツブツと文句を漏らした。


「はぁ……。ダルいときに限って、幻蝕は出現するのよねえ。狙っているとしか思えないわ」


 タバコの匂いが混じったため息に、姫崎は針を刺すような眼差しを向ける。


「遅いぞ、葛城。鷹匠と一ノ瀬の準備はできている。お前も『KoHDコード』に乗り込め」

「はいはーい、わかってますよ……って、ん?」


 カプセル状をしたプリンティングシステムへ足をすすめた美雨は、すでに三番機の中で出撃を待つ緋色と、その傍らでタブレットPCを手にしながらなにかを説明している山神の姿を視界に捉え小首をかしげた。


 やがて彼女の耳道に届いたのは、初任務の際に緋色が使用したレールガンについての説明で、美雨は二人に近づくと、「貸して」と声に出すのと同時に山神からタブレットPCをひったくって、表示された内容を覗き込んだ。


「……ミドルレンジとハイレンジアタックのマニュアルじゃない。大太刀を使う緋色には必要ないでしょ?」

「一ノ瀬隊員に支援攻撃へまわるよう指示があってね。とにかく、説明の途中なんだ、返してもらえないか」

「なにそれ? 聞いてないわよ?」

「いや、おれもさっき隊長から聞かされたばかりなんですけど……」


 美雨が振り返った先には、壁面のディスプレイを睨んだままの姫崎がいて、特機の隊長は肩越しに要点だけを説明した。


「この前の現象が解明されていない以上、幻蝕と接触するのはきわめて危険だ。であれば、攻撃方法も距離をとったほうがいい」

「はあ? なに言ってるの? あれは緋色にしかできないとっておきなのよ? だったらこの前の状況を再現してでも、現象を解明したほうがいいじゃない」

「隊員の生命を脅かすリスクを背負ってまで試すことではない」

「そこまでだ、美雨」


 二番機に収まった真澄は上半身を起こすと、眉を広めながら赤髪の同僚を見やった。


「すぐにでも出撃しなければならない状況なんだぞ。無駄話をしている余裕はないと思うがね」


 義足の同僚からの声を苛立たしげな面持ちで受け止めた美雨は、早歩きでカプセル状のプリンティングシステムに乗り込むと、無言でコードやケーブル類を装着していく。


 肩をすくめて、その様子を見つめていた山神はメガネを指で直すと、タブレットPCを小脇に抱え姫崎のもとへ近づいた。


「ひとまず一ノ瀬隊員へのレクチャーは完了しました。できれば実戦前に経験を積ませたかったところですが」

「ぜいたくは言えんな。演習が終わるまでの間、出てくるのを待っているよう、幻蝕に頼めるわけもないし」

「そもそもの話、幻蝕が出現しなければしないで、われわれ全員、食い扶持がなくなりますから」


 軽口で応じた山神が自席に戻る。やがて準備完了というオペレーターの声が室内を満たすと、姫崎は厳格な口調で三人を仮想空間へ送り出すための指示を発した。


「よろしい。特機、出動せよ」


***


 二階建ての木造アパートと古めかしい瓦屋根の一軒家、耐熱補強のなされていないアスファルトにはコンクリートの電柱が埋め込まれていて、いたるところに電線が張り巡っている。


 システムスカラーテクノロジーズ社が運営する『カラードモール』第三区画クラシックショッピングエリアは、百年以上も昔の時代、いわゆる『昭和の日本』を忠実に再現した仮想空間として知られていた。


 いつの時代も昔を懐かしむ、あるいは昔に憧れる人々は一定層いるもので、ノスタルジーやレトロを売りとした仮想空間の需要は高い。


 もっとも緋色などにしてみれば、自分が生まれる前の時代にさほど興味はない。物珍しさに視線を動かすこともなく、任務に同行している女剣士の愚痴相手として佇んでいるのだった。


 むしろ、このほうが良かったのかもしれない。これが好奇心を刺激するような空間であれば、意識も視線もそちらへ向かい、美雨の相手をする余裕などなかったはずだ。


 話を聞いていないと知られたらどうなっていたことか。そら恐ろしさすら覚える想像を脳裏から追い払い、緋色は懸命に女剣士の相手を務めている。


「……っていうか、緋色も緋色よ。なんで隊長の言うことを真に受けるかなあ」


 美雨の愚痴の大半は、近接戦闘を禁じた姫崎に関するもので、どうやらその矛先は自分自身に向きつつあるぞと自覚した緋色は、肩をすくめかけ、慌てて姿勢をただした。


「いやいや、美雨先輩。隊長の命令はもっともだと思いますよ。おれだって危険は避けたいですし」

「甘い、甘いわよ、緋色。『マックスコーヒー』ばりの甘さね」

「……なんですそれ?」

「ともかく、経験を積まなきゃ強くなれないでしょう。大太刀の訓練も始めたんだし」

「ああ、それですよ、美雨先輩。『滅幻刀技めつげんとうぎ』でしたっけ? それを覚えたら近接戦闘OKだって、隊長言ってましたよ」

「それなら話は早いわ、任務をさっさと終わらせて特訓あるのみっ!」

「なにを盛り上がっているんだ、二人とも」


 顔を出したのは真澄で、ブラウンアッシュの長髪を後ろで束ねた青年は、現場責任者の聴取が終わったことを告げると、感心したように美雨を見やった。


「今回は空間探索が終わるまでおとなしくできたみたいだな」

「あのね……。人を犬か猫だと勘違いしてない? 私だって命令には従うわよ」


 どの口が、と、言いそうになるのを堪え、緋色は真澄へ視線を動かした。


「現場責任者の人はなんて言ってたんですか?」

「うん。まあお察しの通り、建物設備などに被害が及ばないよう留意してほしいそうだ。いかんせん、昔の風景を再現するのは手間も時間もかかるようでね」

「広範囲攻撃の『滅幻刀技』があるから、それを使えばいいじゃない。そうしたら一発で……」

「ダメだ、許可できない」


 割り込んできたのは第一戦略室に控える姫崎の声である。


「三人ともよく聞け。今回の標的は空間擬態型の幻蝕だ、すなわち風景に紛れてやりすごしながら、こちらの隙をうかがっていると推察される」

「カメレオンみたいな幻蝕ってことですか?」


 緋色の問いかけに、姫崎は頷く。


「その通りだ。広範囲の攻撃は有効だが、その分、周囲へ与える被害も大きくなる。仮想空間内とはいえ、これも市街戦だ。必要最小限の火力で敵をたたくぞ」

「面倒だなあ」

「私としても、部下に何度も始末書を書かせたくはないからな。指示には従ってもらうぞ」


 そう言って姫崎は今回の幻蝕討伐に対する作戦を打ち明けた。まず、後衛ガーディアンである真澄による強化バフプログラムを二人にかける。その間、第一戦略室のオペレーターたちが幻蝕の詳細な位置を解析し、三人へと伝達。


 続けて緋色による間接接触を試みる。ハイレンジライフルに対仮想空間用のペイント弾を装填し、擬態する幻蝕目がけて発射するのだ。


 このペイント弾によって着色された幻蝕に、美雨が近距離から攻撃をしかける。このとき、緋色は射撃を用いて幻蝕の行動範囲を狭めること。


「幻蝕の攻撃について、対処はどうされますか?」


 真澄の声に、美雨は肩をすくめる。


「真澄がサポートするなら問題ないでしょ? 私が幻蝕の攻撃を食らうはずないし」

「油断して、コーヒーのおごりを積み重ねているのは誰だったかな?」

「誰だったかしらねえ……?」

「各員、私語は慎むように。続けるぞ」


 再び脳内へ姫崎の声が響く。


「結論から言えば、今回の任務は葛城のアタックが要になる。ペイント弾が着弾した後、所在が明らかになった幻蝕の行動予測が難しいからでもあるが、速攻で片を付けるぞ」

「いいわね、隊長。そういうの、私、大好きよ」

「効率よく幻蝕を討伐するための作戦だ、くれぐれも勘違いしないように」


 念を押す姫崎の声に、へいへいと応じてから、美雨は瞳を燃えたがらせた。


「ま、早く終わるのにこしたことはないし、そうと決まれば、さっさと幻蝕をぶち殺して帰還しましょ」


 ささやかな美雨の願いは、だがしかし、叶うことはなかった。


 彼女にとって長く、記憶に残る一日が始まったのだ。

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