20.連戦(前編)

 見晴らしの良い五階建てマンション移動した緋色たちは、姫崎からの連絡を待ちつつ屋上からの光景を眺めていた。


「ていうか」


 瓦屋根が広がる住宅街を見下ろしながら、口を開いたのは美雨である。


「バグとエラーを見つけるのが得意なんでしょ? 緋色だったら、こそこそ隠れてる幻蝕も見つけられるんじゃないの?」


 前回の任務の報告書には、幻蝕と対峙した緋色が『違和感を覚えた』という記録が残されており、二刀流の女剣士はそれを示唆していたのだ。


 こんな人でも報告書へ目を通すんだなと意外さを抱きながらも、緋色は肩をすくめる。


「ムチャ言わないでくださいよ。おれの直感なんかで擬態型の幻蝕を見つけられるわけないでしょう?」

「この前はやってみせたじゃない」

「たまたま、偶然ですって。それに、探すとしても、どれだけ範囲が広いと思っているんです?」


 閑静な町並みを見渡して同意を求めるも、美雨は軽く舌打ちを返すだけに留めた。緋色が視線を水平に移動させた先では、苦笑いを浮かべた真澄がゆっくりと頭をふっている。


 正しいプログラムで構成された仮想世界において、幻蝕が存在することはイレギュラーであり、いわばTRUE真実FALSE虚実が潜んでいると言える。


 しかしながら、擬態型の幻蝕の場合、その存在自体が虚実であるにも関わらず、みずからを真実に見せかけているのだ。これを現場レベルで見破るのは容易ではない。


 そのため特機本部による詳細な解析が必要になるのだが、一秒でも早く任務を終わらせたい美雨にしてみれば、そのわずかな時間も惜しいらしい。


「まあ、すぐに連絡が入るだろう。緋色くんも狙撃の準備を整えてはどうかな」


 そう言いながら、自身も「闘装宣告とうそうせんこく」と呟いた真澄は、二人に強化バフプログラムをかけ始める。幻蝕が現れても、すぐ対応できるように義足の青年が準備をすすめていると、三人の脳内へ姫崎の声が届いた。


「解析結果が出たので伝えるぞ、場所はそこから2キロ離れた先……」


 その時だった。隊長の声を遮るように、特機本部にサイレンが鳴り響いたのだ。


「救援要請を確認。他企業の仮想空間内にて幻蝕が出現した模様」

「データが届き次第、照合を開始します」


 オペレーターたちの話し声が交差する中、姫崎は語をついだ。


「三人とも聞こえたか? 他空間にも幻蝕が出現した。よって、現任務を完遂次第、そちらへ転送する」

「過重労働はんたーい」

「これも仕事だ。不満があるなら幻蝕に言え」


 唇をとがらせる美雨を放置し、姫崎は続ける。


「いまは目の前の幻蝕に集中しろ。対象の位置データを送る」


 間もなく目前の左上に一帯の地図が出現し、それは拡大表示され、とある十字路が映し出された。


「肉眼ではわからないだろうが、中心部に歪みが確認された。幻蝕が擬態しているものと推察される」


 耳を傾けながら、緋色は「闘装顕現とうそうけんげん」と呟いて、空間に現れたハイレンジ用のスナイパーライフルを握りしめた。対象の方角へ向かって寝そべり、銃を構える。


「その位置であれば狙撃は問題ない。一ノ瀬、焦らず照準を定めるんだ」

「了解」


 初陣の時とは異なり、今回は固定された状態から狙いをつけられる。二割の安堵と八割の緊張が全身に伝わって指が震えそうになりつつも、緋色はゆっくりと呼吸を整えた。


「いつでもいいわよ」


 並び立つ美雨は二本の刀を構え、すでに臨戦態勢にあった。視界の端にそれを捉えながら、緋色は呟く。


「いきます」


 全神経を集中させて引き金をしぼる。乾いた音が響くと同時に、ライフルの先から弾丸が放たれた。


 ペイント弾はわずか数秒間で十字路まで到達し、潜んでいた目標に衝突して破裂する。


 間もなく、黄色に着色された幻蝕がその全身をあらわにした。野獣のような叫び声を上げるでもなく、ただ怒りを具現化したかのように鋭く長い針で覆われた体軀は、どことなくハリネズミを彷彿とさせたものの、その姿の凶暴さは似ても似つかない。


 瞬間、女剣士は緋色と真澄の視界から消えさった。空間を切り裂くようなスピードで駆けだした美雨は、ペイント弾の着弾後、十秒も経たずに幻蝕の目前へと移動したのだ。


「さよなら」


 二本の刀を突き刺した美雨は、幻蝕を真一文字に切り裂いた。藍色をした液体が吹き出すのも気に留める様子もなく、女剣士は表情を消したまま、さながら肉片を作るかのように幻蝕を解体していく。


 やがてエメラルドグリーンをしたコアを見つけ出すと、美雨は刀の柄でそれを叩き壊した。


 凶悪かつ凶暴な外見を誇った幻蝕が、一矢を報いることもできずモザイクの海へと消えゆくのを望遠で眺めながら、緋色は女剣士の悪魔的な振る舞いよりも、無事に役割を果たせたことに安堵する自分に気付き、半ば身震いした。


「真澄ぃ。幻蝕の体液で汚れたから洗って」


 程なくして屋上へと戻ってきた美雨はあっけらかんとした様子で口を開き、真澄ははいはいと応じながら、洗浄用のプログラムを呟いている。


 おそらくは、この異常性こそが特機の日常なのだろう。いまさらながらに思い知らされながら二人を見やっていると、緋色と美雨の視線が交わった。


「いつまで寝そべってるの?」

「え? ……あ、ああ」


 スナイパーライフルを片付けながら緋色は立ち上がる。すると、脳内へ姫崎の声が届いた。


「ご苦労。対象の消滅を確認した。これより次の任務地へ転送プロトコルを開始する」


 数分前の光景をリフレインするかのように、サイレンが鳴り響いたのは、まさにこの瞬間だった。


「複数の救援要請を確認。同時多発的に幻蝕が出現した模様」

「……複数、それも同時だと?」


 いぶかしむ姫崎にオペレーターが緊張をはらんだ声で応じる。


「は、はい。それぞれ別の仮想空間にて幻蝕が発生したとのことです。現在、データを照合中」


 それらのやりとりはもちろん三人のもとにも届いており、緋色は小首をかしげて義足の先輩隊員に尋ねた。


「こういう場合、どうするんですか? さすがにすべての現場には行けないですよね?」


 柔和な声で真澄は応じたものの、それは緋色にとっては絶望的な回答だった。


「管轄内であれば、僕たちが対応するよ。もちろん、すべての現場をね」


***


 上空を舞う鳥の形状をした幻蝕の群れ、森林の中を突進する野獣のような幻蝕、あるいは砂中から飛び出す全身ドリルの幻蝕、などなど。


 この日の特機は、それぞれに異なる仮想空間にて幻蝕討伐に追われまくった。最初の仮想空間以外、ランクCとランクDという低ランクの幻蝕を相手にしているとはいえ、この時点で討伐数はすでに二桁を記録している。


 初めての連戦となる緋色は精神的疲労を自覚したが、同僚である美雨や真澄は平然としていて、経験の差というものはこういったところに出るんだろうなと黒髪の新入隊員は感心の面持ちで二人を見つめた。


「この短期間で陸海空、すべてのフィールドで任務をこなしたわけだ。すっかり一人前だね」


 オペレーターリーダーを務める山神の声が脳内に届く。なにを呑気なと思いながら、緋色が応じ返そうとした矢先、赤色のロングヘアをした美貌の女剣士が口を開いた。


「ランクCとランクDを相手にしたところで一人前と言われてもねえ?」

「任務は任務だ。場数をこなせば、ランクなど関係ないだろう」

「ていうかさ、ランクDだったら、民間の幻蝕対策企業でも対処できるでしょ? なんでわざわざ私らが出動しないといけないかなあ」

「民間が対応できるのはランクEからだ。取り決めが交わされている以上、我々が出動する必要がある」


 割って入ったのは隊長の姫崎で、話題を打ち切るようにオペレーターに視線を向けると、次の救援要請の場所を確認した。


「イマジンプレイエンターテインメント社が運営する仮想空間です。MMORPG『エピック・ワールド・オデッセイ』第二エリアになります。管理者よりユーザーの待避ログアウトは完了しているという報告を受けました」

「空間探索は完了しています。幻蝕ランクは不明」


 若い女性オペレーターの声に、姫崎が小首をかしげる。


「判定ができないのか?」

「はい、コンピューターによる解析を何度か試みましたが、いずれも解析不能と」

「ふむ……」


 顎に手を当て、思案顔を浮かべる姫崎から離れた席で、痩せぎすの男性オペレーターが隣に座る隆々とした肉体美を誇るオペレーターに話しかける。


「次の出動で何体目の幻蝕討伐だっけ? 十二体目?」

「十三体目。一日の出動回数で言えば、特機のレコード記録タイだな」

「十四体目出現で新記録なるかってところかあ」

「賭けますか?」


 さりげなく加わったのは真澄で、そのいたずらっぽい声に痩せぎすのオペレーターは頬を緩ませた。


「なになに、まっすーがそんなことを言うなんて珍しいじゃない。どしたのよ」

「連続出動で、いい加減、気が滅入っていたんですよ。なにかしら気を紛らわせたくて」

「いいねえ。じゃあ俺は新記録更新にケンタッキーのランチセット三日分で」

「オレも新記録更新に乗った」

「じゃあ僕は次で終わるほうに賭けますよ」

「ちょっと、なにおもしろそうなことやってんのよ。私も混ぜなさいって」

「……お前たち、いい加減にしておけよ?」


 姫崎がにらみを利かせると、オペレーターたちは慌ててディスプレイへと視線を戻した。美雨のつまらなそうな声を無視するように、クールビューティで知られる特機の隊長は冷静に続けた。


「連戦で疲れているのは承知している。だが、気を緩めるな。危険はどこに潜んでいるかわからないのだからな」

「りょーかーい」

「失礼しました。了解です」

「了解しました」

「よろしい。転送プロトコルを開始する。特機、次の現場へ出動せよ」


 程なくして三人の身体が光に包まれると、任務を終えた場所からその姿を消し去った。忌々しい出来事が待ち受けているとは知らずに。

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