まだ始まらない物語

凍花星

第1話 双子

「あ、上様! おかえりなさいませ!」


「……ああ、カノンか。どうしたんだ? 何か良いことでもあったようだな」


「そうなのです! 上様、カノンはついに決めたのでございます」


「何をだ?」


「上様、カノンは『女の子』になりとうございます」


「……! そうか、なら上様は『男の子』だな」


「本当ですか⁉︎ ありがとうございます! カノンは嬉しいです! 『お兄様』!」


「こら、気が早いぞ、カノン。誰かに聞かれてはまた何か言われてしまう」


「えへへ、今はカノンと上様しかいないではないですか。ちょっとぐらい、ね?」


「全く……これからが思いやられるぞ。我が『妹君』様」


 そう言ってこてんとした頭を撫でてやると、カノンはまた顔を綻んで笑った。私とお揃いの銀髪は絹のように細く柔らかい。カノンが髪を伸ばしたいと言ってから私も一緒に伸ばしていた。それだと言うのに私の髪はまだ肩につくほどで、対するカノンはもう腰に届く長さである。私を見上げた金色の湿った瞳は私を早く「お兄様」と呼びたくてしようがないようだった。


 双子の名ばかりな「上様」。母上のお腹から数秒早く出てきた私はカノンの「上様」で、カノンはこの国の「末様」。そして、私たちは明日神に「性別」を乞う。私は「男」を、そしてカノンは「女」を乞うて、この国には一人の王子と一人の王女が誕生する。私はついにカノンの「お兄様」になり、カノンはこの国で唯一の「お姫様」となる。しかしこれもそれも皆周知の事実。この国の誰もがそう思って今日を、そして明日を迎えるのだ。


 この国の歴史には二人の英雄と二人の悪党が登場する。国を裏切り、皆を窮地にまで追い詰めた悪党は「女」を乞うた双子。そして、国のために立ち上がり、悪を滅ぼしたのは「女」と「男」をそれぞれ乞うた双子。だからこの国は皆双子が生まれると、それぞれの子を「女」と「男」にするべく、幼い頃から言いつける。


 王族の私達でもそれは変わらず、私達は今日も御伽噺のような歴史たちを聞かされる。ベットに寝かされ、眠気漂う私と違って、カノンは毎晩飽きもせずに目をキラキラさせている。特に囚われのお姫様を双子の男の子が助けに行くところなんかは「ねぇ! そこもう一回!」と興奮した様子で読み聞かせの侍女に言う。


「ふふっ、末様は本当にお姫様がお好きなんですね」


「ううん、カノンが好きなのはお姫様じゃないよ。カノンが好きなのはお姫様を助けてくれるかっこいい王子様なんだよ」


「そうなんですね。では、末様の王子様は……」


「そう! 上様なの!」


 そう言って期待した目で私の方を見る。


「……そうだな。そろそろ時間だ、カノン。また明日にでも読んでもらおう。貴女ももう下がってくれ」


 では、失礼しますと、侍女は部屋を出ていった。


「カノンも自分の部屋へ戻りなさい」


「えー、嫌ですー。カノンは今日上様と一緒に寝たいんです!」


 拗ねたように言うと、カノンは小さなほっぺを膨らませて見せた。だが、この仕草は拗ねていると言うよりも、カノンが誰かに甘えようとする時のだ。


「昨日も一緒に寝てたではないか」


「でも明日は神様にお祈りを捧げる日ですよ。カノンは神様がちゃんとカノンのお願いを聞いてくれるか心配で、心配で、夜も眠れないのです」


 いつも肝が据わっているというか無鉄砲というか、その好奇心だけを頼りに突き進んで行くのがカノンだ。心配などと言うのは嘘だろう。だが、明日だ。明日で決まってしまう。私は本当にこのままでいいのだろうか。このままカノンの「お兄様」になってしまっても……


「上様?」


「あ、ああ、なんでもない。仕方がない。今日で最後だ」


 なかなか返事をしないからか、心配そうに覗き込んでいた顔は私の一言でぱあっと明るくがなった。心配で、不安で、眠れないのは、私の方だ。カノンの言葉を利用して私は温もりを手にする。誰かと一緒に寝ていた方がこの不安もきっと和らぐことだろう。そう思って目を閉じた。


 私たちは双子だ。真っ白な髪の毛に蜂蜜色の瞳。通った鼻筋と傷を知らない玉の肌。左目の下に一つと、右の耳たぶの後ろに二つ並ぶ小さな黒子。笑えば左の頬に小さなえくぼがで現れる。これほどまでに似通った容姿をもっていても、皆私とカノンを間違えはしない。全くと言っていいほど性格が違っていたからだ。カノンは昔から明るく、基本的に誰に対しても笑っていた愛嬌のある子だった。対して私はどちらかというと、他人との関わりを拒んで図書館に篭っていた静かな子だった。別に勉学を好んでいたわけではない。ただ、幼いなりにカノンと自分の違いに葛藤していたのだろう。私はカノンの「上様」だ。カノンは皆から「末様」と呼ばれているけれど、私を「上様」と呼んでくれるのはカノンだけだった。私があの輪の中に入っても、皆気を使うだろう。そう言って窓を眺めていた自分を慰めれば、私はまた本の世界に耽っていた。


 気づけば「上様」だった私は密かに城内で「王子様」と呼ばれるようになった。だが、神から「性別」を与えられる前に他人の性別に対して言及するのは大変失礼な行為だ。だから本当に密かに、だ。


 ではどうして私までが知ってしまったのか。それはある日、廊下を歩いていると、向こう側からカノンの侍女が私を見て、ひそひそと何かを話しながら小走りで通り過ぎていったからだ。臆病な私は人とは関わりたくないにしても、人からの評価も気にしないわけにはいかなかった。こっそりと厨房までつけて行けば、侍女たちが私のことを「王子様」と呼び、カノンのことは「姫様」と呼んでいた。今までカノンと比べられたくなかった私だったが、その会話には不思議と嫌な気持ちを抱かなかった。


 その噂を聞いてなのだろうか。王子様が大好きなカノンは図書館に来る回数が増して、私と話すようになった。カノンと一緒にいると、さらにそう見えるようで、侍女達の噂話はもっと広まって、ついには国中が知るようになっていった。カノンと話すようになったと言っても、私は構われる理由もわからずしどろもどろだった。だが、考えてみれば家族なのだから、このくらいは普通なのだろう。だんだんとカノンと話すことは今までも当たり前のことだったかのように私の生活に溶け込んでいった。


 カノンはいつも笑っていた。私が彼女に戸惑っていた頃だって、彼女はずっと笑っていた。話すと言うよりも話しかけられる方が多かった私にとってカノンとの会話は一字一句が試練であった。そんな私が言葉に詰まっていても嫌な顔一つせずに頷きながら待ってくれる。そして私がやっとのことで絞り出せた答えにもいい加減な相槌なんて一度も打ったことがない。おかげで話すことが随分と苦ではなくなったものだ。


 一度だけカノンに聞いてみたことがある。


「どうして、人と話すのが怖くないんだ?」


 初めての質問にしては随分と妙なもので、カノンにはきょとんとした顔を向けられた。


「では、どうして上様は人と話すのが怖いのですか?」


「だ、だって自分の言いたいことをはっきりと言葉にしてしまっては相手も困ってしまうだろ?」


「どうして?」


「どうしてって……。私達は王族で感情を表に出してはいけないんだぞ? それに王族の言葉の重みを私は耐えきれない。一度の失言で一生の笑われ者になってしまう。私は彼らがそうやって私達を今も裏で笑っているのではないかと、恐ろしくてたまらないのだ!」


「……。……」


 二人の間に沈黙が流れ、熱弁してしまった私は急いで取り繕った。


「わっ私が悪かった。変なことを言って――」


「そんなことないですよ! 上様!」


 はっきりとした明るい声で否定され、私は驚いてカノンの方に顔を向けた。見つめ合う私と同じはずの蜂蜜色の瞳はなぜかとても輝いていて、この時ばかりはカノンのことがこの上なく頼もしく目に映った。


「そんなことないです。上様。上様はこれまで私と違って沢山頑張ってこられた。剣だって魔術だって、勉学だって。みんな知ってます。だからみんな許してくれますよ、失言なんて。それにそんなこと気にしていたらきっとカノンは明日からおしゃべりできなくなってしまいます! カノンはカノンの思ったことを口にしてしまうのです! でもメイドさんや騎士さんから一度もお咎めなんてもらったことございせんよ! 確かに王族は大変で、母様も父様も苦労なさってますけど、上様なら大丈夫だと、カノンにはわかります。それでも噂されたら! カノンが王族パワーでみんなをアヒルにしてやりますよ! 何を言われたってカノンは上様の味方ですからね!」


 王族パワーって、とてつもなく真面目な顔して言われて私は思わず笑ってしまった。カノンはしまった! と慌てた顔をしていたが、私は構わず笑ってしまった。


「上様」


 私の手を取り、カノンは顔を覗き込んできた。


「カノンは馬鹿だから王族の責任とか、使命とか、正直言ってよくわからないです。だから上様がお気になさっていることも考えたことありませんでした。でもカノンはせっかく上様と一緒に生まれてきたのだから、毎日楽しく過ごしていきたいです。カノンは一度しかカノンになれないし、上様も一度しか上様になれないんですから、周りなんて気にしないで笑っていきましょうよ」


「そうだな……」


「そうなんですよ! きっと! ……ってあ!『どうして、人と話すのが怖くない』かって話でしたよね! えっと、えっと……!」


 カノンは必死に考えていたが私にはもうもはやそんなことどうでもよかった。「もういいよ」と言えば、カノンは目をうるうるさせ、呆れられたのかと思ったようだった。優しく頭を撫でてやり、カノンに怒っているわけではないと伝える。呆れたわけじゃない。でも本当にもうどうでもよくなったんだ、と。


 カノンはそんなこと考えたこともないと言う。こんな真剣に悩んできた私の方が馬鹿みたいだった。だってわかってしまったのだ。どうしてカノンが次期「姫様」だと言われているのかが。今まで、カノンを知りも知らないで「私とは違う」と言っていた勝手な憶測で固められた防具はもう身につけられなくなった。まるで物語の中から飛び出てきたようなまさに人から愛されるべき存在、そして人を愛することができる存在。それがカノンだったのだ。


 だから私は本当にどちらでも良かった。そう思っている。カノンが「お兄様」と呼びたいのなら私は「お兄様」でも良かった。「お姉様」でも。だが、


「全くかの方は本当に優秀ですな」


「これでこの国の未来も安定ですね」


 そう言われるたびに私は未来の王となるための選択を期待されているのだとわかってしまう。それは私にとってただの枷にしかなり得ないのに、彼らの想像はとどまるところを知らない。私が「お兄様」になるのは、カノンが「姫様」になるためであり、国に「王子様」を誕生させるためではないのに。彼らは私に理想を押し付けてくる。そしてその期待が外れれば、彼らは口々に言うだろう。「あれを王にしたのは間違いだった」と。


 カノンと話してからも私の考えが変わることはなかった。いや、変える必要がないのだとわかった。カノンはカノンで、私は私だ。私はカノンのようにはなれない。双子でも私達は完全に違うものだった。だから羨ましがることなんてない。カノンがこの物語の主人公だったというだけの話。だから私はカノンの望みを叶えてあげる。カノンが私をこの外の世界に連れ出してくれた恩返しに。ただ、


あの子はどう思うのだろうか……


それだけが気がかりだった。

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