第20話 おじい様の鉄槌

「国王陛下」

 今までアインホルン公爵に、僕の呼び方の訂正を求めて以来、ずっと沈黙を守っていたおじい様が、低い声で国王陛下に語り掛ける。

「四年前、貴方はアルベルト殿下が話した内容の誓約書にサインをされたことを覚えておいでか?」

 もうなにもかもすっ飛ばして、国王陛下がやってしまったことの意味を叩きつける気でいるな、これは。

 王妃様はもう自分の腹をくくったのか、背筋を伸ばし、瞼を閉じて、おじい様の言葉を聞く態勢に入り、宰相閣下は深く息を吐いてから、顔をしかめたまま口を閉ざすことを選んだ。

 誰も国王陛下に援護の手を差し伸べることはしない。

「お答え下さい」

 おじい様の促しに、気圧されながらも、国王陛下は答えた。

「も、もちろんだ」

「さようですか。では、そのサインが、どんな意味を持つものか、ご理解なさっていますか?」

 国王陛下はおじい様の言葉に、何を言ってるんだとそんな表情になる。あ、これはもっとひどいことを言われると思ったのに、肩透かしを食らった感じになったな?

 でも、おめー、本当の意味で、あのサインのことわかってねーからな?

「あ、あぁ、それは、もちろん」

「では、そのサインの意味をお答えください」

「なにを……」

 これは、あれだ、単純に、自分のサインが、あの書類の内容を了承するものだけだとしか思っていない。

「お答えください」

 おじい様の圧に国王陛下の喉が、ぐぎゅうっとなる。

 んな怖がってたって仕方がねーでしょうよ。さっさとお答えしなさいよ。言っとくけど、宰相閣下と王妃様のフォローは期待すんなよ?

 ふたりとも、おめーが本当の意味を知らないで、あの誓約書にサインしたことに気づいて、その迂闊さにあきれてるんだよ。

 わかってねーのは、おめーだけだからな。

 そしておじい様は、おめーの迂闊さに、これから鉄槌を落とす気満々だ。

「リュ、リューゲンが、王にならず王籍を抜けるという、了承のサインだろう」

「えぇ、そうです」

 間違ってなかったと、ほっとした国王陛下に対し、おじい様は言葉をつづけた。


「すなわちそれは、貴方が、第一王子殿下の父親であることを放棄すると、そういう意味でもあります」


 おじい様の言葉に、国王陛下は、はっ、と小さく声なのか息なのかわからないものを漏らした。

「な、なにを」

「あれは、そういう誓約書です。第一王子殿下が成人したあと、王籍を抜けた王族として、フルフトバールを侯爵から大公へ陞爵させて継ぐのではなく、マルコシアス家のアルベルトがフルフトバール侯爵になる。貴方のサインは、王族のリューゲン・アルベルト殿下をマルコシアス家のアルベルトにすると、お認めになるものです」

「な、なんでそうなる!」

 いや、こっちが、なんでそれがわからないって、言いたいわ。


「母上はマルコシアス家の直系ですよ。直系の唯一の姫です。母上の子である僕が王にならないのなら、マルコシアス家の姫の子として、マルコシアス家の当主になるのは当たり前のことじゃないですか」


 成人したら王太子にならず王籍を抜ける。それはマルコシアスの人間だから、成人したら王籍から抜けてフルフトバールに帰るよってことだ。

 何をどう考えたって、あの時点で、僕が王籍を抜けるのは無理だった。

 だって、いまだ国王陛下の子供は、僕とイグナーツくんの二人だけで、二人だけしか王家の子供がいない中、その中の一人を外に出すなんて、僕やおじい様はよくても、他はよくないだろう。国議では絶対承認されない。

 しかも王妃様、いまだ二人目を懐妊する兆し無し。

 だから僕が王籍を抜けるという認証を取るハードルを低くさせるために、成人したらっていう文言をいれたのだ。

 宰相閣下があの時ものすごくぐずっていたのは、僕を王にさせるべきっていう思いも強かったけど、このことがわかっていたから。

 だけど親である国王陛下が、自ら僕を手放すサインをしてしまったのだから、宰相閣下が何を言おうと、これはもう覆らないのである。


「俺はそんな意味でサインをしたんじゃない!」


 国王陛下は声を荒げ否定する。あの誓約書にサインしたら、僕が自分の子供でなくなるのではなく、単純に継承権の優先位がイグナーツくんになるだけだと、思ってたんだろう。けど……。


「でも、サインするのに躊躇わなかったですよね?」


 僕がそう言うと、国王陛下はあからさまに肩を震わせ、信じられないと言いたげに僕を見た。

「国王陛下のお答えは、もうそこで出てるじゃないですか」

 僕に対して、肉親の情があるとか、言わないでほしい。僕の父親であることを怠ったのは、国王陛下だ。

「答えって」

「国王陛下にとって、僕も母上も、邪魔だったんですよね? 国王陛下の寵愛を欲しがる母上が、王妃殿下に何かするのではないかという懸念。王妃殿下との間に出来た第二王子殿下をご自分の後の国王にしたいという願望。そう言った問題が、あの誓約書にサインすればすべて解決する。だからサインしたんですよね?」

 もうさ、僕に対しての良い父親のふりとかしないでよ。そんなん誰もおめーに期待してないんだって。

「ち、が、ちがう、そうじゃ、そんなんじゃ……ない、俺は」

「やめてくださいよ、そんなこと言うの。違う、ことはないですよね?」

 なのに、それを否定するのはさぁ……、ほんと良くないよ、そういうのは。


「違う、本当に、そんなことは、思ってなかったんだ! そんな意味で、サインしたんじゃない! たしかにお前とイグナーツとの対応に差はあった! それは認める! だが、いらないだとかそんなことは思ったことはない! お前のことだって、ちゃんと俺の子だと思っているんだ! だから、王になれないお前の為にと思って、アインホルンとの婚約を結ぼうとしたのだろう!!」


 うわ……、それはねーわ。おめー、それを聞いたら僕が感謝するとでも思ったか? 宰相閣下や王妃様が、おめーのやらかしをいいように受け取るとでも思ったのか?

 何よりもおじい様が、許すと思うか?


 僕もおじい様も、宰相閣下も王妃様も、誰一人、僕の親としてのおめーを見直したりなんかしねーわ。それどころか、国王としての仕事はできるくせに、なんでこんなことを考えてるんだって、あきれるしかなかった。





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