09 不十分な告白

【ぼく以外の人間には会ったの?】

【レオシュだけよ】

 意味がないことだとは分かっていても、彼は、その言葉にどきりとした。

 こんな風に会話らしきものを繰り返し、ほんの少しだが親しくなれたとは思うが、しかしそれは、境界を隔てて束の間の時間を過ごしただけだ。

 まして、彼という個人である必要などまったくない。ルジェーナとの関わりを、もっと深く、もっと長くしたいというレオシュの勝手な考えは、叶えられない希望のように思えた。

 彼は必死で次の言葉を探していた。

 そして彼女も沈黙していた。レオシュのように言葉を探しているのではなく、気持ちがそこにないかのようだった。

 ルジェーナの視線は、また針葉樹の梢に留まっていた。

 自分に関心が向いていないことに苛立ち、こちらに気持ちを戻そうと考えてはみるものの、何かを言って、この大切な時間が壊れてしまう方が、恐ろしいとレオシュは思っていた。

 しかし、何も言わずにはいられなかった。手を振ってこちらに彼女の視線を戻すと、

【どうしたの?】と聞いてみた。

【ううん、何でもない】

【それならいいんだけど】

 ルジェーナは、モニターの右上をちらっと見たようだった。

【もうこんな時間。帰らないと】

【うん】

【じゃあね】

 レオシュは勇気を振り絞って、

【また、会える?】と言ってみた。

【そうね。また会いましょう】


 レオシュは、彼女が毎日来てくれると期待してはいなかったが、それから十日ほど、一日だけを除いて、ルジェーナは決まった時間に、境界に現れた。

 彼女は、週に一度しか自分のドームには帰らないらしい。それ以外は、近くにある仮設の研究施設にいるようだった。

 交わされたのは、ほとんどが取り留めのない内容ばかり。お互いの食生活や交通手段、本や服や、ネットでの話題など、特別な意味を持たないことがやり取りされただけだが、彼にとっては何よりも充実した時間に違いなかった。


 その日、彼女の表情は最初から硬かった。

【あのね、レオシュ】

【?】

 一瞬の間を置いて、ルジェーナは、

【私を助けてほしいの】と、わざわざ手書きで打ち込んだ。

 急に想像もしていなかった言葉を見せられて、レオシュは動転した。

【どういうこと?】

 しかし、聞いたのはそれだけだった。

【力を貸してほしいのよ、レオシュに】

【ぼくにできることなら】

 彼は軽い調子で笑顔を向けて、そう言ったが、ルジェーナの表情は、話が深刻であることを物語っていた。

【少し長くなるけど、まずは私の話を聞いて】

【いいよ】

 彼は、勢いに押されるように即答してしまった。笑顔もきれいだけど、真剣な顔も美しいな、などと余計なことを考えていたから、反応がいい加減だったのかも知れない。


【私のドームでは、最近、急に人口が減り始めたの。もう大きな社会問題になってる】

【ひょっとすると、VGのせいで?】

 レオシュは、彼女と彼女の所属するドームの人々に同情した。

【いいえ、そうじゃないことは分かってる。疫病でもない。これは人間という動物が持っている特性のようなものなの】

【人間の特性?】

【そう。小さなドームの中で、孤立したまま暮らしていたせいだと思う】

【そうなんだ】

【そうよ。このドームもね】

 ルジェーナは境界を見上げた。

【えっ?ここも?】

 レオシュは他人事だと思っていた。

【そうよ。人間である以上、別のドームでも同じこと。ほかのドームでも、きっと、そのような傾向が現れ始めているはず。もしかすると私のドームよりも顕著で、すでに手遅れのところもあるかも知れない】

【あっ】

【どうしたの?】

 首を少しだけ傾けたところも愛らしい、とレオシュは思ってしまった。

【そう言えば、最近そんなニュースを見たような気がする。人口の減少がどうのこうのって。でも、そんなに深刻な雰囲気じゃなかったよ】

【人間が一生暮らすには、ドームは十分な大きさがある。でも、人類が何世代も生き継いでいくには小さ過ぎるのよ】

【血縁が濃くなり過ぎるから?】

【そういう問題もあるけど、ドーム内では、人口も限られるし、生活範囲も限られる。きっと、そんな風に生きていくようには、そもそもヒトという生物はできていないんだと思う】

【でも、大昔だって、小さな島とか、山間の寒村とか、狭い地域に少人数だけで暮らしていたことがあったって、スクールで習った気がするけど】

【そういう島や村だって、完全に閉じていたわけではなかったでしょ。空間的にも、人や物の交流という意味でも。ドームは密封されていて、外界から完璧に遮断されている。その完璧さが、行き過ぎているのよ。私のドームは、もう深刻な状態なの】

 レオシュにも、何となく危機感が伝わってきた。

【ルジェーナは、どうしてそんなに詳しいの?】

 先ほどのからの疑問をぶつけた。

【私、人類学者なの。文化も多少は研究するけど、主に生物としての人類を研究する学者】

 彼は、これまで何度、ルジェーナに驚かされただろう。

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