ねこのみみ

五天ルーシー

第1話

 「いっけない~、こぼれちゃった」

「エイミンはおっちょこちょいだなぁ」

「やだぁ、ガイアス様ったらぁ。そんなとこ触らないでぇ~」

「ははは、拭いてあげてるだけだろう」


人目もはばからずいちゃつく男女を前にして、リリアナはため息と気付かれぬように息を深く吐き出した。


 今日は婚約者の屋敷での茶会、なのだが、なぜか婚約者ガイアス・テイラーの隣にはリリアナではなく可憐な黒髪の少女が座っている。


 その少女は名をエイミンと言うらしいのだが如何いかんせん、それをリリアナが知ったのはつい先ほど、なぜ彼女がここにいるのかさえリリアナにはわからない。


(いえ、だいたいの予測は付くのだけど…)


昨今、あちらこちらで聞こえてくる婚約破棄の話。事実、つい先月も親しい友人、ディアナの婚約が白紙になったばかり。


 鼻の下を伸ばして女のドレスをぬぐう婚約者を胡乱気な眼差しで見ていると、エイミンと視線が絡んだ。


 ボブに切り揃えたサラサラヘアを揺らして、フフン、と片頬を押し上げて流し目をくれるエイミン。


(ホント、猫みたいね、殿方はこういう仕草に弱いっていうのは古今東西変わらないものなのかしら…)


怒る気も起きずリリアナは本日何度目かのため息をついたが、今度ばかりは婚約者の耳にも届いたようだ。


「おい、リリアナ、そのこれ見よがしのため息は何だ!お前は今日も俺をバカにしやがって…少しはこのエイミンを見習って可愛げでも身につけたらどうなんだ?」

「ガイアス様ぁ~、リリアナ様を責めないであげてください~。突然押しかけたエイミンが悪いんですからぁ」

「エイミンは可愛い上に優しいんだな!」


婚約者はエイミンの手を握りながら、感動に目を輝かせて少女の顔をのぞき込んだ。


(なるほど、エイミン嬢は一つも間違ったことを言っていないのだけど…)


ガイアスはエイミンのふわふわな耳を優しくくすぐった。


「いやーん、そこはだめニャー」

(えっ、突然猫語…?)


リリアナは呆れを通り越して虚しさを感じつつ、冷めきったお茶を啜った。


 リリアナの暮らすマナデュース王国は大陸の北方に位置する中堅国だ。


 気候はやや冷涼ながら、四季に恵まれており農業にも向いている。西北部を深い森林に囲まれているおかげで周辺国の脅威も少ない。そもそも王家の者が代々優秀で、外交政策に長けているということもあり、ここ数百年は大きな戦乱などもなかった。


 ところが今から百余年前、何人なんぴとをも寄せつけぬと思われていた森林の向こうに、人の住まう国があることがわかった。


 森を食い扶持ぶちとする木こりの男たちが、迷い出て来た一人の女性を保護したことが始まりだった。


 当時王国は大騒ぎになったらしい。未開の森の果てにかなりの文明国家があることがわかったのだから無理もない。


 その後にもたらされた情報も衝撃的な物であった。


 かの国の名はイミモケン王国といい、女王が治める国であった。否、女王だけではなく側近から役人、商人に至るまで女性が占めていた。そう、イミモケンには男性がいなかったのだ。


 彼女らによると、しばらく前になぜか男性だけが途絶えてしまったという。窮地に立たされた彼女らは外の世界へと助けを求めることにした。そうして運の良いことに、一人の女性が命からがらマナデュースに辿り着き、保護されたのだった。


 初めはマナデュース側も未知の病気などを警戒していたが、その後特に男性たちにそれらしい徴候も現れず数世代が過ぎた。マナデュースの医師たちは、彼女らはわが国の人間とは少々違う、それゆえ例え未知の病原体があったとしても我々には感染しないのだろう、そう結論付けた。


 確かに彼女らはマナデュースの、いや、こちら側のどの国の人間とも違っていた。


 彼女らの頭には猫のような耳が付いているのだ。皆一様に柔らかな黒髪をして、そこから同じ毛色の猫耳が生えている。さらにはアーモンド形の大きな目と小さな鼻と口、まさに子猫のような可愛らしさを備えた者が多い。


 それ以来、両国は交流を続け、マナデュースの貴族の中にはイミモケンの女性を恋人や伴侶にするものが現れた。今やそれがトレンドになっていると言ってもいい。


 ハノーバー伯爵令嬢リリアナは今日もため息を吐く。


「リリー、そんな婚約者、こっちからフッてやりなさいよ」


憤懣ふんまんやる方ないという様子で友人のマルカがぐびっとカクテルをあおった。


「本当にね、男っていうのは何であんな女にコロッと行くんだろうね」


他人事のように言っているのは、ついこの間、婚約者を猫耳女子に取られた伯爵令嬢ディアナ・パーカーだ。


「全くよ!あいつらわざわざ婚約者のいる男性に近付いて行くのよ、そうとしか思えないわ…けど知ってる?何年か前に、婚約者を捨ててイミモケンの令嬢と結婚したドートレル侯爵様の所、三人目のお子さんも女の子だったらしいわよ?きっと猫の呪いよ!」

「ハハ、呪いって…別に女性だって爵位を継げるんだから問題ないだろう?」

「それでも腹が立つのよ!ああ、猫が嫌いになりそう!」

「ふふ、マルカったら。猫は関係ないでしょう?あの人たちは猫じゃないんだから…」


無関係な猫が万が一にも被害にあっては可哀想だ。


「んもうっ、リリーったら人が良すぎよ…」

「でもねぇ、ガイアス様は侯爵だから…こちらからは断り辛いのよねぇ」

「そっか…ご両親を亡くして継爵したばかりだったわね…」

「ええ…だから少しでも力になれたら、と思っていたのだけど」


その必要もなかったみたいね、リリアナは力なく笑った。


「リリー…」

「私は大丈夫よ!もう少しガイアス様とお話してみるつもり」

「そ、そう。できることは少ないけど、愚痴くらい聞くからね!」

「ええ、ありがとう、マルカ…あなたは大丈夫なの?ディアナ」


リリアナは婚約がなくなってからも顔色一つ変えない、もう一人の友人を気遣う。普段からあまり感情を出さない性格だから、本当は傷付いているのかもしれない。


「ん?ふふふっ、問題ないよ。この際だから騎士団試験を受けようかと思って」

「まあ!」

「あら、いいんじゃない?ディアナならいけるわよ」

「ああ、ありがとう!」


ディアナは子供の頃から騎士になることに憧れていたが、父親のたっての願いで元婚約者の家に嫁ぐことになっていた。これを機に彼女が本来の夢を叶えることが出来るのなら婚約解消も悪くなかったのだろうか。


 今夜は某侯爵家で開かれる夜会に来ていた。


 リリアナはあまり乗り気ではなかったが、こうして友人とおしゃべりできるのは楽しい。


「あ…!」


その時マルカが小さな叫び声をあげた。


 彼女の視線の先にあったのは…可愛い猫耳少女を連れたリリアナの婚約者の姿だった。


「…あんの男!リリーのエスコートをすっぽかして、別の女とパーティーに来ているの?信じられない…」

「…そうね、今日は体調不良だから出られないと仰っていたのだけど…」


これは、次の話し合いもいい方向には進まないかもしれない、リリアナはまたため息をついた。

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