偽神動乱記録―発端

堂円高宣

偽神動乱記録―発端

〈流星雨の夜〉


 数日前から始まった射手座を放射点とする流星群は、その日、極大に達した。9月の初め、午後8時に南中した射手座の方向から、一時間に千個の流星が出現。もはや、それは流星雨と呼んでさしつかえない規模となった。


 「すごいね。こんなの見たことない」

 星野美弥子がはずんだ声をあげる。

 「本当だ、天文同好会の流星観測会には何回か参加したけど、一時間見て5、6個出たらいい方だったものね。こんな花火みたいな流星雨、きっと一生に一度しかであえないよ」

 槇村真治は胸の鼓動の高まりを感じている。珍しい天体ショーに遭遇した感動もあるが、主な原因は隣に立っている美弥子との距離の近さであった。美弥子と付き合い始めて3カ月、内向的な性格の真治にとっては初めてできた恋人であった。


 今日は真治の卒業した大学で催された室内楽の演奏会に美弥子を誘ったのだ。演奏会が終ったあと、真治は美弥子をつれて大学の裏手にある展望台に登った。大学は高台にあって、その構内にある展望台は照明が少なく星が良く見える。真治が学生の頃、所属していた天文同好会で、たびたび天体観測会を行った場所であった。夏も終わりに近づき、この時間になると暑さもやわらいでくる。展望台からは高台の下に広がる街の夜景と、その向こうにある海まで見渡す事ができた。海に向かって吹きおろす風が心地よい。


 射手座方面で、今までに観測されたことのない流星群が発生した、というニュースを聞いていたので、もしかすると流れ星が見えるかもと登ってみたのだ。でも、まさかこんな流星雨にであえるとは思ってもいなかった。放射点が低いので、上方に飛び上がってゆくように見える流星も多い、壮観な眺めである。


 「こんなに流れ星が出たら、願い事しほうだいだよね」

 「星野さん、どんな願い事をしたの?」

 「それはね、ひ・み・つ」


 真治は隣にいる美弥子の横顔をみつめる。くりくりした目を見開いて一心に夜空を見上げている、その顔がとても可愛らしく思える。不意に美弥子の手が、真治の手に触れた。真治は、その手をそっと握ってみる。美弥子が握り返してきた。真治の胸によろこびが溢れる、今まで誰かをこんなに愛おしいと思ったことはなかった。二人が見上げる空から、星の雨は衰えることなく降り続けている。


 美弥子が体を寄せてきた。真治はおそるおそるその腰に手をまわす。美弥子はいやがらない、自分にあまり自信を持つことのできなかった真治を、美弥子が受け入れてくれた。真治は、その時、うれしさと共に、生きることの意味が初めてわかったような気持ちになった。この人とずっと一緒にいたい。流れる星の下で、真治はそう思った。


 国立天文台では、複数地点で観測された射手座流星群の軌跡から元の流星物質の軌道を割り出した。奇妙なことに、それは予想されたような楕円軌道ではなかった。射手座方向から直線状に地球に降り注いでいたのである。つまり、それは、彗星由来のものではなく、太陽系外の宇宙空間から飛来したものと推定された。流星雨となる程に濃密な宇宙塵の流れであったことから、微隕石の探索が行われた。この流星群由来のものとして同定された微隕石からは、アミノ酸や核酸などの有機物が検出された。


 その年の秋、風邪に似た病気を発症する人たちがいた。と言っても微熱が2、3日続くくらいですぐに回復し、重症になる人はいなかった。未知のウイルスによる感染と思われたが、感染してもごく軽微な発症に終わったため、詳しい調査が行われることもなく時が過ぎた。


〈一年後〉


 一緒に流星雨を見た日から一年の後。真治と美弥子は結婚して、美弥子は妊娠し、臨月を迎えていた。

 その日の朝、真治は陣痛が10分間隔となった美弥子をクリニックにつれていった。真治も出産に立ち会う予定である。勤め先の大学に休暇申請の連絡を入れてから、一緒に分娩準備室に入る。


 「美弥子さん、大丈夫?だいぶ痛む?」

 「痛い、とても痛いの」

 「がんばれ、呼吸法だよ、一緒にやろう」

 真治は美弥子の手を握って、背中をさすりながら一緒に母親学級で教わった呼吸法を実施する。陣痛は周期的にやってくる。来るたびに次第に大きくなるようで、美弥子は時々小さなうめき声を上げる。美弥子のおなかにいるのが女の子である事は、超音波診断の結果でわかっていた。自分がもうすぐ父親になる事が、真治にはまだ信じられない気持ちだ。でも、その前に美弥子はこの試練を乗り越えなければならない。


 夕方になって、陣痛の波が高まって来たようで、美弥子のうめき声が大きくなる。そろそろ分娩室に行きましょう、との助産師の言葉で、美弥子と真治は分娩室に移動する。看護師が真治を美弥子の頭の位置に案内してくれた。

 「まだ、ですかっ」

美弥子が苦しそうに助産師に聞いている。

 「もう頭が見えていますよ。もうちょっと、がんばって」


 美弥子や真治、それに助産師や看護師も加わって皆で呼吸法を行った。苦しいのは美弥子だが、この場にいる全員が新しい命の誕生を待ちわびている。

 「赤ちゃん出てきたよ。ほら、もう少し」

 助産師の応援の声が大きくなる。看護師が医師を呼んだ。美弥子が必死にがんばっているのが分かり、真治も思わず力が入る。いよいよなのだ。生まれたら、なんと名前を付けよう、美弥子から一文字もらってミキとかミクって名前がいいな。


 「生まれたよ!」

 助産師の声に、美弥子の苦しそうだった表情が一変し大きな笑顔に変わった。新しい命をこの世に送り出した安堵と喜びで、その目に涙が浮かんだ。真治も目頭が熱くなる。

 「おめでとうございます。20時5分です」

 出産直前に入ってきていた女医が、そう告げる。

 助産師が生まれた新生児を抱き上げて、やわらかい布に包んで体を拭いた。新生児は初めての息を吸い込んだ。そして産声を上げ始める。


 その時、異変が起こった。

 「熱い!」

 助産師が大きな声で叫ぶ。見ると新生児を包み込んだ布に火がついて燃え出している。火事?真治には何が起きたのか分からない。

 「赤ちゃん、どうなったの、私の赤ちゃん」

 美弥子の叫び声が聞こえる。その時、真治も激しい熱を感じた。見ると女医と助産師、看護師の着ている服が燃えている。三人とも大きな声で叫んでいる。美弥子が横たわっているベッドにも火が付いている。美弥子と子供を守らなければ、真治は美弥子の上に覆いかぶさる。炎はどんどん大きくなってくる。なんと炎の中心は、先ほど生まれたばかりの我が子であるようだった。その子の体を包む布は大きく燃え上がり、炎はまたたく間に分娩室全体に広がってゆく。


 とても熱い、子供が焼けてしまう、美弥子も焼けてしまう。自分の服も燃え上がっている。真治はパニックに陥った。目の前が真っ赤になり、もう何が起こっているのかを見る事もできない、ただ熱い、吸い込む息で喉が焼ける、意識が遠のいてゆくのを感じる。


〈アストロバイオロジスト〉


 「先生、隣の研究室の槇村助教がお亡くなりになったこと、聞いておられますか?」

 助手の緑川千恵子が声をひそめて話しかけてくる。

 「いや、初耳だ、いつのことだい?ついこの間まで元気だったじゃないか」

 甕星嗣みかぼし あきら教授は驚いて質問する。


 「昨日の夜なんですって。それが、たいへんな事件なんです。少し前から騒ぎになっている新生児爆発事件ってご存じでしょ。槇村さんも、この事件なんです。昨日、奥さまの出産立ち合いで産院に行かれてたんですが、分娩室全体が燃えて、その場にいた、ご夫婦と、産科の先生、助産師さん、看護師さん、全員がお亡くなりになったそうですよ。もちろん生まれたばかりの赤ちゃんも、ひどすぎますよね」


 甕星教授も槇村助教とは面識があった。幾分おとなしい印象であったが、真面目で、専攻している分子生物学の分野では高い実験・分析のスキルを持っていると聞いていた。つい1カ月前、生物学専攻課程の合同懇親会でも話をしたのだ。天体観測が趣味であり、甕星教授の研究分野にも興味を持っていると聞いて、教授も好感を抱いた人物であった。


 「なんだって、例の事件なのか。こんな身近でも起こるとは」

 「怖いですわ。これで4件目ですよ」

 「わが国ではね。でも、この現象が起こっているのは日本だけではない、世界中でもう100例以上が報告されている。全てが報告されているわけではないから、実際はもっと頻繁に発生してるのだろう」

 「何が原因なんでしょうか」

 「アメリカの調査では、これをパイロキネシス、火を発生させる超能力だと結論付けている。つまり生まれた新生児が能力者で、生まれたとたんに回りに火を付けている、というふうに考えられているんだ」


 「そんなオカルトじみたこと、本当にありえるんですか?」

 「どうだろう、しかし、発火の瞬間を捉えた映像記録もいくつか確認されていて、他の火元が考えられない事も確かなようだ。火が付くという事は、そのエネルギーがどこからか発生している事は間違いない。その発生のメカニズムを説明する事は今の私にはできないけれど、これが起こった原因については、かなり確度の高い仮説を持っている」


 「原因が分かったとおっしゃるんですか?いったいどんな?」

 「この事件が発生し始めたのは2カ月前からだ。それ以前には全く報告されていない」

 「2カ月前に何かがあったのでしょうか?」

 「そうではないな、ヒトが受胎してから出生するまでには約280日、9カ月と少しくらいの時間がかかる。つまり去年の秋以降に懐妊した子供を出産する時に、この現象が発生していると考えられる」

 「去年の秋?何かあったかしら?」

 「覚えているだろう、射手座流星群だ」

 「そうか、まさに今、先生が調査されている対象ですわね」

 「そうだ、あの流星群に由来すると思われる微隕石を調査するなかで、たいへん興味深い発見があったんだ」


 微隕石とは宇宙空間から地球に降ってくる微小な物質の事である。その量はかなり多く、地球全体では一日に100トンもの微小な隕石が降り注いでいると推定されている。1ミリから数センチメートル程度の物質であれば地球の大気に突入したときに燃え尽きて流星となるが、十分に小さなものであれば、大気圏突入時にもそれほど熱せられることもなく、塵として大気中にただよい、その後、地表に降り積もるのだ。

 甕星教授の専攻はアストロバイオロジ―、宇宙生命科学である。NASAの定義では「宇宙における生命の起源、進化、伝播、および未来」を研究する学問とされている。火星、木星や土星の衛星などの探査が現実的になり始めた現在、注目されつつある科学の分野だ。宇宙に行かずとも宇宙由来の物質を調査できる隕石の研究は、アストロバイオロジ―のなかでも古典的な研究手法の一つである。

 

 「これを見てごらん」

 甕星教授は緑川助手に自席のモニタ画面を示す。丸い粒が数個、映されている。粒の形はよく見ると少し角ばって見える。

 「何かのウイルスですね。正二十面体のカプシド(ウイルスゲノムを取り囲むタンパク質の殻)を持っているようです」

 「どこで見つけたと思う?」

 「まさか、射手座の微隕石からですか?」

 「そうだ、私も最初は地球由来のウイルスが混入したのかと思った。しかし、比較的大きな隕石の内部、大気にまったく触れていない部分からも見つかったんだ。あの流星群にともなって飛来したものに間違いないよ」


 「これが爆発事件の原因だと?」

 「おそらく、そうだ。今ペーパーも書いているが、行政にも連絡して調査を始めてもらっている。このウイルスが原因となった感染症が発生しているかもしれない、それが、親の生殖細胞に作用して、胎児に影響を与えたのではないかと考えている」

 「胎児に影響?それで超能力が発生するんですか?まさか、そんな非常識なこと。トンデモなSF映画とかの観すぎなんじゃありせんか?」

 「そうだといいのだが」


 「でも、天文台の発表では、あの流星雨の発生源は深宇宙、太陽系の外から来たって言ってましたわ。それなのに人間に感染するようなウイルスが含まれていたなんて、不自然じゃありません?」

 「パンスペルミア(宇宙汎種)だよ。地球生命のそもそもの発生が、同様に深宇宙にその源を持っていたとしたらどうだい。そうであれば宇宙由来のウイルスが、地球の生命に影響を与えうるDNA配列を持つことに不自然さはない」

 「しかし、ウイルスが運ぶDNA量など、たかが知れてます。人間に超能力を持たせるような劇的な変化を与えるのは、無理なんじゃありませんか?」

 「おそらく、その能力は元々われわれの遺伝子に秘められていたのだと思う。長い人類の歴史のなかでは、奇跡と思われる現象を起こした人物の記録はたくさんあるからね。ウイルスは解発要因なのではないかな」


 「では、宇宙由来のウイルスが、たまたま超能力発生の引き金になったのだ、とおっしゃるんですか?」

 「そんな偶然こそ、起こりそうにないだろうね。ここからは私の想像だが、この流星群が地球に降り注いだのは、何者かの意図するところだと思う。ウイルスもその何者かがデザインしたものだろう、これはある意味、深宇宙からの遺伝子侵略といった事態ではないかと考えているんだ」

 「深宇宙からの侵略?ますますトンデモな話のようだわ。いったい射手座の方向に何があるというのですか?」

 「何があるのかまではわからないよ。でも射手座は銀河の中心を向いるからね。つまり星がたくさんあるんだ。恒星間の距離は遠い。今回の流星群がどこから来たにせよ、数千年、あるいは数万年越しの計画であったに違いない。地球生命の発生も計画の一部であったなら数十億年単位の計画なのかも知れない」


 「仮に先生のおっしゃる事が事実だとして、その何者かは、何の目的があって、こんな事をするのでしょうか?」

 「現時点では、それについては全くわからない。情報が少なすぎるんだ。先ずはウイルスの分析、感染規模、作用のメカニズムの解明を急がなくては。超能力といえども現実の世界で、なんらかの原因と法則に基づいて起こる現象には違いない。科学によってそれを解明し、問題を解決することができるはずだ。しかし、どうもこれは人類史史上最大の危機になるような気がしてならない。あるいは人類は試されているのかもしれない」

 「試されるって?いったい何を?私たちを生み出した神が、私たちを試しているとおっしゃるのですか?」

 緑川千恵子の問いに、甕星嗣は答えない。今はまだ、答えられない。


〈18年後〉


 山戸隆司は不安な気持ちで車を走らせている。隣の助手席には妻の千恵子が、後部座席には、この春、中学生になったばかりの息子のたけると、二歳年下で千恵子の妹の娘である美橘みきが乗っている。午前1時を過ぎて、後部座席の子供たちは眠っている。


 「心配だわ。本当に、この選択で良かったのかしら?」

 千恵子が小声で不安そうにささやく。

 「しかたないんだ、この子たちが生き延びるには、こうするしかないんだ」

 隆司の声も緊張で少しかすれている。

 「でも、もしかすると今後、遺伝子治療の道が見つかるかもしれない」

 「健や美橘には間に合わない。検査を受ければ、必ず収容施設送りだ」


 射手座流星群に起因する遺伝子の変異は、その後の人類社会に大きな影響を及ぼしつつあった。この流星群がもたらしたウイルスに、全人類の約半数の人々が感染したと考えられている。両親のどちらかが感染者であると、その子供には0.05%ほどの割合で、異能を持った変異種が生まれる。新生児爆発を引き起こすのは、その内ごく一部であり、ほとんどの変異種たちは幼児の頃は普通の子供と区別がつかない。だが、成長のいずれかの段階で、その能力は発現してくる。

 幼児期に発現する場合は無意識的なものである。何らかのストレスが掛かって泣き叫んだ時になどに、窓ガラスや食器が割れる、近くにある可燃物に火が付くなどの現象が起こる。新生児爆発も出生時の心理的ストレスに由来するものであると考えられた。親たちは変異種とされる子供を病院に連れていったが、治療方法も不明であり、ドーパミン・セロトニン遮断薬や睡眠剤などで意識レベルを低下させる対応が取られるだけであった。

 流星群の到来から10年あまりが過ぎ、第2次性徴期になって能力が発現するケースも出始めた。この年齢になると能力を意図的に使う事ができ、悪意をもってその力を使うものも現れたため、大きな社会問題となった。そして政府主導で治療のためと称する変異種の収容施設が作られた。

 

 「去年、変異種たちが起こした事件のあと、国連や政府の変異種に対する態度が変わったんだ。僕も変異種対策学術会議のメンバーだったから、政府方針に関する動向はもれ聞いている。変異種問題の最終的解決という極秘文書がある。来月から流星群の現れた年以降に生まれた子供たちに強制的な検査が実施される。その結果が変異種陽性であれば、問答無用で収容施設に入院だ。収容施設に入れられた子供たちは、治療なんかされないよ。薬漬けにされて意識を奪われる、そして最終的には抹殺される」

 「そんな、あまりにも非人道的だわ。変異種だなんて、そんなわけない、私たちのたいせつな子供なのよ」

 「政府の、いや世界人類の見解は違う、変異種はもう人類ではない新種とされている。宇宙由来のウイルスによって遺伝子汚染され作り変えられた人間だから、放置しておくと人類を駆逐する脅威とみなされているんだ」

 「遺伝子侵略だと言うのね、甕星みかぼし先生と同じだわ」

 「先生は学術会議のリーダーとして、早くから、それを主張していた。懐疑派も多かったんだ、むしろ人類を導く存在になるのでは、と言われていた事もあった。だけど、去年の変異種動乱で風向きが変わった」


 一年前、収容所から脱走した変異種たちが、仲間を集め、京都市に集結、府・市庁舎、警察署、放送局などを占拠して、独立国家を宣言した。これは同時多発的に世界各地でも起こった動乱であった。警察と自衛隊が投入されて変異種たちの排除を試みたが、彼らの力の前に、敗北したのである。何より脅威であったのは身長5メートルほどの容貌魁偉な巨人が数体現れて、おそるべき怪力や、爆発現象を起こして鎮圧部隊を圧倒した事である。変異種が変身したものと思われたが、その詳細は不明であった。結果、西は桂川、南はJR京都線を境とする京都市のほぼ全域が変異種の支配域となった。市中にいた一般人は、変異種にマインドコントロールされて、自由意志を持たぬ存在となった。京都市の周辺市街域は、この戦闘のあおりをくって破壊され、人の住まないノーマンズランドとなっていた。

 

 「あの子たちを抹殺しようというのも甕星先生の考えなの?」

 「先生は変わってしまった。3年前に銀河中心方面からくる規則的な電波信号が検出された。何者かがわれわれに接触をはかってきたんだ。その信号の解読を進めるうちに、変異種に対する先生の考え方は、次第に非寛容にものになっていった。元々は最終的解決とか抹殺なんて剣呑なことをいう人ではなかったのに…」

 「その通信は、いったい何を伝えてきたというの?」

 「極秘事項だからね。僕も初期の受信と解析には参加していたのだけど、詳細は知らされていない。でも、現在の地球の状況に関わる事であったのは間違いないようだ。彼らはわれわれに警告と、この状況の解決策を送ってきているのだ、と先生は言っていた。つまり、この通信はウイルスを送ってきた存在に対抗している別の存在からのメッセージであると…」

 「対抗する存在?何よそれ、勝手に戦えばいいじゃない。なんで私たちを巻き込むの?」

 その答えは、隆司にも分からない。甕星教授には分かっているのだろうか?


 隆司の運転する車は幹線道路から裏道に入った。鴨川を越える橋を渡ってしばらく北上すると、街の明かりが消えたエリアに入る。この先の道路は黒と黄色の斜め線が描かれたバリケードにふさがれ、立ち入り禁止と表示されている。隆司は路傍に車を停めた。

 「車で入れるのはここまでだ。この先は歩いて行くしかない。子供たちを起こそう」

 隆司と千恵子は、後部座席の二人を起こすと、トランクから大きなリュックを出して背負う。子供たちも自分のリュックを背負って車から降りてくる。眠そうに目をこすっている。


 隆司は一年前に子供たちに起こった異変を思い出す。家族はリビングに集まり、そろって京都での事件を報じているニュースを見ていた。画面ではヘリコプターからのライブ映像が流れている。変異種のエリアから出てきた異形の巨人がアップになる。二階建ての家屋と同じくらいの身長、赤黒い体の色、牙のある凶暴そうな口、頭に生えた二本の角。まるで鬼だ、と隆司は思う。

 突然、テレビ画面の中の鬼が、報道カメラの方を向いた。鬼の顔がアップになる。画面越しに鬼の視線がこちらに届く。


 その時、不意に隆司の心の中に健の叫び声が響いた。

 〈おとうさん、今、鬼がぼくを呼んだ!〉


 隆司はおどろいて健の顔を見る。健も不安そうな顔で、こちらを見ている。今、健は喋らなかった、声を出していなかったのだ。変異種の能力について知識のある隆司には、それが念話である事がすぐにわかった。この子も変異種だったのか!

 健は、来春からは中学生になる、今まで異能の片鱗も見せなかったので、もう大丈夫だと思っていた。隆司は健に、今後、絶対に心で人に話しかけないように約束させた。幸い、その日以降は力そのものが消えたような様子で、異能の発動はなく、健は普通の生活に戻ったのだが。


 美橘も同じ日に異常を起こした。美橘は千恵子の妹の長女であった。千恵子の妹が次の子供を出産した時、新生児爆発が起こり、妹夫婦はこの事故で亡くなった。産院には非常時に備えて消火器が用意してあったのだが、想定外に大きな爆発で対応しきれなかった聞いている。当時二歳であった美橘は姉の千恵子に預けられていた。美橘は、そのまま山戸家の養子となった。


 健が異変を起こした日の夜。眠っていた美橘が急に目を覚ますと、何かとても怖いものを見た、と言って大きな声で泣き叫んだ。その時、テレビのリモコンや読みかけの本、お菓子の箱など、部屋中に置いてあったものが、いっせいに浮き上がった。

 美橘はその後、高熱を出して倒れ、半月ほど意識のないまま寝込んだ。目を覚ましてからは、もう異能を発揮する事はなかったが、心を閉ざしてしまった。日常生活は淡々とこなすのだが、話しかけても反応はなく、返事もしない、表情も消えた。

 MRIやMRAでの検査でも脳に異常は発見されず。心因性のものではないかと診断されたが、向精神薬も奏功せず、病状は改善されないまま今日に至っている。

 

 隆司たち一行は車を捨てて歩き始める。周囲は住宅地なのだが、異様に暗い、家々の窓に明かりはなく、街灯も消えている。周りには全く人の気配はない。幸い満月に近い月が出ているので、足元は見えている。

 「どこに行くの?」健が尋ねる。

 「少し歩いたところにある公園だよ。そこに迎えの人が来ることになっている」

隆司はスマホを見て答える。SNSで指示が来ているのだ。

 「暗いから気を付けて歩くんだぞ」


 隆司と健が先に立って歩く。その後ろから千恵子が美橘と手をつないでついてくる。しばらく歩くと、周囲の住宅が火災で焼け落ちて廃墟となった場所に差し掛かる。道路にも瓦礫が散乱し、燃えた車が何台か、誰も片付けないままに放置してある。まだ、少し焦げくさい匂いがしている。

 「足元に気を付けろよ、尖ったものを踏んだら怪我をするぞ」

 「火事があったの?」

 「ああ、去年の今頃、ここらへんで大きな災害があった」

 「鬼が出た場所だよね」

 「そうだ、本物の鬼では無いと思うけどね」

 「ぼくたちは鬼のところに行くの?」

 健が不安そうな声で尋ねる。隆司は内心どきりとするが、努めて平静な声で答える。

 「違うよ。京都にいる人たちのコミュニティに参加するんだ。特殊な力をもった人たちだけど、悪い人たちではない、心配はいらない」

 本当に、そうであると良いのだが…。


 京都の変異種たちは、SNSやネットを通じて、仲間の参加を呼び掛けていた。当局は彼らからの通信を見つけては遮断していたが、彼らは、どうやってかまた新たな通信経路で呼び掛けてくる。隆司もSNSで彼らと連絡を取って、子供たちといっしょに、京都の変異種共同体に参加する約束を取り付けていた。

 正直言って不安の方が大きい。しかし、子供たちが収容施設に入れられる事態だけは、絶対に避けなければならなかった。なんとしても、この子たちの命を守らなければならない。


 焼野原と化した住宅街を通り過ぎると、川沿いの公園に到着する。公園にあるポールライトは全て消灯しており、月明りだけが照らしている。少し雲が出てきたようだ。雲が動いて月を隠すと、あたりも暗くなる。とても静かだ。川の流れる音が聞こえている。

 人けのない公園に、山戸家の一行は入っていく。隆司は時計を確認する。もうすぐ午前2時になる。約束の時間だ。指定されていた公園内の広場で佇み、迎えを待つ。

 すると突然、少し離れたところに二人の男性が立っているのに気が付く。先ほどまで誰もいなかったのに、どこから現れたのだろう。


 男たちは二人とも黒っぽいスーツを着て、サングラスをかけている。かなり若い様子だが、どことなく陰気で危険な感じを漂わせていた。

 「京都コミュニティの人ですね?ご連絡させていただいた、山戸です。私たちを連れて行っていただけますね」

 男は黙っている。が、しかし、その声が隆司の心に直接届いた。

 〈子供だけだ。親は連れていけない〉

 念話だ、健が心で話しかけてきた時の事を思い出す。この声は千恵子や子供たちにも届いているのだろうか。確かめる前に千恵子が口を開く。

 「そんな、私たち家族でとお願いしたはずです。一緒でないと困ります」

 〈そういわないと、お前たちは子供をここに連れて来なかっただろう〉

 「騙したのね。それなら子供は渡さないわ。おとうさん、帰りましょう」

 「いや、だめだ。連れて帰ったら、収容施設に入れられてしまう」


 隆司が、そう言った時、不意にあたりがまばゆい光に照らされた。公園の広場の周囲からいくつものサーチライトが隆司たちと変異種に向けて点灯されたのだ。メガホンからの声が聞こえる。

 「ここは完全に包囲した。抵抗するな。おとなしく投降せよ」

 銃器をもった制服姿の人々が十数人現れて、隆司たちと変異種を取り囲んだ。銃口は変異種に向けられている。警察と自衛隊の連携で組織された変異種警備隊だ。すんなりと変異種たちの指定する場所にたどり着けたと思っていたが、実は変異種を誘い出すために泳がされていたようだ。隆司はどうすればよいのか分からない。


 ドンと音がして、変異種の正面にあったサーチライトが爆発した。一瞬、皆の注意がそちらに向いた。その瞬間、変異種たち二人の立っていた場所に白い煙が立ち込める。

 「逃がすな、撃て」

 指揮官と思われる人物の号令で、隊員の銃器から弾が白煙に向けて撃ち込まれる。発射音は意外と小さい、どうやら麻酔弾を撃っているようだ。

 「みんな伏せるんだ」

 隆司はそう言うと、千恵子と美橘をかばって、地面に伏せた二人の上に腕を拡げて覆いかぶさる。健も隣で頭を抱えて伏せている。変異種のいた場所を見ると、いつの間にか、そこに大きな人影がある。白煙が薄れていくと、それが公園の桜の木と同じくらいの背の高さの巨人であるとわかった。オゾンの匂いがする。空気が突然重くなって隆司にのしかかってきたように感じる。こんな大きさの人間が、いったいどこからやってきたのだろう。


 鬼か、と思って見上げるが、月明かりに照らされた巨人は鬼ではなかった。上半身は筋骨隆々とした裸形で腰にを巻いている。眉間に皺をよせ、まなじりを決っした憤怒の表情。隆司は、その姿に見覚えがあった。そうだ、これは金剛力士像だ。

 

 「出た、仁王だ、捕獲急げ」

 指揮官が指示をしている。しかし、麻酔弾が効いている気配はない。巨人は平然と歩みを進め、伏せている隆司たちの近くにやってくる。

 〈〈来い〉〉

 巨人の念話だ。隆司にも、その念は聞こえたが、なぜか、それは健と美橘に対しての命令であると分かった。子供たちは何かに操られるように立ち上がって、巨人の方に歩いてゆき、その足元に立った。隆司も立ち上がり、子供たちの傍に行こうと、巨人に近づくが、あと一歩というところで、見えない壁にぶつかったように、歩みが止められ、それ以上は進めない。隣に千恵子も来た。同じく何かの障壁に阻まれて子供たちには近づけない。

 「健、美橘ちゃん、一緒に帰りましょう。こっちに来て」

 千恵子が大きな声で呼びかける。千恵子が子供たちを思う気持ちはわかる。しかし、ここは冷静に判断しなければならない。隆司は千恵子の肩を抱いてなだめながら、子供たちに呼びかける。

 「いや、もういい。健、おとうさんたちは行けないようだ。お前が、美橘ちゃんを守ってくれ。大丈夫だ、きっとなんとかなる」

 健はうなずき、美橘と手をつなぐ。


 警備隊員がワイヤーネットランチャーを撃った。鋼の網が広がり、巨人の体を包む。しかし、よく見ると、網は巨人の体には触れていない。体から少し離れたところに浮いている。隆司たちを阻んだ同じ力が、巨人の体を守っているようだ。

 「痛い!」

 隊員たちのいる方から、悲鳴が聞こえる。見るとランチャーを撃った警備隊員が、その場に打ち倒されている。


 「目標を実弾射撃、撃て」

 指揮官の声で、いっせいに爆竹がはぜたような轟音が起こる。隆司は千恵子ともに再び身を伏せる。千恵子をかばいながら、子供たちの様子を見る。巨人は平然と佇んでいる。子供たちは、その足元で呆然とした表情を浮かべて立ちすくんでいる。

 警備隊の撃っている銃弾はやはり見えない壁に阻まれて、巨人の体からすこし離れたところで爆発している。これなら子供たちは安全だろう、隆司は少し安心する。去年の動乱の時にも銃弾は鬼に打撃を与える事はできなかったのだ。警備隊は学習しないな、と隆司は頭の隅で考える。


 その時、隆司は、今までとは違うバシュっという発射音を聞いた。警備隊がジャベリン(対戦車ミサイル)を撃ったのだ。ミサイルはやはり壁に阻まれて巨人に到達する前に激しく爆散し、その破片が近くで伏せていた山戸夫妻を叩く。隆司は爆発の轟音と共に、全身に刺すような痛みを感じる。千恵子の額に穴があいているのが見えた。子供たちは、と視線を上げるが、巨人ごと消えている。痛みが意識を埋め尽くし、痛みがあげる大きな叫びで何も考えられようであるが、その一方で、これで死ぬのか、と感じている自分もいる。やがて視界が暗くなり、何もかもが、隆司の心から遠のいていく。


 爆炎が収まった後には巨人の姿はない。警備隊員が、その場所に近づく、山戸夫妻の亡骸がある。巨人が立っていた場所には、なぜか公園の土の地面と入れかわるように、円形に玉砂利が残されていた。


 京都市内、御所の健礼門の前に健たちは立っている。道に敷き詰められた玉砂利が、巨人と健たちの足元だけ丸く公園の土にかわっている。巨人の姿が、ゆっくりと薄れていき、いつのまにか黒服の二人が、そこに立っている。健には、ここがどこだか分からない。さっきの瞬間、爆発の破片に叩かれ血まみれになった父母の姿を見たはずだ。

 「おとうさん!おかあさん!」健は大声で叫んでいた。美橘は相変わらず無表情だ。先ほどの出来事をどのくらい分かっているのだろう。

 〈来い〉

 また、変異種たちの声が心に命じてくる。ここも静かだ、月明りだけが、照らしている。変異種たちが、開け放された門の中に入ってゆく。月が雲に隠れて、あたりが暗くなった。門の中も暗い、健は美橘の手を引き、変異種たちの後について、門をくぐる。

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