第16話

 ふうっとはいた息が白い。指先はかじかんで赤くなり、じんわりと痛む。夜にもなるといっそう凍えるようで、頬を裂くように風が吹いていた。


「うー、さみぃ。手袋してくるんだったな」

「ですね」


 ふたりしてはぁと手のひらに温かい息を吹きかける。手のひらをこすり合わせるようにすると少しだけ暖かくなった。

 この時期にはタートルネックのニットを着ることが多くなるが、この日もたぶんに漏れず誉はキナリのニットの上からコートを羽織っていた。ブラウンのコートの裾から伸びるデニムはサックスブルー。足元は相変わらずの薄汚れた白いスニーカーだった。

 横を歩く杜和は白いマフラーに黒いコート。黒のカーゴパンツという装いだ。マフラーに顔を埋めている彼は、寒がりの名にふさわしく中にはヒートテックを着ているらしい。

 ちらちらと雪が舞う、十二月二十四日。明日には薄っすらとアスファルトを白く染めるくらいは積もりそうだ。

 毎年ひとりでクリスマス・イブを過ごす誉だが、今年は本部前で五時半に杜和と待ち合わせをした。とまり木に行こうと誘われたのだ。どうやら現在クリスマスイベント中で、期間限定のデザートがあるらしい。


「なに食おうかな~」

「今日は俺がおごりますからね!」

「あーハイハイ。楽しみにしてるわ」


 心の籠もらない杜和の声。しかし結局一度もおごらせてもらえない誉は、今度こそはと息巻いた。

 とまり木までは徒歩なので、だいたい三十分ほどかかる。杜和と誉、二人で寒風に痛めつけられながら、身を寄せ合って歩いた。

 それでも寒いものは寒い。とくに露出した部分が痛くて、誉は亀のように肩を竦めっぱなしだ。寒くなる前にマフラーを新調しておけばよかったと後悔しても遅い。


「大丈夫か? 寒いよな」

「う、はい。……マフラー買っとけばよかったです」

「俺の一緒に使うか? さっき見たカップルみたいに」

「あはは、お気遣いだけもらっておきます」


 マフラーを杜和と一緒に共有するさまを想像する。髪の色は一緒だし、もしかしたら兄弟にでも見えるかもしれない。年の離れた兄弟に。


「たしか杜和さんには兄弟いましたよね」

「ん? ああ、八つ下の双子がな。それがどうかしたのか?」

「……いえ、なんでもないです」


 彼が兄だなんてきっと幸せだろうなと、少し羨ましかった。ただそれだけだ。自分も彼の兄弟として生まれたかった、なんて分不相応なことは思っていない。ふっと微笑むと、次いで「それにしてもやっぱり寒いですね」と誤魔化すように身体を震わせる。


「風が痛いです」

「もうちょっとだから頑張れ。俺も寒いけど頑張るから」


 そう言う杜和はいつものようにぶくぶく着膨れ状態だ。ぱんぱんに膨れたフグのようで少し可愛い。つい杜和を眺めて笑ってしまったからか、「なに笑ってんだよ」と怪訝そうにされる。マフラーから少し覗く鼻頭は真っ赤だ。


「ふふ、いえ、なんでも。急ぎましょうか」

「だな。耐えきれなくなったら、最終手段で俺がおまえを担いで走るわ」

「それすごい目立ちそうですね」

「あとで噂になるな」


 そうして会話をしていると、とまり木まではあっという間だった。もちろん杜和が走ることはなく。

 扉を開けると暖かな空気に迎えられた。自然と頬が緩み、ほうっと息をつく。まだまだ指先も身体の芯も冷えたままだけれど、そのうちましになるだろう。


「いらっしゃい、杜和くん、誉くん。寒かったでしょう、こっちにおいで」


 久我に迎えられ、ここに訪れたときの定位置に着席する。


「杜和くんはいつも通り、オムライスでいいよね。今日は期間限定のホワイトソースだよ。エビがたっぷり入ってるから」

「はい、お願いします」

「誉くんは決まったら声をかけてくれるかい?」

「あ、俺も杜和さんと同じのでお願いします」


 慌てて声を上げると、にこりと微笑んだ久我が「じゃあ二人とも、デザートでも選びながら少しだけ待っててね」と厨房へと向かった。


「クリスマスのイベントでホワイトチョコ使ったデザートが多いんだよ」


 メニューを眺めている中、そう教えてくれたのは、ちょうど食器を下げにきた司だ。「ま、好きなの選びなよ」と素っ気なく言うと、再び店内へと戻っていく。


(どれにしようかなあ……全部おいしそう)


 定番のガトーショコラもいいが、ここはやはり期間限定のザルツブルガー・トルテとやらも捨てがたい。ううん、迷ってしまう。

 杜和と二人でうんうん言いながら悩んでいると、久我が戻ってきた。

 目前にホワイトソースのオムライスが置かれる。ふわっとホワイトソースと卵のいい香りが漂ってきた。これもおいしそうだ。

 メニューを見るのをいったんやめて、マスクを下にずらしてオムライスを食べる。久我の作るオムライスを食べるのは初めてではないが、ホワイトソースは初めてだ。濃厚な味わいで、しかし決してくどくはなくて、すいすいと食べれてしまった。

 食事を終えたころに、「はい、これは僕からのクリスマスプレゼント」と久我がデザートを出してくれた。誉が迷っていたザルツブルガー・トルテだ。

 恐縮しながらもありがたくいただく。杜和も横でとてもうれしそうに食べていて、その姿がなんだか子どものようで微笑ましかった。


「杜和さん、甘党ですよね」


 ケーキを頬張る杜和につい溢れたつぶやき。はっとしてマスクを引き上げたところで、そばまで来ていた司が問いに答えてくれた。


「杜和へなんか送るときはとりあえずお菓子やっときゃいいよ」


 甘ければ甘いほどいいと司は言い残し、カウンターの中へと入っていく。そして厨房とは逆のほうにある部屋へと向かった。そこからはすぐに出てきて客のひとりを連れ再び部屋へ戻る。あの部屋はなんだろうと思っていると、司がヒーリングするための部屋だと久我が教えてくれた。


(そういえば)


 杜和に贈り物をするタイミングを考えているうちに、はたと彼の誕生日はいつなのだろうと疑問が湧いた。ケーキを半分ほど食べたところで一度手を置く。マスクをしっかりと装着した。杜和と訓練するようになってからつい気が緩んでしゃべってしまうことがあるが、しっかりしなければ。


「あの、杜和さんの誕生日っていつなんですか?」

「んぐ?」

「あ、食べてからで大丈夫です」


 最後の一口を大事そうに咀嚼し、嚥下した杜和が「二月十四日。バレンタイン」と簡潔に答えた。


(まだ先だ……よかった)


 いつもお世話になっているし、なにか贈りたいと思っていたので内心でほっとする。バレンタインでもあるし、杜和は甘党。チョコレートでもいいかもしれない。

 誰かへのプレゼントを考えるなんて初めてだ。なんだかわくわくする。自分がもらうわけじゃないのに変だけれど。


「そういう誉はいつだ? 誕生日」


 ふわふわしながら杜和のまだまだ先の誕生日に思いを馳せていると、そう杜和に問いかけられた。誉はとくになにも考えず、さらりと答える。


「俺の誕生日はもう終わりました。今月の四日です」


 自分の誕生日などもはやどうでもよかった。以前からただ歳を取るだけの日という感覚だ。正直なんの思い入れもない。けれどそれは誉だけだったようで。


「はっ? 思いっきり過ぎてんじゃねーか! 言えよ!」


 杜和はぎょっとした様子で身を乗り出した。乱暴に置かれたフォークが皿の上でガシャンと音を立てる。


「つうかその日ってあれか!? 看病してもらった日だろ!? ……祝うどころかめちゃくちゃ迷惑かけてんじゃねえか……」


 なぜか突然落ち込み始めた杜和に今度は誉が慌てふためく。そもそも誉の誕生日など祝ってもらうようなものでもないし、祝ってもらおうとも思っていなかった。こうして伝えたのも、単純に聞かれたからに過ぎず、深い意味などない。だから杜和の反応が予想外過ぎて対応できず誉はひたすら狼狽えるしかない。


「はい、誉くん、これどうぞ」

「え?」


 カウンター越しに久我に差し出されたのはケーキだ。それも、誉がこのあと頼もうと思っていたガトーショコラ。「クリスマスプレゼントはもういただきましたよ?」と目を丸くする。


「違う違う。これはちょっと遅くなっちゃったけど、誕生日ケーキだよ。おめでとう、いくつになったのかな?」

「え、あ、十六歳です。その……ありがとう、ございます」


 戸惑いながらもお礼を言った。じわじわと頬が紅潮する。胸の奥がそわついて、ふわふわして、なんだか落ち着かない。

 誕生日を祝ってもらうなんていつぶりだろうか。施設に来て以来初めてかもしれない。いや、そもそも生まれてからいままで祝ってもらったことはあっただろうか。もしかしたら兄には祝ってもらったことがあるかもしれないが、ずいぶん昔のことなので覚えていなかった。

 だから実質、今回が初めてということでいいだろう。


(うれしい)


 ガトーショコラが輝く宝石のように見えて、誉はフォークを突き刺すこともなくしばし眺めた。そんな誉に久我が優しく声をかける。


「杜和くんにもなにか買ってもらうといいよ。ね、杜和くん」


 水を向けられた杜和が「そうですね!」と妙案とばかりに満面の笑みでうなずいた。輝かんばかりの笑みを向けられ、拒否できる人がいたら見てみたいと思う。

 それになにより杜和に祝われるなんて夢みたいなこと、誉が断れるわけがないのだ。


「誉、なんか欲しいもんねえか?」


 いざ聞かれてもとくに思いつかなかった。というより正直気持ちだけで嬉しかった。だから素直に「その、祝ってもらえるだけで」と言うが、杜和は受けつけてくれない。


「それじゃあ俺の気が治まらねえ。つうわけで、一緒に出かけるぞ」

「! はい」


 プレゼントはいらないが、杜和とのお出かけが嬉しい。それがプレゼントじゃだめなのかと問うたところ、なんとも複雑そうな顔で「だめだ」と言われてしまった。妙案だと思ったのだけれど。


「さっそく明日でもいいか?」

「俺は大丈夫ですけど、杜和さんはいいんですか?」

「明日はなんも入ってねえから大丈夫。待ち合わせは何時にすっか。午前中かな」


 予定を詰めていると涼二と季央が来店した。まだ今日の仕事は終わっていないようだが、なんとか時間を捻出し休憩に来たという。

 誉の誕生日の件を聞くや、二人もお祝いの言葉をくれた。「今度なにか贈るね」と言う季央と「日常使いできるもんがいいか?」と冷静に尋ねてくる涼二。遠慮するも二人して「子どもが遠慮するな」と取り合ってくれなかった。

 こういう少し強引なところは杜和さんを含め、三人とも似ている。そんなことを思いながら、誉は紅茶を注文した。

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