episode.9 ダークオーガと主人公


 窓の外が夕日に染まると、エルフの村の景色はより一層美しくなった。トオルは、ナターシャとリータの帰りが遅いことに胸騒ぎを感じて、ドアをあけて外へと顔を出した。


「っても俺、戦うとかできねぇよなぁ」


 前回の異世界転移では平和に楽しく食べ歩きをしただけで特段なにかイベントが起こったわけでもなかたし、よく漫画にあるような「女神からの啓示」や「俺だけステータス画面・レベル画面が表示」なんて出来事もなかった。


 その上、魔法が使えるとか強い奴隷やモンスターを拾うとかそういうこともあったわけではない。


「強いて言えば、唯一のファンがクソ美人でなんか懐いてくれてるとかいうメシウマ展開くらいっすなぁ」


 自撮り棒にデジカメをくっつけて歩く。無論、トオルはエルフたちに好奇の目で見られるが関係ない。メンタル鋼の彼にとっては殴られたり罵られないだけましなのだ。


「みなさん、綺麗なエルフの村を記録しています。けれど、ダークオーガの影響で街の市場は閑散としていて寂しいですね……」


 彼の言葉の通り、市場はかなり閑散としていた。本来であれば果物や野菜が並べられていたであろう露店、木箱。なにか食べ物を売っていたような露店には枯れた花びらが積もっている。


 トオルは立ち止まって想像する。この場所が活気に溢れていた頃を。

 エルフたちが活き活きと商売をし、美しい景色と不思議なものに溢れ買っている市場、観光客としていろんな種族が入り混じって笑顔で……。



——きゃーっ!


 悲鳴が響き、僅かに行き交っていたエルフたちが一目散にトオルとは逆方向に走り出す。


「ダークオーガだ!」

「逃げろ、隠れろ!」

「怖い、食われる!」

「くそっ! こんなところまで……水は西にある貯水庫からなんてだめだ皆殺しにされる!」

「またあいつの腹が満たされるまで俺たちは食われなきゃなんないのか!」



 トオルは遠く、道の先で1人のエルフが倒れているのが見えた。その横には2メートルをゆうに超える大きな筋肉だるま……オーガ族の中でも邪悪な黒いオーラを放っている「ダークオーガ」が立っている。

 ダークオーガは棍棒を担ぎ、ニヤニヤと口角をあげて倒れているエルフを見下ろした。



「ナターシャさん⁈」



 見覚えのあるピンク色の髪、その側には泣きじゃくるリータが座っている。トオルは自分が非力なことをすっかり忘れて駆け出し、叫んだ。


「その人に触るな!」


 ダークオーガはトオルをみると一瞬たじろいだ。というのも、不可思議な黒い棒を持った人間がものすごい形相で走っているのである。この世界ではエルフよりも非力なはずの「人間」がだ。


「トオル……さん? きちゃいけません、リータを連れてにげて」


「だめぇ! ままに意地悪しないで!」


 何もわからないリータが泣きじゃくるとダークオーガがリータを蹴り飛ばし。ナターシャが悲痛な叫び声を上げる。

 トオルは意識を失って転がったリータと泣き叫ぶナターシャを見て、プチンと頭の中で何かが切れるような音を聞いた。


「おい」


「なんだ小僧? 俺様はこの辺を取り仕切ってるダークオーガのクオーク様だぞ。お前のような不味そうな人間にも食う場所のないガキには興味ねぇんだよ」


「今すぐ、ナターシャさんから離れろ」


「ああん?」


 クオークの放つ圧に一瞬怯えたトオルだったが、出たところもう引けない。彼は足を進め続ける。

 一方で、クオークの方はあまりにも猪突猛進で不思議な人間に若干恐れを感じていた。


「わかった、小僧。貴様から殺してやる。その上、この女だけじゃなく今日は腹一杯になっても皆殺しだ!」


「あぁ、ダメよ。トオルさ……」


 意識を失ったナターシャとクオークの間にトオルが立ち止まるとクオークはふしゅるふしゅると黒い息を吐き、瞳を真っ赤に染めて全身の筋肉からは黒い湯気が立っていた。


「クソ野郎!」


 トオルは手に持っていた自撮り棒を振りかざすと手元のスイッチを押す。つまりはシャッターを切ったのだ。

 すると、一瞬だけ眩い光がクオークを包んで彼は目を擦った。


「なんだ……?」


「聖なる光だ!」


——ハッタリである。


 格好をつけて間に入ったものの、トオルには目の前のダークオーガに立ち向かう力も魔法もない。彼が唯一できることは異世界(現世)から持ってきたものを使ってどうにかダークオーガを驚かせこの場をしのぐこと。それしか彼の脳では思いつかなかった。


 しかし、クオークはそこまでバカではない。数回フラッシュを浴びて害がないことがわかると不敵な笑いを浮かべながらトゲトゲの棍棒を振りかざした。


「やばっ……死ぬ」


 トオルが身をかがめようとした時、どこかから聞き覚えのある鳴き声が響く。


「ナ”ー!! シャー!」


 傍から飛び出してきた汚い猫がクオークの腕に噛み付き、そのおかげでトオルは一撃を受けずに済む。

 しかし、ネコはクオークに振り払われ吹っ飛ぶ。吹っ飛んだ先には壊れた木箱。


「あぶねっ!」


 ネコを受け止めようとしたトオル、ネコは必死で爪を立てていたせいかトオルの右腕に深く爪が刺さって引き裂かれる。


「いてぇ!」


「ガッハッハッ! 飼い猫に引っ掛かれるとはまさに愚か者よ!」


「ネコ、ありがとな。リータを頼めるか」


 ネコはトオルの言葉が聞こえているかのように倒れているリータに寄り添うと守るように毛を逆立てる。

 余裕の笑みを浮かべるクオーク、しかしトオルは体に起きた異変のせいでそれどころではなかった。


(右腕が……いたい。痛い……あの時と同じ。そう、あの時と)


 初めてワープ空間を見つけた日、あの夜と同じ痛みが彼の右腕を襲っていた。けれど、今回はのたうち回らない。なぜなら、彼はその痛みがだと本能でわかっていたからだ。

 ほんの一瞬、死を目の前にして、トオルは全ての点と点がつながったような気がした。


 ワープ空間は自分が生み出したもの。


 そして、今回ワープする前に「エルフの村に行きたい」と願ったらその通りになったことから、その行き先は「自分が行きたいと願った場所」に行けること。


 異世界渡りはトオルしかできないと仮定しても、可能性としてトオルが願えば「同じ世界から同じ世界へなら」他の生物も連れてワープできるかもしれないこと。


 その仮説が正しくても正しくなくても、死を目の前にしたトオルが今できることはただ一つだった。


「ぶっ飛べ……西の貯水湖のど真ん中に……」


 トオルの右腕から現れたワープ空間はみるみるうちに大きくなり、クオークを吸い込んでいく。彼は必死で抵抗するもむなしくトオルと共にワープ空間の中に消えていくのだった。


「ぐぼぅ、ぐはっ……溶ける。クソ! この俺様が……死ぬなんて」


 ワープした先は湖のど真ん中、目の前でクオークが溶けていくのが見えた。トオルは必死で立ち泳ぎっぽいことをしてみるもどんどんと体は沈んでいく。


「俺、カナヅチだった……わ。やべ……死ぬ」


 トオルは必死でもがきながらゆっくりとゆっくりと意識を失った。



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