乙女Aより、3000年の果てのあなたへ

アメツキ

乙女Aより、3000年の果てのあなたへ

『冷酷な冥府の王が、ただ一人愛した女。究極の略奪愛!』


 スマホをスクロールすると現れる、広告のバナーに苛立った。


 最近話題の漫画のネット広告だった。

 内容はギリシャ神話の有名エピソードのコミカライズ。かなり流行っているらしく、書店では読者のおすすめコメントも一緒にポップになって飾られていた。


 曰く、「冥王ハデス様美しすぎて最高」。

 曰く、「最初ハデスを嫌ってたコレーがハデスのこと好きになっていく過程が良い。何度も読み直しちゃう」。

 曰く、「ロマンチック」。


 そこまで読んで、思わず目を逸らした。思ってはいけない、言ってはいけないことを考えてしまうからだ。


 漫画は昔から好きだ。その上、ギリシャ神話のモチーフにはなんとなく心惹かれるものがある。

 青い海と空、花冠、白い大理石の宮殿、奔放な神々たち……。単純なステレオタイプのかもしれないが、そんなイメージも相まって、絵も綺麗だしと手にとって読んでみたのだ。

 そうして疑問に思った。


「これってロマンチックなの?」


 読んだ後は思わずそう言いたくなってしまった。

 でも、S N Sを開いて検索してみれば、多くの人は「ロマンチックで、美しい純愛」だと言って絶賛している。私はなんだか、そうは思えなくて……どうしてだろう。私の感性が不足しているのだろうか。それとも何か予備知識が必要なのだろうか。

 せっかくなのだから、楽しんで漫画を読みたい!

 ギリシャ神話には興味あるし、背景知識を知ればもっと楽しめるかな。そう思って、『元ネタ』の神話を調べることだってしてみたのだ。

 そうして、疑問を解消できるどころか、愕然とした。


 お話の概要はこうだ。


『乙女は母である女神デメテルの元を離れ、牧の原で花を摘んでいた。そこに根から百本もの茎が生えいで、甘やかな芳香を漂わせた水仙が咲いている』


 おお。この辺は、いい。ここまでは思い描いた通りの神話の美しいイメージだった。


『この水仙は、乙女の父である最高神ゼウスの意によって、彼女を欺くために咲かせられた花だった』


 ……いきなり先行きが不穏になる。欺く? 父親である神様が娘を?


『乙女が水仙の美しさに胸を打たれて手を差し伸べると、大地は大きく口を開けた。現れたのは不死なる馬を駆った冥府の王たるハデス。ハデスは抗う乙女が泣き叫ぶのもかまわずに、無理やりに冥界へとさらっていった』


 衝撃だった。いや、酷すぎるだろう。嫌がるのを無理やりさらうって。


『乙女は嘆き悲しんだ。とある伝令神が冥界に赴いた際、ハデスが妃とした彼女と寝台に一緒に座っているのを見た。しかし、彼女はそれを激しく嫌悪し、ずっと母を慕っていた。』


 ……かわいそうすぎる。無理やりさらわれて、その上……。


『娘を奪われた母デメテルは怒り、地上のすべての実りを止めてしまった。その怒りはおさまらず、最高神であるゼウスでさえもどうすることもできない。ついにゼウスはハデスに対し、娘を地上に返すように説得する』


 母親のデメテルのことを思って辛くなる。当然の怒りだ。自分の娘がそんな目に遭わされちゃ!


『ハデスは説得に応じた。娘を返すときに、ザクロの実を与えた。空腹だった娘はそれを食べる。母デメテルの元に帰還した乙女はすでに乙女ではなく、ペルセポネーと名を持つようになった。彼女は冥府の食べ物を食べたために、1年の3分の1を冥府で過ごすことになった。結局ペルセポネーは冥府の王ハデスの妃として嫁いで行くことになった』


 いや、結局嫁ぐんかい!!


 読んでいて嫌な気持ちが止まらなくなっていったが、私が一番我慢ならなかったのはそこだ。

 嫌がっていたのに、結局乙女は冥王ハデスに嫁ぐことになる。ザクロの実を食べたことが妊娠を意味すると知って嫌悪感は最高潮に達した。


『母デメテルは、ペルセポネーが地上にいる間だけ地上に実りをもたらすようになった。それが四季であり、そうして新しい生命のサイクルが生まれた。乙女が妻となり、母となった成熟と合わせて、世界も秩序ある成熟した世界となったのだ』


 本来の神話が意味するところも解説されていた。

 非情に見える父神ゼウスだが、実はゼウスは当時の価値観からすれば『正しい父親』であり、娘がただの乙女から妻ペルセポネーになり、母になる。その役割を与えてやったのだそうだ。

 なんでも、当時は『適齢期に結婚していない乙女は異端とみなされる』『妻、母という社会的な役割に適合できないものはなかったものにされる』から、『娘に適切な配偶者を用意してあげるのが父親として社会的に正しい』のだという。

 当時の価値観としてはそれが当然だったのだ。だから、現代の価値観を持つ私たちがとやかく言うことではない、らしい。


 当然、漫画の方は、もっとマイルドな表現になっていた。

 冥王は最初こそ無理やりさらったものの、乙女のことを大切にして、乙女に恋をしたからこその行動だと求愛する。冷酷な冥王が自分だけに見せる優しい一面や孤独な一面に、いつしか乙女も心惹かれていくというものだ。


 ……それでも、神話を知ってしまったら尚更、疑問が止まらなくなってしまった。


 まず、人の意志を無視して無理やり手篭めにしてくる奴のどこにロマンチックさを感じれば良いのだ。そいつはただの略奪者だ。

 漫画の方は、とにかく冥王ハデスは美形に描かれている。ハデスの顔がいい上に、冥府の王様という地位がある設定だ。そして、そんな人が自分だけを求めて自分だけに求愛してくる。


 でもさ、それってハデスが美形で王様だから、ロマンチックなんて言えるのではないのか? なんて穿った見方をしてしまう。

 もしハデスが美しい顔をしていなかったら? 王様でもなんでもない、ただの庶民だったら? その人が意志を無視して無理やり妻にされて母親にされたら、それでもロマンチックと言うのだろうか。


「……」


 モヤモヤが止まらなくなってスマホを取り出す。アプリを起動させてアカウントを作る。初期設定のままのアイコンの、今作ったばかりだからフォロワーなんて0人だ。

 思いのままに文字を打ち込む。打った後で、どうしようか一瞬迷った。


 いいや、後で消せばいい。

 投稿ボタンを押す。


『噂のハデペル読んだ。漫画読んでてモヤモヤして、気になって調べてみたけど、元ネタの神話の方がやばすぎる。私だったら絶対こんな人に心許せないけど。きっとずっと許さないと思う』

『ペルセポネ、本当に最後はハデスを愛せたのかな。都合のいい話』

『本当はペルセポネも、ずっと許してないと思う。ずっと怒っていると思う』


 言葉の羅列がネットの海に流れていく。


「あーあ」


 ついにやってしまった。

 ……炎上しちゃったりして。フォロワー0だしありえないか。もし炎上したらあれだな。「モテない負け犬のヒガミ」とか言われるんだろうな。


「まあいいや」


 いざとなったらアカウントごと消せば。そう思ってスマホをスリープさせた。

 明日は早いんだから、もう寝なくては。



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『純粋にハデペルの二人を応援してて、好きな人もいるんですよ。その人の気持ちを考えてください。あなたが気に入らないだけでしょ』


 当然、炎上なんてしなかった。でも思いの外、人の目に触れたらしい。

 返信欄に燦然と輝く怒りのコメントに嘆息する。


「そうだよなぁ」


 その通りだった。純粋に、元ネタ云々とか気にしないで、恋愛漫画として楽しんでいる人だっているんだ。

 こんな面倒くさいこと考えてるのは私だけなのかも。確かに、人の創作にケチつけることになってるよな……。

 いや、私が嫌だと言いたいのは、漫画じゃなくて、元ネタの神話の方なんだけど。この神話ができた時の価値観とか、時代背景とか! 

 漫画の方は恋愛ものとして昇華させてるし、この漫画が好きな人のことを否定したいんじゃなくて……。

 とかなんとか考えていても、そこのところ上手く伝えられてないんだから意味がない。というか。


「ストレートに言いたいこと言いすぎた」


 もっと気をつけて、マイルドに書けばよかったかな……。嫌な書き方しちゃったな。

 私がモヤモヤしたの、我慢すればよかっただけなのに。

 昨日抱いていた怒りは風化して、顔の見えない誰かに批判されたことに落ち込んでしまう。今となっては勢いで投稿してしまった自分を悔やむばかりだった。言ったらだめかもな、ってことを言ってしまって、いつも後悔している。


 ピコン。


 また、誰かに返信された、と通知が表示される。

 ……これ以上見るのは毒だとわかっていても、ついつい見てしまうのは承認欲求にまみれた私のサガだ。

 もういいや。アカウント消そう。

 そう思う心とは裏腹に、怖いもの見たさで返信欄を開いた。


『彼女が彼を許すか許さないかは、あなたが決めることじゃない』


「っあー……」


 だめだこれは。完全に元の投稿消した方がいいやつ。

 ベッドにダイブして顔を擦り付ける。


「本当に思ってることなんて、言わない方がいいのかな」


 何かがまた自分の中で麻痺して、鈍感になっていく気がした。

 仕方ない。仕方ないのだ。多くの人がいいと思っているものを、良いと思えない私が悪い。当たり前のことをできない私が悪いのだ。


 開きっぱなしの返信欄に、もう一つ投稿が加わる。さっきの人だ。

 嫌だな。

 見なきゃいいのに。言わなきゃいいのに。でもどうしても見てしまう。

 反応があれば見たくなってしまうのだ。

 私はそう思ったんだってこと、誰かに知っていて欲しい。そう感じるやつもいるんだって、この世界に発信しておきたい。


 ……そんなの、誰も求めていないし、興味もないのだろうけど。

 でも、誰かが言わなきゃそれこそ、「なかったこと」になっちゃうじゃないか。


 薄目でぼんやり画面を見つめる。良い反応なんて期待しない。そうすれば傷つかないんだ。


『許さないか、許すかは私が決める』


「……ん?」


 予想と違う不可解な文字列が並んでいた。『私が決める』、って。

 いやいや、どういうこと? 私が決めることじゃないなら、あなたが決めることでもなくないか? 自分で言っていることと矛盾してない?

 脳内で揚げ足取りを始めた私に、釘を刺すようにもう一つ返信が連なっている。


『でも、怒ってくれてありがとう』

『あなたが怒ってくれて嬉しかった。すっきりした』


 口を開けて画面を見ている私が画面のフィルムにうつっている。頭に疑問符を飛ばしているのが丸わかりのアホヅラだった。


 ふとその人のアイコンの右側、アカウント名に目がいく。

 アカウント名は『ΠΕΡΣΕΦΟΝΗ』。

 ぱっと見で読めないしスパムアカウントかと思ったけど、違うらしい。


「……」


 変な人だな、と思いながら、コピペして検索をかけてみる。まさかね、と思いながらも少し指が震えた。


「……はは!」


 手に握られたままの端末には、某フリー百科事典のページが表示されている。


 曰く。


『ΠΕΡΣΕΦΟΝΗ(ギリシア語: Περσεφόνη, ギリシア語ラテン翻字: Persephonē)は、ギリシア神話に登場する冥界の女王』

『日本語ではペルセポネ、ペルセフォネとも呼ぶ。』


「キャラクターのなりきりとか久しぶりに見たな……まだあるんだそんな文化」


 でも、なんだか。


『こちらこそありがとう。そう言ってもらえて、少し勇気が湧きました』


 我慢しなくても良いのかも、って思えて。単純な私は、ちょっと嬉しかったのだ。



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「私が許すか許さないかは、私が決めること。他の誰にも決めさせない」


「でも、優しいあなた。どうか怒って。怒って良い。私の母さんみたいに」

「もっと怒って、笑って、悲しんで、喜んで。嫌だと思ったら、おかしいと思ったらその場で声を上げてみてよ」

「あなたも私も。もう、誰も何も支配なんてできない。3000年経っても私たちの頃と同じだなんて、おかしな話でしょ」


「変えていきましょう。もっともっと、先の世界の私たちのためにも」


 かつての名もなき乙女Aより、今を生きるあなたへ。




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 藤村シシン先生のギリシャ神話講座を視聴して、


『ギリシャ神話に描かれる女神・女性像は、当時神話を書き残せたごく一部のエリート男性たちによって書かれたものである。そこに真実女神たちが女性たちにとってどういう存在であったかは描かれていない。当時の女性たちの声はほとんど残されていない』


 という前提を学びました。


 ハデスがペルセポネ をさらって妃にする神話は有名なエピソードで、後世においても人気があるエピソードだそうです。

 この話では、父であるゼウスが、自分の兄弟であるハデスを、自分の娘の夫にあてがおうとします。そのために娘をハデスに誘拐させ、妻にさせます。


 この、娘は家の所有物でありその結婚を父親が決めると言うのは、神話の中の特別なエピソードではなく、当時の女性たちにとってはどうしようもなく当たり前の『結婚の現実』だったとのことです。


 ペルセポネーはハデスの妻になり、母になるまでは『乙女』を意味する『コレー』として呼ばれています。妻になり母になり、社会的役割に合致するようになって初めて名を与えられるのです。


 このエピソードを聞いた現代人としては、当然理不尽への怒りが湧いてきます。

 しかし、それを理不尽と断じるのは、私たちが本当にここ最近になってようやく手に入れた価値観を持っているが故のことで、現代の価値観で当時のことを断じるべきではないのでしょう。


 それでも、このエピソードを聞いたときの怒り残しておきたい。そう思いました。





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