第1話 witch and doll and human㉖
「……暇だ」
薄いベッドの上、ぽつりと呟いた言葉が、暗い室内に溶けていく。暗い、と言ってもいつの間にか夜は明けてしまっているらしく、重く閉ざされた金属の扉の向こうでは、鳥の清かな鳴き声が響いている。
「もう何回目? さすがに聞き飽きたんだけど」
そんな疲れ切った声が、隣の部屋から聞こえてくる。部屋と言ってもそこは小さく区切られた独房で、中にあるのは壁に取り付けられた薄いベッドと、小さな洗面台だけだ。
「なんだよ。フィーは暇じゃないのか?」
「暇。すっごい暇。と言うかそっちはイニと二人なんだからいいじゃない。こっちなんてずーっと一人で壁と睨めっこしてるんですけど?」
「ならフィーもこっち来るか?」
「行けたら苦労しないからね!?」
隣でぷりぷりと怒っている様子に、ケケケッとライアンは楽しげな笑い声を上げる。
「ねぇ、全然笑い事じゃないんですけど?」
「悪い悪い。いやな、フィーはここでもフィーなんだなって思ったらなんかおかしくて」
「何それ……褒めてんの?」
「褒めてる褒めてる。まあ、そんなことより、これからのことを考えないとな」
ライアンは欠伸混じりに言うと、手にかけられた手錠を見る。そのすぐ側では、イニが足をぷらぷらとさせて座っている。
「ねぇフィー。さっきの窓みたいにここの鍵を外せたりしないの?」
「残念ながら無理かな。さすがに手元に道具がなかったらあたしはお手上げ。まっ、イニがこっちにいればそれもできたかもしれないけどね」
「だってよ。イニは行けそう?」
「こっちも無理。流石にあの狭さを潜り抜けられるほど、私も小さくないわ」
イニが見上げた先には、鉄の扉につけられた小窓がある。しかし、そこには細い鉄格子が嵌まっており、いくらイニと言えども、彼女の言うように通り抜けることは難しそうだ。
「はぁ……それにしてもリリィさん、大丈夫かな? あの場所にはいなかったよね?」
「あーそうだな。俺の記憶ではいなかったはず」
「何かあったんじゃなきゃいいんだけど……」
「そればっかしは分かんねぇな。ただ、リリィさんは元から警察だし、辞めるとか言ってない限りは俺らみたいなことはないと思うけどな」
「……そうだよね」
再び、独房の中を沈黙が支配する。ライアンが左肩に触れると、先程受けた傷がまだズキズキと痛んだ。応急処置を施してもらってはいるが、万全とは言い難い。ただ、そんなことはライアンにとっては限りなく些細なことだ。
「なあイニ。もしかしたらってあると思うか?」
「えぇ。私も同じこと考えてた。じゃないと説明できないでしょ、あれ」
「だよなあ……」
思わず、口元に笑みが浮かんでしまう。
「少なくともあんな魔法があるなんて師匠は教えてくれなかったもんな」
「そうね。となるとおそらく……」
「あぁ。本物のラクリマのカケラだ」
グッと、拳を強く握る。
「やっと、やっと本物のカケラに辿り着けたんだ。絶対に手に入れるぞ、イニ」
「でも、どうやって手に入れるつもり? 少なくともすぐにはここから出れそうにないわよ?」
「そこなんだよなあ……」
再び、あたりを静寂が漂い始める。聞こえるのは、二人の息遣いだけだ。考えても仕方ないかと、とりあえず少し眠ろうかとライアンが目を閉じた時、「ねぇ」とフィーが壁の向こうで口を開いた。
「あん?」
「気になったことを訊いてもいい?」
「どーぞ。俺とイニで分かる範囲でよければな」
「その言い方なんか腹立つわね……。まっ、それもキミらしいからいいけどさ」
「失礼なヤツだな」
「キミには言われたくないんだけど」
そう言って、フィーはふふっと楽しそうな笑い声を上げた。
「あの屋敷でも言ってたけど、二人はえーっと白の魔女のラメルノ? だっけ? それのカケラを探してるって言ってたよね」
「白の魔女のラクリマな。本当は一個丸々あれば話は早いんだけど、残念ながら遠い昔に砕けて世界中に飛び散ったからな。だから、俺とイニはそのどこにあるか分かんねぇカケラを探して、あちこち旅をしてるってわけ」
「旅かあ……ねぇ、旅って楽しいの?」
「んーどうだろうな。やらなきゃいけないことだらけだし、毎日安心とは程遠い生活だから別に楽しくはないけど、悪くはないって感じだな」
「ふーん?」
分かってなさそうなフィーに、ライアンはハハッと小さく笑った。
「あっ、今笑ったでしょ? 顔見てなくても分かるんだよ、そう言うの」
「笑ったけど、バカにしたわけじゃねえよ。単になんでそんなこと訊こうと思ったのかなって不思議に思っただけ」
「それをバカにしてるって言うんじゃないの?」
「いやいや」
「ふーんだ。別にいいし」
「悪かったって、それで? なんでそんなこと訊いたんだ?」
フィーから返事はない。それでも、その沈黙はライアンの問いを無視しているわけでないことは、何となく伝わってきていたから、ライアンもイニも口を挟むことはない。
「……あたし、これからどうしようかなって。多分キミはここから出られると思う。もしかしたら牢屋に入れられるかもしれないけど、キミならやろうと思えばささっと自由に逃げられるでしょ?」
「まあな」
「ふふっ否定しないんだ」
楽しそうに笑うフィーに、ある疑問が浮かぶ。
「なぁ、フィーはここから逃げたいのか?」
「ここって? この独房のこと?」
「あーいや、ここってのはこの独房じゃなくて、この町からって意味で」
「なーんだそっちか。うーん、どうだろ。気が付いたらこの町でこんな生活してたし、ここ以外で生きていける自信はないかなぁ。だから、ちょっとだけ二人が羨ましい」
顔は見えないけれど、きっと彼女は笑っていることだろう。楽しくはない、無理をした、そんな作り笑いを浮かべてるはずだ。その言葉に、ライアンは何も答えず、ただじっと天井のシミを見上げている。
「ねぇ、何か言って欲しいんだけど……」
やがて沈黙が恥ずかしくなったのか、フィーがそんなことを言う。
「ん? あぁ、ちょっと考え事してた」
「ほんとキミってそう言うとこあるよね。ねぇ、イニも何か言ってあげてよ」
「私が言えることなんてただ一つ。これがライよ」
そんなイニの言葉に、壁の向こうからふふふと楽しげな笑い声が聞こえてくる。今、彼女はどんな表情を浮かべているんだろうか。
「あーあ。こんな退屈な人生だったけど、キミたちに会えたことは、嬉しかったんだよ。何て言うか、本当に魔法にかかったみたい。魔法なんて、あるはずないのにね」
その言葉に、ライアンがピクリと反応する。
「いいや、魔法はあるさ」
「どーだか。でも、あたしだってあればステキだなって思うよ。ここから連れ出してくれるような魔法なら特に最高」
「ここから連れ出してくれる魔法ねぇ……。よしっ、なあイニ。一回だけ、いいか?」
「はい?」
「頼む。今回だけ」
「いやでも……師匠からむやみやたらに使うなって言われてるでしょ?」
「それはちゃーんと分かってるって。でもさ、今のフィーの言葉で閃いたんだ」
「待って待って。それすごく嫌な予感がするんだけど!?」
「大丈夫だって。それに、フィーだって見たいだろ?」
「あたし?」
突然名前を呼ばれたフィーが驚いた声を上げる。
「そっ、魔法だよ。見たくねえか?」
「いや、魔法って……正気?」
「あぁ。正気も正気。それじゃあ、とりあえずしっかりと耳塞いどけよ」
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