第1話 witch and doll and human⑫
「ねぇママあの人――」
「しっ! 見ちゃいけません!」
そんな会話がエリックの町で何度か交わされた昼下がり。町の大通りを大股で歩く男がいた。どちらかと言えば質素な身なりをしたこの町の住人たちの中では、男の様相は驚くほど悪目立ちしていた。
男は不思議な色をしたスーツに身を包み、ジャラジャラと付けた装飾具の輝きが、陽の光を浴びて目に痛い。
男はバルや大衆食堂ばかりが立ち並ぶこの町で、唯一あるレストランの前で立ち止まると、掲げられている看板を見上げた。
「ご利用ですか?」
そんな男の姿を見た金髪のウェイターが、店内から急いで出て来て声をかけるも、男は返事もせずにズカズカと足を踏み入れると、そのまま一番奥の席にどっかりと座る。近くの席に座っていた老夫婦が、嫌なものを見たとでも言いたげに眉をひそめた。
「この店で一番高い料理を持ってこい!」
先程のウェイターが近付いて来るよりも早く、男はがなるように言った。ウェイターは何か言いたげだったけれど、男の身なりを舐めるように見てから、「かしこまりました」と爽やかに笑って厨房へ向かってしまった。
「ねえ、本当に大丈夫なの?」
彼が被っている帽子から聞こえて来るその小さな声に、男は自信満々に答える。
「大丈夫だってイニ。いいから任しとけって」
「任しとけって……色々大丈夫?」
「何が?」
「そりゃ本当にこの作戦で成功するのかとか、そもそもお金が足りるのか、とか」
「そりゃあ……」
そこまで言ってから、ライアンの額からは滝のような汗が流れ始める。帽子の中で、イニが小さく悲鳴を上げた。帽子から少しだけ顔を覗かせた彼女は「ほれ見ろ」とでも言いたげだ。
「……やっぱりお金のことは考えてなかったのね」
「ほ、ほら! あのクソガキとっ捕まえりゃ財布も戻ってくるし、そいつに色々訊ければもうこんなことしなくて済むだろ?」
「いや済むだろ、じゃないわよ全く……」
「まあ、何とかなるって。ほら、あそこ見えるか?」
ライアンの視線をなぞるようにイニがそちらへ目を向けるも、先程の金髪のウェイターが客に何か言われてもいいようにキョロキョロと辺りを見回しているだけで、特段何か変わった様子はない。
「見えるかって、何が?」
「ウェイターだよ。チラチラ俺のこと見てるだろ」
「突然やってきた変な格好の男が、ブツブツ一人で話してたら変な目で見られて当然じゃない?」
「ちげーよ!」
「お客様?」
前菜を持ってきたウェイターの一人が、訝しげな表情でライアンに訊ねる。ライアンは恥ずかしさを誤魔化すように咳払いを一つして、「うむ」とだけ返事をする。
「ほら、変な人じゃない」
ウェイターが去ったのを見計らって得意げにイニが言った。ライアンは「うぐっ」とうめき声のような何かを発するも、何か言えばイニから追撃が来ることは分かっていたので、それ以上言い返すことはしない。
「で、だ。入り口付近に立ってる金髪のウェイター。見えるか?」
「ライアンを案内してくれた人でしょ? それがどうかした?」
「そうそいつ。さっき俺らが騒いでる間、どっか行ってたのに、今は入り口付近で待機してる。多分だけど、ジム巡査部長が話してた、スリの集団とグルだろうな」
「それって……」
「大方、ここで金持ってるやつ見繕って、スリとか盗みを働く実働部隊か何かに知らせてるんだろうな」
「なるほどねえ。でも、それが分かったところでどうすんのよ?」
「まあ見てろって」
ライアンは得意げにそう言って立ち上がると、入り口にいる金髪が慌てた様子で二人の元へ駆け寄ってくる。
「あの、ミスター。まだお食事の途中ですよ? それにお会計が……」
「すまないが急用を思い出した。あっ、そうそう。会計はジム巡査部長にツケといてくれたまえ。あいつと俺は古い友人でね。嘘だと思うんなら今すぐ連絡してみればいいさ」
「いや、それは……」
「何か問題でも?」
自信たっぷりにライアンが言うと、ウェイターは助けを求めるように、さっきからオロオロと辺りを見渡すことしかできない。
「それじゃあ――」
「おっとお客さん。それは食い逃げって言うんだぜ」
そんなドスの効いた声と共に、強い力で肩を掴まれる。何だと思って後ろを振り向くと、いつの間にか入り口にコックコートに身を包んだ強面の大柄な男性が立っていて、ライアンを睨んでいた。
「あん?」
「何だその舐めた目は? 俺ァここのオーナーだ。食い逃げは許さねえぞ」
「んだよ。ジム巡査部長にツケといてくれって言ってんだろうが?」
「んなバカな話があってたまるか! この店じゃあツケはやってねえんだよ」
「お堅いねぇ。それじゃあジム巡査部長に電話でもしてみてくれよ。そしたら嘘じゃねえって分かるからさ」
「ガキが生意気言ってんじゃねぇ! だが……こんな状況でも全くビビらねぇその態度は気に入った。分かった、そんなに言うなら今すぐ確かめてやる。おい新入り! 警察署に電話して訊いてみろ」
「は、はいぃ!」
ウェイターはそんな悲鳴ともつかない声を上げると、逃げるように厨房の奥へ消えていく。その姿を見送ってから、ライアンは肩に乗せられていた手を払う。
「んじゃあ待ってる間、さっきの料理の続き、食わしてくんね?」
「バカ言ってんじゃねえ!」
「痛ってぇ!」
思いっきりビンタされ、ライアンは思わずその場にうずくまる。オーナーはフンッと鼻を鳴らすと、ライアンの首根っこを捕まえて先程まで座っていた場所に連れていく。
「ここで待ってろクソガキ。次のメニューを持ってきてやる」
「おっ悪いね」
ひらひらと手を振るライアンに、オーナーは再び腹立たしげに鼻を鳴らすと、先程ウェイターが消えた厨房へと消えていく。
「まっ、結果オーライってやつかな」
「ライ、いつか本当に痛い目見るわよ……」
「そん時はそん時だ」
のんきに鼻歌を口ずさみ始めたライアンに、イニはやれやれと肩をすくめることしかできなかった。
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