第1話 witch and doll and human③
「そのお金、ちゃんとしまいなよ?」
「分かってるって」
ライアンが財布をポケットへしまおうとした時、遠くから何やら怒声らしきものが聞こえてくる。
「あん?」
ライアンが顔を上げると、ボロのローブに身を包んだ人物が走ってくるのが視界の隅に見えた。
「ライ危なっ――」
イニの叫びが耳に届くよりも早くに、ライアンの身体に衝撃が襲う。想像していなかった出来事に、思わず体勢を崩してしまう。
スローモーションに動く視界の中で、ぶつかって来た相手のローブの隙間から、青白い肌が見えた。それから海よりも深い、青い瞳と目が合う。
――子ども……?
そんなことを考えるのと、ライアンが腰を強く地面に打ち付けるのはほぼ同時だった。
「痛ってぇ!」
あまりの痛みに思わずそんな叫び声を上げてしまう。ぶつかって来たその人物に文句の一つでも言ってやろうとあたりを睨むも、気がつけばローブ姿の人物は遠くに走り去ってしまっていた。
「結構強く打ったみたいだけど、大丈夫?」
「あ、あぁ……。痛ぇけど折れたりはしてないと思う。それにしてもなんだったんだ今の」
イニが呆れた顔でライアンの元へやって来ると、腰のあたりをさすってくれる。
「待てこらァ!」
大丈夫だとイニに伝えようと口を開いた瞬間、そんな怒声が目の前から聞こえたかと思うと、続いてドタバタと土埃を上げて警察数人が駆けていく。
「ゲホッゲホッ……何なんだったんだ今の……」
「さっきの人、追われてたのかなあ?」
「現状の判断だけならそうなるな。でも、なんか……」
「どうかした?」
「いや、なんでもない」
じっとさっき通り過ぎていった一行に違和感を覚えるも、自分には関係ないことだと息を吐く。その時、ライアンの頭に影ができた気がして、跳ねるように顔を上げた。
「君、大丈夫かい?」
見上げた視線の先。そこには警察の制服に身を包んだ男性が一人、心配そうな顔でライアンに手を差し伸べていた。
「あ、あぁ。なんとか」
「よかった」
男性はおずおずと差し出されたライアンの手を掴むと、見た目よりも強い力で引っ張り起こしてくれる。
「あんがとね。えーっと……」
「俺か? 俺はジム・ロドニー。見て分かると思うがこの町で働く警察官だ。気楽にジムって呼んでくれ」
「んじゃ改めて。ありがとね、ジムさん……でいいの? なんか色々凄そうなバッチついてるし、階級とか高そうな感じだけど」
「はははっ肩書きだけはね。一応巡査部長をやらせてもらってるけど、やってることは下っ端と変わらないよ。だから、俺を呼ぶ時はただのジムって呼んでくれ」
肩をすくめながら笑うジムに、ライアンは「分かったよ」と頷く。
「それで、ジムさん。さっき追ってたのは? 何かあったの?」
「ん? あぁ、この町では昔からスリが多くてね。困ったもんさ」
「スリねぇ……お巡りさんも大変だね」
「まあね。でも、この町の治安を守るのが俺たち警察の仕事だからな。おっと、それじゃあ俺もそろそろ仕事に戻らないと。またな、少年」
ジムはそう言って片手を上げると、先程仲間たちがスリの犯人を追って行った方向へ向かって走り始める。途中町の人々から声を掛けられているあたり、好かれているようだ。ただ、正直今から追いかけてもとは思ってしまうが、仕事なのだとしたらしょうがないのかもしれない。
「わざわざ起こしてくれるなんて、よっぽど親切な人なのね」
「まあ、犯人を追わないで俺を起こすのは、警察としてどうなんだって話だけどな」
「それもそうね」
足元から顔を出してクスクスと笑うイニを拾い上げ、そのまま肩に乗せる。ふぅと息を吐き出すと、なんだか一気に疲れが押し寄せてくるようだった。
「なんか一気に疲れたな」
「色々あったもんね。ちょうどいいし、お昼でも食べたらどう?」
「そーすっかなあ」
ライアンが欠伸混じりに言って伸びをすると、腰のあたりがパキポキと気持ちよく鳴った。
「なんか気晴らしに美味い肉が食いた……ん?」
「どうしたの?」
ポケットに手を突っ込むなり、おや? と小首を傾げたライアンに、イニが声をかける。しかし、返事はなく、ズボンのポケットや着ていたジャケットのポケットを探り続けている。
「えー……あれ? どこ入れたっけ?」
「ちょっとライ? ……ねえ、そんな泣きそうな顔でこっち見ないで欲しいんだけど」
「――どうしよ」
消え入りそうなその声に、イニは眉をひそめる。それからハッとなってすぐ近くにあるライアンの耳元を見るも、彼のピアスはいつも通りの輝きを放って揺れている。
「本当にどうしたの? ピアスならちゃんと着いてるわよ?」
「そっちじゃなくて、財布が……」
「それってもしかして……」
ライアンはこくりと頷く。一応落とした可能性を考えて辺りを見渡すが、財布らしきものは見当たらない。となると、考えられるのはおそらくあのローブの人物にぶつかられたタイミングしかないわけで。それから、ジムさんは昔からこの町ではスリが多いと言っていた。つまり、だ。あのローブの人物は警察に追われながらも、更に罪を重ねたことになる。
脳裏に、深い青色をした瞳の色がよぎった。その瞳が間抜けとライアンを笑ったような気が急にして来て、頭の中で何かがぷちっと音を立てた。
「あんのクソガキぃ――ッ!」
ようやく静けさを取り戻した町に、ライアンの怒りの声が、虚しく響き渡った。
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