第17話   獅子身中の魔

「うわ~、兵隊さんがいっぱいだ!」


 子供がそう大声を張り上げると、隣にいた母親が子供の口をすかさず塞いだ。


 子供の視線の先には、ガラガラと音をたてる馬車が街道を徐行していた。 


 普段ならば別に珍しい光景ではないのだが、問題はその馬車と兵隊の数であった。


 軽く数百台はあるであろう馬車の群れが、膨大な兵糧や武器などの物資を運びながら、往来の街道を悠然と占拠していた。 


 そして、その一台ずつの馬車には精強そうな兵士たちが、甲冑の擦れあう音を響かせながら闊歩していた。


 よく見ると、兵士たちの甲冑の作りが様々に異なっている。


 正面から見ても顔の構造が特定できないような、全身防御の甲冑を着けている兵隊もいれば、農民が簡単な軽甲を身に付けただけのような兵隊もいる。


 その一人一人が頑丈そうな長槍を掲げ上げ、遠目から見れば槍衾のようにも見えなくもない。 


 それだけ、その風景は異常なほど圧巻で壮大であった。


 一番後方にいる部隊からは、前方の部隊が霞んで見えない。 


 それほど長い隊列を組んで進んでいる馬車の中でも、一際目立つ作りの馬車があった。


 全体を豪華な装飾品で飾られており、カボチャのような形をしている。 


 見てくれはどうであれ、馬車の車輪一つ手綱一つとっても高級感があり、馬にも気品が満ちている。 


 周りの馬車には二人の兵士が左右を挟むように歩いているが、その馬車には六人もの精鋭といった感じの兵士たちが、辺りを警戒しながら護衛していた。


 まるで貴族か王族が使用するような馬車であった。 


 その馬車に向かって、足早に駆けてくる人影があった。


「ハムギ様!」


 一人の若い兵士が、馬車の外から扉越しに中に話しかけた。


「カシオか……首尾はどうだ?」


 馬車の中から低い声が聞こえてくる。 


 その声は静かなようで、どこか凄みが感じられるような男の声であった。


 カシオと呼ばれた兵士は、まだ十代後半を思わせる少年のような顔立ちであった。 


 急いで駆けて来たためか、息の乱れを整えるように深呼吸をする。 


「はあー、ふうー。 も、申し上げます!」 


 カシオは呼吸を整えると、馬車の中に乗っている人物に報告した。


「前線からの通達によりますと、レオナルド様の部隊がインパルス帝国の前衛部隊と接触したもようです。被害は今のところ少なく、レオナルド様もご無事とのことです」


「そうか、キキョウはどうしている?」


 カシオはその問いにも予想していたらしく、キビキビとした態度で答えた。


「キキョウ様は別街道からインパルス帝国に向かうもようです。どうやら敵の補給ルートを完全に遮断したとのことなので、ハムギ様が率いる〈デプチカ地龍重装騎士団〉が加われば、インパルス帝国に多大な侵害を与えられるでしょう」


「うむ、報告ごくろう。 皆の者にも一層の警戒を怠るなと伝えてくれ」


「はっ!」


 カシオは歩きながら馬車に向かって一礼すると、自分の持ち場に帰っていった。


「…………」


 馬車の中ではハムギと呼ばれた中年の男性が、両腕を組みながら険しい表情を浮かべていた。 


 ハムギの対面の壁には、ベイグラント大陸の全体図が貼り付けられている。


「おのれ、シバの古狸が味な真似をしおって……」


 ハムギが怒りの視線を向けた先には、ベイグラントの全体図が描かれている地図がある。


 その地図の中には、朱色で斜めに印が付けられている国があった。 


 シバ国王が統治するインパルス帝国である。


 このベイグラント大陸には、ブリタニア皇国を守護するために設立された〈守護同盟〉が存在する。


 300年前の〈ベイグラント大戦〉を機に設立されたこの同盟は、四つの主要国がお互いの利害関係を超えて、ベイグラント大陸を異民族の侵略から救ってくれたブリタニア皇国を、末代に至るまで守護していこうという考えから始まった。


 その考えは、〈ベイグラント大戦〉から300年後の今日に至るまで続いていた。


 ハムギが治めるデプチカ国、レオナルドが治めるサンタニア国、キキョウが治めるテンメイ国。 


 そして、シバが治めるインパルス帝国がそれにあたる。


 本来ならばインパルス帝国を筆頭に、他の三ヵ国がインパルス帝国を補助する形になっていた。 


 それは、守護同盟の提案者が当時のインパルス国王だったからだ。


 だからこそ、今回のインパルス帝国の反乱に、他の三ヵ国の王たちも腸が煮えくり返るような思いであった。


〈守護同盟〉の先駆けともいえる国が、よもや自分の親とも呼べる国を攻め滅ぼしたのだ。 


 兄弟の立場にあった三ヵ国にしてみれば、これほど屈辱的なことはない。


 ましてや、今のインパルス帝国を治めているシバ国王は、暴力や戦争といった類には無縁の人間であった。 


 だからこそハムギは、今回の反乱には納得がいかなかった。


 何か余程のことがシバの身に起きたのか……いや、たとえどんな理由があったとしても状況は覆らない。


〈守護同盟〉を結んだ主要国が交わした条約の中には、二つの絶対的な決まりがあった。


 ブリタニア皇国に対しての完全戦争行為の禁止ともう一つ――ブリタニア皇国に戦争行為を行った国に対しての完全制裁である。




 インパルス帝国がブリタニア皇国を滅ぼしてから数十日後――。


 デプチカ、サンタニア、テンメイの三ヵ国が、インパルス帝国に総攻撃をかけるという噂は、瞬く間にベイグラント大陸全土に広まった。


 その噂をいち早く聞きつけたインパルス帝国の近隣に住んでいる人間たちは、戦争の被害を恐れて一目散に他国に逃げ出した。 


 そして、それ以上にインパルス帝国内は混乱していた。


 慌てふためく民衆もいれば、「インパルス帝国は無敵だ!」と、叫んでいる人間もいる。 


 しかし、これから未曾有の虐殺が始まるかもしれないと、恐怖に震える人間の方が多いかもしれない。


 インパルス帝国全域を覆うように囲んである強固な城壁も、さすがに三ヵ国の総攻撃を受け止める力はなかった。


 民衆たちにもそれが痛いほどよくわかっていた。


 もちろん、混乱しているのは民衆ばかりだけではなかった。


「どうなっているんだ!」


 そう言いながら激しく机に拳を叩きつけている人間がいた。


 身に付けている高貴な鎧や、戦闘用とは思えないくらい煌びやかに作られた美剣が、その男が高い地位を持っていることを物語っていた。


「せ、戦況はどうなっている? わ、我が軍は大丈夫なのだろう?」


 机に拳を叩きつけた男の隣では、明らかに動揺を隠せない表情の男が、伝令係りに何度も同じ言葉を話しかけていた。


 これで6度目である。


 インパルス帝国王宮内の作戦会議室にいる幹部たちは、今や烏合の衆と化していた。


 デプチカ、サンタニア、テンメイの三ヵ国が攻め込んでくるとあって、早速インパルス帝国は先兵部隊を前線に送った。 


「フハハハハッ! ブリタニア皇国を滅ぼした我らインパルス帝国に敵はない!」


 そう息巻いていた幹部たちも、前線に送った部隊がレオナルド王率いる〈サンタニア月虎黎明騎士団〉の前に、なす術もなく敗退したことでようやく我に返った。


 自分たちは何てとんでもないことをしてしまったのだ。


 ――これである。


 もはや召集がつかない状況の作戦会議室の中に、一人だけ見当たらない人物がいた。


 シバ国王の側近であるカルマに洗脳されてしまったような幹部たちの中で、唯一、自我を保っていた孤高の武人。


 誰もが認めるインパルス帝国最強の剣士――アズベルトである。


 作戦会議室に飛び交う罵声とは正反対な静けさと、鈍重な雰囲気が漂う城内の薄暗い廊下を足早に歩く人影があった。 


 等間隔に壁に取り付けられたランプの灯火が、より廊下の雰囲気を重くさせる。

 

 そんなことを気にも留めずに歩いている人影が、ある部屋の前で立ち止った。


 その人物の訪問に驚いたのは、部屋の前にいた使用人の女性である。


「いけません、アズベルト様。この部屋はシバ国王の御寝所ですよ。たとえアズベ

 ルト様とはいえ、許可のない方はお通しできません」


「そう言えとカルマに命令されたのか?」


 アズベルトは片腕で使用人の女性を払いのけると、勢いよく扉を押し開けた。


 その衝撃で扉がギシギシと悲鳴を上げる。


 憤怒の感情が体内からマグマのように湧き上がる。 


 アズベルトは必死に抑えたつもりでも、それが行動に出てしまう。


 今やアズベルトは、噴火する前の火山の状態であった。


「シバ国王! 失礼致します!」


 言葉こそ丁寧にとり繕ったが、アズベルトの身体からは陽炎のような闘気が滲み出ていた。


 無造作に部屋に押し入るアズベルト。


 忠義に厚く、片時も礼節を忘れないアズベルトも、この時ばかりは気を配る余裕などはなかった。 


 下手をすれば、数日中にこのインパルス帝国が崩壊するかもしれないからだ。 


 アズベルトは部屋に入るなり立ち止まった。


 首を動かさず、両目を使い部屋の中を一望する。


 床には赤の絨毯が敷き詰められており、成人男性五人分は寝られるような大きさのベッドが、部屋の中央に堂々と陣取られていた。


 紛れもなくこの部屋はシバ国王の寝所であった。


 それだけに、その部屋の感じは異質だった。 


 窓は完全に締め切っており、日の光が微塵も中には入ってこないように遮断されている。  


(……おかしい) 


 アズベルトがそう思うのも無理はなかった。


 病で床に伏せっているはずのシバ国王の姿が、どこにも確認できなかったからだ。 


 それだけではなかった。 


 その部屋には、今まで人間が生活していた形跡がまったく感じられなかった。


(どういうことだ? シバ国王はどこに……)


 アズベルトは、何気なくベッドの横に置かれている大鏡に目を向けた。


 それは、シバ国王が自分の衣装を合わせるのに使用する大鏡だった。


 部屋全体が薄暗いため、大鏡には何も映っていないはずである。 


 しかし、何気なく目を向けた大鏡には、二つの小さな光が視認できた。


 アズベルトは、宝石か外から微かに漏れた日の光かと最初は思った。 


 しかし、宝石自体が光を放つはずがないし、日の光が漏れている感じもない。


 好奇心を掻き立てられたアズベルトは、おもむろに大鏡を覗き込んだ。


 ベキッ……メキッ……。


 大鏡を覗き込んだ直後、アズベルトの後方から奇妙な音が聞こえてきた。


 肉と骨をすり潰すような奇怪な響き。


 その音を聞いた途端、何故か全身が粟立ってくる。


 武人としての本能だろうか。 


 後方から迫り来る危険を敏感に察知し、その場から瞬時に離れた。 


「ギシャアアアアッ」


 突如、猛獣の悲鳴のような叫びとともに、数秒前に立っていたアズベルトの位置に、何かが凄い勢いで猛進してきた。 


  

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