第15話 強者同士の決着
(これは……)
サクヤは自分の体内から湧き出る奇妙な感覚に気が付いた。
上空を飛行していた黄金色に輝く光鳥。
ゲンジロウの身体を鎧のように包んでいる紫色の光。
そして、シュラの炎の剣。
太陽や月の光とはまったく異質な、神秘の光景がそこにはあった。
オオオオ……ウン!
ゲンジロウが深く長い息を止めると、体内を包んでいた紫色の光が動き始めた。
ドロリとした絡みつくように動く光は、まるで意志を持つ泥のようであった。
その光はゲンジロウの身体を離れると、今度は手にしていた長槍に絡みついた。
辺りはもうすっかり日が落ちて、薄暗くなっている。
その暗闇の中で、唯一、青白く幻想的な雰囲気を作っている月の光に、ゲンジロウの長槍を包んでいる光が加わると、この場所が異世界に繋がってしまったような不思議な感覚に陥ってしまう。
「いくぞ!」
鬼のような形相になったゲンジロウは、人間の皮の下には猛獣が入っているのではないかと思わせるくらいの獣臭と殺気を放っていた。
その匂いはサクヤの鼻腔の奥まで漂ってきた。
(――殺される)
サクヤでなくても、今のゲンジロウを見た人間は誰でもそう思うだろう。
二足歩行の猛獣が武器を持ち、得体の知れない力まで使おうとしているのだ。
「おおおおおおおおっ!」
ゲンジロウは先程の冷静な動きとは違い、一気に間合いを詰めて攻撃してきた。
シュラの顔面に向かい一条の閃光が走った。
自分の顔面に向かってくる必殺の突きをいなすべく、シュラは瞬きをしていない。
ゲンジロウの正確無比な突きを、シュラは身体全体を使い大きく躱した。
首を捻るだけでは躱せないと読んだのだろう。
それでもシュラは完全に突きを躱せなかった。
シュラの頬からは勢いよく鮮血が噴出される。
しかし、ここまではゲンジロウも読んでいた。
ゲンジロウは腕の筋肉に力を込める。
二の腕に逞しく盛り上がる力こぶは、高密度に圧縮されたゴムのような弾力と、極限まで鍛えられた鋼のような硬度を兼ね備えていた。
ゲンジロウはその怪物的腕力でもって、シュラの胴体ごと柄の部分で薙ぎ払うつもりだった。
下手をすれば骨折程度では済まない。
うまく防御したところで、叩き付けられた先が悪ければ死に至ってしまうかもしれない。
どっちに転んだとしても、自分の有利は変わらない。
ゲンジロウはそう考えていた。
まさに野獣の強さと人間の知性を巧みに使い分け、冷静に状況を分析していた。
そんなゲンジロウに対して、シュラは紙一重で躱したゲンジロウの槍に身体を密着させてきた。
ゲンジロウは苦笑した。
槍という武器は突くことが早くできれば、引くことも早くできる。
闘いで乱れる様な時は、穂先と柄の部分を自在に使い分け、突き、払い、薙ぎ、斬り付けなどの技術を駆使して闘いを有利に運ぶことが出来る。
おそらく自分が槍を完全に引くまでに、柄を両手で摑み取り攻撃してくる。
だからこそ、シュラは身体を密着させてきた。
ゲンジロウは、心の中でそう思ったからこそ苦笑したのである。
槍の柄を右手で摑んでいるシュラは、粘りつくように密着しながら踏み込んでいく。
ゲンジロウの読み通りに反撃に出てくるシュラ。
しかし、一つだけゲンジロウの思い通りにならないことがあった。
シュラは槍に込められたゲンジロウの力を完全に殺していたのだ。
摑んでいる右手を巧みに操作し、力の方向を逸らしている。
達人の域にまで達しているゲンジロウの槍を完全にいなせる技術を持つシュラもまた、達人の域にまで達していた。
このまま間合いを詰めて急所に一撃を当てれば、シュラの勝機も見えてくる。
だがそれは、ゲンジロウが普通の状態で闘っている時の場合だった。
そして、今のゲンジロウは確実に普通の状態ではない。
ゲンジロウは、大木のように両足をしっかりと大地に踏ん張った。
安定した下半身の力が、上半身を伝わり槍全体に波紋のように行き届いていく。
槍全体に絡み付いている紫色の光は、ゲンジロウから伝わってきた力と呼応するように激しく輝いた。
ドロリとした泥のような感触を思わせた光は、螺旋を描きながら高速に回転していく。
その空気を巻き込む独特の回転音が、何かしらの超常的な力を秘めていることを如実に物語っていた。
その動きに対し、シュラの反応は速かった。
「シュラ!」
水中に身体を沈めていたサクヤは、叫び声とともに勢いよく立ち上がった。
盛大に水飛沫が上がり、未成熟な裸身があらわになるが、本人は気付いていなかった。
それほど目の前の光景が衝撃だったのかもしれない。
それは、一度だけ瞬きをするか否かの刹那であった。
シュラが摑んでいる右手を離そうとしたのはサクヤもわかった。
シュラの右手以外の身体が横方向に移動しようとする体勢になっていたからだ。
「がはっ!」
だが次の瞬間、シュラは口から赤い血を溢れさせながら苦痛の叫びを上げた。
槍を摑んでいた右手を軸に、シュラの身体が半回転して大地に突き刺さったのだ。
大地に勢いよく叩きつけられたシュラの身体はそれだけでは止まらず、砂煙を上げながら大きく吹き飛ばされた。
その光景を見たサクヤは、自分の口内から発する悲鳴を両手で塞いだ。
シュラの身体は派手に弾け飛んだが、何とか体勢を立て直し踏みとどまった。
圧倒的な力を見せたはずのゲンジロウの頬に、冷たい汗が流れ落ちる。
(こいつ、あの一瞬に自分から飛びやがった)
いつのまにか、ゲンジロウの槍を包んでいる光の回転は止まっていた。
どうやら短時間しか効力は持続できないようだ。
その証拠に、ゲンジロウの口からは荒々しい吐息が聞こえてきて、目に見えるくらい疲労しているのがよくわかる。
「……まいったな」
シュラの右手がダラリと脱力している様に垂れていた。
見れば、ゲンジロウの槍を摑んでいた右手からは真紅の血が滴り落ち、大地を赤く染め上げていた。
強烈に回転する光の摩擦力で、火傷のように皮膚が爛れている。
その様子を目の当たりにしたサクヤは、無我夢中で岸辺から上がり、シュラの方へと足早に駆けていく。
ゲンジロウの視線がシュラからサクヤへと移った。
シュラとの闘いに夢中で、本来の目的を忘れていたゲンジロウも、人目を気にしない格好で駆けていくサクヤを見て我に返った。
ゲンジロウの槍の標準が、サクヤへと変わった。
サクヤは気付いていない。
後方から突風のように迫り来る殺気にも気付かないくらい、サクヤは慌てていた。
(――死ね!)
ゲンジロウが手にしていた槍に力を込めたその時、
ドクンッ!
突如、ゲンジロウの身体が平衡を欠いた。
頭上から足の爪先にまで、電流が走ったかのような錯覚に襲われたのである。
そんなゲンジロウの視線の先にはサクヤがいた。
だが、サクヤの様子がおかしかった。
サクヤはその場に両膝をつき、呆然としていた。
命を奪わなければならない標的が目の前に立ち止まっているのに、ゲンジロウはその場から一歩も動けなかった。
ゲンジロウの背中を滝のような汗が流れ、全身を炎の余波に当てられているかのような熱気が伝わってくる。
そして、久しく忘れていたある感情が、身体の奥底から怒涛のように押し寄せてきた。
幾多の戦場を渡り歩き、遠い昔に捨て去ったはずの感情……それは、恐怖という名の死神であった。
その死神に身体を蝕われながらも、ゲンジロウの視線がシュラの方へと向けられる。
ゲンジロウは驚愕した。
本物の死神が目の前に存在していたからだ。
ヒュウウウゥゥゥ……
シュラの口から独特な呼吸音が聞こえてくる。
人間の呼吸というよりも、自然の風の音を思い浮かばせる呼吸であった。
その呼吸とともに、シュラの体内に小さな〈気〉が生まれた。
小さく生まれた〈気〉は、シュラも呼吸の長さにより一瞬で大火へと変わり、シュラの全身を紅蓮の炎が包み込んでいく。
本物の炎ではない。
〈闘神術〉により具象化された〈気〉の炎である。
「〈――獅神煉剣――〉!」
そして、この世に生まれた〈気〉の炎は、瞬く間に剣へと形状を変えていった。
それは、発動させた術者の心が生み出した精神の力そのものであった。
「一つ、言っておきたい」
そう言うシュラの手の中には、炎粉を撒き散らし、灼熱に燃え盛る炎の剣が握られていた。
「この状態はひどく身体と脳に負担がかかる。俺と同じ、〈闘神術〉を使うアンタならわかるだろ?」
「とうしんじゅつ?」
シュラの口から発せられた聞きなれぬ言語に、サクヤはおもわず声に出した。
「だから……すぐに終わらせて貰う!」
その直後、シュラの身体を包んでいた紅蓮の炎が一気に燃え上がった。
「うっ!」
「ぬううっ」
そのあまりの炎の勢いに、サクヤとゲンジロウは身を守る体勢を取った。
それほどの炎の余波が、シュラの身体からは放たれていた。
シュラは炎の鎧を身に纏い、地を這うような体勢のまま一気に前へ出た。
「おおおおおお!」
疾走しながら下段に構えたシュラの炎の剣が、大地を燃え裂きながら跳ね上がった。
その場の空間に炎の断面を浮かべてしまうくらいの灼熱の刃。
およそ人体を斬った音とは思えなかった。
しかし、シュラの炎の剣はゲンジロウの鍛え抜かれた鋼の肉体を確実に切り裂いていた。
ゲンジロウの胸に熱い衝撃が走った。
斬られた箇所からは鮮血と炎粉が噴出し、ゲンジロウの膝が重力に導かれるままガクリと地面に落ちた。
シュラの身体が動いてからわずか数秒の出来事であった。
「く……しまらねえなあ」
そのままゲンジロウは、天を向きながら大の字に倒れた。
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