第5話 杉並から練馬へ引っ越し
高校卒業前の1月の日曜日を使い、朝早くから引っ越しを決行する事に。
前の日から入念に段取りを考える。
ちょっとした遠足気分だったが、これが実家との永遠のお別れになるとは、この時には思っていなかったかもしれない。
とりあえずは引っ越しの協力者は無し。
基本的には自分で思い立った事は、全て自分でやり切りたい。
体のでかい兄弟3人で六畳一間に寝ていた俺にとっては、この場所からの脱出は最高の喜びだった。引っ越しの前夜は、興奮のあまり眠れなかった。
ワクワクで目がぱっちりとする経験を、この日初めて迎える事になった。
その為。寝不足のまま朝を迎える___。
正直言って、荷物なんてほとんどないつもりでいたが、いざ持っていくとなるとまあまあ物がある事に気付かされる。
捨てればいいのに捨てられないという人間の愚かさが。
高校時代に好きだった「早見優」の写真もなぜかカバンに。
他には、残りの期間学校に通うための教材、高校の制服と少しの洋服。趣味のレコードやCD他、諸々。そして何故か自宅にいた時に作ったタペストリーを持って行く事に。布に木の棒を差しただけの簡単なモノだったが、それを祖母の家に持って行きたかったのだ。
しっかりとした生地に青いラインでデザインされているヨーロッパ風?の布からは、活力を感じる事が出来た。
そして、それを部屋にぶら下げれば、オシャレに見えるような気がして作った。人生のニュースタートにはぴったりのアイテムだとその時には感じていたのだ。
祖母の家までは、駅で言えば井の頭線の「西永福駅」から西武新宿線の「上石神井駅」。自転車で片道約1時間半掛からないくらい。
父親が車で運転していた道を思い出しながら、そして当時はナビゲーションなんて無かったので片手に東京23区マップを持ち、そこに線を引き、最短の道順を調べる。都度、ページをめくりながら引っ越しを決行する。
自分の引っ越し手段は通学用のマイカー、「籠付きスーパーママチャリ」だ。
籠に入るものは、とにかく何でもコンパクトにして詰め込む。
後ろの補助席にはプラスチック製の衣装ケースをゴムバンドで括り付けた。
そして問題はタペストリー・・・、持っていくのは良いが、どこにも載せられない・・・。
という事で、まさかの背中の洋服の所に突き刺して、背中から旗のように靡かせて走る事に。この時代は、どんな事でも恥ずかしいと思わない所が俺の凄さだった。
自転車で井の頭通りを抜け、裏道から上石神井を目指す。
自転車に乗っている間、とにかく歌を歌い続けていた。
吉川晃司、尾崎豊、佐野元春、レベッカ、BOOWY、時々石川さゆり・・・。
歌いながら感じるその日の風はいつもよりとても気持ちが良く、これからの俺の人生を後押ししてくれているかのように後ろから吹き付けた。
きっとその日の自転車のスピードはママチャリ界で一番だったと思う。それくらい速かった。
しかし、平坦な道ならまだいいが、祖母の家までは沢山のアップダウンがある。
筋トレと思いながら山のような荷物を自転車に積み、走りまくる。
ギアのない自転車が容赦なく体に過度の負担を掛けてくる。
当初はバスケットボールもずっとやっていた為に体力には自信があった俺は、そこまで大変とは思ってはいなかった。
何故かというと家から飛び出せる事の方が楽しみ過ぎて、引っ越しの間の苦労は頭には入っていなかったからだ。
そうやって杉並と練馬を往復3回して引っ越しをする計画だったが、一回目に祖母の家に着いた時には、「まじか?これを3往復するつもりなのか?俺は・・・。」
と、イメージとは違い、かなりハードな計画だとその時に気付かされる。
引っ越しの計画は朝から始まり、夜までには終わらせるはずだった・・・。
若いってだけで、考える事が無謀すぎる。
お金がないからっていう理由で、無茶過ぎる事がその時は分からなかった。
往復で3時間。それを3往復。合計9時間。昼休憩なし。ちょっと変わったトライアスロンみたいな感じだった。その当時の俺は、その辛さを想像できない位バカだった。
残念なくらいアホだった。
二往復した段階で言葉を発する事さえも出来なくなる。
でも、引っ越しをやめるわけにはいかない。
既に教材と制服は上石神井に置いてきた。それも馬鹿だった。最後に持っていくようにすれば・・・、教材だけでも最後に持っていけば、もう一日猶予があったかもしれないが、これも神様の仕向けた事。ラストの荷物を無事上石神井まで運びきり、「タカヒロの飛び出し日記」は、スタートする事になった。
人間は限界を超えると言葉を失い、口が閉まらなくなるというのを経験する。
上石神井で迎えてくれた祖母は一人バタバタと動き回っている俺を見て、
「タカヒロ、大丈夫?あんた自転車で持ってきてるんだ!え?何回往復したの?若いってすごいねー。」
と、何度も俺にそのバカな行動を驚きで伝えてくれた。
ただ、「ご飯は自分でどうにかする」という決め事とは裏腹に、俺が来る事を喜んでくれた祖母がその日の夕食を作って待っていてくれた。その為、夜ご飯は祖母の好意を有難く受け止め、ご馳走になった。むしろ、その日に自分で用意する力はまるっきり残っていなかった為、祖母の出してくれたご飯は神からの贈り物のようなものだった。その日の味噌汁は忘れられない程旨く、具材のワカメは格別だった。
五臓六腑に染み渡るというのをこの年で知れた事は本当に有難かった。
「お婆ちゃん、明日からはご飯は適当に自分でやるから、気にしないで良いからね。今日は本当に助かった。ご飯がなければ死んでたかも。」
※この時代の若者は大変な事があるとすぐに、「死んでた」と使う事が多かった。
「そうなのかい?一緒に食べないのかい?」
「うん、迷惑掛けたくないし、一人でやるから大丈夫だよ。」
この時の俺は、若すぎて祖母の気持ちがまるっきり分かっていなかった。
ご飯を一緒に取る事が祖母にとっては楽しみだったんだろうけど、俺からすると、いきなり来た事で迷惑をかけてるなーという後ろめたさでそこまで考えが及ばなかった。
とにかく無鉄砲な俺の「飛び出し日記」初日は肉体疲労と恐ろしいほどの筋肉痛で幕を閉じた。
祖父が生前使っていた部屋を借りて住む事になったが、引っ越す前に用意していた「パイプベッド」が俺を優しく迎えてくれたのを今でも忘れない。
体の大きかった俺の足はベッドからかなり出ていたが、それも全てが楽しい青春の1ページとなった。
部屋にたった一人だけで過ごせる幸せをこの時初めて知ってしまった。
やばい、嬉しすぎる・・・。
最高だ!一人だけの部屋!
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます