椿淘太Side

第1話「夏の空」

前日の夜に用意した物を詰めたリュックを背負い、バケツをぶら下げて、まだ暗い時間に僕は家を出た。


本当はもう少し…8時くらいには出ようと思ったけれど、一度目を覚ましたあと、どうしても眠れなくて、結局この時間に出てきてしまった。

そんな自分の様を思って苦笑する。


「どちらかと言うと辛い内容なのに、なんでこんな早く起きようと思ったんだろうねぇ。」


ぽつりと呟いた独り言は誰に聞かれるでもなく、暗闇へと溶けるように消えていく。

それに構うことなく、僕はまだ寝静まった住宅街を歩いていく。

暫く歩くと駅に辿り着いたので、隣県の駅の名前を

が書かれた切符を買って機械に差し込んで、吐き出されたそれを財布に押し込んでポケットにしまう。


(本当にご苦労さまだなぁ……)


大きな駅ではないが、それでもホームには始発を待つ、これから会社に行く人達が列を作って電車を待っているので、その後ろに並んで暫くして来た電車に乗って、あまり降りない駅で降りて乗り換えて……

そうして二時間は電車に揺られて辿り着いた駅の改札に切符を押し込んで改札を出る。


「あまり変わらないな……。」


降りた駅は静かな場所だった。

駅前は一応栄えてはいるけれど、それでも繁華街と呼ぶには程遠い。

普段より少し早い朝食を取って、目的地へと歩く。


初めて連れて行っていただいた時は車だったが、歩いていけない距離ではないし、歩くのは苦でないので、徒歩でのんびりと歩いていく。


「まあ、終わる頃には蒸し暑くなるから、帰りはタクシー呼ぶか、本数少ないバス捕まえるかした方がいいかな…。」


夏の蒸し暑い日差しにうんざりし、帰りはどうしようか悩みながら目的地の一つ、普段お世話になってる花屋へ足を運ぶ。


「いらっしゃい……あら、久しぶりね、お兄さん。」

「お久しぶりです、お元気そうで。」

「お兄さんも元気そうね。今日もこれくらいの時間だ。」


既に顔馴染みになった店主のおばちゃんと挨拶をして、世間話をしながらお金を渡して花を受け取る。


「………どうしてでしょうね。会える訳ないのに、いざ行くとなると、必ずいつも夜明け前に起きるんです。」

「……大切だったんでしょうね。これ、持ってって。一個はお相手に。」

「……ありがとうございます。今度は僕が何か持ってきますよ。」

「いいよいいよ、おばちゃんの勝手なお節介だ。……いつか、その悲しみも癒える事を勝手に願ってるよ。」


僕は、それをどう返すか迷って

「頑張ってみますよ、何とか。」とだけ言って、軽く黙礼して本来の目的地へ向かう。




◆◆◆


「……愛梨、来たよ。」


いくつもの区画を横断し、端の方、ほんの少し遠くに工場が見える区画……

中学時代の恋人、愛梨の墓へ挨拶をする。

当然ながら、返事が返ってくることはない。

ここに来るまでひたすら歩いて汗だくになったので、着ていたシャツを脇に置いて、いつもやっている感じで掃除をしていく。


定期的に掃除をされていて、すぐに綺麗になったので、買ってきた花と線香、彼女が好んで飲んでいたお茶…花屋のおばちゃんからいただいた和菓子を置いて、手を合わせる。

しばらく手を合わせてから、それを崩し買ってきた水を煽って、また向き直る。


「弟の奏がさ、何の因果か、女子校に行く羽目になってね。」


いつもの様に、最近あった事を墓前で話しかける。

ただ、内容が内容なので苦笑まじり、おかしくて笑いながら話すしかなかった。


「それも、たくさん彼女……なのかな?まあ、いいや。彼女がたくさん出来てねぇ。奏の良いところを見てくれる子がたくさんいるのを、素直に喜ぶべきなんだろうね。それと、その内の1人が母さんにどストライクだったらしくて、娘みたいに可愛がってるんだよ。」


それ以外にも、色々あった事を話した。学校の事を、家族のことを。見合いを蹴っぽりまくって、厳治をネタで泣かせてしまったこと。

最近は何とか楽しくやってる事を、思いつく限り。

何となく時計を見ると、そこそこ時間が経ってる事に気付いて驚いた。

いつも大体時間を忘れて話しかけては驚くが、今日は一番長い。

まあ、奏が原因なんだけど、と苦笑する。

思えば、話した内容も殆どあの子絡みだ。

それくらい色々あったし、楽しかったんだ。


「愛梨。今度は……まあ、秋頃にはまた来るよ。冬は………寒いけど、頑張って来るしかないねぇ。」


普段は夏の方が嫌なのだが、お墓参りだけは別だ。寒くて仕方ないし、水を使う分、本当に冷たくて仕方ない。

シャツを羽織り、荷物を纏めて未だ煙を燻らせる墓に目をやる。


「じゃあ、またね。」


そう言って、背を向けて帰路に着こうとした時だ。


――――淘太、またね。


思わず、後ろを振り向いた。

当然だが、居ない。

当たり前だ。この世の何処を探しても、彼女はもう何処にもいないのだから。


ただ、それでも……

あの声を、自分が間違うことなどない。

今、その耳を撫でた心地よい声は間違いなく。


「…………っ。」


一瞬、泣きそうになるのを堪えて、愛梨の墓の方へ出来る限りの笑顔を向ける。


「ああ………いつか、必ず。」


そう言って、今度こそ僕はそこから歩き去る。

それがいつになるかなど分からない。

それが、どんな形になるかも。


それでも…


彼女が悪い意味で言う事など無いのだから、その時まで頑張るのは悪くない、そう思えるのだ。


区画脇の木陰を抜け、空を見る。

雲一つない空が、どこまでも広がっていた。

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