落第先輩と酔いどれちゃん

佐古橋トーラ

序章

一手に揺れる日常 1

※この物語は法律・法令に反する行為を容認・推奨するものではありません。また、この物語はフィクションであり、実在の人物や団体とは関係ありません。




 毎週夜に私の家で行われる勉強会。


 私は落第のピンチに陥っていて。あの子は私に弱みを握られていて。


 楽しいことなんてなにもないはずの関係。


 それでも心のどこかでこの勉強会を楽しみにしている自分がいることを否定できない。


 自分がどうしてこんな気持ちになるかなんて分からない。この気持ちが正しいものなのかもわからない。それでも、あの子も私と同じ気持ちだったらいいなと、少しだけ、ほんの少しだけ思う。







時計の針が夜9時に達するのを目視しながら、同時に私は正面の机の前に座る少女に目を向けた。


「ユキ、この問題わかんないから教えて。」


 目の前の数学の問題に四苦八苦し、解答をみても全く理解できなかったので、助け舟を求める。


「えー、その問題中学生レベルのやつですよ。何でそんな簡単な問題もわかんないんですかぁ。」


 しかし目の前の少女こと、橋延ユキは手助けをするどころか問題を解けない私をニヤニヤしながら煽ってきた。


 ……この感じ、もう酔ってるな。しかもかなり悪酔いだ。


 私は机に乗り出して、ユキが持っていた缶を没収する。


 うわぁ、とわざとらしい声と共に重心を外されたかのように勢いよく机に突っ伏すユキのうなじがよく目線に映る。


「飲み過ぎはダメって言ったでしょ。気づかない間にこんなに………。」

「大丈夫ですよ。それ微アルだし、それに私はまだ酔ってません。」

「酔ってるよ。早く顔でも洗ってきて。約束、忘れたわけじゃないでしょ。」


 少しきつめの口調で言うと、ユキはへいへいと文句を言いながらものっそのっそと立ち上がって洗面所へと向かう。

 その様子が、私の汚い借り部屋とよくマッチしているなと思った。天井についた人の顔のように見えるシミに、ヒビ割れた壁、そして酔っ払い、いかにもありそうなシチュエーションだ。

 ユキや私が女子高生じゃなかったらもっとそれらしかったのだろうが、彼女は立派な高校二年生だし、この古い部屋は間違いなく私が借りているものだ。


 ふぅと一息ついて体を伸ばす。

 

 やれやれ。アルコール度数1%未満だとしても、それで酔ってしまっているなら、結局は普通のお酒を飲むことと同じことだ。

 身体的なことはわからないが、少なくとも私にとっては。

 とにもかくにも、留年阻止のために私は勉強しないといけない。

 上級生の私が言うのも情けない話だが、そのためにユキは必要なのだ。


 やがてあくびをしながらユキは部屋に戻ってきて、私の隣にストンと座った。

 調子は良さそうではないけど、いつものことだから心配なんてしてあげない。

 

「えーっと、3番の問題ですよね。」


 ユキが問題を覗き込んでくると、私の体と雪の体がかなり密接にくっつく。

 

お酒臭い。あと衣服がぐちゃぐちゃになって、彼女の白い下着がtシャツの胸元からはみ出している。

 微アルコール飲料を少し飲んだだけでこうなってしまうとは、アルコールの力はやはり恐ろしい。いや、恐ろしいのはユキの体質の方かもしれない。

 彼女ならお酒の少し入ったチョコレート菓子を食べただけで酔ってしまうかもしれない。今度試してみよう。


「……で………となるわけです。」

「なるほど…。」


 しかしなんだかんだいってユキの説明はとてもわかりやすい。流石は学年トップクラスの秀才といったところか。

 自分で解くだけにとどまらず、教えるのも上手いとは、私とは持っている才能が違う。


 私が感心してユキの顔を見ていると、目線に気づれたらしく、整っていたユキの顔が、酔っている時特有のにやけ顔に変わる。


「んー、センパイ。人からものを教えてもらったら何か言うべきことがありまうよね。」


 ………やっぱり前言撤回だ。


 ユキの口調は上手く舌が動いていないのか、子音が抜けてる部分がある。


 こんなベロンベロンに酔って、呂律も回ってない人間より劣っていると思いたくない。

 ユキは普段は猫被ってるくせに私に対する態度は良くないし、こうやって酔っているときはもっと酷い。 


「いつもは特に何も言ってないけど。」

「『ありがとうございます』って言うんだよ。子供の頃に教わらなかった?」


 うるせえ。

 今のユキは今すぐ張り倒したくなるほどすごくうざい。

 勉強を教えてもらうどころの話じゃない。

 やっぱり微アルコール飲料だとしても認めるんじゃなかった。

 あと、これでも私の方が先輩だぞ。その態度は何だ。敬語を使え。

 あ、これはダメだ。後輩に勉強教えてもらっている私にもろにブーメランが帰ってきてしまう。


「………うにゅ。」

 

 私が意味のない脳内会話をしていると、現実世界で聞いたことのないような擬音が横から鳴るのが聞こえた。

 隣を見るとユキが机の上に腕を置いて、そこに顔を埋めながらスヤスヤと眠っていた。


「はぁ。」


 彼女と初めて会った日、こんな関係になるなんて思いもしなかった、と遥か昔のようで実際には2ヶ月前の事象を思い起こす。

 

 もともと私はとあることがきっかけで、この子がお酒を飲んでいることを学校や友達に内緒にする代わりに、私が勉強を教えてもらう、という約束を結んだ。


 ユキに対して深い事情は知らない。

 ただ私がユキの秘密を守る代わりに勉強を教えてもらう。それだけの関係だ。


 ユキは高校二年生で私は三年生、普通に考えたら私は教えてもらうどころか、教えてあげないといけない立場なのだが、落第間近の私と常に学年トップクラスの学力を持つユキでは、一年の寿では到底埋まりきらない学力差がある。


 だから私はありがたく彼女の力を借りているわけだが……。


 ………結果的にはこの有様だ。

 どうにかしてこの子に飲むのをやめさせないと、私の計画が狂ってしまう。

 一応、私の前では違法行為にならないようにしろ、と言いつけてはいるが、合法である微アルコール飲料を飲んでこれなんだからなぁ。


「…………すぅ……」 


 ユキは隣で時々吐息を漏らしながら気持ちよさそうに眠っている。


 こうやって見ると幸せそうだなあ、と思う。

 

 私には一切関係のないことだが、良い成績を取るために教師にゴマを擦ったり、友達関係を正常に保つのは大変なことらしい。

 普段からストレスが溜まっているみたいだし、この子がリラックスできる手段がお酒なのだとしたら、私もこの子のために、お酒に頼らなくてもいいようにする方法を考えていく必要がありそうだ。……あくまで私の勉強のために。


 風邪をひかないように何か掛けてあげようと、机に手をついて立ち上がろうとした。


「ひあっ!」


 立った途端に誰かに私の足を掴まれたのを感じて、思わずらしくもない高い悲鳴をあげてしまった。

 あたたかく、普通の人間のものより熱を帯びているように感じられる手が、親指から小指まで余すことなくガッチリと私の手首を握っている。

 もちろんこの部屋には私とユキしかいないので、必然的に掴んできた手はユキのものであるということになる。


「ユキ、手、離して。」


 寝ぼけているであろうユキに咎めるが、手を離してくれない。

 必死に逃れようとするが、ユキは謎の凄まじい力で私の足を持ち上げようとしてきた。


「っっ!」


 それだけで私の軽い体は一気に傾き、バランスを保てなくなる。

 そしてそのまま後ろ向きで倒れ込んでしまう。

 まずい、と思ったが、幸いにも倒れ込んだ場所は私の布団の上だった。


 何とか怪我せずに済んだが、流石に私も怒らざるを得ない。もしも倒れた地点が布団の上じゃなかったら強く頭を打ってしまっているところだろう。


「ちょっと、危ないでし__ 」


 しかし、ユキに対しての私の言葉は途中で遮られてしまった。

 ユキが布団の上で私の上に乗りかかってきたからだ。

 

 

 

 

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