第8話 ちゃんと知って


「図書委員、誰か希望する人、いませんか」

 司会の学級委員が呼びかけた。



 今日の学級活動の時間は、後期の各委員決めだ。

 琉生のクラスは、前期の委員を決める時も、なぜか図書委員がなかなか決まらなかった。それでも、なんとか仲よしの女子2人が引き受けてくれたものの、図書委員の仕事は思っていたより面倒だったらしく、

「後期は、やらない」

 2人はそう宣言していた。


「図書委員なんて、カウンターの前に座って、本のバーコードをピッと読み込んだり、本を棚に戻したりするだけだから、簡単だと思っていたら……」

「いっぱい、みんな訊いてくるのよ。こんな本はあるか? あんな本はあるか? 題名は忘れたけど、こんな色の表紙で、こんな感じのストーリーでって。……本人が題名を知らないものを、私がわかるわけないじゃん」

 2人がいろいろぼやくものだから、すっかりみんな腰が引けてしまったのだ。


 そんなわけで、決まっていないのは、図書委員のポスト2名分だけだった。

「図書委員、誰か希望する人、いませんか。

 司会の学級委員が呼びかける。じとっとした沈黙が広がる。

 そのときだ。静かに、一本の手が上がった。

「あの。私、やります」

 彼女は、2学期始めに転校してきたばかりで、まだ仲のいい友達もいない。教室の隅っこでいつも本を読んでいるが、何の本を読んでいるのかは、ブックカバーで見えない。

 

「なんか得体が知れないよね」

「笑ったとこ、見たことないし」

「声かけても、小さい声でボソッとしか返事しないし」

「なんかねぇ……ちょっと気を遣うよね」

 クラスの女子たちは、みんなそう噂していた。男子たちは、女子以上に、遠巻きに見ていた。目を引くような可愛い子かスタイルがとびきりいいとか、そういうのだったら、たぶん、彼らは、声をかけまくっていたに違いない。


 そのうち、真っ黒な長い髪で下を向いて本を読んでいる彼女を、ずっと昔に話題になったホラー映画のキャラクターみたいだ、なんていうやつも現れた。ちょっと不気味だとか言い出すやつも。

 そのせいで、積極的に彼女をいじめようとする者もいないかわり、みんな微妙に距離を取って、敬遠している空気が広がった。


 1学期から、夏休み終わりまで、目一杯ライブやドラマで忙しかった琉生は、そんな空気に気づきながらも、あまり関わることもなかった。琉生自身も、彼女と話したことは、まだなかった。

 ふと、琉生は、事務所に入所した当時のことを思い出した。




「オレのことをちゃんと知ってもらう。知った上で、嫌いか好きか、判断してもらったらええねん。だから、ちゃんと知ってもらうまで、オレは声かけ続けるねん」

 想太が言った。


 まだ事務所に入って間もなかった頃、想太と琉生は練習生の段階をすっ飛ばして、いきなり研修生からのスタートだった。だから、時間をかけて、やっと研修生に上がった一部の先輩たちからは、『親の七光り』『生意気』などなど、聞こえよがしにいろいろ言われた。直接、何かされるわけではなかったが。

 想太は、父親が同じ事務所の妹尾 圭であること、琉生は事務所は違うが有名な俳優の息子だということで、贔屓されている、という見方をする者もいたのだ。


 先輩たちは、巧妙に主語を省いて悪口を言う。だから、言わないでほしいと頼むことさえできない。

「オマエらのことじゃないし。何言ってんの?」

 そう言われるのがオチだ。


 想太も琉生も、それなりに覚悟していた。それでも、やはり、冷たくされることが続くのは、けっこうきつい。

 琉生は、父の事務所が違うこともあり、想太ほどきつく当たられることはなかったが、琉生は想太がいなかったら、そんな空気に耐えられたかどうか自信はない。

(あの人のようになりたい)

 あの日の思いと、想太の存在が、琉生を支えたと言ってもいい。


 そんな日々の中で、想太が言ったのだ。

「オレのことをちゃんと知ってもらう。知った上で、嫌いか好きか、判断してもらったらええねん。だから、ちゃんと知ってもらうまで、オレは声かけ続けるねん」

 そして、彼は笑顔で、どんどんその先輩たちに声をかけていったのだ。毎回の挨拶も、分からないことを訊くときも、ちょっとしたおしゃべりも、とびきり可愛く明るい笑顔で。無視されてもひるまずに。

 琉生も、精一杯、そんな想太に倣った。


 はじめのうち、わざと無視されることもあったが、パワー全開で小さな子犬が嬉しそうに懐いてくるみたいな想太を見て、いつまでもそっぽを向ける人はいない。

 徐々にその先輩たちの態度は変わっていった。優しくされるまではいかなくても、笑顔には笑顔が、ふつうに返ってくるようになった。


 ある日、想太と琉生に冷たくしていた先輩グループの中心人物が、想太に言ったのだ。

「オマエには負けるわ」

 そして、彼は想太の髪をクシャクシャとなでて、

「オマエ、可愛すぎ」

 そう言ったのだ。

 あのときの、想太のはじけるような眩しい笑顔を、琉生は忘れられない。


 それ以降、レッスン室の空気ははっきりと変わった。みんなで気持ちを一つにして、いいステージを作り上げよう、そんな想いが表れたパフォーマンスに、ぐんぐん変わっていったのだ。


 

 ――――嫌いも好きも、相手をちゃんと知ってから。知りもしないで、決めつけないこと。

 琉生の心に、あの日の想太の笑顔が浮かぶ。


 琉生は、手をあげた。黒板の前に立つ、学級委員に言う。

「僕も、やります。図書委員」


 クラスが大きくどよめいた。

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