あとがき/ある掃除屋の遺言。
――××さん、死なないで、生きてください。
(……地獄にも、天使はいるらしい)
……死んだ、と思ったら
呆気なく、佐かった――と思ったのもつかの間、無闇やたらと後ずさったせいでかかる必要もないトラップが頭上に降り注いだ。
――なんて、愚かな最期。
に、してくれなかったのも揺唯だった。
彼人は名前のない構成員を庇って代わりに傷を負ったのだ!
話したこともない、仲間だとも思われていないはずの、実際名無し自身ただヤバい奴だと恐れていた揺唯に、殺されるどころか佐けられ、代わりに彼人が死にかけている。
「っ! ……ぉ、おい! し、死ぬな……! お前、強いんだろ⁉ 死ぬな、生きろよぉ……」
彼人自身も自ら血を垂れ流しながら、泣きべそをかく。
庇ったせいで頭から背中にかけてざっくりやられてしまっている揺唯は、ぴくりと一度痙攣したのみで後は動かなくなった。
どうしよう、どうしようどうしよう、どうしよう……!
自分が死ぬ、というときよりよほど死なせてはいけない、生かさなければならない、自分がどうにかしなければならない!という使命感に
クソの役にも立たない、と思っていた彼人の応急手当てがここで火を噴いたのだ。
そして、揺唯の懐をまさぐって無線を取り出して必死に叫んだ。
『はい、こちら――』
「たすけてくれ! ユイが……死にそうなんだ! 誰か、たすけ……」
ザーザーザー、ブツッ……。
地下街だった。
当然、電波状況はすこぶる悪い。
むしろ、一度でも繋がったことが奇跡だった。
「クソっ……‼」
の役にも立たない無線を叩き落とさなかったことを心底褒めてほしかった。
嘘だ。
その気力も力もなかっただけだ。
自分でどうにかするしかない、と揺唯を肩で背負って引きずっていった。
思えば、自分だけでも走って電波の繋がる所まで行けば早かったのに、そんな思考回路はとうに焼き切れていた。
佐けてくれた彼人を死なせたくない一心で、ずるずると一歩ずつ進む。
……けれど、遂には倒れ伏して地上に出ることすら叶わない。
――役立たず。
死ぬ間際に自分自身が自分を呪った。
生まれたときからごみならば、死ぬときだってごみのままだ。
それでも、今自分を下敷きにしている温もりだけはどうか佐けてほしい、と祈った。
暗転/地獄。
暗い……。ここは、地獄か。
もう、痛みも感じないし、何も見えない。
自分らしい、情けない最期だった。
あいつ生きてるかな、と思った。
――もし佐けられたなら、もういいや。
ふと、胸に温もりを感じた。
それは命みたいで、無性に懐かしくなった。
「――……××さん、死なないで、生きてください」
天使の囁きはしかし確かな実体として現れた。
地獄に射す光は、なんと現実の灯だったのだ。
あまりにも眩しくて何度もまばたきをすると、そこには白い和服を着た通信士がいた。
「……ぁ、れ。オレ……しんで、ない……?」
こくん、と頷いた。
「あ、の……オレ、あいつにたすけられて。あの、ユイ……いきて、るっすか……?」
首肯。
黒い三角巾が揺れた。碧の瞳は隣のベッドを流し見た。
そこには、確かに包帯を巻かれた揺唯が横たわっていた。
胸が上下している。生きている!
彼人はほっと息を吐いた。
と、同時に通信士が胸から手をどけた。
どうやら、治療魔術をかけてくれていたから胸許を温かく感じていたらしい。そうやって治癒してくれていたのだ。
生き延びた半分は、彼人のお陰らしかった。
「……あり、がとうござい、ます。たすけて、くれて」
「お礼は揺唯さんと室長と秘書さんに。わたしは、何も……。それに、揺唯さんが佐かったのはあなたが応急手当てを適切にしてくれたからです。ありがとうございます」
――ああ、そうか……。オレも、誰かを佐けられたんだ。
「よかった……」
通信士の声を聞いていると、なんだか眠くなる。単純に怪我のせいかもしれないが。
ゆっくりと瞼を下ろしていく名無しに、ムクイはこう囁いた。
「……おやすみなさい、××さん。いい夢を」
まるで、子どもを寝かせる母親のように包み込んでくれる声音で。
――……そうだった。オレの、名前。
けれど、よく考えてみれば物心ついたときには母親はいなくて、自分の名前を呼んでもらった記憶なんてないんだった。ともすれば、それは初めての寝かしつけみたいなもので。遠い昔に忘れ去った名前をこの人に呼んでもらえてよかった、と眠りの淵に思った。
……
覚醒。
目を覚ますと、
「……おい。俺の前でのんきに狸寝入りたぁいい度胸だな?」
「ひぃっ。すみません、起きます」
室長の鋭い声が怖くて、彼人は思わず半身を起こそうとする。が、反対に秘書によって止められた。
「まあまあ。寝ときぃ?
いつも腹を見せない糸目の秘書も今日ばかりはどこか心配そうにこちらを見つめている。何はどうあれ、佐けてもらった事実がある以上、心配もかけたし大事にもされているらしい。
潜入捜査や諜報員、怪盗が主な任務であるらしい秘書にも名前がない。むしろ、名前がたくさんありすぎるから本名となる名前など要らない、と捨ててしまった人なのだ。自分と同じだ、と思っていたけれど、よく考えると今は自分の名を思い出してしまった。
すみませんでした、と寝た体勢で謝る。
「ええよ、無事生きて帰ってきたことやし。ワシも最近他のチームがうちの面子狙っとるの知ってたのに対策が甘かったんも悪いし」
ぶんぶん、と頭を振る。
「くふっ、そないに頭振っとると傷開くて」
笑われた。でも、不快ではなかった。
「……まったく、常々他の奴らからの任務は受けるな、と云っておいたのにこのザマだ」
びくぅ!となった。彼人は怯える子羊のように震えながら視線を彷徨わせる。
秘書は許してくれても、室長は許してくれないかもしれない。怒って処罰されるかもしれない。
「そうビビるな。俺が傷つくだろ……。あのな、確かにお前の勝手な判断には怒ってるがそれも俺の監督不行き届きだから処罰する気はねぇよ。敵を炙り出して処理できたし、結果誰も死ななかったしな」
でも、佐けにきてくれた揺唯は怪我をしたのだという事実に、沈鬱に俯く。
「……ぉ、オレのせいなんです。オレが、びびって逃げようとして、トラップに引っかかって……! それを、庇ってくれたんです。すみません、オレ……役立たずなのに迷惑、ばっか……。どうしようもなくて、ちょっとくらいできるとこ見せたいって勝手して、結果こんなことに――」
「莫迦が、俺がいつてめぇを役立たずだって云ったよ」
「え?」
「お前にヤバい仕事を割り振らなかったのは、それ以外にやるべき仕事がたくさんあるからだろうが。そりゃ、危険な殺しがお前の適性だとも云わないがな。てめぇが思っている以上に、長年仕事やってきたお前はいろんな役に立ってんだよ。じゃねぇと、俺のチームに選んでねぇよ」
初めて、知った。
廿楽班に選ばれたのは偶然の産物で、室長の指名ではないと思っていた。
「……じゃ、じゃあ、オレ……まだ、ここにいていいんすか?」
「たりめぇだろうが、勝手に逃げるなよ。……ああ、そうだ。てめぇには先に云っておく。これから俺が設立する会社についてくる気はあるか? 殺し以外の仕事になるが」
一瞬、何を誘われているかわからなくて戸惑った後、スカウトされているのだと気づき一も二もなくぶんぶん頷いた。
「ふっ、ならいい。設立までにはまだしばらくかかる。それまでは、誰にも漏らすなよ?」
――笑ってる。
いつも眉間に皺を寄せて怒っているみたいな室長が、柔らかに笑っていた。強くて厳しくて怖い人だと思っていたけれど、案外と優しくて部下思いな人なのだと自分の中のプロファイルを改める。
そうして先に室長は出ていって、秘書があれこれと魔力薬だとかの説明をしてくれた。
「……んなもんかな。あー、そうそ、寝てる夢杙が起きたらちゃんと自室で休むように云っといてや? ほな、お大事に~」
手を振って退室していく秘書の言葉に、驚いて振り向く。
ぎょっとした。
あれだけうるさくしたのに、通信士――夢杙は揺唯のベッドの上で上半身をうつ伏せてすやすやと眠っていたのだ。
目許を腫らして、涙の痕跡を残して、揺唯の手をぎゅっと握って。
すとん、と胸に落ちた。
――そっか、ムクイはユイが大事なんだな。
アイドルに恋人がいたみたいな喪失感はあるものの、揺唯が彼人にとってのヒーローでもあったからいい人同士がつき合うならいいかな、という気持ちだった。
それから三日で元気になった彼人は、お世話になった人たちにそれぞれお礼の菓子折りを持っていった。室長と秘書は安っぽい洋菓子の詰め合わせにこんなもんに使うくらいなら自分の食事代に回せばいいのに、という顔をしていたが素直に受け取ってくれた。夢杙は通信室の前の小部屋の硝子窓越しにお辞儀をしてくれた。かすかに口許を緩ませていた気がするのは、気のせいじゃないとうれしい。揺唯に至っては、「だれ?」と問われたが押しつけると素直に受け取ってくれた。
間もなくして、揺唯が裏切って組織を抜け、夢杙がそれを擁護して処罰を受けた、という噂を聞いた。
あれから、誰も二人を見た者はいない。
/
――……なぁんてな!
バッドエンドなんざクソくらえ、ハッピーエンドさまさまだ。
ある一人の構成員はどうにか境界地動乱の時代を生き残り、裏組織瓦解後、廿楽謠惟が新たに設立した「安住補助員派遣会社クレイドル」の一員に加わり、今日もこうして掃除屋として清掃に勤しんでいる。
それは、よく晴れた夏の日だった。
カーナカナカナカナ。
ひぐらしの鳴く、夕方。
クレイドル本部近くのオフィスビルの清掃をしていた。
日が暮れかけてもまだ暑く、滴る汗を首にかけたタオルで拭う。
重たい機械を連れてワックスをかけている途中、ふと二階の窓から前の通りを歩く誰かが目についた。
いつもなら、通行人になど目も向けない。清掃員なんてどうせ石ころ同然で見向きもされないんだ、というちょっとふてくされた気持ちで黙々と作業を進めるだけである。
けれど、なんの気なしに……そう、夕日が眩しかったからとでも云うべきか。気紛れに窓の外を見遣ったのだ。
そこには――一般社会にはありふれた幸せな家族がいた。
この境界地では、珍しいことだが。
作業着を着て頭にタオルを巻いた水色っぽい髪の父親と、夏らしい浴衣を着た母親と、その母親にだっこされている小さな子ども。
父親が笑って手を広げ、子どもを受け取った。
――たかい、たかーい。
……幼い頃、まだ父親がきちんと食事を与えてくれていた時期もあって、小さな彼人をああやってあやしてくれたことがあった。いろんなバイトをかけ持ちして、汗だくになって手もどろどろで、ぎりぎりの生活をしながらも一本の棒アイスを二人で分け合って、笑い合った日もあったのだ。結局、元々面倒くさがりなヒモ体質で精神的な限界が訪れてすべてをぱーにしてしまったけれど。愛が、なかったわけじゃない。
毛嫌いしてすべての記憶を封じ込めてしまっていたけれど、なくさなくてよかったと思えるものだっていくらかはあるみたいだ。
遠い、夕暮れの帰り道。
もう、戻れないあの日。
確かに愛された記憶が落ちていた。
親子は三人で夕日へと向かっていく。影ばかりが名残惜しげにこちらへ伸びている。
――……そうか、二人は三人になって、幸せになったんだな。
よかった。
同じ場所を重点的にワックスがけしてすべすべにしてしまい、糸目の管理職に怒られた。けれど、にやりと笑って「夏祭り、行こや」と誘われたのだった。
いつか、同じ職場にいる限り、同じ境界地にいる限り、再会する日もあるかもしれないし、ないかもしれない。遠い昔のような苦しい時代に知り合った、ヒーローとアイドル。
名前を忘れたふりした一人の清掃員は、今日も掃除道具を持って街のどこかを綺麗にしている。
そうそう、結局夏祭りでばったり家族たちと出会って、揺唯はまったく気づかなかったものの夢杙――もとい廿楽
〆
――オレたちゃ、この街を綺麗にする掃除屋だ。
足を洗って手を汚し続けるのさ。
ずっと粗末に始末したこの身を、贖罪に費やす。
埃も塵芥も埋め立てて、いつか墓に刻んでくれ。
……この言葉を。
尤も、しばらく地獄へ逝く予定はないが。
終
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