第二WAVE 光が射し込む

 作業は進み、クレーンからワイヤーで吊るされた簡易リフトで「穴」へと降りる。3人が乗り込み、リフトは降下を始めた。


 ついに「穴」の調査が始まる。


 ほぼ全ての事柄が明らかになっていない今、足踏みして立ち止まっている暇は無い。

 あらゆる想定の下、動き出しているが、想定とは経験と知識からのあくまでも予想できる範囲のものでしかない。

 あまりにも突飛で摩訶不思議なことには想定もなにも役に立たない。



「なんなんですか」「何がおきてるんですか」「知らん」などと、周囲の自衛隊員たちは始まる前から既に不安や焦燥が蔓延している。

 未知との遭遇はいつも突然で、準備する余裕など与えてくれない。



(ジーーーーー)

 リフトに乗った3名は不安を抱えていた。

 下降するにつれて周囲の音が無くなり、ワイヤーがひたすら伸びていく音が、次第に大きなものと感じるようになっていった。下降から数十秒、心は疲弊を始めている。


 未曾有の事態ということには誰もが気づいているが大きな声で言う者はいない。

 不安の声をあげたところでなにかが変わることは無いのを、これまでの経験で知っている。

 そう、今すべきことはとにかくひとつでも多くの情報を掴み、持ち帰ることだ。

 覚悟は時に現実逃避の役を担う。情報を得る事に集中し他の事を考えないように努めた。



 ヘッドライトで周囲を照らすが、どこもかしこも絶壁で空洞などは見つからない。

 下を覗いても未だ底は見えてこない。

 胸元のカメラから地上で待機している各組織へと映像が送られているが同様に何も見つからない。



『100m』


『200m』


『600m』


『━━(900m)』



「おい、応答しろ!くそっこれ以上は電波が届かない。一旦引き上げ作業に入る。

 なんだっ!いったい何mあるんだ…この穴は」


 地上に設置された仮設司令室では、ドンっと強く机を叩く音が響くが誰一人としてその者を叱る事は無かった。みな同じ気持ちである。


 引き下げと同じ時間を要して地上へと引き上げた。先の見えない状態での話し合いは基地で待機している司令部もリモートで参加し煮詰めている。



2時間後。



 第二回特殊地穴潜行調査。

 昇降簡易リフトを三つに増やして計9人が潜行する。先程よりも深くまで降りる為、通信は出来ず適宜その場での判断が必要と思われ指揮官が同行し潜行することとなった。


(ジーーーーー)


 調査中止の合図は花火を打ち上げて教えると決まり、指揮官が所持している。

 そのため、全ては指揮官の判断に任された。


『600m』

『━━(900m)』


 先程同様、900m地点で通信がダメになった。もちろんここで止まるわけには行かない。情報を持ち帰るためにさらなる潜行が必要とされている。



「ついに、1000m到達しました」

「ああ。このまま潜行を続ける」

「まだまだ先が見えませんね」

「2つの意味でな」



 みんながみんな、頭を振り回し壁や下を照らして微かながらの進展を求めている。


 潜行から1時間が経過し、3000mにまで到達した。



「体調不良は大丈夫か?あれば言ってくれ」

「「「大丈夫です!」」」

 巨大な穴に響く猛々しい8人の声。

「よし、潜行継続だ」



 もちろん疲弊しているが音(ね)を上(あ)げていられる状況ではなかった。みなの心はひとつに、何かしらの情報を持ち帰るということに一貫していた。




 2時間後。下降を始めて3時間。地上。


「もう潜行を始めて3時間だぞ。今どのくらい潜った?」

「9000mを超えてしばらく経ちます!」

「…そうか」


 数人が大きな机を囲い、両肘を立てて組んでる手の上に額を乗せて俯き、大きなため息を吐く。

 一向に音沙汰が無く、新しい情報が無ければ動こうにも動けない状況が続き苛立ちが許容できないところまで立ち上ってきた。


 静寂の時間が経てば経つほど状況はより最悪へと近づいている。今分かってるのは穴が9000m以上もあるということ。それだけでも胃が痛くなってしまう。


 頭を抱えていたその時。



(ギギィギィっ!!)


「なんだ!」

「ワイヤーが大きく揺れました!!恐らくリフトがなにかに衝突したものと思われます!」

「花火の音は聞こえないのか!」

「聞こえません!」

「穴の底に着いたのかもな」

「なるほ━━」

(パァァァーーーーン!!)


 穴から地上へと破裂音が突き上げる。


「「「「!!」」」」

「聞こえたなっ!すぐに引き上げろ!」

「了解!」

 ワイヤーの揺れを皮切りに慌ただしく動き出す地上待機班はこれから持ってこられるであろう吉報を信じてリフトが引き上がるのを待つ。




3時間後。地上。


「リフトが見えてきました!」


 わらわらぞろぞろと勇み足でクレーンのそばに人が集まる。誰もが穴の底がどうなっていたのかが気になり前のめりになっている。されど、1度注意が入ればスンと静かになり、少し乱れていた隊列は瞬く間に均整の取れた見事なものとなっていた。


 そんな彼らを前についに地上へと3つのリフトが帰ってきた。みんなの期待の視線の先に映ったものは。


 酷く無惨なものだった。


 黄色の塗装が施されていたリフトは赤黒く染まり、中では人だったものと思われる体の断片が転がっていた。


 たちまち大勢の悲鳴が辺りを包んだ。

 事態は一変。喜色から憂色、歓声から悲鳴へと変わった。

 天変地異と言う他ない程に、みんなの世界から色が消えた。


 いわゆるジェットコースター反応。



 リフトに転がっている右足、下半身、上半身、左腕、何かに引きちぎられたような削られたような無惨な断面となって抉られていた。

 指揮官と思われる体は右半身が残っており、手には筒が握られている。


 顔が残っている者たちの絶望の表情は死の直前にどれほどの恐怖や怯えを感じたのか、死んでなおその表情は崩れていなかった。

 そんなおぞましい光景に目を背ける者も少なくない。中には寝食を共に過ごしてきた者もいるだろう。プライベートで一緒に過ごした者もいるだろう。



 それでも、指揮官の迅速で賢明な判断によって詳しい情報を手に入れることができたのは間違いない。

 他の者が身を呈して守ったのか、他の者よりもいち早く危険を察知したのか、半身も残っているのは指揮官ただ1人だった。

 一瞬でも判断が遅ければ一生花火が打ち上げられる事はなかったのかもしれなかったからだ。

 あまりにも長時間反応が無ければ引き上げていたかもしれないがその時リフトにこれほどの情報が残っていたかどうか。


 優秀な指揮官によって、尊い命の犠牲の上に、歩みを進める情報を手に入れることができた。




 そして1人また1人と気づいていく。これは単なる始まりにすぎないということを。

 誰かがやらなければいけない。でなければ日本は未曾有の危機に直面するのだと。

 次は自分かもしれない。この惨状の原因をこの目で見ることになるかもしれない。

 そうなる未来を考えてしまった。



 現状「穴」は日本でしか確認されていないのだ、容易に他国へ情報を流す事は出来ず秘密裏に対処しなければならない。

 万が一、公にでもなってしまえば騒ぎは大きくなり、より多くの自衛隊員が出動することになるだろう。

 その結果として動き出すのは日本だけに収まらない。「穴」に集中している時を他国から狙われる可能性もあるからだ。


 1日でも早く原因を究明しなければならない。その中で最も恐れている事態が「穴」が1つだけで終わるとは限らない、ということ。

 いったい「穴」の底で何が起きているのだろうか。未曾有の事態の調査は更なる未曾有の事態を招く結果となった。



 その後、5人が完全武装して潜行するも無惨な結果に終わった。


 遺体の情報から得られたのは傷口の断面が焼けていること。おそらく一度の衝撃で損傷していること。リフトには一切損傷が無いこと。



 確証は無いが結論として出されたのは、

 「穴」の底 (9600m地点)に何かがいる。生命体にのみ反応し動く。リフトやワイヤーには触れずにいることから意図的に識別していると思われる。



 その日、第四回特殊地穴潜行調査は行われなかった。午後11時、「穴」周辺を照らす全ての照明の電源は落とされ、明日に備えて眠りにつく頃には9月5日は終わっていた。

 調査1日目は14人の死者を出すという結果に終わった。



 得られた情報と被害が釣り合っていない。されどまだ1日目、考える事をやめてはいけない。

 これはまだ穴の入口に触れただけにすぎない。




 9月6日。

 第四回特殊地穴潜行調査。


「行ってくれるな?」

「嫌です!自衛隊を辞めます!なんなんですかこれ。わけも分からず死ななくちゃならないんですか!?これはほんとに国の防衛に必要なことなんですか!」

「なんだその態度は!ふざけるな、これは命令だぞ!!」

「だから辞めさせてもらいます!」

「そんな無責任なことが許されるか!死んでいった者たちに言えるのか!」


「ではこのまま潜行して我々を見殺しにするのは無責任じゃないんですか!無策で行くなんてそれこそ今まで潜行した14人の死者に対して無責任じゃないですか!」


 恐怖は時間とともに深く心を抉った。揺れる心に入り込む怖気と疑心。

 一晩経過して頭の中の情報が整理されたことにより、冷静さが生まれ鮮明に想像してしまった。



「私は自衛官になった時から覚悟出来てますよ。脅威を前に死地へと進まなくてはいけないのは覚悟してますよ。ですがこれは…どこへ進み、何に立ち向かえば…糧になるのでしょうかっ!


 我々の死の先に道はあるんでしょうか!光は差し込んでくれますか!

 そうであるなら潜行します。国を守れるならあの世で誇れますから。

 死にゆく我々に光を…未来を見せて下さいよ。たった一筋でもあれば、我々に拒む者はいません!」


 1人の覚悟が何をもたらすのか。1人で何ができるというのか。


 何も変わらない。



「光は無いんですね。

 それなら我々が命を賭して、同胞の先人たちと同じように情報を持って帰ります。我々の未来のために」



 自身の未来を覚悟し職務を全うするために「穴」へ降りるためリフトに乗った。



 下降から3時間。


(パァァァーーーーン!!)


 再び穴から地上へと破裂音が突き上げる。


「上昇!!上昇ぉ!!」


 上昇から3時間。誰もが絶望の宿した目でリフトを迎え入れる。訪れるであろう自分の未来と重ねて。覚悟なんてできやしない。

 自衛隊だろうが教師だろうが医師だろうが関係ない。1人の人間として死の覚悟なんてできやしない。




(ガシャンっ!!)

 上がってくると同時に自衛隊員がリフトに群がる。

 今回もやはり血だらけのリフトと断片だけが残った遺体。もしかしたらとほんの少し期待したが、予想していた結果だった。それでもやるしかなかった。犠牲を払うしかなかった。誰かが誰かを死地へと赴かせなければならなかった。


 恨まれてもやるしかないのだ。当然責任者にも責任者の苦悩がある。



「おい……」


 誰も声を発さず無言のまま遺体を運んでいる時、誰かが見つけた。

 それが視界に入った時は驚きが強く自分が声を出していたことに気づいていなかった。


「おい!意識はあるか!生きているのか!!おい!」


 端のリフトで隊員の1人が叫びだす。

 その声に反応してみんなが振り返り視線が集まる先には、血だらけの隊員が1人いた。


 右腕を上腕あたりから失っているがそれ以外は無事に残っている。無事と表現していいのか他と比べると無事と表現する他無い。


 どうやら、左腕がリフトの格子に挟まってぶら下がっていたのだ。


 気を失ってはいるが心臓は微かに動いている。


「すぐに運びだせ!そして何がなんでも救えぇ!!

 我々の希望だ!!」


 死地へと送り出した自衛官の叫びはみんなの心に突き刺さった。

 情報よりもまず第一にひとつの命を軽んじてはならない。命の重さに貴賎は無い。



 奇跡的にリフトに腕が挟まり帰還した。本人にとっては生きながらえたことが良いことなのか悪いことなのか。

 「穴」からの帰還。とにかく成し遂げたかった目的を達成した。

 意識を取り戻し情報を得ることができれば希望が光があるはずだと信じて。


 病院へ運んだ。




 数時間後。


「頭を強く打って記憶が混濁している可能性がありますので」

 


 手術を終え、病室のベッドに人が集まると意識を取り戻したのかゆっくりと目を開けた。

 開かれた虚ろな目は何を見ているのか、何が見えているのか、ただ一点の虚空を見つめる。

 両腕を失い、両足が複雑骨折。酸素マスク、点滴で何とか命を繋いでいる。そう、繋いでいる状態。


 一命を取り留めたのが奇跡だと。生きる意志が無ければ死んでいたと。医師は言った。

 今の彼が生にしがみつける程の光とはなんなのか。何を思い、死の淵から生還したのか。

 その精神力は凄まじい。



「ァ…ァァ…ァゥ……」


 精一杯喋ろうとしているがうまく口を動かせない。

 ベッドの隣に置いてあるモニターに文字が打ち込まれる。頭部に繋がれた機械が脳波を読み取りモニターに文字を起こしていて、みんなの視線が集中する。


「……」

(ゴクリ…)



 唾を飲み込んだのは誰か、体の内側から響くこの音は誰が鳴らしたか。


 意識を取り戻して一言目がこれなのか。モニターを見ていた病室内の全員が言葉を失い、1歩後ずさる。誰も触れていない、風もないにもかかわらず体が何かに押された気がした。

 その中で男に対して畏怖を宿した目を向ける者もいた。



『穴の奥深くで見たのは土色の化け物。四肢と頭部が人間と酷似していましたが、その輪郭は不定形でした。振るわれた腕がたちまち我々の体に接触すると溶けるように削られました。

 私も片腕を持っていかれた時はその熱さに声を上げてしまいました。それからの記憶はありません。

 気づけば三途の川で何かに追いかけられ捕まりながらも、強引に振り払って何とか逃げ切りました。


 9600m地点からまばらに横穴が現れ、そこに生息しているようでした。穴の底は確認できていないので不明です。

 成人男性程の体格をした輪郭が不安定な土色の化け物。身体能力が高く、その体は人体を溶かし、焼きます。


 あれは正しく人類の敵です』



 全ての文字が表示されたあと、抑揚の無い自動音声が静まり返った病室に響き渡る。



 未知の生物に襲われ、目の前で仲間を失い両腕を失い死に瀕しながらも誰より真っ直ぐ未来を見ていた。

 絶望とは何か。誰が見ても絶望の状況に陥りながらも誰よりも光を見ていた。彼の心に絶望は訪れない。


 彼の名は佐々木 真一。日本にこの名が刻まれた瞬間だった。



 

 この日から大きく動き出す。


 政界人、財界人が裏で動き出し現場は急速に変化することになった。

 更なる厳重な報道規制と自衛隊以外の進入禁止。

 さらに自衛隊員にも情報規制が行われた。


 



 ヘリコプターによる運搬で地下9600m地点の横穴にシェルターを設置。



 1番に名乗りを上げた企業は若葉重工。

 その会社は特殊な銃とそれに付随する製品を製造していた。


 潜行機動鎧装(マン・イン・ザ・デイドリーム)。

 全長2mということで、閉所など狭い所で掃討殲滅を想定して造られたパワードスーツ。

 

 生命照準、バランス制御、高可動域、AIによる自動補助、思考補助、体温調節、CSバックパック(小型核融合炉)、が搭載されている。



 それを扱うのが自衛隊に所属する特殊操逐潜行機兵隊。通称「特潜」。


 特殊操逐潜行機兵隊。

 壱式潜行隊〜参式潜行隊の3部隊で構成され、1部隊各5人ずつで計15人(機)で編成され、秘密裏に画策されている非公式の組織。

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