03:行方知れずの例のアレ


 扉が閉まるや否や彼女は振り返って、また茜に抱きつく。


「うぶうぶだねえ、茜ちゃんは」

「え、そ、そうかな?」

「そうだよ! 恋愛初心者な茜ちゃんかわいーっ!」


 恋愛初心者、という意味ではその通りだと思う。なにせ人と付き合うという経験は初めてだ。だがなにもかも戸惑ってばかりの自分の状態が可愛いとは思えない。むしろ恥ずかしいくらいなのに。

 にこにこ笑う那由の方がよっぽど可愛いと思う。


「そんな恋愛初心者の茜ちゃんに良いこと教えてあげちゃう!」

「う、うん?」

「疾風のことだよ!」


 可愛い笑顔で那由は疾風の隠し事をひとつ、茜に教えてくれた。その内容に始めこそ驚いたものの、ゆっくりと口元が緩んでいく。


「ね! 茜ちゃんなら気になってるんじゃないかなと思って!」

「確かにちょっと気になってはいたけど……勝手に教えちゃって那由ちゃん怒られない……?」


 途端にただ可愛かった那由の笑顔に含みのあるものが混じり、ひえ……と茜の頬から赤みも引いた。黒いというか、怖いというか。


「大丈夫大丈夫! それに、前回疾風が私の好きな人のことお母さんにバラしちゃったせいで今それ以上にされて嫌なことないから!」


 前回、というのは疾風が「おばさんにあいつのことバラしてやるからな」と言ったあの時のことだ。茜も翌日にきっちり仕返しを受けたが、那由も受けていたのである。

 曰く、那由の母はとにかく恋バナと名の付くものが好きで、友人であろうと娘であろうとかなりしつこく聞きたがるそうだ。小学生の時に初めて質問攻めを食らった那由は、以来絶対に母親にその手の話はしなくなったという。しかし仕返しと称して疾風がバラしてしまったので、その件を那由はかなり根に持っている。


「持ってきたけど、……那由、なにニヤけてんだよ」


 部屋に入って来た疾風は得体の知れぬ者を見るかのように盛大に顔をしかめた。声に出しては言わなかったが気持ち悪いと確実に思っているだろう。そんな顔だ。


「恋する乙女に向かってなんてことを!」

「乙女なんて柄か」

「うるさいですぅ!」

「茜もお代わりだろ」

「あ、ありがとう!」


 つい声が上擦った。訝し気な視線を向けられて、今度は顔を逸らしてしまう。

 疾風は挙動不審な茜の隣で満足げにニヤついている那由を睨みつけた。


「今度はなに言ったんだよ!」

「それはぁ、茜ちゃんから直接聞いてくだっさーい」

「あ、おいっ」

「まったねー!」


 勝手に盆の上のコップを取りお茶を一気に飲み干すと、那由は含み笑いを残して早速と出て行った。出て行けと言っても居座る時とは別人のような素早さだった。

 部屋には挙動不審な茜とわけがわからない疾風の二人だけが残る。


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