15:奪われた__


 あ、ヤバい、涙、出るかも、なんて思うよりも先に、涙はこぼれていた。


「……なんで泣いてんの?」

「だ、だって……っ!」

「だって?」

「なま、なまえっ」


 疾風は純粋に驚いて目を丸くする。顎を掴む手は離され、顔と顔の距離もいつの間にか遠くなっていた。

 えぐえぐと泣き続ける茜を、困惑した顔で下から覗き込んでくる。


「なんだ、それ」

「私の名前っ、……呼んでくれたことなかった! なのに朝の子のことは、呼んでた……っ」

「朝の子? 那由のこと?」


 こくこくと首を縦に振る茜の前髪を疾風の手が優しく梳く。


「那由は俺の従妹」

「……従妹!?」


 そういえば従妹が同じ学校に合格したという話をしたような、気がする。だが直接紹介されたわけではないのだから、わかるわけがない!

 ぱちぱちと瞬きをすると目尻に残っていた最後の涙の粒が頬を滑り落ちる。それを疾風が手の平でごしっとこすり取っていった。


「そ。んで? 従妹だって知らなかった茜の誤解は那由のせい。今朝言いかけて止めたのも那由のせい、てことか?」

「な、なんでそういうとこばっか鋭いのっ!?」

「へぇ、マジでそうなのか」


 再び返って来た意地悪な表情に鎌をかけられたと気づいても、してしまった発言はもう消せない。


「じゃあ次。先輩と出かけた理由も那由関係あんの?」

「……」

「茜」


 これ以上なにも言うまいとだんまりを決め込んだ茜の決意は、名前を呼ばれるだけであっさり氷解してしまう。

 わざとなのか無意識なのか知らないが、このタイミングで名前を呼ぶのはずるい。絶対ずるい。勝てるわけがないではないか。


「っ、関係ないよっ! それはまったく別問題で、ただ行きたいと思っただけ!」


 悔し紛れに勢いで答えたのがまたしても失敗だと気づいたのは、疾風の顔が恐ろしく歪んだ時だ。さあっと血の気が引く音が聞こえた気がした。


「ち、違う! 嘘っ! そんなこと思ってない!」

「今さらおっせえよ」

「いひゃいいひゃいっ!」


 さっきまで優しかった手に両頬を引っ張られる。「よく伸びる頬だな」なんて楽しんでいるようだが、遊ぶなと言いたい。

 ひとしきり遊んで楽しむと気が済んだのか手は離れた。

 茜は引っ張られた頬を隠すように両手で覆う。


「ひどい!」

「ひどいのはそっちだろ」

「疾風の態度が悪いせいでしょ!? しっ、しかも! 私のふぁ、ファーストキスをあ、あ、あ、あんな最低なタイミングで……!」


 そう、そうなのだ。実はひそかにそれが引っ掛かっていた。

 茜だって女の子だ。ファーストキスに夢見ていたっていいではないか。


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