第58話 幕間8(操理遊香)
タワーの地下、探索者観察署特課の廊下を足速に進むのは艶やかな美女。
見た目は美しく、少し大きめの眼鏡がギャップとなり愛らしさを感じる。スタイルも良く、その胸部には凶器と呼べるほどの夢が詰まっていた。
そんな
途中で同僚である探索者から声を掛けられるが、下劣なお誘いに応えるわけもなく、無視して通り過ぎる。
それを気に食わなかった探索者が舌打ちをするが、それ以上、何かをして来る事はなかった。
この施設でトラブルを起こせばどうなるか分かっているのと、遊香に手を出せば、その背後にいる上司が出て来るのを恐れたのだ。
上司である黒一は、探索者観察署において恐怖の象徴のような存在だ。
それこそ署長よりも影響力はあり、ここに所属している力のある探索者でも一蹴する暴力を持っていた。
用意された一室に到着すると、奥の机には恐怖の象徴である黒一が座って資料を読んでいる。
彼の見た目は、至って普通の男性だ。
細身の体に肩まで伸びたオールバックの髪型、黒一色の服装を除けば何処にでもいそうな中年男性である。
「クロイツさん! 話が違うじゃないですか、あの人もチートでしたよ!」
遊香は黒一に食って掛かる。
他の人からすれば近寄り難い人物だとしても、同じチームのメンバーからすれば、気心知れた上司なのだ。
「おやおや、そんなに強かったんですか?」
「私の捕まえたモンスター、全部やられましたよ。このままじゃ赤字ですよ赤字! 経費で落として下さいよ!」
「おー、この短期間でそれ程とは…。 分かりました。経費でなんとかしましょう。それで、報告書は出来てますか?」
「はい、これになります。 でも、クロイツさんの力を防ぐ理由は分かりませんでしたよ」
「結構です。スキルにその類いがあれば分かりませんし、彼自身も気付いてない場合もありますからね。 遊香さんがチートと呼ぶ程の実力者だと分かっただけでも、その価値はあります」
黒一は遊香に差し出された資料を手に取り、目を通していく。先程まで見ていた資料を机の上に置く。その内容は探索者監視署特課に所属している探索者の情報だった。
遊香は田中の調査を始めた日の事を思い出す。
調査初日、田中がアパートから出て来るのを待っていたのだが、どこからか帰宅してポストの前で両腕を上げて喜んでいた。
何かいい事でもあったのだろうと推測するが、大家らしきお婆さんが田中の挙動に驚いて水を掛けていた。
確かにいきなりの動きに驚くの分かるが、流石にやり過ぎではないだろうか。田中もしゅんとしている。かと思えば、なぜか大家にお礼を言っていた。
意味が分からない。
自室に帰った田中は、程なくして探索者が良く使用している半袖の防護服を着て、部屋から出て来た。防具や武器は持っていないようなので、ダンジョンの近くにある荷物の預かり屋にでも預けているのだろう。
その推測通り、ショッピングモールに行き、数多の装備品を取り扱う錬金工房『
ここでも荷物を預かるサービスを行っており、現に手に白い鎧を持ってカウンターに立っていた。
……いつの間に。
いつから持っていたのか分からなかった。
気が付いたら鎧を持っていた。
田中は何やら店主と話しており、最後は肩を落として出て行った。
武器は?防具は?
預けている装備を取りに来たんじゃないの?
そう疑問に思うが、それよりも田中を追う方が先だと頭を切り替えてポータルに乗り10階に飛んだ。
そして田中を見失った。
次の日も家の前で待ち伏せする。
夏の炎天下で、外に立っていては干上がってしまいそうだが、冷却用の魔道具を使用して、暑さをしのいでいるので平気である。
田中が部屋から出て来た。昨日と同じ格好だ。
もしかして、洗濯してないのだろうか。
「……不潔」
小さく呟いたつもりだったが、階段の途中で足を止めた田中がキョロキョロと周囲を見回している。
まさか聞こえたのかと警戒するが、何事もなく歩き出したので、きっと偶然だったのだろう。
またショッピングモールに到着すると、昨日の鎧をカウンターに置いて、もの凄く悩んでいる。
今回はしっかりと見ていたはずなのだが、やはりどこから持ち出したのか分からなかった。
結局、何もせずに立ち去る田中を追ってダンジョンに向かう。
今回は胸当てとヘルメットを装備している。
武器は見当たらないが、どうするつもりなのだろうか。
田中はポータルに乗って転移する。
昨日は見失ったので散々探し回ったが、結局見つける事は出来なかった。
資料には、最近13階を突破したと書かれていた。
だから10階に転移するのだろうと思っていたのだが、黒一が強いと言う程の人物ならもしかしてと思い、ダメ元で20階に転移してみる。
すると、少し前を歩く大きな体の持ち主がいた。
まさか、本当に20階のボスを突破しているとは思わなかった。しかもソロでだ。
助っ人を呼んだ可能性もあるが、それ程の交友関係があるとは思えなかった。
「キャハハハッ!?」
田中がオークとすれ違っている。
田中が手を上げて挨拶をすれば、オークも手を上げて挨拶する。
田中が笑いかけると、オークは凶悪な顔を歪めて笑って見せた。
あんたはオークの仲間か!
そんなシュールすぎる流れを見せつけられて、笑いを堪えることが出来なかった。
他の探索者も同様に、笑っているか、唖然としているか、動画を撮影しているかのどれかだ。
試しに自分もと、オークに挨拶した探索者が殴り飛ばされていたので、この現象は田中限定のようだ。
田中は探索者なのだろうか?
モンスターなんじゃないのか?
もしかしたら、捕まえれるかも。
スキル隠密を使用して、田中の後を追いながら考えを巡らす。
試してみたいな〜。
やってみても良いかな?
そんな不純な考えをしていたからか、隠密の掛かり具合が緩くなっていた。
田中に遊香の視線を気取られて、接近を許してしまう。
これは不味いと思い、小瓶に封印したモンスターを一体呼び起こした。
そのモンスターはオーク。
この階では唯一のモンスターではあるが、このオークは強化を施した特別製である。
「行け」
小声で指示を出すと、田中に襲い掛かる。
あのオークが田中に勝てないのは分かっていた。それでも、時間稼ぎくらいにはなると考えたのだ。
だが、ほぼ一瞬で屠られ、オークは肉塊へと姿を変えた。
田中の意識がオークに向いている間に、隠密を意識して、深く深く潜り姿を隠す。
黒一の言葉を改めて認識する。
田中を強いと言っていた。忘れたわけではないのだが、昨日からの行動が強さと直結せず、その実力を見誤らせていた。
「もう少し、慎重にいきましょう」
遊香は自分に言い聞かせるように呟いた。
次の日は朝早くから動きがあった。
電車に乗りダンジョンに移動すると、今日は誰かと待ち合わせをしているのか、目立つ場所で、道を半分占領して仁王立ちしていた。
大変迷惑である。
暫くすると、一人の男性が田中に声を掛けて何やら話している。どうやら車両に移動するようだ。
車で移動されたら、今回も追跡は無理だと諦めるしかない。
幸い、車両から出て来たのでその心配も無くなったが、車両での移動も考慮しておかなければいけなかったと反省する。
一応、田中と接触した人物が誰なのかチェックしておこうと写真を撮る。探索者には見えなかったので、一般人だとは思うが念のためだ。
この日は、特に何も無かった。
ただ、何かのアイテムで死にかけていただけだ。
それを見て、大笑いしただけの日だった。
そして、調査を開始して五日目。
新人探索者の指導を行なっていた。
新人への指導は20階を突破した折に、一度だけ新人の指導を行わなければならない決まりとなっている。
勿論、報酬も出るし、探索で得た成果を貰う権利もある。ただしそれは、探索者協会に加入している者のみに適用されるルールである。
本来、野良である田中はその義務を負う必要はないのだが、何故か指導を行っていた。
新人への指導はほとんどせずに進んで行く。
今日は暇な日だ。
田中に動きは無く、新人の背後に付いて行っているだけだ。
遊香自身も10階のボス部屋でアドバイスしたくらいで、本当に暇な日だった。
最後に探索者協会の会長にクレームを付けて、どこかに連れて行かれていたが、無視してその日は帰宅した。
六日目は、何故か裁縫の講座を受けていた。
どうしてこれを受けるのか分からない。
しかも受講チケットを使ってまでだ。
受講チケットがあれば、人気の講座を優先的に受ける事が出来るのに、わざわざそれを使用してまで裁縫を受講していた。
受付にそれとなく勿体ないと言われていたが、まったく気にした様子はなかった。
きっと物の価値が分かっていないのだろう。
それとも、彼にとっては裁縫がそれ程の価値があると言うのだろうか?
そこら辺は、本人しか分からないので、口出ししても仕方ないだろう。
そして、調査最終日……と思っていたらプラス一日となってしまった。
まさか、最後の最後に泊りがけで探索するとは思わなかった。
これまでの調査で判明した田中のスキルは地属性魔法、空間把握、身体強化、物を自在に出し入れ可能なスキルの四つだ。
最後のものについては、似たようなものが二つあり判別出来ないが、恐らくアイテムボックスだと思われる。
アイテムボックスはレベルの数だけ、荷物の種類と数を収納できる能力だ。このスキルは大変有用で、パーティに一人いるだけで探索の効率は段違いに上がる。
そして、もう一つは収納空間というレアスキルである。
アイテムボックスのようなレベルの種類と数という縛りは無く、幾らでも収納可能な規格外のスキルだ。
現在、このレアスキルを得ているのは、探索者協会の会長一人だけで、他には確認されていない。
それはともかく、これまでの探索で田中は少なくとも、イレギュラーエンカウントを二度もクリアしているという事になる。
田中がグリーンスライムと戦っている。
誰もが逃げ出すモンスターだが、田中は躊躇わずに戦い、容易く勝利していた。
少しだけ田中に興味が湧いた。
どれだけ強いんだろう。私より強いのかな。クロイツさんの力をどうやって避けたんだろう。
いろいろと考えた結果、所持しているモンスターに襲わせる事にした。
殺すつもりはなく、その実力を確認できればよかった。
そのつもりだった。
しかし、隷属させたモンスターが次々と倒されていき、焦って続々と投入するが、まるで疲れを知らないかのように、長時間戦い続けている。
「もう! なんなのよアイツ!?」
まるで勢いの衰えない田中に悪態を吐く。
既に、手持ちのモンスターの半数が田中に狩られており、手を出した事を後悔し始めていた。
そろそろ潮時かしら。
そう判断したとき、そいつは現れた。
体長3mはあるであろうオーク。鎧のような肉体を持ち、巨大な棍棒と探索者から奪ったであろう盾を持っていた。
アレはやばい!?
警戒のアラートが脳内に鳴り響く。
遊香は40階突破者ではあるが、本人の戦闘能力はそんなに高くない。
それは遊香の持つスキルが、モンスターを隷属させ戦わせる事に特化しているからだ。個人の能力は、ウッドゴーレムを倒せる程度の強さしか持ち合わせていない。
ならば、スキルを活かして、さらに強いモンスターを出して戦わせれば良いのだが、残念ながらそれは出来ない。
最近、深い階に潜っておらず、仲間の協力も得られなかったので補充出来ていないのだ。また、モンスターの隷属期間も一ヶ月と短くストックが難しい。
だから、今いるモンスターは遊香が一人で倒せる程度のモンスターしか隷属出来ていなかった。
ユニークモンスターが動き出す。
近くにいるモンスターを棍棒でまとめて殴り飛ばすと、田中に向かって走り出したのだ。
これは不味いと思い、モンスターに指示を出してユニークモンスターであるハイオークを足止めしようとするが、その指示を取り止める。
田中から発せられる圧力が一気に増したのだ。
「なんなのよもう……」
次は何なんだと見てみれば、顔を凶悪に歪めた田中がいた。
そして、大剣を構えたかと思うと、一瞬でハイオークとの距離を詰め、棍棒を持った腕を斬り落とした。
突然の出来事に絶叫するハイオークだが、田中は更に足を斬り落とし、防ごうとした盾ごと残った腕を粉砕する。
一瞬のうちに虫の息にされたハイオークは、最後には頭を粉砕されてその命を終えた。
異常だ。
異様で異常な力の上昇に、上司の黒一を思い浮かべる。
「あなたもチートか……」
遊香が隷属させているモンスターが次々と葬られていく。
田中がスキルを多数持っていたとしても、数を揃えればなんとでもなると思っていた。
それがどうだろう、田中も黒一と同様のチートスキルを持っていた。
一時的に能力を強化可能なスキルは存在する。
それは
ならば、これは何かのレアスキルと考えた方が納得できる。
遊香はその場を去り、今回の調査で知り得た情報をまとめて黒一に提出した。
資料を読み終えた黒一が顔を上げて遊香に質問する。
「所持スキルは五つで間違いないですか?」
「最低でも五つです。彼の場合、まだ持っていてもおかしくないと感じました」
「『
「ただ、お客に対して接している様子でしたね。会長も同じです。 なんというか、彼は会長だと気付いた様子はありませんでしたよ」
「田中さんが会った男性は、ホント株式会社社長の伴侶だったのは間違いないでしょうか?」
「調べたら直ぐにヒットしたので間違いありません。車両に誰が乗っていたのか分かりませんが、彼の親族である可能性は高いと思います」
「なるほど分かりました。ありがとうございます」
黒一は最後に礼を言うと、黙って考えごとをし始めていた。
遊香も報告は終わったので離れようとするが、先程まで黒一が見ていた探索者の資料が気になり手に取ってしまう。
そして内容を確認してうんざりした顔になった。
「うえ。クロイツさん、また教会関係者が入ってたんですか?」
「はい。面倒なんで捕らえようとしたんですけど、察知されたらしく、逃げられちゃいましたよ」
困りましたねハハハとおちゃらけて笑う黒一だが、その目は笑っていなかった。
「今、捜索させていますけど、上手く隠れているみたいで尻尾を掴ませません。 まったく彼等にも困ったものです。どこにでも入り込むゴキブリみたいで、本当に気持ち悪い」
嫌悪感を滲ませる黒一は珍しい。
過去に何かあったようだが、その事情を尋ねるのは憚られた。
人の過去を詮索するのは、親しき仲になったとしてもするべきではない。ましてや、黒一は上司なのでもっとやるべきではないだろう。
というか興味がない。
黒一ならば、きっと血みどろの関係だろうから。
「ああ、田中さんの事ですけど、このまま放置で良いです」
「良いんですか? てっきり勧誘するのかと思ってたんですけど……」
田中が同僚になる……。
考えたくはないが、実力から言えば十分に可能性はあった。
てっきり、そのつもりで調べさせたのだと思っていた。
「いえいえ、そんなつもりはありませんよ。本当に知りたかっただけですから。 それに、会長と武器屋の店主が関わっているなら、もう手を出すべきではありません。 田中さんのことは彼等に任せましょう」
黒一の説明は今ひとつ理解出来なかったが、手を出すなと言うのなら、その通りにするつもりだ。
なかなか面白い人物で、いろいろと酷い人物ではあったが悪人ではなかった。
生きていれば、そのうち会う機会もあるだろう。
何故か少しだけ残念な気持ちになったが、気のせいだろうと、気を取り直して黒一に返事をした。
「はい」
ーーー
レベル 29
《スキル》
錬金術 隷属 封印 隠密 異常耐性
ーーー
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