エピソード 1ー5 白いもふもふ、お手をする
翌朝、ベッドでまどろんでいると、バタバタという足音が近づいてきた。
それから、ノックもなしに部屋の扉が開く。
「――結愛、ユリアがいないの!」
「……ん? あぁ、お姉ちゃん、おはよぅ」
「おはよ――じゃなくて、ユリアを見なかった!?」
「ユリアなら……あぁ、そっか。ごめん、昨日、私が部屋に連れてきちゃった」
そう言って布団をめくり、私の姿を見せる。
「なんだ、びっくりさせないでよ……」
紗雪はへたり込んだ。
心底心配していて、心から安堵した証拠。
昨夜に私が出て行っていたら、紗雪はすごく悲しんだだろう。
だから、あのまま出て行かなくてよかった。
……と言うか、結愛ってば、もしかして私が自分で部屋から抜け出したことを誤魔化してくれた? 私が家を出て行こうとしているって気付いていたなんて……あるのかな?
そんな風に考えて視線を向けると、結愛は笑顔で目を細めた。
「ユリアも、おはよう。それと……ありがとね」
「……わん」
朝の準備を終え、三人で朝食を取る。
「それで、お姉ちゃんは今日どうするの?」
「まずはギルドに行くよ。ユリアのことを登録しないといけないから」
「あ~、従魔登録だね」
結愛はそう言ってチラリと私を見た。
従魔登録。文字通り、テイムした魔物を自分の従魔として登録することだ。病気類の簡単な検査と、従魔が周囲に害を及ばさないと確認することで登録が完了する。
ちなみに、従魔には安全度のランクがあって、そのランクによって普段の取り扱いが決定する。簡単に言うと、安全度に応じて自由度が変わる、という制度だ。
最高ランクに認定されれば、ペット以上の扱いをすることが出来るようになる。
もっとも、私は危険なフェンリルという魔獣の姿をしている。いくら従順な態度を見せたとしても、最高ランクに認定されることはないだろう。
それでも、ある程度安全だと認定されれば、そこそこの自由は確保できると思う。これからどうするにしても、出来るだけ安全だと証明した方がいい。
――という訳で、私は紗雪に連れられてギルドへとやってきた。
「いらっしゃいませ。今日はどういったご用でしょうか?」
丁寧な口調で問い掛けてくるのは落ち着いた雰囲気の受付のお姉さんだ。
紗雪は輸送用ケージの中に居る私を示した。
「この子の従魔登録をお願いします」
「――え、この子は……まさか、白いもふもふっ!」
ガタンと椅子を蹴立てて立ち上がる。
落ち着いた雰囲気は何処へ行ったのかと問いたくなる。
しかもお姉さんが大きな声を上げたせいで注目を浴びてしまった。そこかしこから、おい、あれ、切り抜きで話題の白いもふもふじゃないか? なんて声が聞こえてくる。
と言うか、白いもふもふって名前、浸透してるの……?
ワンコも大概だけど、白いもふもふって。いや、たしかに私は白いし、もふもふでもあるけど。一応、魔物を瞬殺する程度には凶暴なフェンリルの子供なのよ?
――と、そんなことを考えているあいだにもざわめきが大きくなっている。それで我に返った受付のお姉さんが咳払いを一つ。
「失礼いたしました。従魔登録ですね。それでは、その白いもふもふ――こほん。魔獣が主人に忠実かどうかの適性検査をさせていただきます。担当を呼ぶので少々お待ちください」
受付のお姉さんが奥に人を呼びに行く。
すぐに貫禄のある三十代半ばくらいの男がやってきた。
久しぶりに見る顔だ。
探索者管理局の支部長、獅子原(ししばら) 征二(せいじ)。威厳のある見た目をしているけれど、以外に優しいところもある。身寄りのない私を気に懸けてくれていた数少ない知り合いの一人だ。
その獅子原さんが近づいてくると、私を両手で抱き上げた。
「ほう、これが噂の白いもふもふか」
その名前、浸透しすぎじゃない……? 呆れ眼で獅子原さんの視線を受け止めていると、彼は「ふむ、たしかに大人しいな」と呟く。
「はい。ユリアはすごくいい子ですよ」
紗雪がそう答えると、獅子原さんはピクリと眉を動かした。
同時に私もピクリと身を震わせる。
「……ユリアというのか、この白いもふもふは」
「昨日私が名付けました」
「……そうか」
彼はそっと目を伏せた。
私が逃げ出したことを知ってるのかな? でも、私がユリア本人だと気付いていないみたいだ。もし私の正体に気付いたなら、彼はどんな反応をするんだろう?
知りたいような知りたくないような……複雑な心境だ。
「っと、すまない。それじゃあ従魔の適性検査をおこなおう」
という訳で、訓練室へ移動する。
「これから従魔の安全度に対する検査をおこなう訳だが、なにか質問はあるか?」
「はい。その……この検査は録画しても大丈夫ですか?」
「わん……(ダメに決まってるでしょう……)」
「ああ、キミは配信者だったな。そういうことならライブ配信でかまわない」
「わふ!?」
予想外すぎて変な声が出た。そんな私の驚きに対して答えた訳ではないと思うけれど、獅子原さんは話を続ける。
「その白いもふもふは、いまは日本で一番注目を浴びていると言っても過言ではない。管理局にも問い合わせが殺到していてな」
「可愛すぎるからですか?」
……紗雪、その返しは私が恥ずかしい。
案の定、獅子原さんは苦笑いを浮かべてた。
「可愛いのもあるが、一番多いのは危険はないのか? というものだ。下層のボスクラスの魔物を一蹴できるなど、S級の探索者でもなければ難しい。それを成し遂げた白いもふもふが、安全なのかどうか、多くの者が気にするのは当然のことだろう」
「……じゃあ、配信を許可してくださるのはそれが理由ですか?」
「ああ。見ただけでも温厚な性格であるのは分かる。そのことを配信で伝えてくれるのなら、こちらとしても業務が増えって助かる、という訳だ」
その言葉に少し驚いた。ライブ配信を許可したと言うことは、彼が既に私を安全だと認定しているも同然だったから。
……って言うか、フェンリルだよ?
魔獣や神獣と呼ばれる、最深部に君臨するフェンリルの子供だよ? それを、初見でろくに調べもせずに安全だと考えるなんて、ちょっとたるんでるんじゃないの?
もうちょっと気を引き締めなさい――という意味を込めた視線を向け、たしたし床を叩く。
「おぉ、可愛いな」
「ですよね。この仕草が可愛くて、今度ショート動画を作ろうかなって」
「ふっ、そのときはぜひ見せてもらおう」
「わんっ!(可愛いじゃないの、私は怒ってるの!)」
たしたし叩くけれど、二人の顔はだらしなく緩んでいる。
……ダメだこの二人。
処置なしと諦めて溜め息を吐いていると、紗雪が私を抱き上げる。それからカメラのショートカット機能を利用して配信を開始した。
「真っ白な世界に彩りを! ダンジョン配信系実況者の紗雪だよ! という訳で、緊急配信をするよ。今日はユリア――あ、私を助けてくれた白いもふもふのことね。そのユリアの従魔適性検査に来たんだけど、特別にライブ配信の許可をもらったの」
あぁあ……ついに、私の名前がユリアだと公表されちゃった。どうなるんだろう? 獅子原さんは気付いていないみたいだけど、瑛璃さんはどうかなぁ……
「それじゃ早速、今日の従魔適性検査をしてくれるのはこちらの方です!」
「ん? あぁ、管理局の支部長、獅子原 征二だ。これからこの白いもふもふの従魔適性検査を始める訳だが……まあ、見るからに安全そうだな。S級と認定して問題ないだろう」
「早いよ!?」
おぉ、紗雪が突っ込んだ。
「いや、そうは言ってもな。普通の従魔は、温厚な部類でも、凶暴なドーベルマンクラスだからな。この白いもふもふ、ドーベルマンより危険に見えるか……?」
「あはは、それは見えませんね」
あははじゃないよ、さすがにドーベルマンより危険でしょうが!
フェンリル舐めてるの!? 私だって成長したフェンリルには苦戦するレベルなのよ? それをドーベルマンより安全って、どういう危機管理能力をしてるのよ!
抗議の意味を込めて、私を抱っこする紗雪の腕をたしたし叩く。
「ほら、ユリアも同意してる」
「わん!(してないわよ!)」
吠えるけれどやっぱり話は通じない。
まあ、安全だと思ってくれた方がいいんだけどさ……
でもフェンリルの子供を白いもふもふと呼んだり、ドーベルマンより安全だと思い込んだり、さすがにどうかと思うのよね。
「まあ冗談はさておき、いくつか確認しよう」
「あ、やっぱり検査はあるんですね」
「一応な。まず……性格は見ての通り温厚なようだ。昨日の切り抜きを見れば、人間を助けようとする意志があることも分かる。それに見ての通り、人を襲うこともなさそうだ」
「そうですね。私の傷も治してくれました」
「あぁそうだったな」
その辺の判断になら同意できる。
危険な重火器でも、使い方を誤らなければ頼もしい味方になるから。
「よし、次はその白いもふもふが何処まで主の言うことを聞くか確認したい」
「分かりました。じゃあ……」
紗雪は私を床の上に下ろし、それから右手を差し出してきた。
「ユリア、お手」
……いや、いいんだけどね?
色々思うところがあるけれど、それらを飲み込んで右前足を差し出した。
「ほう? その白いもふもふに芸を教えたのか?」
「い、いえ、教えていません。いまから教えようと思っていたんですが……」
驚く二人。その反応を見てやらかしたことに気が付いた。
いや、待って、まだ大丈夫。
手を差し出されたから前足を乗せただけ。そういうていで押し切ろう。
「ええっと、じゃあ……おかわりは?」
その言葉に、私はあえて右前足を差し出した。
「あれ? お手じゃなくてお変わりだよ」
もう一度試されるけれど、私は続けて右前足を乗せる。
「……手を差し出したから、前足を乗せただけ、かな?」
紗雪が私の思惑通りの判断に至る。
「ふむ。そうかもしれないな。だが、教えたら覚えるのではないか?」
「ですかね。じゃあ、ユリア、お手はこっち。おかわりはこっちだよ」
今度は教えられた通りにお手とおかわりをしてみせる。
「ふむ。やはり賢いな。……俺も試していいか?」
横から見ていた獅子原さんが提案して、紗雪の代わりにわたしまえで片膝をついた。
「お手」
私はその言葉に無反応を返した。
従魔は主人に仕えるものだ。というか、誰の言うことでも聞く魔獣なんて危険過ぎる。いまのはそれをたしかめるテストだろう。
それを理解している私は無言で獅子原さんを見上げる。
「ふむ。おかわり。……おまわりはどうだ? ダメか。ならば、ちん――」
「わんっ!(乙女になんてこと言うのよ!)」
最後まで言わせないよと、獅子原さんの手を叩いた。
直後、訓練室に沈黙が降りる。
……やらかした。盛大にやらかした。
いまのは確実に、人語を解していないと出来ない反応だ。
「ユリア、もしかして、人の言葉が分かるの?」
「……わ、わふ?(な、なにを言ってるのか分からないわよ?)」
盛大に誤魔化してみるけれど、私の言葉が通じるはずがない。というか、もし通じてしまったら、それこそ私が人語を理解している証明になってしまう。
なにか、なにか誤魔化す方法を考えないと。
「わんっ!」
もう一度吠えて、今度は床をぺちぺちと叩く。
それからその場をゴロゴロと転がり始めた。
「……なんだ、なにをしているんだ?」
「ええっと……もしかしたら、ですが、退屈しているんじゃ……?」
「なるほど……?」
理解したと言うより、理解が追いつかないという顔。
でも、ごまかせた、はず。言葉に反応したんじゃなくて、飽きて意味不明な行動を取っただけだとごまかせたはず。というかごまかされてください!
「えっと、それで、適性検査はどうなりましたか?」
「あ、あぁ……そうだったな。まあ、その、なんだ。人間に危害を加えることはなさそうだ。それに、誰が主人かも理解している。安全度において最高ランクに認定しよう」
「ありがとうございます! やったね、ユリア!」
紗雪は私を抱き上げて、満面の笑みを浮かべる。
それから、カメラに向かって「ということで、従魔適性検査に合格したよ。いまは管理局の訓練室を借りてる状況だから、詳細は後で連絡するね!」と挨拶。
私の前足を掴んで、「みんな、またね~」と別れの挨拶をした。
……というか、紗雪のリスナーになんて言われてるんだろう。
コメントの内容を知るのがものすごく怖いよ……
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