第2話 上の空

「先輩、先輩ッ!」

「えっ……?」

「どうしたんですか、朝から上の空じゃないっすか! 変な物でも食べました!?」


 会社でも俺はずっと放心状態だった。頭にあるのは今朝の事。柔らかい唇の感触と、初めてのキスの味と、泣いたあの子の顔。


「そ、そんな訳ないだろ! 俺の事は気にしないで良いから仕事しろよ」

「仕事って……先輩、もう昼休憩ですよ」

「うわ、本当だ。何か今日は調子が出ないな……悪い、少し外で頭を冷やしてくるわ」


 後輩の佐藤にそう言うと俺は階段を登り、途中にある自販機でコーヒーを買い、屋上へと向かった。


「風が気持ち良いな」


 屋上の落下防止用の鉄柵に腕を乗せて身体を預け、俺はそこから見える景色に目を向けた。


「あの子、また会えないかな」


 気付けばそう口にしていた。盛大に嫌われるような事をしたのに彼女に会いたいなんて、何て図々しいんだろうと自分でも思う。だけど、それが俺の偽りのない本心だった。


「コーヒー買ったけど、なんか飲む気になれないや」


 今はただ、彼女の唇の感触を忘れてしまうかも知れないのが恐かった。端から見たら、間違いなく気持ち悪いと思われるだろう。これは、三十過ぎのオッサンが抱いて良い感情じゃない。それは分かってる。


「おっと、もうすぐ昼休憩も終わりか……。コーヒーはアイツにでも渡すかな」


 俺は再び階段を降りて自分のデスクへと戻った。そして上の空で進んでいなかった仕事を片付け始める。


「先輩、お疲れ様です」

「お疲れ。そうだ、コレをお前にやるよ」


 そして定時になり、デスクに近付いて来た佐藤に向かって俺は昼間買った缶コーヒーを放り投げる。


 佐藤は慌てふためきながらどうにか缶コーヒーをキャッチすると、短く「どうも」と礼を言う。


「それより先輩、この後って用事あります?」

「いや、別に無いけど。先に言っておくけど、奢らないぞ?」

「違いますよ!」

「なんだ、そっちか……後は何が終わってないんだ?」

「いやいや、仕事でも無いですけど!?」

「じゃあ、何だよ」


 定時後に佐藤が俺に話し掛ける時は、大抵が飲みの誘い、もしくは仕事のフォローが多い。だがどうやら、今回はそのどちらでも無いらしい。


「先輩、前に出会いが無いって言ってましたよね?」

「あー、確かに言ったかも」

「合コンに行きません? 先輩の為に可愛い子を集めといたんで!」

「合コン……誘って貰って悪いけど、遠慮しとく。そのお詫びに今度、メシでも奢るよ」


 席から立ち上がると佐藤に「お疲れ」と告げ、俺は足早に会社を出た。

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