第9話 蒼井隆一の過去
朝になった。
あまり眠れなかったのか頭がぼーっとする。
顔をしっかり洗って目を覚ました。
今日、俺の過去を初めて誰かに話す。
緊張しているわけではない。
不安なわけでもない。
ただ、気になることは、あれから俺は前に進めているのかということだ。
母さんや親戚に迷惑をかけでまで、この高校に通うことを決めたんだ。
何の成果も無しに帰ることは出来ない。
俺はもう大丈夫だと思える自信が欲しい。
それだけだ。
明里はどう思うだろう?
俺のことを気にかけてくれている良い友達だ。
出会って三か月ちょっとだが、俺のために力になってくれる。
真由と京子もそうだ。
友人に恵まれながら過ごす生活が楽しいと思えた。
「どうぞ。」
部屋に通される。
俺と明里は何も言わず机の対面に座った。
出されたお茶を一口飲む。
少し気分が落ち着いた。
俺の緊張を感じ取ったのだろう。
明里は真っすぐこちらを見ている。
「俺さ、この高校に来たのは自分が前に進むためなんだ。家族と一緒にいるといつも過去のことを考えてしまう。だから、変わろうって思った。これから話すのはそういう内容だから。」
「わかった。」
全てを打ち明けよう。
それが明里との約束だからじゃない。
誰かに聞いて欲しい。
そんな気分だったからだ。
俺はゆっくりと自分の過去を語り始めた。
蒼井隆一の両親は仲が良かった。
父親は仕事と家庭を両立していた。
いつも家族を第一に考え、大事に思ってくれている。
俺にとって自慢の父だった。
母さんとは学生時代に知り合ったらしい。
夢を追いかける父に惹かれて結婚したと言っていた。
そして、事業が軌道に乗り始めた頃、俺が生まれた。
愛されていたと思う。
綺麗な母さんとカッコいい父親に囲まれて育った。
父から買ってもらったバスケットボールが宝物だ。
部活に一所懸命で毎日擦り傷まみれで帰ってくる俺を、母さんはよく心配していた。
そんなことはつゆ知らず、俺は毎日ぼろぼろになるまで練習した。
中学生になった。
父親の事業が傾いたと知った。
大きな案件を失敗したらしい。
多額の借金だけが残った。
父は泣く泣く会社を畳み、知り合いの会社で働くことになった。
俺の知る父親はもういない。
家に帰れば酒に溺れ、母に罵声を浴びせた。
泣いている母を何度見たことか。
俺は逃げるように部活に励んだ。
強豪校でスターティングメンバーに選ばれ、全国出場に向けて練習した。
そんなある日、母さんが離婚すると言った。
原因は父の不倫だった。
父方の祖父母が泣きながら謝っていたのを今でも思い出す。
母も泣いて謝っていた。
父を支えることが出来ず申し訳ない、と。
俺は何故母さんが謝っているのか理解できなかった。
この出来事の後、俺は二年生の大会決勝で怪我をした。
急いで病院に運ばれる。
診断結果は右膝靭帯の損傷だ。
俺が無茶した所為なのに、母さんは泣いて俺に謝った。
地区大会決勝は無事勝利したと知らされた。
離婚の手続きが済むと母さんは働きだした。
養育費だけでは生活に困るということらしい。
母方の祖父母から援助の申し出があったが甘えるわけにはいかないと自分で仕事を始めた。
朝から晩まで母さんは働いていた。
それでも俺のために食事を必ず作ってくれる。
夕飯は作り置きの肉じゃがを温めて食べていた。
怪我も治り始めた頃、俺はアルバイトを始めた。
高校生だと嘘を吐き、経歴を偽った。
自分のことは自分でやろうと思ったからだ。
それがきっと母さんの助けになると信じていた。
部活以外は全てバイトに捧げた。
給料は全て貯金して、いつか母さんに渡そうと決めていた。
県大会が近づき、日に日に練習がハードになっていったが必死に食らいついた。
母さんを全国大会へ連れていく。
それだけをモチベーションに部活とバイトを全力で頑張った。
そんなある日、俺の膝が動かなくなった。
練習中、右膝に激痛が走る。
救急車に運ばれ、近くの病院に搬送された。
診断結果は前十字靭帯断裂だった。
一度損傷した膝に負担が掛かり、酷い断裂を起こしたらしい。
もうバスケは出来ないと言われた。
あの時の母さんの顔を俺は生涯忘れない。
母さんの負担になってしまった。
そんな罪悪感でいっぱいになった。
だから、手術に掛かる費用をどうにかしようと貯めていた貯金を母さんに渡した。
そこで初めて裏でアルバイトをしていたことがバレる。
俺は謝った。
自分のせいで迷惑をかけてしまった、と。
すると、今度は母さんが謝った。
気を使わせてしまった、と。
俺と母さんは泣いていた。
それから俺はリハビリを始める。
早く回復して母さんを安心させられるように毎日回復に専念した。
勉強も頑張るようになった。
もう俺はバスケが出来ない。
だから、勉強で良い成績を残して安心させたい。
そんな思いがあった。
母さんも母方の祖父母に援助をお願いして、俺との時間を大切にするようになった。
父方の祖父母も援助を申し出てくれたので生活に余裕ができた。
父親とは絶縁したらしい。
俺と母さんのために力になりたいと言ってくれた。
受験の時期が近づいてきた頃、とっくに忘れたはずの父親をたまに思い出すようになった。
家族で旅行に行ったり、誕生日を祝ったりする夢を見るようになる。
俺はまだ未練があったのかもしれない。
いつか家族で一緒にくらせるんじゃないか。
父親が謝りに来るんじゃないかと期待している自分がいた。
あれは悪い夢だったんだ。
家族がまた元通りになれる。
そんな幻想を抱いていたんだと思う。
絶対に許せるはずがない相手を求める自分が嫌で嫌で仕方なかった。
そんな自分を変えるために祖父母に相談した。
進学先を遠くにして、一人で暮らす時間が欲しいと伝えた。
出来る限りのことは協力してくれると言ってくれた。
俺は必死に勉強して、この高校へ通うことが決まる。
母さんは笑顔で許してくれた。
やりたいようにやってみなさい、と言ってくれた。
きっと、俺がまだあの頃の家族に囚われていると気づいていたんだと思う。
だから、俺はこの高校で前に進もうと決めた。
色んな事を経験して、人として成長して家族と再会する。
過去を乗り越え、立派な姿を家族に見せるために。
それが俺の目標になった。
「だから、この高校に通うことになったんだ。情けない話、家族といるのが怖くて逃げだした。母さんといると過去を思い出して不安になる。また、家族が苦しむ姿をみなきゃならないのか。そんな恐怖があるんだ。」
明里は何も言わずに俺の横に座る。
そして、俺の右手を両手で優しく包んだ。
「よく頑張ったね。」
何を言われたのか分からなかった。
頑張った?
何を頑張ったんだ?
俺はただ逃げただけなのに。
「隆一君の行動は全て家族のためでしょ? どんなに辛くても家族のことを考えて行動してきたんだから、こうして自分に向き合う時間も大事なんだと思う。だから、隆一君は間違ってない。逃げてなんかないよ。」
何度も自分を責めた。
父親がいた頃の家族が恋しい?
そんなことを考えるのはおかしい。
母親を大事にしろ。
どれだけ辛い思いをしたと思ってるんだ?
なかなか前に進むことが出来なかった。
でも、気づいたんだ。
俺は誰かに聞いて欲しかったんだと思う。
この胸の叫びを誰かに聞いてもらいたかった。
受け入れて欲しかったんだ。
中学時代には聞いてくれる仲間はいなかった。
俺が怪我をしたのを知っていたから気を使っていたんだと思う。
こっちが話しかけるのを向こうは常に待っていた。
お互いに気を使っていたんだ。
でも、目の前の明里は違う。
容赦なく俺を知ろうと近づいてくる。
それが何故だか俺は少し分かる気がした。
俺と明里は同じなんだと思う。
だから、放っておけないんだ。
俺を優しく受け入れてくれるのは、きっと彼女も受け入れて欲しいからなんだと。
そう思えて仕方なかった。
「明里、ありがとう。」
これは一種の依存なのかもしれない。
それでも俺はこの関係を続けたい。
初めて弱みを受け入れてくれた明里を俺は手放したくないと強く思った。
いつか彼女が弱さを見せたとき、俺は全てを受け入れるだろう。
互いに傷を舐め合い依存していくんだ。
そんな時がいつか来るだろうと考えてしまう自分が怖かった。
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