湘南幻燈夜話「海の女」

湘南幻燈夜話「海の女」

 台風がそこまで来ていた。朝からすごい雨だった。

 ぼくはとうとう兄貴につかまってしまった。

 縁先でタカに朝飯をやっていると、廊下のつきあたりの母屋と診察室をへだてる戸口からいつになく白衣のまえをだらしなくはだけた兄貴が姿を見せて、

「おい、健、ちょっとこい」

 と、ぼくを呼んだ。

 いつもなら早朝から待合室の外まで順番待ちの列ができるほどなのに、大荒れの天気のせいで表を開けてからひとりの患者もなかった。それで兄貴は急にぼくのことを思い出し、説教をかますにはまたとない機会だと気づいたのだろう。とんだ雨の日になった。

 ぼくはタカと目を見合わせる。

( ほら、きたぞ)

( だいじょうぶよ)

( でも、おれ……どうしよう、タカ)

( がんばって、たけし)

 やさしい茶色の瞳がぼくを見上げていた。

 タカの頭をひとなでし、ぼくはしぶしぶ診察室について行った。

 兄貴は顎のさきで白い布をかぶせた患者用の丸い椅子をしゃくり、すわるようにうながした。最近は鼻の下に髭をたくわえ、おまけに腹まで出て、三十一という年齢のわりにはいちだんと貫禄がついてきた。ぼくの背はとうに兄貴を超えていたが、ちょうどひと回りの年の差はいくら背伸びをしたところでどうなるものではない。

( まいったな……)

 さっきまで暇つぶしにめくっていたらしい医学雑誌がガラスをしいた診察机に伏せてあった。

「昨日だったか、コリンズさんから手紙が来てたな。読んだのか」

 開口いちばん、兄貴はいった。

 うなずくと、

「それで?」

 医者の顔と声音だった。

 これじゃあ、まるで問診だ。

 ぼくは返事ができずにいた。

 ぼくの内にあるのはパレットの残り絵具をよせあつめていいかげんに混ぜ合わせたような、なに色ともいえない思考めいた混沌だ。ぼくは今年の春に高校を卒業したが、いまのところ大学生でも、浪人でも、社会人でもない。かといって自分のしたいこともわからずぶらぶらしているのともちがう、なんともややこしい立場にいた。

 ぼくは雨に洗われるガラス窓に視線をさまよわせた。

 会話のとだえた室内に屋根を打つ雨音が高まる。診察室は四面の押し上げ窓をもつ奇態な潜水艦のように、とめどなく落下する水流の底に深々と沈んでいく。日に焼けた古い視力表の上を窓にしぶく水の流れがうつり、いくすじも交差しては走りすぎる。点眼瓶のスポイトの三段の列、洗眼液をみたした青や茶色のフラスコも雨の影にぬれそぼっている。

 うつむいていると、遠い記憶の断片が浮かび上がる。

 まえにもなにか、これとおなじような情景に身をおいていたことがあった。

雨の日。屋根を打つ水音。ほかにひとのいる気配もない家の中。

 そうだ。こうして水の繭にすっぽりくるまれたように兄貴と対峙していると、世間という現実にたったふたりきりで投げだされたときから、いつもたがいの手のぬくもりをもとめて過ごしたあのころがまざまざと思いおこされた。

 ぼくは顔を上げた。

 兄貴がぼくを見ていた。

 驚いたことに、兄貴が兄貴の顔をしている。診察室で、あるいは家の外で、仕切り戸の奥の居室にいるときでさえめったにはずさない医者という表情がまるで外の雨に洗われたかのようにとけ落ちていた。そこにいるのは弟を理解しようとして果たせず、弟を案じて途方にくれる、ただの兄貴の顔だった。

 ぼくはいま、あの日のように兄貴とふたりきりなのだ。

( あの日……)

 そう思ったとたん、記憶があざやかによみがえった。


「健、おまえ、ほんとうはどうしたいんだ」

「……ここにいる」

「がまんすることはないんだ」

「してない」

「ひとりになるんだぞ、いいのか、それで」

「いい」

「大学はここから通えない距離じゃないんだ。おまえが…おれは、もしも、おまえがほんとうはおれといっしょに……いっしょにいたければ、おれはな……」

「………」

「健、ほら、手」

 どきっとした。

 いつものように無意識に、またやっていたらしい。両の手を握りこぶしにかためて、あわてて背中にかくした。

 しばらくしてぼくの口から出たのは自分でも驚くほど落ちついた声だった。

「ぼくはここにいる。ひとりで平気だよ」

 思いがけなく落ちつきはらったぼくの返答に、常からぼくに対しては年長者の口調で話しなれた大人びた兄貴の表情が、一瞬、ひるんだ。兄貴の顔は当惑にゆらいでいた。

 どうしてそんなに平静に、はっきりと答えられたのだろう。手のことをいわれたからかもしれない。ぼくはとっさに兄貴の注意を手からそらせた。

 兄貴にこれ以上の心配はされたくなかった。ぼくが原因で兄貴がじぶんのしたいことをできないなんていやだった。いままでだってどれほど兄貴は要領がわるく口のたりないぼくをかばい、ものごとに過剰に反応してはすぐ不安定に動揺する心を気づかってくれたことか。そうでなければ笑いも団らんもないこの家で、ぼくはとっくに萎縮しきっていたことだろう。ぼくだって学校へ上がる年なのだ。しっかりしなければ……。

 そうだった。

 兄貴とその話をした十二年まえのあの日も、やはり外は雨だった。この十も部屋のある暗い古ぼけた家にふたりして引きとられてから兄貴とぼくにあてがわれた二階の南西の八畳間で、しとしと降りつのる早春の雨音を耳にためながら、家なしの二匹の迷い犬のようなぼくたちは、唇から言葉をうしなったまま寒々とうつむいていたのだった。

 しばらくして、兄貴がまた口を開いた。


「健、おまえ、ほんとうはどうしたいんだ。こらっ、聞いてるのか」

 はっと我にかえると、ぼくは兄貴の診察室にいた。

 ふたたび態勢を立てなおした兄貴にしぼられ、やっと解放された。

 診察室からのがれたぼくは、ほうっと息をついた。閉めきった廊下のガラス戸越しに風雨に荒れる庭が見えた。雨をかぶった犬小屋からタカが黒い鼻さきを情けなさそうにのぞかせて、ぼくを待っていた。

 ぼくは風にゆれる玄関の引戸を開けるとタカを呼んだ。待ちかねたように飛びこんできたタカのぬれた体をタカ用の古タオルでこする。タカの小屋は庭のはずれの軒下に据えてあるが、南の風雨がつよくなると雨は小屋の中まで容赦なく吹きこんだ。暴風雨のたびに、式台も入れて五畳ほどの玉砂利を埋めこんだ玄関の三和土たたきがタカの避難所になった。

 納戸から予備のゴザを出して陶製の傘立てのわきにしいてやる。タカは上機嫌でゴザの上におさまり、しゃがんだぼくのひざに両手をのせて、

( どうもどうも、ごくろうさま。お兄さん、どうだった?)

 握手をもとめる。

( まいった、まいった。えらくしぼられたよ)

( まあ、それはそれは、ごくろうさま)

 右、左、右、左、ぼくたちはなんどもなんどもねぎらいの握手をかわした。

 台風はその後、熱帯性低気圧に勢力を落とし、大きく迂回して太平洋上に消滅した。


 翌日は台風一過そのままの太陽が頭上に照りつける猛暑の一日だった。

 ぼくは東京の百貨店へ年上の友人の写真展を見に出かけた。九州の南端から最北の北海道宗谷岬まで桜の開花を追いつづけた展覧会は盛況で、ある大手の出版社から写真集発行の誘いがきているという話を、ぼくはうれしい驚きとかすかな羨望を胸に聞いた。友人が急にはっきりした輪郭にしぼられて見えた。ぼくは落ちつかなげにまたたきした。

「それで、きみはどうするんだい。 まだ行かないの? 絵をやめるわけではないんでしょ?」

 友人は澄んだまなざしでたずねた。

 ぼくはもごもごと口の中で言葉をまさぐり、けっきょくまとめそこねた言葉のかけらを舌さきに丸めて飲みこんだ。

 しばらくして、ぼくは会場を辞した。

 表に出たとたん、どこから湧いてくるのかとめどなくあふれ出る人の海に飲みこまれた。駅までの長い歩道をぼくは大波をかきわけるようにすこしよろめきながら進んだ。

 家にたどりついたのはもう夕焼けの残照が西の山ぎわを染めるころだった。

門からそのまま庭木戸をぬけて、

「タカ、海へ行こうな」

 ぼくの足音を聞きつけ、小屋から飛びだして待っていたタカに声をかける。

( それで、きみはどうするんだい?)

 兄貴の叱責の直後だったせいもあるが、友人のなにげない問いかけにぼくは動揺していた。タカのためにすべての可能性と未来を捨てるか、幸運にも与えられたぼくにとって絶好の機会を受けるか。

 ぼくはタカをつれて海岸へむかった。

 八月の最後の波はおだやかに岸辺を洗う。ぼくはタカを解きはなし、つないでいた革ひもを両の手にたばねた。肺いっぱいに潮の香を吸いこみ、それからゆっくりと砂に足を埋めながらタカを追った。砂つぶは都会の硬い舗装道路を踏んだ足にやわらかく、夕べの涼風がぼくの疲れた心と体を吹きぬけた。タカはいつもぼくのさきを行く。そしてときおり立ちどまると確かめるように首をめぐらし、うしろにつづくぼくに尻尾をふってみせた。

 空のかなたに真昼の輝きの残光が吸いこまれ、こまかな雲が急に高くひろがりながら真紅や紫に燃えて流れた。

 夏は終りかけていた。


 来る日も来る日も兄貴の目をかすめるように過ごすうち、とうとう九月になってしまった。その間にも英国からの手紙は五通になった。

 タケシはいつ来るのか、部屋はとうに用意できている、なんの不自由もなく絵に専念できるはずだ。来たら英国内はもちろんのこと、スペイン、ポルトガル、東欧、中近東やエジプトなど、美術館や博物館、歴史的建造物や遺跡などを妻と三人で旅することを楽しみにしている、きっとタケシのためになるだろう。

 コリンズさんからの手紙はいつもおなじだった。

( べつに外国なんか行かなくていいんだ。日本の文化だってまだよく知ってるわけじゃないし。ここにいて学ぶことはいっぱいあるんだし)

 ぐずぐずと返事をさき送りするいいわけでしかないとわかっていても、そう考えることでじぶんをごまかしていた。

 九月になって三日目、また朝から雨だった。

 ラジオの天気予報は午後から晴れるといった。予報は当たったが、じっさいに雨が上がったのはもう夕暮れもまぢかだった。縁側に立って夕焼けは望めそうにない西の空をながめていると、タカがものといたげなぬれた目でぼくを見上げた。波の音がする。

 ぼくはタカに革ひもをつなぐと、どんより灰色にくもった空の下を海へと歩いた。砂まじりの路地が曲がりくねったこのあたりは松が多く、初夏のころ夜中に強い風が吹いた翌朝は松ぼっくりが道の上一面に落ちていた。


 その日はまるで台風のまえぶれのようにふきげんな顔の海だった。

 海面は大きくうねり、波頭がはげしく岸辺をたたいて白く裂けた。沖合は鉛色の雲が重くたれこめ、空と海はひとつだった。押しよせる海の形にそって打ちあげられた海藻の群れが波打ちぎわにうねうねと黒い曲線を描いている。日没まえの白い光がただよう渚には犬を連れて散歩するそぞろ歩きの人影や、荒れる海をながめながらよりそうふたりづれの姿がぽつりぽつりと見えるだけだった。

 雨上がりの渚をタカはいつものようにぼくのまえを行く。軽快なタカの足どりを追いながら、ぼくのこころは雨をふくんだ砂より重かった。

 あれからまた、兄貴に叱られた。もう、いいのがれはできない。ぼくは決めなければならない。行くのか。行かないのか。ぼくがなにもかもやめるといったら兄貴は烈火のごとく怒るだろう。そう考えながら砂を踏んだとたん、雨にぬれて表面だけかたまった砂山がぼぞっと崩れた。ぼくはもうすこしで転びそうになった。足もとのたよりなさがそのままじぶんのふがいなさに感じられた。

 だが、優柔不断はぼくだけが原因ではない。じつはほかに理由があった。それは兄貴にはいえない性質のものだった。

 タカが吠えていた。猛烈に吠えていた。

( ひとの気もしらずに、まったく……)

 いまいましさをおぼえながらも、タカはいったいなにを見つけたのだろうと気になった。

 タカは気性のいい犬で、仔犬のころからわけもなく吠えて困らせることがなかった。だがもちろんぜんぜん吠えないわけではない。きらいなものを見ると吠えかかるのは犬の本能だ。タカの場合はそれがふたつあった。まず、猫。そして帽子をかぶったひとをなぜか恐れた。なぜだかわからない。もしかすると仔犬のころに、ぼくのところへ来るまえだが、なまいきな猫に引っかかれたとか、帽子をかぶった人間にいじめられたことがあったのかもしれない。地引網からこぼれた雑魚目あてにいつも群がる野良猫たちは、天気のせいか一匹も姿を見せなかった。

 だから砂地を横切り海まで流れる浅い汚水まじりの川のわきにフードをかぶった人影を見つけたとき、

( はは、やっぱりな)

 おかしくなった。

 ぼくが近づくのにも気づかず、タカは四脚をふんばって灰色の大谷石の石垣に吠えかかっている。短く茶色い背中の毛がすべて逆立っていた。尻尾をうしろ脚の間にかくし、タカは怒っているのではなく怯えているらしかった。

 大人の背丈の二倍ほどある石垣の上は車道だが、こんな荒れ海の日は車の音もしない。川には上を通る車道の幅だけのうす暗いトンネルがかぶさっていた。かまぼこ型のトンネルで、内部はひとが立って歩ける高さがあった。

 そのひとはポケットに両手を入れ、トンネルのかたわらによりかかっていた。

まるで石垣から浮かびでたような灰色のスウェットの上下で、頭は風よけフードにすっぽりかくれていた。

「こら、タカ、やめろ」

 タカは吠えるのはやめたが口のはしがめくれ上がり、赤黒い歯ぐきをむきだしてグルルゥと低くうなりながら体をふるわせている。

「タカ、やめろったら」

 どうしたんだろう、やけにしつこいじゃないか。

「すみません、いつもはこんなことはないんですけど」

 石垣によりかかったままのひとにあやまった。

「いいのよ、今日はこれで三度目だわ。いまさっきもキャンキャンやられたの。そういう日なんでしょ、きっと」

 白い靄のただよう渚に犬を連れて遠ざかるおぼろなうしろ姿を、そのひとはものうげなようすで指さした。

( あ、女のひとか)

 スウェットにつつまれた凹凸のすくない体つきから、ぼくは男だと決めつけていたのだ。

 女のひとはかるく頭をふってフードをはらいのけた。

 そのとき、突風が吹いた。

 ぼくは目をみはった。

 小さなフードからは信じられないほど豊かな黒髪が、静まりかえった水面にいきなり投げこまれた墨汁のように、渦をまいてあふれ出した。

 ふたたびあとじさりながら、タカは悲鳴のような鳴き声を上げた。

「タカ! いいかげんにしろったら。しょうがないなあ、もう」

 困惑しているぼくを女のひとはおもしろそうに見て、

「驚かせたみたいね。ほっぽらかしでこんなに伸びちゃった。ひどいでしょ、パーマもとれかかりのくちゃくちゃだし。でも、すごい風じゃない? 台風でも来るのかしら。九月だもの、まだあとひとつふたつは来るでしょうね」

「でも、今日は台風の予報は出ていませんでした」

「そう……ただ、風が強いだけなのね」

 ポケットに両手を入れたまま、女のひとはふたたび背後の石垣にゆったりと体をあずけ、暮れなずむ海に目を移した。

 なんとはるかなまなざしをするひとだろう。

 フレスコ画の女性を思わせる横顔をぼくはそっと見つめた。

 切れの長いすずやかな目と細くてちょっとそった鼻柱がきれいだ。肌は砂上をただよう靄のようになめらかで、目より心もちひくい位置にはあわあわと咲いた花びらのようなうすい耳がついていた、

 三十代ぐらいだろうか。細身の体は短距離選手の瞬発力を秘めてみえるが、こうして近くにいると、女のひとの面立ちは頬がひとさじくぼみ、やつれて、長い、長い、定められたコースを走りおえたばかりのマラソン選手のようだった。なんともいえないけだるい脱力感が羽衣のようにまとわりついていた。遠くからなら、靄が人の形にこしらえた幻だと思ったかもしれない。

 女のひとは首をめぐらし、タカに視線を落とした。

 両耳をたおしてまだ断続的に唸りつづけるタカをしばらくながめていたが、

「タカ」

 ささやくように名をつぶやくと、タカの横にひざをついた。

 そっと、上からでなく下から、タカにむかって手をのばした。

 動物の扱いを知ってるとすぐにわかった。頭の上にいきなり手を出してなでようとしても、犬は警戒する。臆病な犬ほどときには噛みついた。下のほうから手をさし出せば安心するのだ。

 タカはのびてくる手を恐る恐る嗅いでまだ疑わしそうにしていたが、いくどか鼻さきを近づけたあと、いきなりペロッとなめた。タカの尻尾がようやく現れた。しばらくの間、女のひとは無言でタカの頭をなでていた。静かになでられるうちタカはじりじりと女のひとににじりより、しまいにはその胸に頭をもたせかけてうっとり目を閉じている。

( こいつ、なれすぎなんだよ。バカ)

 なんだかむしょうに腹立たしく、ぼくは妬いていたのかもしれない

「タカっていうのね。タカや……毛がこわいけど、いくつになるの」

「十二歳くらいだと思います」

「まあ、長生きだこと。ずっといっしょなんでしょ?」

「ええ。兄貴が大学に入った年からずっと」



 伯父は銀髪をきれいに分け堂々とした体格のむっつりしたひとだったが、いつも不機嫌というわけでもなく、たんによけいな話はしないひとだった。ぼくたちの両親が列車の転覆事故で死亡したとき、葬儀の晩に集まった親戚たちが部屋のあちこちで三、四人ずつ額をよせては、こそこそ、ひそひそ、話しているうち、

「わしのところで引きとろう」

 はっきりした伯父の声を聞いた。

 それまで親戚たちは時折ちらちらと祭壇の横で肩をよせているぼくたちふたりのようすをうかがい、うっかり目が合うといたましそうに急いで顔をそむけた。みなし子になったぼくたちの行さきをめぐって押しつけ合いがあったことなど、三歳だったぼくは知るよしもなかった。

 それよりも詰襟の学生服を着た中学生の兄貴がつかんではなさない左手が痛くてしかたなかった。ぼくは顔をしかめながら、白い布をかけた祭壇のいちばん上にお父さんとお母さんのぼやけた写真が額に入ってならんでいるのを不思議な思いで見上げていた。

「わたしだってべつにいやだっていってるわけじゃないのよ。ただ、うちは娘ばかり三人もいるし…ねぇ……」

「そうですよ、先生のとこがいちばんかもしれませんよ。なんといっても先生は脩さんの実の兄さんですし」

「そう、そうですよ。登志子ちゃんもひとりっ子じゃさみしいでしょ。喜ぶんじゃないですか、きっと。なにしろすてきなお兄ちゃんと、こんなかわいい弟がいっぺんにできるんだから。うん」

 いろいろの声や言葉が鳥のように羽ばたいて、ぼくの頭の上を交差した。

 兄貴がぼくの手をぎゅっとにぎった。


 伯父さんがぼくたちを引きとったのは憐憫でも愛情でもなかった。長兄の義務であるほかに理由はなかった。

 暮らしはじめてみると、伯父さんはぼくたちにやさしい言葉をかけもしなければ、やかましく小言をいいもしなかった。それがかえってぼくには気が楽だった。

 伯母さんは枯れ木のようにやせていて、いつも和服を着ていた。子どもだったぼくの目には気味わるいほど顔色が青白く頬がへこみ、ぼくは好きではなかった。伯母さんがぼくたちをどう思っていたかは、ぼくや兄貴を呼ぶとき、剛さんとか、健さんというふうにいつも〝さん〟づけだったことからもよくわかった。

 伯母さんは神経質な、かなりヒステリックに口うるさいひとだった。ぼくがちょっとはしゃいで大きな声を出したりすると、それもほんのたまのことなのに、すぐうす暗い部屋の奥から姿を現して、

「しぃー」

 色のない落葉を重ねたような唇のまえに骨ばった人さし指を立てた。

「静かにしてちょうだい。先生のお勉強のおじゃまですよ」

 伯父は著名な漢学者だった。

 伯父の家は十も部屋のある築八十年近い日本家屋で、どの部屋にもカビ臭い和綴じの漢書が積んであった。

 ぼくはいつもびくびくしていた。伯母さんの目ばかり気になって息をつめて暮らすようになった。 それから三月もしないうちだ。ぼくがじぶんの手に〝手〟を出しはじめたのは。

 いつものように兄貴が学校から帰るまでの時間をぼくはひとりで遊んでいた。

 手入れのゆきとどいた庭の、そこならだいじょうぶと思えるずっと奥まった柿の木の下に穴を掘り、青みどろの深い池にしつらえた筧から落ちる水をバケツにためてはせっせと穴に流しいれてかきまわし、泥団子を丸めて塔をこしらえていた。

「健さん」

 縁先から伯母さんが声をかけた。

「汚いことしないでちょうだい。それから、庭に穴を掘るのはいけません」

 穴を埋めさせられたあと、洗面所で指や爪にこびりついた泥をこすっているときだった。いままで経験したことのない熱をもった固まりがぐんぐん膨れながらみぞおちのへんにせり上げてきた。口中に生つばがあふれ、吐きそうになった。そのときだ、ぼくはいきなり右手の親指の爪を左の親指の関節につきたてた。なんでそんなことをしたのかわからない。ぼくの右手はまるでべつの生きもののように動き、力をこめて左の親指の筋目に爪をくいこませた。ギリギリ、グイグイ。関節の皮が破れた。洗面器の水がうす赤く染まる。それでもまだぼくはやめなかった。もっと、もっと、もっと。

 ぱっくり裂けた関節の傷口から赤い肉がのぞいた。そうなってやっと、ぼくのうちに突発的に噴出したどす黒い激流は平坦な流れへと落ちついていった。傷口はにぶく痛んだが、なぜか心地よさもおぼえた。異常に爽快だった。すっきりとして、いやなことなんかどこにもありはしないと思えた。

 そのとき、ふとひとの気配を感じてふりむいた。

 洗面所の戸口の陰から、登志子さんの片目がのぞいていた。

( 見られた!)

 ぼくの心臓はほとんど口から飛びだしそうに跳ねあがった。

 いつのまにか登志子さんはぼくのうしろに来ていて、ぼくがしていることをずっと見ていたにちがいなかった。

 冬の海に落ちたようにぼくの全身は凍りついた。

 登志子さんは恐怖に立ちつくすぼくをまたたきもせずに見つめていたが、やがて音もなく消えた。

( 伯母さんにいいつけにいったんだ)

 ぼくは足がすくんで動けなかった。

 だが、それきりだれも来なかった。


 従姉の登志子さんはひとりっ子だった。

 伯母さんに似て色白の、だがずっときれいなひとだった。兄貴よりふたつ年下なのに妙に乾いた落ちつきがあり、口うるさい伯母さんにくらべ伯父さんの無口を受けついでいた。だがそれは従順でおとなしいというよりは、いったいなにを考えているのかわからないというのが実情だった。

 〝永久凍土〟というのは、まさかじぶんの結婚相手になるなど想像だにしなかったころの兄貴が彼女につけた仇名だけど、ぼくはなぜか本能的に登志子さんを恐れた。それは伯母さんに感じる怖さとはまったくべつのものだった。戸口から片目をのぞかせ、ぼくの異常な行動を身じろぎもせず見つめていたことを思い出すたびに、ぼくはなんだか背筋にぞくっと戦慄をおぼえるのだ。


 両手のすべての指の関節を爪で割り赤い肉をえぐるのは、豪雨であふれそうなダムが溜まりすぎた水を放出するような、じぶんの内部に増殖しつづける鬱積した闇を解放する儀式にいつかなっていた。外に出すことを禁じられ、むりやり押さえつけれられてきたものが肉を破り血とともに流れていくとき、痛みはもはや痛みではなかった。ほうっと心地よいため息さえ、ぼくは唇からもらせた。首の骨のつぎ目がゆるむような、快楽をともなう解放感だった。無形が有形に代償行為を強いていた。

 ぼくの両手の関節はすべて切り裂かれた。こびりついた血糊にふちどられ、ぱっくりと開いた傷口は溶岩のような赤い肉をのぞかせ、乾くとみにくいかさぶたになった。だがぼくは傷がろくに乾くすきも与えなかった。親指、人さし指、中指、順々に爪を立てて裂きつづけた。しまいには関節だけでは足りず、指と指の股まで爪をくいこませた。そうすると指を開いたり合わせたりするたびに治りかかった傷口がぱっくりと真紅色の口を開ける。ぼくは新たな陰の遊戯に没頭した。

 そんなある日、廊下のすみでいつもの儀式に夢中だったぼくは兄貴に現場を押さえられた。ぼくの〝手〟は兄貴を驚愕させた。数日間、兄貴は太い義経眉をよせて考えこんでいた。だがどう考えたところでまだ十代の学生には荷が重すぎた。

 悩みあぐねて伯父の書斎へむかう兄貴をぼくは忍び足で追い、障子の陰でふたりの会話を立ち聞きした。兄貴は尋常ではない弟の行為を伯父に説明した。ぼくの心臓は早鐘を打った。

「じぶんに注意を引きたいだけだ」

 しばらく沈黙がつづいたあと、伯父さんのしゃがれ声がした。

「だれもかまってくれないとわかれば、そのうち飽きる」

 抑揚もなく伯父さんはつづけた。

「わるい癖をおぼえたな」


 伯父の家に引きとられてから四年後に兄貴は東京の医大に合格し、大学の近くに下宿することとなった。通えば片道でも二時間半はかかる。兄貴はぼくひとり残していくことをひどく気にかけていた。ぼくの方は小学校に上がったばかりの七歳で、あいかわらず〝儀式〟はつづいていた。兄貴がひどく気に病むので隠しかたは巧妙になった。兄貴の注意をうまいことそらす要領さえぼくは会得してしまった。

 そのころになるとどうしても目につきやすい指の関節はやめて、見のがされがちな指と指の股と手のひらに集中した。おとなしくしていなければいけない、伯父さんや伯母さんに迷惑をかけてはいけない、ぼくのために兄貴が叱責されるようなことをしてはいけない。ぼくの体はいつも硬く緊張していた。

 ぼくは儀式をやめられなかった。たとえそれがけっして健康的とはいえないものであろうと、それだけがぼくの心の均衡を保つ、たったひとつの確実な方法であることを無意識に知っていた。

 ぼくは崖のふちで、かろうじて足をふんばっていた。


 兄貴が東京の下宿さきへ移る日が来た。

 早春の日ざしにまだ固い桜のつぼみがほぐれるような、うらうらとあたたかい日和だった。出かけていた兄貴が親友の佐伯さんといっしょに門を入ってくるのを二階の廊下から見たぼくは急いで下へかけおりた。佐伯さんの肩には赤いペンキ屋根の小屋が担がれている。走りよるぼくに兄貴はうれしそうな顔をして腰をかがめ、腕の中に抱えているものを見せた。

「わあっ!」

 ぼくは思わず叫んだ。

 茶色の涙ぐんだような瞳がぼくを見上げていた。両耳のぺろんとたれた、まだほとんど生まれたての仔犬だった。抱えている兄貴の腕にぷくぷくの手のさきっぽをかけ、目から上をやっとのぞかせた小さな生きものは、明るい日の下で風に吹かれた綿毛のように細かくふるえていた。

「鷹の羽みたいな茶色だろ、目はやさしいけどな。牡をとっておけってたのんどいたのに、牝だよ、こいつ」

 兄貴はとなりでバツがわるそうに舌を出している友人をこづき、気がつくと仔犬はもうぼくの腕の中に押しこまれていた。

「おまえのためにもらって来たんだ。伯父さんも了解してるから心配しなくていい。名前はどうする?」

「……タカ」

「タカ? 鷹みたいな色だっていったからか。はは、いいかげんなやつだな、おまえも。ハナコちゃんとかベティちゃんとか、そんなのはだめか」

 兄貴と佐伯さんは顔を見合わせて笑った。

「さてと、その節穴だらけのお屋敷を据えちまおうぜ」

「無類の不器用がよくいうよ、弟のために釘一本でも打ったか、おまえは」

「まあ、なんだ……とにかく屋根がありゃ上等さ」

「なんの医者になるつもりかしらねえけどよ、いまからおれはおまえの手にかかる患者に同情するね。くっつけるよりバラバラにするほうが得意だもんな」

「牡と牝の区別もつかないやつは、いったいなんになれるか考えたことあるか」

 ふざけながら、ふたりは庭に小屋を運びこんだ。

 犬小屋は南に面した軒下のはじっこに置かれた。そこなら風雨も避けやすく日もよくあたる。

「おい、健、海水浴のとき浜にもってくゴザの古いのが納戸にあったろ、あれをあとでしいてやれよ」

 そういうと兄貴と佐伯さんは縁側から家に上がった。

 それぞれの手に重そうな鞄をさげたふたりが縁先に出てきたとき、ぼくはほんとうに今日からこの家にひとりで暮らすのだと気がついた。伯父さんはなにかの集まりで東京に出かけ、伯母さんと登志子さんはデパートに買いものに行って留守だった。見送るぼくの頭に兄貴は大きな手をのせ、ぐっとつかんでから、

「それじゃあな」

 といった。

「よほどおまえよりしっかりした弟だな」

 佐伯さんが感心していった。

 伯父の家にいるといいはったぼくの精いっぱいの強がりを兄貴はそのままに受けとったのだった。

 だが、ぼくとタカの体はさざ波のようにふるえていた。

 それからずっと、ぼくとタカは離れたことがない。

 しばらくしてふと気づくと、タカと遊びころげるぼくの手の傷口はきれいにふさがっていた。ぼくは何年もの間ぼくの〝親友〟だった手のことをすっかり忘れていたのだった。



「近いの? おうち」

「はい」

「大仏のほうかしら」

「いえ、江ノ電の海側です。兄貴はうちで目医者をしてます」

 あら、と女のひとはいった。

「北原先生?」

「はい」

「ああ、そうなの。あなた、弟さんなのね。はやってるのねえ、北原先生のところ」

 きれいな歯をみせてほほえんだ。



 まったく、ぼくは不思議でしかたない。

 あんなに大ざっぱで無頓着な兄貴がよりによって、ごつい指さきを繊細にとがらせて瞼をつまんだり、ちっぽけなスポイトをいくつも使いわけながら一、二滴の薬液をしたたらせるような目医者になるなんて予想もしなかった。

 ぼくと兄貴は両極端だった。ぼくのほうはひどく感じやすい神経質な面を多分に持ち合わせていた。子どものころも枕に頭をのせたら最後の兄貴のとなりで、寝つきのわるいぼくは寝がえりばかりくりかえし、やっと眠っても朝までになんども目がさめた。勉強ができ、理論的に行動する兄貴がいて、感興にふりまわされながら描く図画の成績だけよい弟がぼくだった。

 そういえば、ぼくはいつから絵を描きはじめたのだろう。


 ぼくは幼稚園には行かなかった。だから地区の小学校に上がっても知った顔はなく、それに伯母さんは他人が家に入るのをきらって、だだっ広い家の内外の用を登志子さんとふたりでしていたから、この家にいるかぎり外部との接触はひどく限られていた。

 兄貴が学校から帰るまで庭で遊び、天気が悪ければ二階のふたりの部屋で色鉛筆やクレヨンをにぎって絵を描いていた。伯母さんはぼくがおとなしくしていさえすれば、散らかしていないかとたまに様子をうかがいに来るだけだったし、絵を描くのは本を読むのとおなじくらいぼくの好きなことだった。

 ところが小学校へ入った年の秋に、ぼくは思いがけなく周囲の注目の的になってしまった。

 神奈川県主催絵画コンクールの小学生自由課題部門で、学校から出品されたうちのひとつだったぼくの絵が金賞をとったのだ。勉強ができるわけではなかったし、運動会の主役になれる俊足でもなかった、とりたてて目立たない一年生のぼくが射止めた金的に学校中は大さわぎになった。

 ぼくがいちばんうれしかったのは加藤先生がよろこんでくれたことだった。

 加藤先生は美大を出てまだ間もない、お姉さんみたいな話し方をする先生だった。風が吹くとパーマをかけた肩までのやわらかな髪の毛が翼のようにふわりと舞った。まるでいまにも飛びたとうとする天使みたいだった。登志子さんとはちがうふうにきれいだと思った。

 先生はいつもぼくの絵をほめてくれた。まあ、いいわねえとか、その色の使い方すてきとか、歌うように声をかけた。先生はだれにでもそうだったけれど、伯母さんに叱られたばかりいるぼくはほめられることになれていなかった。だから加藤先生が、あら、いいわね、というたびに、ぼくの胸は小躍りしたいほどの幸福感に満たされた。

 ぼくは暑い夏の日に柿の木の下で昼寝するタカを描いた。まだらに陽のあたるタカの茶色い毛と真上にしげる濃い緑の柿の葉影を描いたクレヨン画を、先生は学校代表のひとつに選んでくれた。花瓶にいけた花の絵も描いたのだが、

「健くんは課題を決められるより、じぶんの好きなものを自由に描くのがむいてるのね」

 加藤先生はそれがくせの小首をかしげるしぐさでつぶやいた。

 もちろん兄貴は佐伯さんとふたりして会場の公民館までぼくの金賞作品を観にきてくれた。

 伯父さんたちは来なかった。

 登志子さんが、

「どうせうちに持ってかえるのに、わざわざ行くこともないでしょ」

 と、いったからだ。

 でも、ぼくはどうしてか、登志子さんが来てくれなくてよかったと思った。


 翌年の秋にぼくの画はもっと規模の大きな公募展に出され、なんと文部大臣賞をもらった。こんどは雨の日に二階から写生した紫陽花の群生を水彩で描いて、その上にクレパスで白い雨の線を画面いっぱいに降らせた。

 だが、ぼくの幸運もそこでおしまいだった。

 加藤先生は遠いところへお嫁に行くことになり、学校をやめてしまった。

 交代に山下先生という女の先生がよその学校からやってきて、ぼくたちの図工を受けもった。山下先生はぼくの二回連続大賞獲得を知るや、なんとしてもじぶんの手で三度目をねらう決心をしたらしい。

 ぼくにとっての不幸は、加藤先生とちがい、山下先生が一から十までぼくの画に口も手も出すことだった。その線はおかしいでしょ、もっと構図を計算しなさい、なんでそんな色を使うの、ほら、よく見て、ああ、もう、ちょっとかしなさい、ここはね、こういうふうに描くと受けがいいのよ……。

 ぼくは赤い花をなぜいつも赤く塗らなくてはいけないのかわからない。海は青いとだれが決めたのかしらない。木の葉だって紫や黒や黄色にぼくの目にはうつる。日を受けたり精気がなえたり、その日、そのときで、周囲のものはさまざまに色も形も変わって見えた。まっすぐな煙突もぼくの画用紙の上では傾いたり、ねじれたりする。そう見えるのだからしょうがないのだけれど、山下先生にしてみればとんでもないことだった。

 やがて、あれほど楽しみだった図工の時間が苦痛になり、画を描くことへの興味があせていった。ぼくの中の、ぼくがぼくでありつづけるためのもの、みずみずしく新鮮で柔軟ななにものかが、砂浜に打ち上げられた疲れた赤い海星ひとでのように日を追って干からび、色をなくしていった。

 投げやりな気持ちがどんよりと胸の底によどんだきりのある夕方、ぼくはクレヨンや水彩絵具や、画を描くためのすべての道具を押入れの奥に放りこみ、乾ききってひびわれてしまった創意の残骸を胸の奥に塗りこめた。



 突風にもてあそばれる長い髪を指にからめながら、

「そういえばあなたのご近所にいらしたコリンズさんご夫妻はどうしてらっしゃるかしら。もの静かな英国の方だったけれど、帰国されたのよね」

 女のひとは顔を海にむけたまま、風が運んできた思い出をつぶやいた。

「この浜をふたりでよくお散歩してらしたでしょ。あなたもタカをつれていっしょにいるの、わたし、見かけたことあるわ」

「すみません、ぜんぜん気がつかなかった」

「見かけたっていってもほんの二、三回よ。あなたはご夫妻にかわいがられていたみたいね」

「そう…ですね」

 コリンズさんの手紙や兄貴の顔がちらつき、ぼくは口ごもった。

「たしか、お子さんのいらっしゃらないご夫妻で……そうそう、あなたがおふたりと散歩しているときスケッチブックを抱えていたのよ。画を描くのが好きなんだなって思ったからおぼえてるわ。あら、もしかして」

 女のひとの瞳に光がやどった。

「北原先生の弟さんって、もしかしたら、あなた、北原健さん?」

 連想が、海辺の町でいっとき話題になった出来事を思い出させてしまった。

「……はい」

「まえに新聞で読んだわ。そうだったの、あなただったのね。すごいじゃない」



 医大を出て国家試験に通った兄貴は大学の付属病院に勤めた。

 兄貴が登志子さんと結婚したのは、ぼくが十五歳になった年だった。

 登志子さんは義姉になった。

 すべては伯母さんのさしがねだった。この家を継ぐのならまったくの赤の他人より従兄妹のほうがよいと考えた伯母さんは、さっさとことを運んだ。登志子さんはむかしから感情のない人形のようなひとだった。伯母さんがそうしなさいといえば逆らわない。伯父さんは書籍に埋もれ、勉学の邪魔さえされなければだれがどうだろうとかまわなかった。

 承諾したのは恩義のためだと兄貴はぼくの耳にささやいた。

 病院勤めのまだ二十七の男が陰では〝永久凍土〟とさげすんでいる相手と所帯を持つには、子どものころからふたりして世話になってきたという無視できないしがらみがあったのだろう。

 ぼくたちの両親の葬儀に集まったとほぼおなじ顔ぶれの親戚だけで内々に三三九度を交わしたあと、

「形だけのことさ」

 兄貴は声をひそめていった。

 そのとおりの結婚だった。

 兄貴は夜勤ばかりで家にいることは少なかった。朝帰りした兄貴を無言でむかえ食べもしない朝食を用意する登志子さんのいつに変わらぬ態度と、新妻に対する兄貴の無関心が、大人の世界のはかりしれない不気味さと疑問をぼくにもたらした。

 病院の仕事がよくわからないぼくは兄貴にきいた。

「兄さん、眼科ってそんなに夜勤するの?」

「ばか」

 にやりとして兄貴はぼくの頭をこづいた。

 義姉さんのすることはすべて完璧で文句のつけどころもなかった。が、家の中はなにひとつとして明るい色に塗りかえられたものはなかった。

 そうこうするうち、結婚生活に大変化が起こった。

 兄貴が病院をやめた。そして住居である家とつなげて診療所を建て増しし、眼科を開業したのだ。近隣に目医者がなかったこともあるが、兄貴の腕はなかなかいいらしく病院勤務時代からの患者までやってくるようになった。北原眼科医院は待合室の外まで患者のならぶ毎日がはじまった。兄貴の開業には伯母さんの意向があったのはいうまでもない。

 それでも兄貴は診療後によく外出した。学会や会合が理由に上げられるが、そのまま受けとる人間は家内にはいなかった。ぼくも、もうわかっていた。土曜日の診療後に出かけてそのままもどらないときもあったから。


 数年がたったひどく寒い冬の朝だった。

 その時期にはよくあることなのだが、正午近くなっても寝所から出てこない父親のためお盆に食事をのせていった義姉さんは、布団に横たわったまま亡くなっている父親を見つけた。心不全だった。

 伯母さんは持病の胃炎が悪化してじゅうぶんに食事がとれず、かなり衰弱したために入院療養していた。

「いまはまだ、お義母さんにはいわないでおけ」

 兄貴はそういったが、義姉さんはなぜかその日のうちに入院中の母親に知らせたのだ。

 結果的に北原の家ではつづけざまにふたつの葬式を出すこととなった。

「おまえには感情ってものがないのか!」

 伯父さんと伯母さんの納骨をいちどにすませた晩、兄貴がはじめて義姉さんに大きな声を上げた。

 伯父さんの死の知らせが入院している伯母さんの死期を早めたともいえた。

 親戚にもかくしていたが、じつは伯母さんは末期の胃がんだった。

 兄貴はめずらしく声を荒げて義姉さんの不注意を責めた。

 義姉さんは顔を伏せたままひとことも発せず、激昂する夫の足もとにじっと正座していた。

 ぼくはべつのことを考えていた。

( 義姉さんは故意に伯母さんに知らせたのではないだろうか)

 ぼくは疑った。

 もしかすると、伯母さん自身の病にかんする事実をも。

 ぼくにはそう疑うはっきりした根拠があったのだ。

 兄貴と入れかわりにタカが来て、学校が引ければタカと遊ぶのだけが楽しみだったころのことだ。ぼくは四年生になっていた。

 四年になると授業も終るのが遅くなり、その日は掃除当番の上、帰り道につい本屋で立ち読みして時間を忘れた。はっと気づいたときはもう街路灯に灯がともっていた。

 伯父さんの家の夕飯は五時半に決まっていた。

( どうしよう、遅れたらまた叱られる)

 晩秋のたそがれの空の下をぼくは走りに走った。

 息を切らせて正門脇の小口戸をくぐり敷石をけって七歩で玄関の格子戸に手をかけたとき、タカがクゥンと鼻をならすのを耳にした。すると義姉さんの、そのころはまだ登志子さんだったひとが、

「どうしたの。遠慮しなくてもいいのよ。早くお食べなさいな」

 タカに話しかけている。

 夕飯をやってくれているらしい。

 クウ~ン、またタカがなく。

 登志子さんの声がいった。

「あら、お気に召さないかしら。居候のタダメシ喰いのくせして生意気なのね」

 庭木戸をぼくは音がしないようにずらした。

 タカと、そのまえにしゃがんだ登志子さんが、同時にぼくを見た。タカはまだみじめったらしくお手をくりかえして登志子さんのご機嫌をとりつくろうとしている。まえに置かれているのは餌の入った金属のボールだ。ボールからは夜目にも白い湯気がもうもうと立ちのぼっていた。味噌汁のにおいがきつい。ボールにはぐらぐらに煮立たせた残飯が入っていた。

 呆然と立ちつくすぼくを尻目に、登志子さんは静かに身をおこし、

「遅かったのね。もうすぐご飯よ」

 なにごともなかったように台所へもどっていった。

 そのことを、ぼくはいままでだれにも、兄貴にも話したことはない。

 だがぼくは夜の庭の暗がりでぼくにむかって開かれた義姉さんの瞳が、まるで邪悪な蛇そのもののように冷たい炎を燃やし、青白い光を放っていたことが忘れられない。



「すごいじゃないの。たしかイタリアと、それに英国でもグランプリをとったんでしょ」

「まえの話ですよ。もう、むかしのことですから」

 女のひとは吹きだした。

「なんだか年寄りみたいないい方するのね。いやだわ。ヨーロッパ留学の奨学金が賞品じゃなかった? いつ行くの?」

「………」

「あの奨学金は期限があったように思うけど、ちがったかしら」

「………」



 高校二年になった春のことだ。

 いつものようにタカと浜へ行ったぼくは車道をわたろうとして、うっと息を飲んだ。

 海岸に異様な物体が打ち上げられている。

 大きな馬の死骸だった。

( なんで、どうして、あんなものが、あそこに)

 ぼくは目まぐるしく考えをめぐらせた。

 もっと不思議なのはこの前代未聞の漂着物のそばを、まるでなにもありはしないかのように通りすぎていく散策の人たちだ。

( いったい、どうなってるんだ)

 ぼくはじぶんと馬だけが周囲から切りはなされ、べつの空間に置きざりにされた感じがした。

 小走りに車道をわたった。石垣の上で目をこらすと、馬は黒毛に見えたがぬれていたからかもしれない。太い胴体は大量の海水と腐敗ガスでさらに大きく膨れている。死骸はうしろむきに横たわっていた。たてがみが首にからまりもつれるさまや、硬直して跳ね上げられた棒のような四本の脚がいまやはっきりと見えた。

 渚を歩くとたまに犬や猫の死骸に行きあうことがある。だが、馬? 馬だなんて。

 そのときぼくは、海が馬の死骸をなでるのを見たのだ。

 海は巨大な女になっていた。青い女だ。白い泡のレースが袖口をかざっていた。女は片腕を枕にして、ながなが、うねうね、ゆったりと横たわり、もう片方の腕をたおやかにさしのべて水になかば浸かった馬の体をなだめるように愛撫していた。


 ぼくは腑ぬけたように目のまえに転がるものを見ていた。

 そこに横たわっているのは、海藻がたてがみのようにからまる腐りかかった巨大な流木だった。

 海は衣のひだのようなうねりをみせて打ちよせていた。タカは立ちどまったきりのぼくを不審そうにながめ、流木や海藻をかいでいたが、ぷいっとさきへ走っていった。

( ぼくはどうしてこれが死んだ馬に、海が寝そべっている青くて巨大な女なんかに見えたんだろう)

 そんなことを考えているうち、心の奥深いあたりからはげしく湧き上がるものがあった。

 なにかに追われるようにして、ぼくはいま来た道を引きかえした。不満げなタカを半分引きずりながら家にもどると二階へかけ上がり、押入れからもうひとむかしまえに放りこんだまま埃にまみれたクレパス、パステル、水彩絵具、油絵具の箱、キャンバス、スケッチブックなどを抱えだした。

 いく枚も、いく枚も、下絵を描いた。クレヨンで描き、クレパスを使い、筆やパレットナイフや指や、思いつくありとあらゆる道具でぼくの見た世界を描きなぐった。次の日にぼくは横長の二十号キャンパスとアクリル絵具とモールディングを買ってきた。それから一週間というもの、学校から帰るのももどかしくキャンバスにむかった。

 広大でゆうゆうとした青い女の寝すがたと夕焼けの波打ちぎわに横たわる馬を描いたぼくの画が「海の女」という題でイタリアの国際青少年絵画展グランプリを獲得したのは、それから半年後だった。

 つづけて描いた作品は国の公募展で特選になった。満月の夜にしぶきを上げて空を飛ぶ、色も形もとりどりの魚たちの饗宴を描いたものだ。それが日本の青少年代表作として送られた英国でふたたびグランプリをもらった。

 ぼくは堰を切ったように描きつづけ、倦むことがなかった。それほどに描きたい気持ちが鬱屈していたのだ。空想はいまや思うままに翼をひろげて自由な世界を羽ばたいた。

 ぼくはやっと、ぼくの世界をとりもどしたのだった。


 二回の国際的なグランプリ受賞はぼくにヨーロッパ留学の機会をくれた。かなり高額の賞金も与えられた。名目は奨学金だが、望まなければ美術学校やアトリエに籍をおく必要はない。好きなときに行きたいところへ旅行するだけでもよかった。なにがなんでもたくさんの作品を仕上げて帰らねばならないということもない。英国にはコリンズさん夫妻がいて、ぼくの来るのを心待ちにしている。だれが見ても申し分ない状況といえた。

 もともと大学には興味がなく、会社勤めも向かないぼくを知る兄貴は、

「おい、健、やっとおまえに合った生き方ができるな」

 大いに喜んだ。

 ところがなかなか腰を上げない弟にいらいらし、とうとう堪忍袋の緒が切れてしまった。

「いったい、おまえはどういうつもりなんだ!」

 それが、あの雨の日だった。


 ぼくが旅立つ決心をつけられずにいるのはタカのためだ。

 だがそんなことは兄貴にはいえなかった。

 義姉さんのいる家にタカを残してはいけない。そのわけは洗面所の戸の陰からのぞいていた義姉さんの片目のせいだとはいえない。小学校四年生のあの夜に見た義姉さんの、青白く光る目のせいだと、ぼくは兄貴にはいえないのだ。いってはいけないたぐいのことなのだった。

 ぼくの逡巡をよそに、時間だけは容赦なく過ぎていった。

 画で知り合った友人たちは、もうぼくがなにかの理由で渡欧も画も投げたと思っているらしかった。

 それでもぼくはタカを捨てられなかった。

 どうしても。



 女のひとは白いスニーカーのつまさきで砂をほった。

「ねえ、潮時ってしってる?」

「は? ええ、まあ」

「なんにでも潮時があるのよ。もうこのあたりでじゅうぶんだって時期がそのときなの。潮が満ちたときに流れに乗らないと浅瀬にとりのこされてそれきりおしまい」

 なにをいいたいんだろう、このひとは、とぼくは怪訝な顔をした。

「あなた、もしかするとタカを置いていけないんじゃなくて? 長くいっしょにいすぎたのよ」

 心を読まれた気がした。

「連れてっちゃおうかな、わたしが」

 心臓がどきんっとした。

「あの、そろそろ行かなきゃ」

 ぼくは逃げだす用意をした。

「気にさわった?」

「そんなことないです」

「そう。それじゃまたね」

「はい。じゃまた」

「さようなら」

「さよなら」

 トンネルの上から見ると、女のひとはまたフードをかぶり、白い靄につつまれて灰色の石の一部にもどっていた。


 女のひとと話していく日かしたころ、台風の予報もないのに夜に入って風が吹きはじめた。

 夜半から風はさらにはげしさを増した。庭の木々が枝を打ち合う音に負けて、ぼくは長いこと寝つかれずにいた。それでもやがてうとうとしてきた。

 眠りに落ちるまえの体が水底深く沈んでいくような半覚醒のときだった。ごうごうと轟く海鳴りと松籟しょうらいのはざまに一声、ぼくはどこか遠くでなにかを告げるかのように長く尾を引く犬の遠吠えを聞いた気がした。

 あくる朝、タカは小屋にいなかった。庭にもいない。餌を片手にいくら呼んでも姿を見せなかった。

 思いあたるものがぼくにはあった。

 ぼくは縁の下をのぞいた。

 床下の奥深く、どこからかさしこむうす明かりに、すこしゆがんだ黒い小さな三角形が浮いていた。それは遠目にも硬く凝縮してみえた。

 ぼくは身をかがめ、乾ききった砂の上を四つんばいになって床下に這いこんだ。

 小さな三角形はもう二度とぼくの呼びかけに応えて機敏に立ち上がることのないタカの耳だった。



 夕暮れに、ぼくは海岸へ行った。

 日の落ちるすこしまえの海はおとなしい生きもののように静かに凪いでいた。真夏の喧騒が遠く水平線に消えると、海は潮騒の単調な土地の浜にかえる。海水浴客の小麦色に焼けた肌が色あせて、海を忘れるのもそのころだった。

 久しぶりの海だった。

 秋の波が波濤を紅く染め、おだやかによせてはかえす渚をぼくはひとりで歩いた。下をむいて歩いた。犬を連れて散歩している人を見ないようにして。

 潮が上げてきた。波打ちぎわの砂がしだいしだいにぬれて崩れていく。ぼくは渚に背をむけ、トンネルにむかって歩いた。トンネルのわきにはだれもいない。ぼくは石垣によりかかった。あのひとはここにいたのだと思った。

 タカがいなくなってもう一カ月になろうとしている。喪失感は埋めようもないが、それだけがぼくの足を海から遠のかせたのではない。タカがいなくなった夜からだった。ぼくはおなじ夢をくりかえし見た。

 嵐の夜の暗黒に、夢の中のぼくはいる。

 あおむいたぼくの目は、宙に浮いた女を見ている。

 逆巻く風が女の長い髪を吹きちらし、白い服のすそがちぎれそうにはためいた。なのに、音がない。まるで古い無声映画のようだ。

 女は闇のかなたに飛びさろうとしている。夜の魔物たちが女の周囲を飛びかう。

 女が腕にかかえているのは茶色い仔犬だ。ぷくぷくした手のさきが見える。仔犬は静かな目をしている。だまってぼくを見下ろしている。ぼくは叫ぶことも動くこともできない。それでもなんとかして仔犬をつかもうとあせるのだが、ぼくの腕は鉛のように重く、どうしても上がらない。

 夢の中の女に見覚えがあった。海で会ったあのひとだ。女は仔犬を連れて夜空高く上っていく。待って、待ってくれ、ぼくは必死に叫ぼうとするが声は出ない。

 そこで目が覚める。全身が冷たい汗にぐっしょりとぬれていた。


 もしいまあのひとに会ったら、なにかが決定的になりそうな気がした。ぼくにはそれが怖かった。だがこうしてひとりで海を見ていると、ぼくはやはりあのひとにもういちど会いたいと思うのだ。

 さくさくと砂をならしてだれか近づいてくる。

「しばらく見かけなかったね」

 話しかけてきたのは犬をつれた初老の男のひとだった。

 頭髪は雪のように白いが、反対に眉は黒々としていた。おぼえのない顔だった。

「夏の間、よく見かけてたよ、夕方になると茶色い犬連れて散歩してたろ」

「あ、はい」

 ぼくはどぎまぎとうなずいた。

 男のひとのかたわらでは白い犬がぼくを見ながら尻尾をふっている。飼い主に記憶はなかったが、犬は知っていた。よく波打ちぎわを矢のように走っていた。

 ぼくは腰をかがめて白犬の頭をなでた。

「これ、おじさんの犬だったんですか」

 そして犬好きならきっとよろこぶ一言をつけたした。

「いい犬ですね」

「なにがいいもんか。どうしようもない雑種だよ。駄犬だよ、こんなの」

 そういったけれど、男のひとの満足そうな表情はかくしようもなかった。

 胸の奥で、つくん、と糸がはじけた。

 やっとつくろった破れ目がみるまにひろがるのをぼくは感じた。男のひとのうれしそうな謙遜はかつてはぼくのものでもあったのだ。あいさつ代わりにタカにお世辞をいわれると、ぼくもよくおなじことを口にした。

 ぼくはだまって白い犬の頭をなでつづけた。

「今日はひとり?」

 声に遠慮がちな思いやりがあった。

「死にました」

 もういちど、ぼくはそっと犬の耳をなでてから立ちあがった。

「そうか……生きものはそれだからいやだな」

 ふたりともだまったまま、しばらくうつむいていた。

「じつはね、ちょっと心配してたんだ」

 男のひとは照れくさそうに白髪頭をかいた。

「もしかして妙な考えしてるんじゃないか、なんてさ。年ごろも年ごろだし、こんな日に思いつめた顔してこんなとこによっかかってんだもの」

「自殺でもしそうに見えたんですか。いやだなあ、まいったな」

 こんどはぼくが苦笑いする番だった。

「いやあ、すまん、すまん。ごめんな。でも、まえにもそこであったんだよ、工事の最中に」

「工事?」

「ああ、そうか。きみはしばらく来なかったから知らないかもな。こないだうち業者がトンネルのそこんとこ、内側のコンクリを補強工事してたんだ。134も車が増えたからね、天井がはがれて落ちたらしい」

 トンネルの中を指さした。

「内部に足場が組んであったんだけど、その横木で首つりがあったんだ。聞いたことない?」

「そういえばなんとなく」

 そんな話を聞いたか新聞で読んだかぼんやりした記憶があった。

「だからさ、わかるだろ。心配しちゃったんだよ」

「ぼくはそんなことしませんよ。理由もないし」

 男のひとはうなずいた。

「こいつをつれて朝の散歩に来たら人だかりがしてたんだ。警察がいて近よれなかったけど、野次馬の話じゃ髪の長い女だったそうだよ。でもなあ、こんなうすっ汚いドブ川のトンネルの中にぶら下がらなくったってなあ」

 あらためて暗い内部をのぞくようにして、

「まえの晩は嵐みたいなえらい風だったけど朝にはやんでたから浜に下りたんだ。でもその女のひとはあんな大風の吹き荒れる真夜中にここに来て、そいで、ぶら下がったんだなあ。なんかさ、胸がきゅっとなっちゃってしばらく立ちどまってたよ。灰色のスウェットの上下を着てたって」

「いくつぐらいのひとでしたか」

 ぼくの声はふるえていた。

 だけど男のひとはじぶんの回想にひたって気づかなかった。

「えーと、どうだっけ。三十六、七とかじゃなかったかな。あーあ、若いのにもったいないって思ったもの」

「………」

「なんというか、かわいそうなひとだったらしいな。母親とふたり暮らしで、そのうち母親がボケちゃったんで仕事やめて世話してたんだが、母親も死んでさ。ひとりになってみたらじぶんには生きる目的がなにも残ってなかった、若いときに家を出る機会もあったのに出そびれた、潮時を読みちがえたとかってサザエの殻の下に書置きがあったって話だよ」

 さて、行こうか、と男のひとは白犬に鎖をつないでゴム草履の砂をはらった。

「そいじゃ。こんどは犬連れてくるかな、きみも。何年くらいいたんだい、あの犬は」

「十二年です」

「そうか……」

 鎖を引いて愛犬をじぶんのそばによせた。

「明日は学校だろ?」

「ええ。新しい生活がはじまります」

 ぼくの心はそのときはっきりと決まった。

 人のよさそうな男のひとはうなずいた。

「いいなあ、若いひとは。ま、しっかりやってよ」

「はい」

「また、会おう」

「ええ、またいつか」



 その日から一週間、荷造りはすべて終った。

 ぼくは今夜、英国に旅立つ。夜間飛行。ぼくは夜の海をこえて飛行する。

 ぼくのまえにはかつてぼくたち人間がこころみた文明のさまざまな形態が待ちうけている。何年もかけて、ぼくはいくつもの国境をこえるだろう。だが、ぼくは畳や障子、唐紙に欄間、曲がり廊下や雪見灯籠、それらをぼくの内からなくしはしない。それがタカと暮らした日々の記憶とともに、ぼくの芯、いまのぼくを作ってくれた文化なのだから。

 そしていつかきっと、ぼくはもう一枚の〝海の女〟を描くだろう。だがそれはまだまださきのことだ。ぼくはそのための時が胸に満ちる年月を待とう。その日までの最初の一歩を、いまぼくは踏みだそうとしている。

 波音が高い。満潮だ。もう、その潮時なのだ。


          ― 了 ―

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湘南幻燈夜話「海の女」 @kyufu

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