第9話:奇跡廻り②
「――『総理大臣』! 『総理大臣』はいますか!? 頼む、早く来てください! 間に合わなくなりますッ!」
居間にさえ光が灯っていない幽霊屋敷に躊躇無く押し入り、声の限り叫ぶ。程無くして玄関に光が点灯し、ひょこっとメイド娘が顔を出した。
「こんばんは、黒野喫茶さん。夜分遅くの来訪、流石に歓迎しません?」
「いいから『総理大臣』は――!?」
目の前の何もない空間が水滴が一滴落ちた水面の如く震動し、この館の主である『総理大臣』は音も無く現れた。
空間転移だ。
「随分手酷くやられたようだね、病院なら匙を投げて葬儀場送りだから此処に来るのは必然か。やれやれ、この私が治癒を得意としているように見えるのか?」
やや呆れたような顔を浮かべ、それでも『総理大臣』は律儀に診察する。抱き上げていた少女を床に下ろし、彼等『総理大臣』達の手に委ねる。素人の自分が出る状況ではない。
見るからに少女の顔色が良くなり、どうやら峠は簡単に越えてくれたと安堵する。
これで助けれずに死なせてしまった、とかなったら後味が悪い処の話じゃない。ほっと一息付いて脱力すると、自身の携帯が鳴る。
相手は――亜門光だ。
「亜門さん! 無事だったんてすね……!」
『――あはっ、残念でした』
その耳に発せられた声は亜門光の低い女性の声ではなく、狂気を孕んだ少女のものだった。
彼女の端末で彼女が出るという事は――亜門光は悪霊との戦闘して敗北し、逃げ切れずに死亡した事に他ならない。
「……ッッ!」
言葉が、出ない。少し前まで一緒に歩いていた人物が殺された、などと認めたくない。
偶然、彼女が亜門光の端末を拾って、電話を掛けて来た。そうに、違いない。
そうやって自分を騙そうと思っても、既に彼の死亡が確定済みだと認めている自分を否定出来なかった。
放心中の自分から、携帯がひったくられる。『総理大臣』の仕業だった。一体何を……?
「見境が無いな、殺人鬼」
『貴方が『総理大臣』さんですか? 一つ聞きたい事が――』
「甲冑を纏った武者なら『鬼殺隊』にしか居ないぞ」
『え?』
「何を呆けているんだ? お前の想い人とやらを殺したのは『能力者』への復讐の為に生涯を捧げた一般人の組織である『鬼殺隊』だと言っているんだ。奴等の詳しい情報と居場所は亜門光の携帯のメールに送信しておくから勝手に見るんだな」
そう言い捨てて自分の端末を投げ返し、懐から取り出した『総理大臣』自身の携帯を手早く操作する。
まるで届いてなく――『総理大臣』は愉しげに嘲笑った。
「どうせ自滅するんだ、有効に活用しなければ勿体無いだろう? 精々華々しく散れ」
◆
かーかーと、鴉の鳴き声が無数に響き渡る。
小鳥の囀りにしては無粋な鳴き声であり、とても朝を感じさせるものではない。
結局、あれから一睡も出来ず、時々額に乗せるタオルを濡らし直して眠れる少女の看病をしながら早朝を迎えた。
あれから携帯に連絡は無い。当然と言えば、当然だ。亜門光の携帯は赤錆ベガの手に渡り、彼女自身はもう――。
最悪の想像が脳裏に過ぎった時、携帯が鳴る。
非通知――即座に部屋の外に出て、通話ボタンを押す。
「……誰だ?」
『黒野喫茶、君の前任者と言えば解るか? 亜門の姉さんとの連絡が途絶えたままだ。昨晩、何が起こった?』
それは黒野喫茶からではなく、彼女の仲間からだった。
黒野喫茶ありのまま起こった事を話す。大悪霊のに遭遇し、黒野喫茶を囮にして逃げ延び、死なせてしまった可能性が大きい事を――。
『……まだ死亡が確定した訳じゃないッ! 亜門の姉さんは存外しぶとい。怪我を負って連絡が出来ない状態の可能性も考えられる。その際に端末を落とす事なんざ極稀にあるだろう! 私が直接確認しに行くから朗報を待っていろ』
彼はそう自分に言い聞かせるように通話を切り、放心状態の黒野喫茶は被害を受けたクラスメイトの少女……桐藤なのはが眠る部屋に戻る。
責めてくれればどんなに楽だったか。お前のせいで死んだ、そう罵ってくれれば良かった。
(やりきれない……!)
黒野喫茶は項垂れる。彼女に関しては学校の入学式からの縁だったか。
最初は自分の命を救った救世主だった、彼女からの接触が無ければ自分は他の九人と同じように悪霊や能力者によって行方不明になっていただろう。
こんこん、と小さめのノックの後、部屋の扉が開き、欠伸しながら眠たそうに目を擦るメイドが入ってきた。
「一晩中看病していたのですか。桐藤なのはが負傷した事に貴方は何ら過失も無いのに。失礼」
黒野喫茶の前で大きく欠伸をし、メイドは忌々しそうに外の光を睨む。そういえば彼女は吸血鬼だったか。昼間に堂々と歩いていたからすっかり忘れていたが。
そんな彼女は桐藤なのはの看病をするのではなく、此方側に近寄り、最寄りのテーブルの上に木の籠に入ったパンを差し出した。
「朝が大好きな吸血鬼なんていませんよ。――はい、出来るだけ簡素な食事をお持ちしました。食べないと行動すら出来ませんよ? 良く寝て良く食べて良く生きる。それが長生きの秘訣です」
「ありがとうございます」
正直言って食欲が湧かないが、腹は減っているという矛盾状態。少しだけ躊躇うも、パンに手をつけて噛み付く。メイドは一緒に持ってきたティーカップに紅茶を注いでいた。
「亜門光の事で悔いているのですか? 彼女は最善の決断を下し、最善の結果を齎した。貴方がとやかく思うのは問屋違いというものです」
「っ、ですが、私も残っていれば――!」
「貴方も桐藤なのはも巻き添えで死んで全滅してましたよ? それは亜門光の挺身を無為にする最高の愚挙です」
言われて、反論の余地無く口を閉ざす。
……彼女の死を、未だに受け入れる事が出来ないのは直接見ていない事と、その死の原因が自分にある事から、だろう。
此処で足踏みしていても、彼は何も喜ばないだろう。パンに食いつき、紅茶で流し込む。行動に必要な活力を取り込み、そして必要な情報を聞き出す。
この舞台に自分の役割など見出せないが、まずはやれる事をする――!
「……赤錆ベガの想い人とはどういう奴だったんですか?」
「うーん、私でも覚えてないほど空気な人だったと思います」
復讐の為に大悪霊を駆る、か。それにしてもあれは一体何だったのだろうか?
その時「っ、ぁ……」と桐藤なのはから声が発せられ、緊張感が一斉に霧散する。
「あ、目を覚ましましたか」
「おはよう、桐藤なのは。世界の裏側を垣間見た感想は如何だったかな?」
いつの間にか立っていた『総理大臣』は悪意に満ちた笑顔を浮かべて尋ねる。
「……私、は……何で、此処に、っ! ベガちゃんは!? あぐっ……!」
「落ち着け、怪我はまだ完治していない。迂闊に動くと折角塞いだ傷が開くぞ」
生死に関わる重傷がこの程度に済んだ事は僥倖と言うべきか。
「私は総理大臣、この屋敷の主だ。君は赤錆ベガの大悪霊と交戦し、敗北した。殺される寸前に奇跡的に通り掛かった黒野喫茶に助けられ、我が屋敷まで運び込まれたという訳だ。此処までは良いかな?」
「……ベガちゃん、は――」
「さて、彼女の行方は私にも解らないな」
自分が此処まで酷い目に遭っているのに、最初に出てくるのは他人の心配か。
「それじゃ順を追って説明しよう。桐藤なのはが巻き込まれ、赤錆ベガが参加した『奇跡廻り』についてな」
まるで『総理大臣』は何処ぞの麻婆神父のように嫌らしく笑う。
「――『奇跡廻り』とは万能の願望機である『奇跡』を巡って、七人の参加者・七騎の悪霊が殺し合う戦争だ。何処の誰に入れ知恵されたのかは知らないが、赤錆ベガは自らの意思で『奇跡廻り』に参加しているようだ」
「……っ、ベガちゃん……! 止めなきゃ……!」
「どうやってだい?」
『総理大臣』は優しげに、そして残酷に尋ねる。
笑っているように見えて、普段とは比較にならないほど攻撃的で刺々しい――?
「大悪霊に対抗出来るのは基本的に能力者か大悪霊のみだ。今夜の事は全て忘れると良い。それで君は日常に戻れる」
「っ、それじゃベガちゃんは……!」
「あれは自らの意思で此方側に足を踏み入れ、大悪霊を従わせて宣戦布告した。もう後戻りは出来ない。別に珍しい事では無かっただろう? お友達の一人や十人が行方不明になる事ぐらいは」
『総理大臣』は皮肉気に笑い、桐藤なのはは知らぬ内にその瞳から涙を一滴流した。
「――総理大臣さん。赤錆ベガに対して、どうする気ですか?」
「どうもこうも、何もしないよ」
「……そうなりますか」
それは危害を加えない、という意味の宣言ではなく、もうどうしようも無いという類の死刑宣告だった。
「手を下すまでもなく近日中に自滅すると言ってるんだ。赤錆経ベガは魔力枯渇して『死』ぬだけだ。そうなる前に大悪霊を打倒すれば生命だけは助かるだろうが、生憎とそれは不可能だろうね」
「……で、でも、それでも私はベガちゃんを助けないと――」
「――それにね、桐藤なのは。君が勝機を用意せずに赤錆ベガと無謀に交戦した結果、一人囮になって死亡した者が居る。そうだろう? 黒野喫茶」
まさか『総理大臣』の苛立ちの原因はそれ、なのか――?
此処で此方にその話を振ってくるとは予想出来ず、沈黙してしまい――それは桐藤なのはにとって、無言の肯定と同意語であった。
「……え?」
「――『総理大臣』さん!」
それでも駄目だ。幼いこの少女にはその事実の重さを受け止められない。
怒りを込めて睨むも、『総理大臣』にとってはそんな視線など無いも同然だった。
「解り辛かったかな? 君にも理解出来るように単純な文章に直すと――お前のせいで一人死んだ。瀕死の負傷で足手纏いの君なんか背負わなければ、亜門光は黒野喫茶と共闘して生き延びられただろうに。惜しい女を亡くしたものだ」
心の底から哀悼するように、『総理大臣』は責め問う桐藤なのはから視線を外し、彼方を見上げた。
「あの人はっ、亜門光まだ死んでない。絶対に生きている……!」
「それは本気で言っているのかな? 黒野喫茶。自分さえ騙せない嘘は滑稽なものだよ。確かに私自身も彼女が殺された瞬間に立ち会ってないから100%死亡しているとは断言出来ないとも。だが大悪霊を相手にして生き残れる可能性は一体幾ら程かな?」
未だに認められない自分を嘲笑うかのように『総理大臣』は目を瞑った状態で威圧し――途端に無表情に戻り、くるりと踵を返した。
「完治するまでは面倒を見るが、此処も安全とは言えない。退去するなら早めに退去しろ」
それは放心する桐藤なのはに言った言葉であったが、今はその耳に届きすらしないだろう。
この年頃の少女に人の死を背負うなど不可能だ。今、この自分さえ、醜く動揺して否定しようと藻掻いているというのに――。
「そうそう、赤錆ベガは魂食いをしている。大悪霊に一般人を殺させ、その者の魂を喰わせる事で現界を維持している。放置しておけば犠牲者はまだまだ増えるだろうね」
この瞬間、赤錆ベガは何が何でも排除するべき怨敵となった。自分にとっても街の人々にとっても、そのままにしておく訳にはいかない。
「――『総理大臣』! この地の管理者として、それは許されざる行為じゃないのか!?」
感情的に叫んでしまい、黒野喫茶は即座に後悔する。
この『総理大臣』がどう答えるかなんて、最初から決まっていた。
「この街の管理者としては神秘が隠蔽されている限り、何も問題無いよ。死体すら残らず丸ごと喰らい尽くすから行方不明扱いで楽だわ」
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