蠢く者たち

ベルゼブブ

プロローグ

害虫なのだとしても



「どうして、こんなことになっちゃったんだろうね」


星が不快なほど美しく輝く夜、彼女は霜のように真っ白な髪を揺らし、こちらを向いた。

建物の屋上というなんとも殺風景な背景が、かえって、真っ白な髪をもつ彼女の存在感を不気味なほどに上げている。



「神様も、残酷なことをするよね。本当に、ほんとに、どうして…」



そう言って、彼女は青く光る宝石のような目を伏せる。

伏せた目からは、これまた美しい涙が流れた。



「ごめんね、私のせいで、君を不幸にさせてしまった」



違う、あなたのせいではない、決してない。

彼女の言葉を否定しなきゃいけないのに、それなのに、喉がたったそれだけの言葉を発すことを許してくれない。

いや、それも違う。それはただ僕が臆病なだけだ。自分の言葉が、彼女に余計な傷を付けるのを恐れているだけだ。



「私が、罰を受けるのは分かるよ。こんな私は、産まれてこない方が絶対に良かったから。でも、君たちが不幸になるのは…どうしても、解せないの」



彼女が、今までどんな辛い思いをしてきたのか、僕は誰よりも分かっているつもりだった。僕はずっと、彼女の一番近くに居たから。

けれど、もしかしなくても僕は、何一つ彼女のことを分かってあげられていなかったのではないだろうか。この世界の誰よりも優しい、彼女を。



「………産まれてこない方が良かったなんて…それは、違うと、思う」



そんなこと、言わないでほしい。どうか、自分をそんな風に責めないでほしい。

ここに来て初めて声を出した僕を見て、彼女は僅かに目を見開き、そして眉を下げた笑みを浮かべた。



「…ありがとう、君は、優しいね」


それも、違う。僕は、あなたのことを何一つ分かってあげられなかった。寄り添って、あげられなかった。

そんな僕にも、この人は優しいと言ってくれるのか。卑怯で、臆病な、僕にも。


「もし出来ることなら、私はずっと、君と過ごしたかった。君の夢を、叶えてあげたかったの。でも、私がいると、君は自分の夢を叶えられない。幸せに、なれない…」


「…だから、ここから飛び降りるって言うのか」


ここは、四階建ての建物の屋上だ。飛び降りたら、まず無事では済まない。


だが―彼女は僕を見据え、頷いた。


「……ごめんね、今まで、ありがとう」



「…!」


「もし…生まれ変われたら」


彼女は、柵の上に立った。

駄目だ、間に合わない。…まただ。また、人を死なせてしまう。


「今度こそ君と…幸せになりたいな」


「……待って…!」




手を伸ばした時には、もう、遅かった。



「……っ、ぁあああああああああ」


喉から溢れ出る声を必死に押さえつけようとしたが、無駄だった。

ああ、まただ。これで、何度目だろうか。


「僕、は…っ、誰、も…助けられない…」


どうして、僕は誰も救えないのだろうか。特に彼女は、目の前に居たというのに。どうして、手を握りしめてやれなかったのだろうか。どうして――


「…あ、そうだ」


僕はどうせ、誰も救えない。それは、この先生きていても変わらないだろう。なら―


「死のう。僕も」


彼女は、僕を幸せにしたくて死んだ。僕が死んでしまったら、彼女の死は無駄になるかもしれない。だけど、僕はどうしても自分自身を許せなかった。


「…ごめん、


他の人と違うことで、ずっと苦しんでいた姉。何よりも、僕の幸せを優先してくれた姉。誰よりも優しかった彼女は、僕の選択にどんな反応をするのだろうか。僕を罵るのかもしれない。それだけ僕は、最低なことをしようとしている。けれど、やっぱり、怒ってくれるのだろうか。どこまでも優しかった彼女のことだ。自分の死が無駄になったからではなく、ただ純粋に、僕だけを思って。


「でも…僕は、姉さんと幸せになりたかったよ」


柵の上に立つ。美しい星たちは、ただ無慈悲に輝くだけだ。



ああ―神様。

僕たちを救ってはくださらなかった残酷な神様。もしも、天界で出会えたのなら―










何度だって、何度だって、殺してやる。


「…なんてな」




僕が最期に目にしたのは、紅い水溜まり血溜まりの上で眠る、


僕の、たった一人の姉の姿だった。

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