あしたのために(その24)おーるあばうと、まい、まざー

 川地たちが石原と牛丼を食っていた頃、二子玉川の喫茶店では小林が、母と向かい合っていた。

「おとなしくしているんでしょうね」

 母はコーヒーを頼むと、迷惑そうに言った。

「してるよ」

 小林は、母と会うのがたまらなかった。毎月、母と待ち合わせして、生活費を渡される。振り込みでないのは、息子に会いたいからでなく、問題を起こしてはいないか、監督するためだった。

 本当は、俺の顔なんて見たくないのだろう。小林は母と目を合わせなかった。

「お父さんに感謝しなさいよ。大学の学費も出してくれるんだから」

 そいつは俺の「お父さん」じゃない、と小林は口を固く結び下を向く。だからといって、俺の実の父親は、自慢できるような人間でもない。いまではどこでなにをしているのかわからなかった。

「感謝することもできないの?」

 俯いている小林に、母がため息をついた。

 小林は、目を合わせたら、口を開いたらなにを口走ってしまうか、自分が怖くて、いつだってただじっと黙ることしかできなかった。

 学校や街で恐れられている自分は、こんなにも弱い。

「あなたは頭が悪いんだから。みんなが迷惑しているのよ。いつだって問題を起こして……、あの事件だって」

 母があのことを蒸し返しはじめた。

 違う、そうなんじゃない、と反論したくてたまらなかった。叫びたかった。

 俺の身体にはガキがいる。小林はそう思っていた。

 いつもえーんえーん、ママ、ママ、ってずっと助けを求めて泣いている気がする。

 小さい頃の俺が、ずっと。

 でも、誰も助けてくれやしないし、抱きしめられることもなかった。

 ただずっと、自分は永遠に真っ暗闇のなかで泣いているんだ。

 目の前の女は、もう俺の母親じゃない。金持ちの男と結婚して、すっかり奥さまなんて呼ばれることにも慣れきった、この女に、小林だってもう、母親へ向ける愛情を向けることはしない。

 早く、大人になりたい。

「ありがとうございました」

 小林は、歯を食いしばりながら、深く頭を下げた。


 小林は世田谷公園に向かった。

 待ち合わせ場所の噴水前で、川地たちがキンブレを振って迎えた。それはとても綺麗で、自分を待っていた二人のバカ面がのんきすぎて、さっきまでのしみったれた気持ちが少しだけ溶けていくような気がした。

「ねえ聞いて、超レアなことがあってさ、イシハラがさ〜」

 沢本はぺらぺら喋り始めた。

 こいつらは、さっきまであったことを知らない。別に知ってほしいなんて思わない。むしろ、こんなふうに能天気な顔をしている二人を見ていると、さっきの喫茶店のことなんて、ほんとうのことではないように思えた。

「どこ行ってたの?」

 なにげなく川地に訊ねられ、

「女んところ」

 と小林はぶっきらぼうに答えた。ほっとしていることに気づかれないように。

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